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青空Music♪

自由に思いを綴る場所。
放置グセが強くなってきてますが数ヶ月に一度くらいはきっと更新します(^^;)

【過去の記事】

①入部時の苦労と、印象に残っている曲達

②曲の構成について

④ビッグバンド部結成

⑤ヤンチャなトランペット少年

⑥高文連での出会い

 


 

 

パッチ(15歳)高校1年生
吹奏楽部員/担当パート : ホルン
吹奏楽歴 : 4月から
 

…という、この記事に出てくる当時の私のステータスです笑


今回は、しっかりと吹奏楽部の活動そのもののお話をします🎺




 
高校3年間の部活動の中で最も吹く頻度が高かったのは、おそらく「マーチ」(行進曲)だったと思います。
 
私が入部して1番最初に吹いた吹奏楽デビュー曲も、マーチ。
  
「アップルマーチ」という曲でした🍎
 
 
 

 

 

 

とっても明るくかわいらしい行進曲だけれど、

私にとっては、苦労と挫折と涙の曲でもあって、同時に思い出深い大切な曲でもありますニコニコ
この曲から全てが始まったので。
 
 
合奏に出て、でも自分が何をすれば良いのかがわからず…
周りのみんなが曲を吹き進めていく中、ホルンを構えたまま1人ずっとフリーズしていた事を思い出します😅
 
 
そして、
 
「吹けないなら合奏に出てくるな!
個人練習してろ!!」
 
と、顧問の先生から怒られる(当たり前ですね笑い泣き笑い泣き笑い泣き


個人練習室に引っ込んで練習をするも全然思うように吹けず、悔しくて1人泣いていた思い出がありますえーん



「アップルマーチ」は、春の壮行会で演奏しました。
各スポーツ部合同の、夏の大会に向けての盛大な送り出しの会が、私にとっての初舞台でした。
舞台と言っても体育館の端っこですが笑い泣き


その頃には辛うじて楽譜は読めるようになっていたし、音も出す事は出来ましたが…

もう本当にそれだけという感じ。


ポッ…ポッ…ポッ…


と、細くて頼りないリズムを刻むのが精一杯でしたあせる

ただでさえ音のズレやすいホルンで、ボフボフと音程をはずしながら😅



でも、まだまだレベルの低かった私達が奏でる、決してうまいとは言えないアップルマーチに合わせて、



行進してくれてる人がいるーーー!!笑い泣き


という、謎の感動があったのを覚えています笑


野球やらバドミントンやらサッカーやらのユニフォームを着た生徒達が、アップルマーチに合わせて私達の前を歩いていく姿を見て、とても嬉しく感じた記憶があります。


本当に些細なことかもしれないけれど、それが少しだけ自信のようなものに繋がった部分はありました。
吹奏楽部って場を彩る大切な役割を持っているんだなぁと、この時に強く感じました。





壮行会が終わると7月の学校祭用の曲を数曲、さらに8月開催の吹奏楽コンクールの曲練も始まったので、とても大変でした。

急激に一気に増えた練習曲達!ガーン


吹けない!わからない!

なんて言ってられなくて、私は周りの波に流されるようにして強制的に前に進まされていたような気がします。




学校祭で吹いた曲の一つが「宝島」と言う曲でした。

吹奏楽経験者なら一度は演奏した、または耳にした事があるのではないでしょうか爆笑

当時の私にとってはかなり難曲で、ちょっとごまかしながら吹いていた記憶があります(良い子はマネしてはいけません😅)








夏休みはびっちりコンクール+高文連の練習。

毎朝9時から19時頃まで部活、休みは1日もありませんでした。

本番が近づいてくると、22時くらいまで学校にいる日なんかもあったり…

(もうそのまま泊まれば?って感じですね😅)



当時の私はこの夏休み中の過酷すぎるスケジュールについて、一度も、1ミリたりとも苦だと思った事がありませんでした。

楽器を吹ける事、皆と演奏できる事が本当に心から楽しくて。

この頃の私は、1日の中で1秒でも長くホルンを吹いていたいと心から思っていました。

もちろんうまく吹けなくて悔しい思いをする事は何度も何度もあったけれど、もう本当にそれ以上に「楽しい」の方が勝っていてニコニコ






夏休み中に1日約10時間練習していた、初めてのコンクールで演奏した曲は


「エルザの大聖堂への行列」


という曲でした。







この曲の冒頭には、計4小節程のホルンのソロがあります(動画で聴いてみてもわかりづらいかもしれませんが、あるとないとでは大きな違いのあるフレーズだと思います)



極度のアガリ症の私は本番で緊張しすぎて、ソロの部分で見事に音がズレてしまいました叫び

運指を間違えたとかではなくて、ホルン特有の音ズレの発動。これは多分、経験者にしかわからない感覚なのかもしれませんが…汗

木管で言うとリードミス的なものに近いんでしょうか?



結果は銀賞🥈

吹奏楽コンクールの世界では、決して嬉しい賞ではありません汗

当時の私にはそういった事もまだよく理解が出来ていなかったけれど、金賞を取れなかったのは私がソロで音をはずしたからだと、自分を責めた記憶があります。



それも理由の一つですが、正直、当時の部の状況・レベル的な事を考えるとそれ以前の部分の話だったと思います(責任逃れで言うわけではありませんが😅)


この時のメンバーは、上手い人と、そうでない人の差があまりにも大きすぎて、全体が全然まとまっていなかった。

当たり前だけど当時そんな事を客観視できるわけもなく、今だから言える事ですが…





再建からまだ僅か3年

見事に発展途上の真っ只中だった部でした。




私が在籍していた3年間の間に、部はコンクールで金賞を取る事も、何かしらの功績を残すような事も出来なかったけれど(しいて言うなら定期演奏会を復活させた事くらいでしょうか)

それでも私は、当時のメンバーの中で演奏できた事が今でも大きな誇りです。


「今まさに作り上げている」

という中の一員になれていた事ニコニコ

本当にとても嬉しく思っています。



再建から数年間は土台作りの期間であった事、

その期間内に在籍していた部員は、やれる事は限られていた事は確かだけれど、

その時間があったからこその現在だと思うので…


令和5年現在の私の母校の吹奏楽部は、当時からでは考えられないくらい、規模も技術も本当に大きく発展してくれましたニコニコ



私が高1の頃なんて、いずれそんな未来が来るなんて1ミリも想像は出来なかったです。

一生弱小のまま。

そんな気さえしていました😅





私個人の話をすると、高1の1年間は、

あえて悪い言い方をすれば地獄の1年間だった事も事実です。


初心者で何もわからない、でも教えてくれる(事のできる)人もいないという状況の中、1日も早く戦力になる事を求められ、それになかなか応えられず悔しい思いを何度もして。

元々不器用な性質・性格なので、何事にも適応までの時間が人一倍かかる子だった事もあり、かなり苦労しましたあせる


ただ、その辛さを上回るくらいに「音楽が楽しい」と思えていた事で、どんなに辛くても諦めずに続ける事が出来ました。




何度打ちのめされても必死に食らいついていた、高1の時のがむしゃらな自分に今の私は感謝していたりします。

自分の弱さに負ける事なく、よく諦めずに頑張ってくれたなぁ、と…

その時の自分がいてくれた事は、今現在も含め、未来の自分に大きく繋がって行ったと思っています。





長くなるので、秋以降の活動については省略します笑

ホルンは、その後高2の秋まで吹き続けました。

本当に難しい楽器だったけれど、貴重な経験をさせてくれたこのホルンの担当になれた事を、心からとても嬉しく思いますゲラゲラ





吹奏楽について書き出すとつい長くなりますね😅

普段から長い記事を書いていますが、さらに長くなっているような気がします(これでもだいぶカットしましたあせる




①〜⑤まで 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、私が高3の時の高文連での事を書いていこうと思います。

何かの記事で軽く触れた事があった話だと思いますが、もう少し詳しく書いてみようかと…

とある人との出会いについてのお話になります。

前回同様、吹奏楽それ自体についてはあまり出てこないかもしれませんあせる

 

 

 

 その年の高文連は、地元から車で2〜3時間程離れた町での開催で、2泊3日での遠征という形でした。

お泊まりという事で部員達はみんな修学旅行気分でワクワクでした笑い泣き

 

 

 

高文連には、その地区内の高校の吹奏楽部、そして合唱部の方々が参加します。

 

 

会場に着くと、中学時代の友人のYという男子とバッタリ再会しました爆笑

Yは同じ地元の他校に通っていて、中学時代は野球部だったのですが高校では合唱部に入ったとの事。

3年ぶりの再会に盛り上がりました笑い

 

Yの隣には、同じ合唱部の友人だというS君という人がいました。

とても感じの良い人で、初対面の私にもにこやかに話してくれました。

 

 

そのS君から、

 

「H高(地元の高校)の吹奏楽部に友達がいるから、紹介するよ」

と話がありました。同じ会場内にいるとの事で。

 

 

そうして連れて来てくれたのが、N君という人でした。

 

N君は地元のH高吹奏楽部(部員数も多くレベルも高い)でトロンボーンを吹いている男の子でした。

S君同様、N君は初めましての私に対してとても感じ良く接してくれました。

何だか、急に男子3人に囲まれて不思議な気分でしたが😅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時は、それで終わったのですが。

 

 

 

 

会場内で移動中や待機中なんかに、他校の部員さんとバッティングしたりすれ違う事なんかは普通にあって。

 

 

そんな時に、N君は私を見かけると必ず声をかけてくれました。

ちょっと立ち話をしては、それじゃあまたねと言ってそれぞれの持ち場へ戻る…というような感じだったのですが…

 


何故か、N君はやたらと話が合う人でした。

 


立ち話では物足りなく感じてしまうくらい、私は彼と会話できる時間をとても楽しいと感じていました。

初対面とは思えないほど、まるで以前からの友達のようにお互いに話が盛り上がって…

どんな会話をしたのかはさすがにもう思い出せませんが😅

お互いが常に笑っていて、ただひたすら楽しかった記憶だけは強く残っています。

 

 

 

多分だけど、N君の方も楽しかったのではないかと思っています。

自惚れ等ではないんですが…😅

 

声をかけてくるのはいつも彼の方からで、どんなに短い時間だったとしても、ちょっと通りすがりでも、必ず私を見つけるとそばに来て会話をしてくれました。

 

背の高い彼は、チビな私に目線を合わせてくれるようにして、とてもにこやかに話してくれました。

クシャっと笑う顔がとても優しく印象的だった事を記憶しています。

 


 

N君が別の学校の生徒なのがもどかしいと感じるくらい、私は彼との会話をもっと楽しみたいと思っていました。

もし同じ学校の吹奏楽部だったら、いつでも話ができるのに…と。

少し話をしたら、また自分の部に戻らなければならない…というのがとてももどかしかった記憶があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一日目が終われば、それぞれが宿泊している宿へと戻らなければならず、

 

「また明日ね」

とお互いに手を振ってお別れをして…


また明日も会えるんだなぁという嬉しさがありました。

 


 

 

当然うちの部の生徒達には、

私とN君との姿は嫌でも目に入っているわけで…

 

 

「パッチがよく一緒にいるあの男子は誰だ!?」

「彼氏が出来たの!?」

 

と、質問攻めに😱

 

 

 

前回の記事でも書いた通りですが、

私は当時本当に恋愛というものに興味がなく吹奏楽が恋人みたいな人だったので、

 

「彼氏だなんてとんでもない!!!!!」

という感じで、全否定していました。

 

 

「友達の友達の友達で、たまたまとても気の合った、新しい友達」

 

という事をみんなに一生懸命説明していました笑い泣き

 

 

 

 

翌日も会場ではN君が声をかけてくれて、一緒にいられる限りの時間を一緒に過ごしました。

 

 

時折、彼の姿がしばらく見えなくなると私はYやS君の所へ行き、

 

「N君どこに行ったか知ってる?」

 と聞いていたくらいで汗

 

 

今の私はこの時の自分に、

何しに高文連に来てるんよ

と盛大にツッコミを入れたいですキョロキョロ

 

 

 

高文連自体は2日間の日程だったので(多分前乗りで2泊3日だった気がします)この日が終わってしまえばもうN君に会う事はなくなってしまうな…と寂しく思っていたのですが、

 

地元に帰ってからも連絡が取れるように、お互いの連絡先を交換し合うことに泣き笑い

 

 

そういう事を私から言い出すって100%ないので、おそらくN君の方から言ってくれた事だったと思います。

 

 

当時まだ携帯電話はそこまで一般的に普及していた時代ではなく、私も家族共用のものしか持っていなかったので、お互いに自宅の電話番号を交換していました。

 

 

 

そうして地元に戻ってからも、夜になるとたまにN君から電話があって、色々とお話をしていた記憶があります。

 

不思議と「会おう」という話になる事はなく、お互いに学校や部活が終わって帰宅してから、夜に電話でゆっくりと会話を楽しんでいた感じです。

 

 

 

 

次第にN君からの電話は少なくなっていき、

いつしか連絡がくる事はなくなっていきました。

 

お互い高3だったので、進学やら何やらの準備で忙しかった時期でもあったと思います。

 

 

 

N君と話す事がなくなってしまい、日々とても寂しく感じていました。

自分らしくもないなと思いながらも、この時の私は毎日のようにN君の事を考えながら過ごしていた記憶があります。

 

自分から連絡をするような積極性も当時の自分には全くなくて、そのまま月日が流れ、翌年3月に高校を卒業しました。

 

 

 

 

 

 

N君の事は、とても気の合った特別な感じのする友達という感覚でずっといたのですが、

 

あの気持ちは、多分恋愛感情だったんじゃないかな

という事に、卒業から何年も経ってから初めて気がつきました。

恥ずかしい話ではあるんですが汗

 

 

私がそんな思いを抱くなんてそれまでにほぼなかった事なので、自分でもその感情の事について理解ができておらず…あせる

 

 

自分から誰かを好きになる、という経験は、高校時代までの私にはほとんどなくて。

中学生の頃に一度だけあったけれど、その時の気持ちともまた全く違うもので、N君に対して抱いたものは紛れもなく初めての感情だったと思います。

 

 

 

N君という人物との関わりについては、当時の部活の人達しか知らないと思うし、この事は大人になってからも誰にも話した事がないと思います。

こういう事でも気軽に話せるような、気のおけない友人達にさえも。

特に話すような機会もないんですが笑

 

 

 

前回の記事に書いた後輩のY君と同じように、

私は今でもN君の事をたまに思い出す事があります。

 

未練とかではなくて😅

 

同い年なので、

どんな大人になっているのかなぁとか、

どこかの楽団で今でもトロンボーンを吹いてたりするのかな?とか…

単純にそういう事だけなんですが。

 

 

 
 
高校時代はノー恋愛だったとずっと思って生きて来たのですが、そうではなかった事にだいぶ後になってから気がついた出来事でした😅
 
今、自分の子供を見ていて感じるような事に似ているんですが、
 
当時の私の、精神面の成長だったのかなぁと…
自分でも気づかないうちに、それまであまり興味のなかった「人を好きになる」という事の方法を、子どもと大人の間くらいのこの時期に無意識に少しずつ学んでいたのかもしれないと思います。
 
 
 
 
 
 
吹奏楽自体は見事に関係ない内容のエピソードでしたあせる
 

 

慶応高野球部、107年ぶりの優勝本当におめでとうございました🥳🏆

野球はド素人であるこんな私が見ても、「すごい!!」と何回も言ってしまうような素晴らしい戦い、そして勝利でした。



107年ぶりの優勝は、

今この世に生きている人のほぼ全てが初めて見ると言う事ですよね。

それがどれだけすごいことか。

100なんじゅっさいのご長寿さんだとしたって、あまりにも小さな頃の事で記憶にはないような出来事でしょうから笑い泣き




先日、優勝校予想で私は東北2チームを挙げていましたが…

仙台育英も、最後まで本当に素晴らしい姿を見せて下さったと思います爆笑


皆さんが心から、本気で本気で、真摯に向き合い取り組んできた結果の、本当に美しい涙だったと思います。




もう本当に、全員が優勝だと私は心から思っています。本気。



野球はもちろん、それが何だとしても、自分が心から打ち込める事に真剣に取り組み上を目指して行ける事、


まして10代の若い人達がそのような思いを持って全力で向き合う姿は、何よりも清くて美しいと私は思っていますニコニコ




甲子園は、そう言った全国の若者達の青春の1ページに触れさせて頂ける貴重な機会だなと感じています。


私は無関係な人間だけれど…

まるで同じチームメイトになったかのような、家族になったかのような、不思議な気持ちで(勝手に😅)感動を与えて頂いています。




私は子供の頃は体を動かす事が好きだったのですが、体調面の関係で小学校卒業と同時にスポーツからは完全に離れてしまいました。

中1の1年間、体育の授業も一切受けていません。

もしもあの時スポーツを継続出来ていたら人生大きく変わっていたかもなぁ…と、よく思います。






話は変わりますが、甲子園の応援についてSNS上で色々と議論になっているようで。



応援それ自体は、私は絶対にあった方が良いと思っています。

私も吹奏楽をやっていて、音楽の力が人を元気にするという事を知っているので。



ただ、以前から思っていたのは…

相手チームのプレーに支障が出る程の応援は、ちょっと控えた方が良いのかな、と。


実際にプレーに支障が出ているのか、支障と感じているものの原因は本当に応援の音なのか、真相は私にはわかりませんが…

もしそれが少なからずあると言うんだったら、ちょっとフェアじゃないなって思います。



例えば、応援団や楽器を持つ人の人数の上限を設定するなり、人を減らせないのならチーム分けして交互に声や音を出すなり…

何かしらの対策を取る事は出来ないのでしょうか?



だって、実際に試合をしている野球部だってそれぞれ同じ人数同士で戦っているのだから。




野球部も吹奏楽部も応援団もOB会も、それぞれ学校によって人数も違うでしょうから…

吹奏楽部は、どうしても技術面での違いという点も出てきます。

かと言って、球場に入るなと言うわけにも行かないと思うので😅

せめて、各校の応援の人数を大まかにでも合わせる等の対応策はあっても良いのかな?と思ったり。



あくまで個人の意見です。

決して、批判をしようという思いがあるわけではなく。

グラウンド上の事だけではなく、全てをフェアな状態に整えるのは、悪い事ではないと思う…というド素人の独り言です😅






以前から高校野球は特別な思いを持って見てしまうのですが、今年の夏は今まで以上に真剣に見させて頂いたし、楽しませてもらいました爆笑


やっぱり、目標に向かって真剣に取り組む姿はとても素敵!

全ての球児の熱い思いが、テレビの向こう側から伝わって来ました。

涙なしで見ることのできた試合はひとつもありませんでした。



どこを贔屓とかはないのですが、私は北海道民なので、北海道の2チームは無条件に応援してしまっていました😅

クラークも北海も、よくあんなに頑張って勝ってくれたなぁと思います!



その昔、マー君とハンカチ王子が戦っていた頃の時代が私は1番高校野球を見ていました。

マー君は北海道代表で、私の地元の高校でもあったので、本当に夢中になって応援しました📣

見事に優勝してくれた年は、学校まで優勝旗を見に行きました。

物凄い人だかりだったっけ😅





また来年の夏も、若者達の青春に少しだけ触れさせてもらえる事を楽しみに待っていますニコニコ



個人的にずっと思っているのは、仙台育英か花巻東かなぁと…

 

東北チームの強さがやっぱり凄いなぁと、いつも見ていて思うので爆笑

いや、どこも強いんだけど!

 

 

特に贔屓しているわけではないし、特別ここに優勝してほしい!と思っているチームがあるわけでもないんですが、私の勝手な予想ですあせる

 

 

 

でも、

 

ありきたり過ぎて中身がない、って思われるかもしれないのですが、

私が一番強く思っているのは、

 

 

甲子園出場校、全てが優勝!🏆

負けてしまったチームも。

強く目標を持って戦ってきた全国の若者達、全員が優勝だよ!!

 

…と、本気で思っていますおねがい

 

 

キレイなことを言い過ぎていて甘っちょろくて本当に心がない!って思われても仕方ない言葉かもしれませんが…

心から本気です汗

 

 

 

そもそも私は野球どころかスポーツ全般、詳しくはないのですが、

高校野球と箱根駅伝だけは、以前からちょっと特別な思いを持って見ています。

 

 

甲子園は本当に隅から隅まで全てが青春で、球児一人一人の熱い思いがテレビの向こう側から伝わってきて…

テレビをつけている間、気を抜くといつでも泣けるくらい常に感動しています笑い泣き

自分でも、何で今泣くの?と思うシーンでボロボロ泣いています🤣

例えば試合開始前に球児達が走って整列し礼をするシーンとか、バッターの表情がアップになった瞬間とか、金属バットの音を聞いただけ、とかでも…

 

一番くるのは試合終了後の整列で、両チームの選手同士が握手をしたり健闘を称え合うシーン。

何と声を掛け合っているんだろうと想像すると、その姿があまりにも清過ぎて、毎回涙腺崩壊ですえーん

今、書いているだけでも涙が…(重症)

 

 

 

負けて悔しい経験、勝って嬉しい経験、全ての経験が彼らを強く大きく成長させるなと思います。

 

 

 

もう、あっという間に準々決勝!

育三郎さんの美声を聴いたのはつい4〜5日前くらいのような感覚なのに笑

 

 

私が予想している東北チーム2校、ちょうど対戦するようですね。

どっちも頑張って欲しい!

 

そしてどのチームが負けても勝っても、もう本当に全員が優勝!!爆笑

 

 

これからの結果がどうなっていくのか、心から楽しみにしています照れ

 

 

 

 

夏の甲子園優勝校予想

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する

 

 

高校時代、吹奏楽部だった頃のエピソードの、その5を書きますニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は部員の人達とのエピソードについて書いてみます。

部活動自体の事についてはあまり出てこないので、微妙かもしれませんが😅

 

 

 

 

私が吹奏楽部に在籍した3年間共、部は学年関係なく全体的にとても仲の良いメンバーだったなぁと思っています。

 

1年生の頃の私が何度も挫折しかけても部活を辞めなかったのは、吹奏楽が楽しかった事もあるけれど、先輩達の温かい支えがあったからだとも思っていますニコニコ

自分の後輩達にも、先輩達がしてくれたように接し支えていこうと心から思えたし、その連鎖があって常に全体の雰囲気が良かったのかなぁと…

 

 

 

 

 

今回書くのは、私が高2の時のとあるエピソードです。

 

 

 

 

一つ下の後輩で、Y君という男子部員がいました。

 

 

Y君はちょっとヤンチャな少年でしたグラサン

不良めいた行動もあり、問題児という言葉も似合うかも…というくらいではあったのですが😅、

ただ部活に対してはとても情熱があり真面目に取り組んでいる男の子でした。

ちなみに彼の担当パートはトランペット🎺楽器もマイ楽器という入れ込み具合でした。

 

 

前までの記事を読んで下さっている方がもしいるなら(いるのかな?😅)、

トランペットの後輩がいたのなら私が移籍する必要はなかったのでは?と思われるかもしれないのですが…

実は思いもよらない展開がありますびっくり

 

 

 

 

別の部員から言われた言葉を借りて言うと、何故だかY君は、私にとても懐いていました😅

自分で言っててかなり変な気分ですがあせる

 

 

私が個人練習していると、いつも「パッチさん!パッチさん!」と、すぐにそばに寄ってくるような子で。

私の方が先輩なのに、どつかれるわ撫でられるわ、ちょっかいもかけられ放題で、遠慮なしにイジられていまして😅笑

部活帰りには、方向が同じ事もあり毎日のように家まで送ってくれていました。

 

 

そんな感じなので、私の中には彼の事を不良だとか怖いとか、そんなふうに思う要素が一つもなくて。

確かにヤンチャではあるけれども、トランペットの大好きな無邪気な後輩、というイメージでした。

 

 

 

 

何がきっかけだったか思い出せないのですが、ある時、

 

私の一つ上のN部長・S先輩という女子部員と、Y君、そして私の4人が、急激に仲が良くなりました。

 

 

N部長とS先輩の2人は、元々中学時代からのご友人だそうで、とても仲良しさんです。

私の事も「妹みたい」「娘みたい」等と、1年生の頃からとてもかわいがって下さり、部の中でも一番お世話になった先輩達だと思っています。

 

包み込むような優しさで接してくれる母性溢れるお2人は、Y君の事も「ヤンチャでどうもならん弟」のような感じで大変可愛がっていました笑い泣き

彼の行いに対して時には厳しく注意したり…

保護者みたいだなぁと思いながら見てました笑い泣き笑い泣き笑い泣き

 

 

部活帰りに4人で街に出てプリクラを撮ったり(今もプリクラって言うのかな?😅)、4人のうちの誰かの家に遊びに行ったり…

その年の地元の花火大会にもこのメンバーで行ったくらい、とても仲良くさせてもらっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日の夜、いつものように4人で遊んで、N部長だけが先に帰った時の事。

 

 

Y君が突然、

 

「俺はN部長の事が好きなんだ」

 

と話し始めました。

 

 

恋愛事にほぼ興味がなく超が100個付くくらい鈍感だった当時の私は、「え!?そうだったの!?びっくり」という感じだったのですが😅

S先輩は「Nと接するYの様子をいつも見ていてわかっていたよ」との事。

 

個人的にはもう、Y君がN部長を好きだった事よりも、自分の恐ろしいまでの鈍感さの方にビックリでしたけど…チーン

 

 

夜の橋の欄干にもたれかかって、

「俺の頭の中はNさんの事でいっぱいなんだ…」

と言っていたY君の哀愁漂う後ろ姿を今でも覚えています笑

 

 

ありきたりな言葉ですが、当時の私は吹奏楽が恋人みたいな感じだったので、

「実際に恋愛とか、片思いをする人って大変だよなぁ…」

とか思いながら彼の事を見ていました😅

 

 

 

 

 

そして翌日。

 

部活に行くと、部員のみんなの、私を見る目が明らかにおかしい事に気づきました👀

あの空気感は今でも忘れられないです。

 

 

私、何かしましたっけ…???驚き

と不安に思っていると、とある先輩が声をかけてきました。

 

 

 

 

「パッチ、残念だったね…」

と。

 

 

 

は……?あんぐり

 

 

という反応を実際にしたと思います。

何を言われているのかさっっっっっぱりでした。

残念って何が?と。何の心当たりもなくて。

 

先輩からの次の返答に、私は天地がひっくり返るくらいの衝撃を受ける事に…

 

 

 

 

 

 

 

「だって、パッチってY君の事好きだったんでしょ?」

 

 

 

 

 

 

ポーンハァァッはてなマークはてなマークはてなマークはてなマークはてなマーク←ホントにこんな感じの反応をしたw

 

 

 

 

 

どうやら、昨夜のY君の発言は既に部内に広まってしまっていたようで(狭い部活社会コワい…😱)、

 

さらに、普段からのY君と私の仲を見ていた部員達はみんな、

私がY君に片思いをしている故の行動だと思っていたそうで……

 

 

私にとっては、予想外どころの話ではなく汗

 

勿論の事、私の中にはY君に対してそんな感情は微塵もありませんでした。

寄ってきていたのはY君の方ですし😅

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むしろ、Y君がパッチの事を好きなんだと思ってた」

と言っている部員もいました。

うん、どちらかというとそっちじゃないの…?と、私も思ったのですが汗

 

でもほとんどの人は、なぜか私がY君に片思いしていると思っていたそうです…

 

なんでや叫び

 

 

私のこの時の反応と、ちゃんと説明をした事で皆さんの誤解はとけたようなので、とりあえずはよかったです汗

 

 

 

Y君の恋は、残念ながら実る事はなかったみたいなんですが…😅

それでもN部長は変わらずに彼と接していたし、それからも4人で遊ぶ事もありました。

 

 

 

 

 

そしてしばらくしてから、突然の出来事が…

 

 

 

詳細は省略しますが、ちょっと色々あったようで、Y君は学校を退学してしまったとの知らせが部に届きましたびっくり

 

 

と言っても別に、何かよろしくない出来事を起こしただとか、悪い理由があっての事ではなかったようなのですが…

きっかけとなる出来事があった事は聞いていますが、別に誰にも迷惑をかけてはいないはずなので……何で?という感じ。

退学は学校側から言い渡された訳ではなく、Y君が自ら考え選んだ道だったようです。

 

 

 

急に、そしてあっけなく、彼との日々は突然終わってしまいました。

 

 

今考えるとY君の事や4人で楽しく過ごしたのってほんの4〜5ヶ月の間の事だったと思うのですが、何年間もの出来事だったかのように、濃い記憶として残っています。

それだけ10代の頃の出来事って、それまでの人生の中でかなり大きなものなのだろうなぁと実感します(人や環境によるでしょうけれど)

 

 

 

その少し後に、N部長やS先輩も含む3年生部員が引退され、私はホルンからトランペットに移籍したのでした。

 

 

もしもY君が居続けてくれていたら、私は移籍する事なくきっと3年間ホルンを吹き続けていたんだろうなぁと思います。

ビッグバンド部の間はもしかしたらホルン以外の何かしらのパートになっていたかもわかりませんが…(ビッグバンドについては④の記事参照)

 

 

 

私は引退したトランペットパートの先輩の後任でもあり、同時にY君の後任でもあったのかなと。

マイ楽器を持っていた程のY君よりは上手くはなかったと思いますが、しっかりと自分自身の引退までトランペットを吹き続けました。

 

例によって目の前の事に必死だっただけなので、Y君の分まで…意思を受け継いで…みたいな事は、考えた事はありませんでしたが😅

 

 

 

 

私が高2の時の、ひと夏のエピソードという感じでした。

 

 

 

今でも、彼はどこで何をしているだろうと、ふっと思い出す時があります。

ヤンチャからは卒業して、良いお父さんにでもなってくれていたら嬉しいですけどね笑

 

 

 

N部長やS先輩とは、卒業後も吹奏楽部OB会メンバーとして、毎年行われる学校全体の同窓会に出席してしばらく一緒に楽器を吹き続けていました。

今では連絡の手段もありません。

 

私が地元を離れ、携帯も壊れたりで音信不通になってしまったので、もしかすると私の方が探されているかもしれませんが😅

 

 

もしも機会があるのなら、またこのメンバーに会ってみたいですニコニコ

出来るのなら、4人で飲みに行ったりしてみたいですね笑

 

 

 

 

 

次は、高文連の時のことを書いてみようと思っています。

私の中では第二の修学旅行のような出来事でした笑い泣き