贈り物、の話 |      生きる稽古 死ぬ稽古

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ー毎日が おけいこ日和ー
        

贈り物か、商品かーイチゴでも靴下でも、おかしなことに、それをあなたがどうやって入手したかによってその性質はすっかり違ったものになる。



前から読みたいと思っていた本が

ようやく図書館から借りられたので

隙間時間を使って

チビリチビリと読んでいます。


ネイティブアメリカンであり

植物学者であり

自然保護活動家であり

作家であり

母である

ロビン・ウォール・キマラー

という人の書いた本です。


冒頭に掲げたように

贈り物というのが

いかに価値のあるものなのか?

ということが

くわしく書かれている章があるんです。


この世界のすべてが商品なのだとしたら、

私たちはとても貧しくなる。

この世界のすべてが

手から手へ移りゆく贈り物なのだとしたら、

私たちはどんなに豊かになることか。


この本を読んでいることと

かっちり当てはまるかのごとく、

このところ毎日のように

いただきものを手にしています。


自分がお金を出して買ったものと

人からいただいた贈り物とが

どうしてこんなにも違うのだろう?

と感じていたタイミングだったので、

これらの言葉は

とても深く心に入ってきました。


侵略という考えがなく

もともと与えられた土地で平和に暮らしていた

そういう民族の人たちに共通する考え方として

この世界にあるものはすべて

誰かの所有物などではなく

生きとし生きるものすべてに与えられた

贈り物なのである

という考え方があります。


食べ物を捕る、獲る、採る時に

神に感謝を捧げる

というのも

贈り物に対する感謝の気持ちがあるのでしょう。


そういった考えのもとに立てば、

私の国

私の土地

私ののニンジン

なんて言い方は、

とても奇異なものなのかもしれませんね。




↑これは、最近いただいた手ぬぐいです。

「ハシビロコウが好き❣️」

なんですけどね、

そんなことをこの贈り主に

言ったことなどなかったのに

こんなかわいい贈り物をくれたんです。



また、別の方からは

お茶の味などまったくわからない私が

台湾の凍頂ウーロンという

高級茶葉をいただきました。


コロンと丸いその茶葉は

お茶に無知な私がみても

ていねいにていねいに

仕上げられたものだとわかります。


しばらく茶葉を眺めて

香りを味わい

ゆっくりとお湯を注ぎます。


ほぅっと味わいながら

ゆっくりといただきました。


贈り物には余韻があります。

贈り物を眺めながら

それをくれた人のことを想います。


そして直接

それをくれた人のことだけでなく、

今までに贈り物をくれた

たくさんの人のことも想い思い出されます。


贈り物というのは

実はものすごくパワフルなもの

なのかもしれません。


贈り物、いい言葉ですね💕💕