生きる稽古 死ぬ稽古

     生きる稽古 死ぬ稽古

ー毎日が おけいこ日和ー
        

こんにちは、伊東昌美と申します。
イラストを描いたり、太極拳を学んだり、小さなベランダで植物の世話をしながら、
遊びながら、サボりながら、笑いながら、楽しみながら、
時には怒ったり、しょぼくれたり、泣いたりもしながら、
生きることってなんだろう? 死ぬことってなんだろう?
<わたし>ってなんだろう? <ひと>ってなんだろう?
と、毎日「生きる稽古 死ぬ稽古」を続けています。
これは禅宗のお坊さんである藤田一照さんからお話を聞くことでできあがった本のタイトルなんです。

自分自身を見つめるために「自分♡伝えるノート(ジブツタ)」というのを作りました。
このジブツタがご縁で「生きる稽古 死ぬ稽古」という本ができました。
他にも私が作った絵本や、イラストを描かせてもらった健康関連の本なども、↑ヘッダーに載せました。

太極拳を学び、また生徒さんに伝えていくことは、心や体を健やかに保つ大事な手立てのひとつです。
土に触れ、花に水をあげる日々もまた、心を豊かにしてくれています。
絵を描くことはもちろん、私にとって大切な自己表現です。

そんな日々の暮らしを綴ったブログです。

そう、<毎日がおけいこ日和>なんですよね。



本日、

オソロシイことに気がつきました!


先ほど↓の記事を書いたんですけど…




その中に

〈シレネ〉

っていう名前のコがいるんです。

今日、買ってきた鉢ですね。


で、

(シレネって、

私が育ててたシネラと名前が似てるなぁ。

呼び方が違うだけなのかなぁ?)

と思って調べてみたんです。


いちおう、前の記事は↓これね😅

調べてみたら、

調べてみましたら…

ずっと私が名前を間違えていたゲッソリ

ということだったようです。


以前のブログにあるピンクのコは

シレネのピンクパンサー

と言います。

そうして、本日うちに来たコは

シレネのドレッツバリエガータ

というそうです。



このコを買わなかったら

ずっと私は名前を間違えたままだったんですね。

コワイ、コワイ〜〜😱


もしも万が一、

私のブログで

名前を覚えてしまった方がいらしたら

(たぶん、そんな奇特な方はいないでしょうが)

この花たちの名前は

シレネ

です。


どうぞよろしくお願いいたします🙇🙇🙇


思い返せば

一人暮らしをするようになってから

都内の小さなアパートでも

植物は育てておりましたわ〜〜😄


千葉に引っ越してきてからも

ちょいちょいと育てていましたし、

よく考えれば

植物たちとのつきあいは長いのかもしれません。


でもやっぱり‼️

コロナの期間

というのは大きいなぁと思います。


あの、世界が閉ざされてしまったような

先が見えなくなったような

息苦しい時期に

ベランダの草花に

どれだけ気持ちを

ほぐしてもらったことだろう🌸🌺🌸🌺


植物たちには感謝してもしきれません✨✨


その時期に

勝手に名乗った〈趣味の園芸〉部。

NHKの本家本元さんとは

なんの関わりもございません😅

勝手にやってる部活動でございます。


そんなありがたい部活動だったのですが、

何度となく

ブログやFBて書いてきていることですけど

大規模修繕工事によって

昨年の春ごろから

休部を余儀なくされてきたんです🥲


室内の広さの割に

ベランダは広いのですよ。

そこにあった鉢を全部

部屋の中に取り込むには無理があります。


というか、無理やり入れたのですけど

北側のスペースに追い込まれた植物たちには

無理でしたね〜😭😭

ほぼ、全滅の憂き目に遭いました😭😭😭


でもガッカリしてばかりもいられない。

春の足音も聞こえてきたことですし

少しずつ

〈趣味の園芸〉部、部活動を

再開することにしたんです。


2024年、部活動の始動です。



せっかくなので

今まで育てたことのない植物を選んでみました。


手前はシレネ、ドレッツバリエガータ

奥の左はユーフォルビア、パープレア

奥の右はリベルティア、ゴールドストライプ


はい、絶対に覚えられないです。

まぁしょーがないよね😅


ゆっくりゆっくり

部活動を続けます😊✨

前回は

↓プリンターが古くなったお話を書きました。

これにはまだ続きがあります。

代金を払うためにレジに行ったのですが、

まぁ、最近よくある

〈アプリを入れると安くなる〉

みたいなことで、

Y電機さんのアプリを入れようとしたんですが

うまく機能しない。

プリンターの担当の方がやってくれたんだけど

なぜか私の携帯が繋がらない。


その店員さんが同じフロアにいる

Sバンクの方を呼んでくれて

やってみたんですけど

なかなかつながらない…😅


実はプリンターだけじゃなくって

スマホも相当、年季がいっているわけです。

私は大事に使うから

物持ちがいいんですよぅ😅😅


そうして

プリンターを買いに行っただけなのに

スマホの機種変まで済ませてしまった

という休日となりました。




↑何の写真かわかりますか?

新しいスマホのパッケージです。


今まで使っていたのは

iPhone7です。

壊れないし、不自由しないから

ずっとコレを使ってた。


で、新しくなったのは

iPhone14‼️


「ええ〜〜っ‼️

それって倍じゃん‼️」

と思わず言ってしまったよ😂😂


その言い方が合ってるかどうか

わからないけどね😂😂


実はPCも相当、古くなったので

近いうちに変えようと思っているんです。


いろんなものが

新しくなります。

また、何年も使うのだろうなぁ😄😄



ワタシはいちおう、

〈イラストレーター〉

ではありますが、

プリンターというものは

ずっと家庭用の、A4までしか印刷できない

ちゃっちいものを使ってきたのであります。


で、そのプリンター用のインクを注文しましたら

「もうその機種は販売しておりませんで、

インク自体も製造中止となっております」

ということになってしまいました。




考えてみたら、

もう20年近く使っているような…ゲッソリゲッソリゲッソリ


それってびっくりされることだよね?

でも、プリンター自体は

どっこも壊れていないんだよ。

ちゃんと使えるんだよ。

それなのに、

インクがないために使えないなんて

悲しすぎる😭😭😭


黒ならインクだけはまだあったので、

それを使えるだけ使ってから

新しいものと取り替えよう。


そう思っていたんです。


そうやってのらりくらり、

スミ一色で乗り越えて数ヶ月が経ちました。


で、ついに必要に迫られてきたために、

今日、プリンターを買いに行ってきたんです。


(でもまだ使える、

モノクロの印刷はできる!)

と、今日もまだ

古い方を使っていたんですけど…



プリンターを買ってきたこのタイミングで

とうとう!

黒のインクまでがこんなことに😭😭😭


これってついに、

お別れの時が来たってことなんですね笑い泣き笑い泣き笑い泣き


本の挿し絵を描いたり

展覧会の案内を作ったり

まぁ、あれこれあれこれと

大変お世話になりました。


なんだか

とっても悲しいわぁ。


これは何度も何度も何度も

話していることだけれども、

〈機種変〉って

中身だけ取っ替えてくれないかしら?


使えるところは残しておいて、

頭脳に当たる部分だけ

取っ替えてくれないかしら?


あー、

新しいプリンターになる喜びよりも

使えなくなったプリンターが

かわいそうでならないのよ😭笑い泣き😭笑い泣き😭




贈り物か、商品かーイチゴでも靴下でも、おかしなことに、それをあなたがどうやって入手したかによってその性質はすっかり違ったものになる。



前から読みたいと思っていた本が

ようやく図書館から借りられたので

隙間時間を使って

チビリチビリと読んでいます。


ネイティブアメリカンであり

植物学者であり

自然保護活動家であり

作家であり

母である

ロビン・ウォール・キマラー

という人の書いた本です。


冒頭に掲げたように

贈り物というのが

いかに価値のあるものなのか?

ということが

くわしく書かれている章があるんです。


この世界のすべてが商品なのだとしたら、

私たちはとても貧しくなる。

この世界のすべてが

手から手へ移りゆく贈り物なのだとしたら、

私たちはどんなに豊かになることか。


この本を読んでいることと

かっちり当てはまるかのごとく、

このところ毎日のように

いただきものを手にしています。


自分がお金を出して買ったものと

人からいただいた贈り物とが

どうしてこんなにも違うのだろう?

と感じていたタイミングだったので、

これらの言葉は

とても深く心に入ってきました。


侵略という考えがなく

もともと与えられた土地で平和に暮らしていた

そういう民族の人たちに共通する考え方として

この世界にあるものはすべて

誰かの所有物などではなく

生きとし生きるものすべてに与えられた

贈り物なのである

という考え方があります。


食べ物を捕る、獲る、採る時に

神に感謝を捧げる

というのも

贈り物に対する感謝の気持ちがあるのでしょう。


そういった考えのもとに立てば、

私の国

私の土地

私ののニンジン

なんて言い方は、

とても奇異なものなのかもしれませんね。




↑これは、最近いただいた手ぬぐいです。

「ハシビロコウが好き❣️」

なんですけどね、

そんなことをこの贈り主に

言ったことなどなかったのに

こんなかわいい贈り物をくれたんです。



また、別の方からは

お茶の味などまったくわからない私が

台湾の凍頂ウーロンという

高級茶葉をいただきました。


コロンと丸いその茶葉は

お茶に無知な私がみても

ていねいにていねいに

仕上げられたものだとわかります。


しばらく茶葉を眺めて

香りを味わい

ゆっくりとお湯を注ぎます。


ほぅっと味わいながら

ゆっくりといただきました。


贈り物には余韻があります。

贈り物を眺めながら

それをくれた人のことを想います。


そして直接

それをくれた人のことだけでなく、

今までに贈り物をくれた

たくさんの人のことも想い思い出されます。


贈り物というのは

実はものすごくパワフルなもの

なのかもしれません。


贈り物、いい言葉ですね💕💕





たまたま選んだ作品の

どちらにも小林薫が出ているという不思議びっくり

 

↓こちらはそのひとつね。

そして

(まぁおもしろいに決まってるだろうなぁ)

と思って借りてきたのが

「阿修羅のごとく」

です。

 

これは1979年と1980年にNHK総合テレビで放映された

向田邦子原作のホームドラマ。

 

向田邦子は脚本家として名を馳せ

(「寺内貫太郎一家」は有名ですよね)

エッセイストや小説家としても

素晴らしい作品を残しています。

 

日本において<エッセイスト>という言葉は

彼女に対して付けられた言葉じゃないかって

私は思っているんですけどね。

 

でも、もともとホームドラマって

あんまり観てこなかった私は

このNHKのこのドラマを知りません。

 

なので、2003年に制作された

この映画を見てみようと思ったわけです。

 

監督は森田芳光

いい監督だと思っていたのよ。

「模倣犯」を観るまではねチーン

 

↓Wikiを読んだら、

 

2002年に、宮部みゆきの大ベストセラー小説を原作とした、中居正広主演のミステリー『模倣犯』を撮った。興行的にはヒットしたが、全編にわたって独自のメディア論を展開したため、純粋なサスペンスを期待した原作者および原作ファンの怒りを買った。

 

なんて書かれている

そりゃぁ、そうだろう。

あの映画はヒドかったものチーンチーン

 

(↑私もあんまり大したことは言ってないゲッソリゲッソリ

 

その翌年にこの「阿修羅のごとく」が撮られたわけなんですけど、

これはいいです!

向田邦子の世界観を崩していません。

 

 

ただ、私はNHKのドラマを観てないので

そう言えるんですけど、

ドラマを観ている方々からは

<ドラマには遠く及ばない>

という声が多いみたいです。

 

原作 向田邦子

演出 和田勉

 

ですからね。

そりゃぁ、すごいでしょう。

 

で、ドラマの方の配役は

父    佐分利信

母    大路三千緒

長女   加藤治子

次女   八千草薫

次女の夫 緒形拳

三女   いしだあゆみ

四女   風吹ジュン

 

 

いっぽう、映画の方は

父    仲代達矢

母    八千草薫

長女   大竹しのぶ

次女   黒木瞳

次女の夫 小林薫

三女   深津絵里

四女   深田恭子

 

豪華な役者の名前が挙がっています。

 

ドラマの方が…という評価が高いようですが、

でも、この映画の方でも

昭和という時代の雰囲気は

よく伝わってきます。

 

お正月に家族が集まった時の雰囲気とか

結婚式には親だけでなく

姉たちも留袖を着るんだね、ということとか

お葬式の時の台所のガザワチャした感じとか

なんということもない日に年寄りがウトウトするとか…。

 

向田邦子というヒトは

日常の、何気ない一コマを切り取ることが

とても上手なヒトだったんです。

 

映画の中で

次女が母と話していたのは

「子どもの頃に体が弱かったから

よく足の裏を陽に当てられた」

というエピソードですし、

三女が四女に向けて

「お父さんはあなたの背中を丁寧に洗ってくれたけど

私に方には見向きもしなかった」

というエピソードなんかも出てきます。

 

たとえ、同じ経験がなくても

(あぁ、その感じ、ワカル〜〜〜)

ってなっちゃうんです、昭和生まれはね。

 

ドラマにはあって、映画にはないもの。

それは<情念>だと語る人もいるようで、

う〜〜ん<情念>ってナンダ?

と考えてしまうのですが…。

 

 

 

映画の中で

本妻(桃井かおり)と不倫相手(大竹しのぶ)

が火花を散らす場面があります。

 

こんなシーン、なかなか観られるものではなく

二人の大女優の迫力あるシーンです。

 

が、ドラマを観た人からは

情念が足りないという声もあるようで、

やっぱり昭和と情念(特に女の)とは

欠かせない繋がりがあるようです。

 

 

↑こちらはドラマの画像です。

観てないからなんとも言えないですけどね〜。

 

でも、タイトルにある

「阿修羅」な感じは

残念ながら映画では感じ取れなかったなぁ。

それが<情念>なのかなぁ。

 

 

 

 

毎度のことながら

旧作のDVDばかりを借りてくるので

世の中の流行とはズレてしまっていますスミマセン笑い泣き

 

2013年製作の「舟を編む」です。

 

 

2012年の本屋大賞受賞作品が原作で

日本のアカデミー賞で最優秀作品賞など6冠に輝いたそうなので

今さら私がどうこういう必要はないかもしれません。

 

地味で静かな作品ながら

心にす〜〜っと染み込んでくる秀作でありました。

 

個人的には、最近、小林薫という役者が気になっています。

若い頃には好きでも嫌いでもなく

(そういう役者さんがいるんだな)

くらいにしか思っていなかったのですけど(←ひどいゲッソリ

歳を重ねて魅力が増してきたように思われるのです。

ジイさんに足を片方突っ込んだくらいになって

魅力的になる人というのは

そりゃあ目が離せません。

 

鶴見辰吾は、今ちょうど端境期ですね。

もう数年経ったら、魅力が増してくれることを期待しています。

(↑なんかエラソーですか?ごめんなさい!ゲッソリゲッソリ

 

加藤剛は、若い頃には顔も演技も整いすぎていて

まったく魅力を感じませんでした。

というかキライでした。

 

でも、この映画の加藤剛はいいです。

内容的に、おそらく作中で死んじゃうんだろうなって

わかったのですけど、

(あぁ、なんか死んでほしくないなぁ)

っていう、へんな感情移入が入りました。

 

というように、役者陣が揃っていて

強固に石垣を固めていますが、

その中で松田龍平とオダギリジョーが

それぞれに<らしさ全開>の演技をしていて

映画として、とても安心してみていられる作品でした。

 

 

↑主人公が下宿している家が、

今ではほとんど見られなくなった古びた家屋で

(私が上京してきた頃には、

まだあちこちにこんな下宿屋があったのよ!)

この映画に欠かせない雰囲気を醸し出しています。

 

 

この映画の内容は

<ただ辞書を作る>

というマイナーすぎる作業工程を扱っています。

が、この地味で単純で

しかも間違いがあってはならない

という、実に職人気質なこの仕事を

粛々と続けていくというものなんです。

 

PHSが出たて、という時代設定もあって

辞書がこれからたどるであろう予測とかも心をよぎって切ないです。

 

そう、切ないんだけれども、

単語のチェックや

校正なども

すべて手書きで行なっているところなどに

ものすごく懐かしさを感じます。

 

そして本音を言うと

(こうでなくっちゃ!)

とも思っちゃうんですよ。

 

言葉にこだわり

紙にこだわり

ミスがあってはならない、とこだわる。

 

仕事というものの真髄を見た気がしました。

 

池脇千鶴が脇役で出ていたのもうれしいですし、

あと、これも正直に言って

宮崎あおいは好きではないんですけど

そうなんですけど、

でも、彼女の演技はまちがいない。

 

 

いい女優さんだなぁと思います。

 

 

映画を観ると

その予告編を観ることで

次々と連鎖的に映画を見続ける

ということがあるわけですが。

 

本を読んだ時にも、

やはり同じようなことが起こってきます。

 

↑先日書いた

土井善晴先生の本です。

この本には、何人もの方の著作が紹介されています。

 

で、その方の本を私はまた、

図書館でリクエストするわけです。

 

秋月辰一郎先生

も、その中のお一人でした。

ところが本の中で紹介されていたものは

図書館では見つからず、

そのために別の本をリクエストしたんですよ。

 

 

 

 

阪神淡路と関東東北で

大きな地震があり、

コロナという未曾有のウィルスが世界を席巻して

そうして能登でもまた地震。

 

その間にはウクライナやロシア

パレスチナとイスラエルの戦争があって…。

 

私個人はほとんど打撃は受けていないにも関わらず

これらのことが起こるたびに、

申し訳ないことではあるものの、

残酷な描写や

暴力、戦争といった題材の作品がみれなくなってしまいました。

 

子どもの頃から

太平洋戦争のノンフィクションや小説など

読んできていますし、

引揚者の過酷さや

沖縄での地上戦や

広島、長崎の原爆のことなど

その時々で映画や本や写真など

目にしてきました。

 

でも今は本当に辛く辛くて…。

真実を少しでも知りたい!

と、今までは作品に触れてきたわけですが、

最近では、全く無理笑い泣き笑い泣き

 

そんな時に

「長崎原爆記」

です。

 

リアルな描写は飛ばしながら

ではありましたが、

なんとか読み進めていきました。

 

秋月先生は

長崎で医者をしている時に

被曝されました。

が、爆心地ではなかったために

丘の上にあったその病院に

被曝した、ヒトなのかどうかもわからないような人々が

毎日押し寄せてきた日々が書かれていました。

 

そもそも病院そのものも爆風で吹き飛び、

設備もない

薬もない

布団もない

地獄のようなところで

できる限りの事をするという日々です。

 

そんな中、

1人の修道士について書かれた記述があります。

 

アルカンタラ修道士というその人は

カナダから長崎にやってきたのだけれど

戦争のために捕虜になっていたそうです。

終戦となり、自由の身になって

ごった返す汽車で再び長崎にたどり着き、

何もかも無くなり、

荒廃しきった長崎の地で再び動き始めます。

 

 

アルカンタラ修道士はシャベルとハンマーを担いて

焼け跡の整理をする。

二階、三階の燃え屑を庭に落としては、

道路をならしてくれる。

彼がハンマーで曲がったパイプを叩く音、

コンクリート、煉瓦を壊す音が忍耐づよく聞こえる。

 

人間が作り、人間が壊したそれを黙々といま片づける。

廃墟の山でアルカンタラ修道士の心境はどんなものであろうか。

私には理解できなかった。

原子爆弾を落としたアメリカ人を恨むのか。

それともこういう愚かな戦争をした日本の指導者を憎むのか。

カン、カン、カーン!

ー規則的な音がどこからか聞こえる。

 

 

ここのくだりを読んで

すごい衝撃を受けました。

 

人間の強さって

こういうことを言うのではないか?

 

こういう、心に何かがあっても

黙々と行動をし続ける、その強さ。

 

憎んだり

恨んだり

文句を言ったり

無気力になったり

自暴自棄になったり…

 

しちゃうよ、誰だってねチーンチーンチーン

そういう中で

カン、カン、カーン!

の音が、どれほど人を勇気づけたのだろう。

 

 

そうしてまた

著者である秋月先生も

バンカラで強く、潔い方のようです。

 

本の最後に

永井先生というかたとの会話が書かれているのですが、

こんな言葉が載っています。

終戦後、まだバラックが立ち並ぶ

そんな日本での言葉です。

 

「私がいうのは物質的な衣食住生活の

汚れと低さだけではありません。

精神生活の汚れと低さです。

ー戦災者だ、戦災者だと

言っている間に取り残されてしまっている私らです。

あれからもう二年たちました。

世界はぐっと進んでいます。

戦災で根こそぎやられた分を取り戻したうえ、

その二年間の進歩に追いつかなきゃならぬ私らです。

それが二年前の戦災当時の状態に

いつまでも踏み止まっていて

はたしてよいものでしょうか?」

 

すごいですよね〜〜。

本当の強さとは何か?

そういうことを思い知らされる本でありました。

 

 

 

 

 

ラジオを聴いていて

気になったヒトが出てくると

その名前を、必死で覚えるようにしています。

 

(私がラジオを聴くのは運転している時だから

メモれないんですよ〜滝汗

 

で、その人の著書を図書館で借りてきては

読んでいるわけです。

 

 

 

 

ラジオを聴いていてもビックリしたんだけど

本を読んでみて、再度

(こんなヒトがいたんだ〜〜ポーン

ということに驚かされます。

 

彼、山中さんが最初に話し出すのは

(僕は物心ついた時からずっと

自殺志願者だったんですよー)

ということなんです。

そのことに、まずビックリびっくり

 

死にたい、というよりも

生きている意味がわからなくなってしまって

死にたくなってしまうのだそうです。

 

そこに彼の原点があります。

 

そこからはじまって

彼が辿りついたのは

<偽善者>として生きる

というところでした。

 

側から見たら偽善でもなんでもない

素晴らしいことを数々やりのけているんですけど

彼なりに<偽善者>というのが

気持ちの落とし所だったのでしょう。

 

 

<栄養失調のエチオピア難民の子どもたち>

をビデオで見たのが

そもそもの始まりだったのだそう。

 

その後、猛勉強して

慶應義塾大学法学部

に入ります。

 

この大学生時代には

朝から大学、その後は児童養護施設でボランティア活動。

夜は外交官を目指すための専門学校。

そして専門学校の勉強が終わると

歌舞伎町でスカウト活動。

朝になるとコンビニで朝ごはんを食べたら8時まで勉強。

 

…ほとんど寝た記憶がないそうですポーンポーン

 

集中力や継続力そして体力も超人的ですが

彼は歌舞伎町時代に

<頑固だけどいい人>

を貫いたそうです。

人の見ていないところでも真面目に仕事をして

ホステスさんの悩みを真剣に聞き

トラブルの調整役もしてきたのだそう。

 

そしてその実績によって頭角をあらわし

20代そこそこで高額の報酬を得ることになります。

山中さんの最大の能力のひとつは、この

お金を稼ぐ力

お金を生み出す力

お金を引っ張ってくる力

というのがあるように思います。

 

「世界中が平和になり、

誰もが笑顔で生きていけるような社会を作りたい」

というのが

山中さんの<偽善者>としての思いだったそう。

そのために目指した外交官だったのですが

学科試験で上位合格を果たしたにも関わらず、

 

「国益なき外交はない。

今の日本にとって国益を最大化させるための手段として

途上国外交は重要視していない。

キャリア官僚としての役割は、

アメリカなど先進国を中心とした調整機能にある。

国際社会のなかでの共通利益という

理想に拘泥しているような余裕はない」

 

という面接官に対し、

 

「外交官として途上国に関われず、

外務省が地球全体の共通利益が

日本の国益や幸せ感につながるという考えで

行動できない組織であるならば、

私の思いはこの組織にはありません。

辞退させたいただきます」

 

と言って、外交官になる道を自分で蹴ってしまうのですポーンポーン

 

その後、どうしたと思います?

 

文科系に在籍していたにも関わらず

そこから医学部を目指して医学試験を突破してしまいますポーンポーン

 

医師免許を取得した彼は

それまでに培ってきた人脈や

新しい出会いをツテに

ケニアのスラムで数年間

医療活動を続けます。

しかもその間には

単なる医者としてだけではなく、

エイズに関わるプロジェクトの活動も行なっています。

 

貧しい地域では

幼い子どもたちが売春をしながら命をつないでいます。

 

地域の人たちと話し合い

学校の先生にHIVの検査とカウンセリングができる資格を取ってもらい

ボロボロの小屋を掃除して拠点施設を作りました。

 

お金を引っ張ってくる力

はここでも発揮されます。

現地で見てきたことを整理して

が海省に報告すると

3年間で3000万円を超えるお金を

草の根事業として使えることになりました。

 

山中光茂というヒトの経歴を書くだけで

こうやって字数が多くなってしまうのですが、

このような経歴の後に続くのが

自分の生まれ故郷である松阪市の

松阪市長

です。

最初に紹介した本は、

この市長としての実績を主に書かれたものなのですが、

この市長就任期間にも実に多くの実績を残しています。

2009年2月6日 - 2015年9月30日

が、彼に就任期間です。

 

この間に

市長と市民の直接対話を続け

市の財政借金、約1300億円を約90億円も減らし

赤字まみれの病院を改革し

反市長派も味方につけています。

 

人生のどの部分をピックアップしても

それだけで本が書ける人生です。

 

でも、山中さんの最終職業は政治家ではありません。

 

現在は

 

 

を都内に立ち上げて

在宅診療に力を注いているようです。

 

今回は本の感想ではなく

山中光茂というヒトに

ひたすら驚かされたポーンポーン

ということを書きたかったんです。

 

今後の彼の生き方にも

大いに興味があります。

 

(フェイスブックを見たら

漫画のことが書いてあって、なんだか嬉しい爆  笑

 

 

 

 

 

 

 

うちのコースターは手縫いです爆笑


そして物持ちがいいので

私が独身の頃から使っている

30年ものです。


さすがに色褪せて

穴が空いてきたものもあったので、

それらを捨てて

いや、全捨てしようと思ったんだけど

なんとなく数枚は残そうと思って…



で、捨てた分を補充しようと

新しく縫いました。



はい、それがコレ↑

比べてみると

ほんっとにボロボロなのがよくわかりますニヤニヤ



でもね。

さらに追加で

先ほど縫いあげたのがコレ↓なんですけど…



コレねぇ、

左の2枚の時代は定かじゃないけど

右の布は江戸時代の古布なんです。


随分前に買って放置してたんだよなぁ。


いや、だからさ

うちで使ってた

色褪せたコースターの布よりも

こっちの方が布自体は古いわけゲッソリ


なんか、こうなってくると

何が古くて

何が新しいのかわからないですね。


ただ、縫っていて感じたのは

江戸古布って

肌触りがとっても気持ちがいいってことデレデレ


古けりゃいいってもんではないけど

古いものが持っている魅力って

どうしようもなく、ある飛び出すハート


二人暮らしで

そんなにコースターはいらないと思うんだけど

ビールと焼酎とお茶と…って

いろいろ飲む人がうちにはいるので

ある程度は必要みたいなんですよね爆笑