高校時代に吹奏楽部だった時の事を書いていくシリーズの、その4を書いていきます😁
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まず最初に、前までの記事について自分でフォローを入れたい部分があるのですが…
私が入った頃の吹奏楽部を私は弱小と言い続けていましたが、勿論の事とてもうまい先輩達はたくさんいらっしゃいました。
元々経験者の方もいらっしゃったし、個々のレベルで見ると本当にずば抜けてうまい方とかもいて…
ただそこに初心者で始めた人もたくさんいたり、私達のようなまだ何もわからない後輩達も入ってきたりで、それぞれのレベルに差があり過ぎて全体的にはまとまっていなかった、というのが正しいかもしれません。
あまりにも当時の先輩達に失礼だったかなぁと思って書き直させて頂きました😅
今回は、「ビッグバンド部」のお話を書いていこうと思います。
私が高2の時、秋の高文連が終わって3年生の先輩達が引退されると、部員数が一気に激減してしまいました。
その当時の吹奏楽部員の半数以上が、実は私の一つ上の学年の先輩達でした😅
一気に半分以下の人数になってしまい、その後の活動が難しくなってしまう程のレベルでした
私は1年生からずっとホルンを吹いていましたが、この時に顧問の先生から
「パッチ、お前もうホルン吹いてる場合じゃない…
トランペットに移ってほしい!!」
…と言われて笑
1人しかいなかったトランペットの先輩が引退してしまったので、パートに穴が空いてしまった状態になっていました。
トランペットは吹奏楽の「花形」と言われ、曲の中でもメインのメロディを担当する事が多く、欠かせない楽器です。
そこで、トランペットと同じ金管楽器を吹いていた私が急遽そこを埋めるという形になりました。
そしてさらに顧問は、部員数が安定するまでの間、吹奏楽部を「ビッグバンド部」とする事を提案しました。
簡単に言うとジャズバンドといった感じで、パート数が吹奏楽よりも遥かに少ないです。
それに伴って私の他にも、
クラリネット→ドラム
クラリネット→サックス
フルート→ピアノ
等、パートを移籍したメンバーが何人かいました。
移籍した人は新たに触れる楽器の演奏法や運指を1から覚え直さなければならなかったのですが、自分も含めて、そこまで苦労していた記憶はありません。
クラリネットからドラムへ移籍した部員なんかは私と同学年の友人だったのですが、元々ドラムへの強い憧れがあり普段から部室のドラムで遊んでいたので(笑)、特に何の苦労もしている様子もなく渡された楽譜のとおりにすぐに叩く事が出来ていました…スゴイ…😅
私も元々ホルンで肺活量が無意識に鍛え上げられていたので、初めてトランペットを吹いた時、想像を遥かに越える軽さと音量で音が飛び出したのでとてもビックリしたのを覚えています
え゛ぇーーーーーー!!??
トランペットってこんなに簡単に音が出るの!!??
…というのがこの時の素直な感想でした😅
自惚れでも何でもないです。本当に率直な気持ちで…
ホルンと同じ感覚で吹くと、普通に吹いているつもりなのに常にフォルティッシモみたいな状態になってしまうので、トランペットはいつも少し優しめに吹くように気を付けていた記憶があります
楽譜の読み方と運指も新たに覚えたのですが、自分でも驚く程すんなりとマスターしてしまいました。
1年生の時に独学でホルンを覚えろと言われた時の、想像を絶するあの苦労はなんだったのかと思うくらい……😅
というか、その経験があったからすぐに適応できたのだろうと思います。
そうして吹奏楽部は、期間限定で「ビッグバンド部」としての活動をスタートさせました。
忘れもしない、ビッグバンド部になって最初に吹いた曲は、
「ルパン三世」と「Mission Impossible」のジャズバージョンでした。
市民吹奏楽祭か何かで披露したんだったかな…?
あとは、市内の中学3年生を対象にした学校説明会でも吹いたような記憶があります。
主に伴奏を支える事の多い優しい音色のホルンから一気に主役級のトランペットに変わり、メインメロディが私のソロなんて事も多々あって、本当に緊張の連続でした
トランペットを吹く事自体に関しては特に何の問題もなかったのですが、私の大きな弱点として、極度のアガリ症というのがあって…
ホルンの時も曲によってはソロがあったりして、そういう時は本番でもよく音が上ずったりズレたりと、緊張し過ぎて失敗してしまう事もありました
そもそもホルンはとても音のズレやすい楽器です。
そこもギネスに登録されている理由の一つになると思うんですが、狙った音を正確なピッチで出す事、保ち続ける事が結構難しかったりします。
トランペットはそういうのはないので(ないよね??😅)運指さえ間違えなければ狙った音は出しやすい…というか、嫌でも出ます笑
ホルン出身の私の感覚ですが
もしおかしな事を言っていたらごめんなさいなのですが🙇♀️
ピストンも3つしかないし運指を間違うって基本的には限りなくゼロに近いくらい無い事なので、そこまで不安にならなくても良いと思うのですが、
私が間違ったら曲が台無しになる!
絶っっっ対に間違えられない!どうしよう……
というプレッシャーが常にありました
自分で自分に余計なプレッシャーをかけてしまう癖があって、本当に本番の舞台上では毎回必ずガチガチになっていました
ちなみに、この極度のアガリ症だけはいまだに治っていません
トランペットは個人的にはホルンよりも楽しかったのだけれど、「目立つ」という部分についてだけはどうしても慣れませんでした
壮行会や学校祭、コンクールや高文連などが立て続けに行われる春夏と違って冬はシーズンオフでしたが、春の新入生歓迎会に向けての練習なんかはしていました。
歓迎会ではもう何の曲を吹いたのか忘れてしまいましたが…ビッグバンド部は春まで続いていたと記憶しています。
4月になると、新1年生の新入部員もたくさん入ってくれました。
前年の秋の中3対象の学校説明会で私達のビッグバンドを聴いて、憧れて入ってきたと言っている子がいた事を思い出しました。
本当に嬉しかったです
春以降はまた吹奏楽部として元の編成に戻し、移籍した人達も元のパートに戻ったのですが、私だけそのままトランペットを継続する事に。
当時私の一つ下の子にホルンの経験者がいたので、ホルンパートは彼女に任せて私はトランペットに留まって…という流れだったと思います。
そうすれば、それぞれのパートに新入部員が来ても教えられるので。
そうして私はそのまま、その年の秋の定期演奏会を終えて引退するまで、ずっとトランペットを吹いていました。
トランペットパートの中でも私は「1st」という、主に主旋律を担当する楽譜を1人で吹いていたので、どの曲でも自分の音が目立ってしまうというプレッシャーが常に付き纏いましたが…
いつも緊張でガチガチではあったけれど、ホルンの時よりはなんだかんだうまくやれていたなぁと思います
2年間のホルンの経験という土台があったおかげで、単純に音が出しやすかったというのは大きかったです。
人よりも目立つ事をする、という事をそれまでの私は全然した事がなく、トランペットに移籍した事でそういう立場を経験して、そこでまたさらに一つ大人になれた気がします。
高校生の私にとっては、目の前の事に集中してその時その時を必死で乗り越えてきたまででしかないのだけれど、
今振り返ればこの吹奏楽部では、本当にたくさんの様々な経験をさせて頂く事ができていたんだなぁと…
書きながら、色々な事を思い出しながら、改めて実感しています
様々な機会を与えてくれた顧問への感謝の気持ちがとても大きいです。
次は、部員の人達とのコミュニケーションについてを書いてみようと思っています。
とある男子部員との関わりの事も書いてみようと思います…私にとってはあまりにもビックリな出来事があったので😅