ちょうど今日の投稿ネタが「#学生時代の部活動」だったので、吹奏楽部だった時のエピソードを不定期で書いていくあのシリーズの続きをこのテーマで書いていきます笑
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私が在籍していた当時の吹奏楽部は、実は再建間もない発展途上の部活でした。
昔々は部員数も多く定期演奏会なんかも開催していたそうですが、どんどん部員が減っていき、私が入部する3年程前までは廃部同然の状態だったそうです。
私の3学年上の先輩達が顧問の先生と一緒に部を再建して下さったそうで、私が高1で入部した時で約20人弱程の部員がいました。
数だけ聞くとそれなりにいるじゃんと思われるかもしれませんが、吹奏楽の編成としては一番少ない部類になります。もっと少ない人数でやっている吹奏楽部も勿論あるのですが…
うちは市内の高校の吹奏楽部の中でも、当時は2番目、3番目くらいに少なく小さい方でした。
全体の技術もそこまでではなく、どこかで披露できるようなレベルではなかったというのが当時の正直な事実です😅(まぁ主に私が一番下手だったのですがorz)
再建間もない事を考えると無理はないのかもしれません。
それこそ前回の記事に書いたような、野球部の応援演奏なんてものも夢のまた夢で。
うちの高校の野球部は当時それなりに強かったようですが、吹奏楽部は貧弱だったので、試合にお呼ばれした経験なんてありません😅
そんな弱小チームだったのですが、
私が3年生になる頃
「定期演奏会を復活させたい!!」
という話が部員の中で持ち上がりました。
その昔は人数も多く、毎年定期演奏会を開催する等栄えていたという私の母校の吹奏楽部。
その時の華やかさを取り戻したいと、当時の部員達は強く希望を持ち始めていました。
その声に顧問はとても前向きに応えてくれました。
私は当時副部長だったので、部長と共に顧問と相談を重ね、練習の合間をぬって定演開催実現に向けた準備の為に奔走していた記憶があります。
その頃には一応部も再建から7年くらいは経っていたわけで、経験者の後輩達も入ってきたりと、全体の技術的にもだいぶレベルアップしてきていたように思います。
顧問も今のレベルならば…と、定演開催を前向きに検討する事が出来たのだと思います。
顧問の力と、OB・OGの先輩方のご協力と、家族の協力、そして地域の方々の手厚いご支援のお陰で、私達はその年の秋に初めての定期演奏会を開催する事に成功しました
初めて、という印象ですが実際には過去の開催記録があるので、その続きからの回数を表記したタイトルとなっていました。何回目だったかは忘れちゃいましたが😅
実質、何年も休止していた定期演奏会を「復活」させる事に成功した瞬間で、達成感がハンパありませんでした✨
復活初回の定演で、なんと私は部長と2人で司会をやりました(やらされましたの方が正しい)
人前に出て何かを、なんて考えられないくらい当時は超シャイで…隣に部長がいなかったら絶対に司会なんて出来ていませんでした
グダグダだったと思うけど、今思うとそれも本当に貴重な素晴らしい経験をさせてもらえていたんだなぁと…
当時は、それまで全く音沙汰のなかった高校の吹奏楽部が突然定演をやるという事で話題になったのか、客席は見事に満席だったと記憶しています。
まぁ小さな会場ではあったのですが😅
新聞社の人も来ていて、記事になっていたような記憶があります。
ついちょっと前まで弱小だったチームが、定演を開き、客席を満員にするまでに成長できたこの経験は、私の中で今でもとても大きな出来事として心の中に残っています。
世界一難しい金管楽器ホルンを楽譜も読めない中独学で身に着けろと言われた所からスタートし、楽譜が読めるようになり、ホルンの吹き方を本当に独学でマスターし、様々な曲と出会い、トランペットに移籍し、副部長になり、学生指揮をやり、後輩にトランペットを教え…
私という一人の人間もこのチームの中で数々の事を経験し、音楽面だけではなく人としての成長をさせてもらう事が出来た、吹奏楽部は本当にとても大きな存在だったと今でも思っています
私達が再建後初の定演を成功させた翌年の夏に、
うちの吹奏楽部はコンクールで念願の金賞を受賞し、全道大会出場を果たす事も出来ました。
高校卒業後も私は吹奏楽部のサポートをちょいちょいやらせてもらっていて、全道大会には私も朝から部員達と同じバスに乗って同行させてもらいました。
結果は銀賞。この時私は、自分が在籍していた時代のコンクールですら一度も流したことのなかった涙を流したのを覚えています。
でも、まさか一つ下の代が3年生の時に全道に行ってくれるなんて思っていなくて…
確実に、母校の吹奏楽部は急成長を始めていました。
そうしてさらに年月が経ち…
母校の吹奏楽部は、当時の私達が夢に見ていたような大きくて華やかな立派な部に成長してくれた事を知りました。
部員数は一気に増え、毎年の定演は勿論、それまで出た事のなかったコンクールに出場できるようになったり、お呼ばれしてコンサートを開いたりするまでになったとの事で…
それこそ、野球部の応援演奏にも勿論行くようになったそうです。
私達が復活させた定期演奏会は、今現在でもずっと続いているようです。
コロナ禍で休止していた期間を除けば、あの復活の年から途絶える事無く。
OGとしては喜びと感謝しかありません。
娘がもう少し大きくなったら、母校の定期演奏会をまた見に行ってみたいなぁと思います
それまでにしていなかった事をゼロから作り上げる
という経験は当時17歳くらいの私の中では未知で、定演はやってみたいけれど何をどうしていいかなんてサッパリで。
顧問の先生の力が本当に大きかったと思っています。
顧問は私が高1の時の担任で、当時30代後半の男性の先生でした。
音楽への情熱は誰よりも大きく、吹奏楽部の為にマイカーをワゴン車にしているような人でした(楽器を運ぶ為)
レベルの低かった私達にはきっともどかしい思いをしていた事と思いますが、決して見放さず根気よく熱心に指導をし続けて下さったから、弱小だった部員達が「定演やりたい」なんて事を話題にできるまでに成長出来たのだと私は思っています。
弱かった私達が定演を復活させる事が出来たのも、今現在の母校吹奏楽部が定演を毎年出来ているのも、本当にあの当時の顧問の力のおかげだって、私は心から思います。
結構長い事母校で顧問をしていたようですが、今はどこで何をしているやら……
もしも機会があるなら、是非お会いして感謝を伝えたいですね。
ちょうどタイムリーにこのテーマだったので参加してみましたが。
不定期で、もしかしたらまた吹奏楽部時代の事を書くかもしれません