【過去の記事】






その頃には辛うじて楽譜は読めるようになっていたし、音も出す事は出来ましたが…
もう本当にそれだけという感じ。
ポッ…ポッ…ポッ…
と、細くて頼りないリズムを刻むのが精一杯でした
ただでさえ音のズレやすいホルンで、ボフボフと音程をはずしながら😅

野球やらバドミントンやらサッカーやらのユニフォームを着た生徒達が、アップルマーチに合わせて私達の前を歩いていく姿を見て、とても嬉しく感じた記憶があります。
壮行会が終わると7月の学校祭用の曲を数曲、さらに8月開催の吹奏楽コンクールの曲練も始まったので、とても大変でした。
急激に一気に増えた練習曲達!
吹けない!わからない!
なんて言ってられなくて、私は周りの波に流されるようにして強制的に前に進まされていたような気がします。
学校祭で吹いた曲の一つが「宝島」と言う曲でした。
吹奏楽経験者なら一度は演奏した、または耳にした事があるのではないでしょうか
当時の私にとってはかなり難曲で、ちょっとごまかしながら吹いていた記憶があります(良い子はマネしてはいけません😅)
夏休みはびっちりコンクール+高文連の練習。
毎朝9時から19時頃まで部活、休みは1日もありませんでした。
本番が近づいてくると、22時くらいまで学校にいる日なんかもあったり…
(もうそのまま泊まれば?って感じですね😅)
当時の私はこの夏休み中の過酷すぎるスケジュールについて、一度も、1ミリたりとも苦だと思った事がありませんでした。
楽器を吹ける事、皆と演奏できる事が本当に心から楽しくて。
この頃の私は、1日の中で1秒でも長くホルンを吹いていたいと心から思っていました。
もちろんうまく吹けなくて悔しい思いをする事は何度も何度もあったけれど、もう本当にそれ以上に「楽しい」の方が勝っていて
夏休み中に1日約10時間練習していた、初めてのコンクールで演奏した曲は
「エルザの大聖堂への行列」
という曲でした。
この曲の冒頭には、計4小節程のホルンのソロがあります(動画で聴いてみてもわかりづらいかもしれませんが、あるとないとでは大きな違いのあるフレーズだと思います)
極度のアガリ症の私は本番で緊張しすぎて、ソロの部分で見事に音がズレてしまいました
運指を間違えたとかではなくて、ホルン特有の音ズレの発動。これは多分、経験者にしかわからない感覚なのかもしれませんが…
木管で言うとリードミス的なものに近いんでしょうか?
結果は銀賞🥈
吹奏楽コンクールの世界では、決して嬉しい賞ではありません
当時の私にはそういった事もまだよく理解が出来ていなかったけれど、金賞を取れなかったのは私がソロで音をはずしたからだと、自分を責めた記憶があります。
それも理由の一つですが、正直、当時の部の状況・レベル的な事を考えるとそれ以前の部分の話だったと思います(責任逃れで言うわけではありませんが😅)
この時のメンバーは、上手い人と、そうでない人の差があまりにも大きすぎて、全体が全然まとまっていなかった。
当たり前だけど当時そんな事を客観視できるわけもなく、今だから言える事ですが…
再建からまだ僅か3年
見事に発展途上の真っ只中だった部でした。
私が在籍していた3年間の間に、部はコンクールで金賞を取る事も、何かしらの功績を残すような事も出来なかったけれど(しいて言うなら定期演奏会を復活させた事くらいでしょうか)
それでも私は、当時のメンバーの中で演奏できた事が今でも大きな誇りです。
「今まさに作り上げている」
という中の一員になれていた事
本当にとても嬉しく思っています。
再建から数年間は土台作りの期間であった事、
その期間内に在籍していた部員は、やれる事は限られていた事は確かだけれど、
その時間があったからこその現在だと思うので…
令和5年現在の私の母校の吹奏楽部は、当時からでは考えられないくらい、規模も技術も本当に大きく発展してくれました
私が高1の頃なんて、いずれそんな未来が来るなんて1ミリも想像は出来なかったです。
一生弱小のまま。
そんな気さえしていました😅
私個人の話をすると、高1の1年間は、
あえて悪い言い方をすれば地獄の1年間だった事も事実です。
初心者で何もわからない、でも教えてくれる(事のできる)人もいないという状況の中、1日も早く戦力になる事を求められ、それになかなか応えられず悔しい思いを何度もして。
元々不器用な性質・性格なので、何事にも適応までの時間が人一倍かかる子だった事もあり、かなり苦労しました
ただ、その辛さを上回るくらいに「音楽が楽しい」と思えていた事で、どんなに辛くても諦めずに続ける事が出来ました。
何度打ちのめされても必死に食らいついていた、高1の時のがむしゃらな自分に今の私は感謝していたりします。
自分の弱さに負ける事なく、よく諦めずに頑張ってくれたなぁ、と…
その時の自分がいてくれた事は、今現在も含め、未来の自分に大きく繋がって行ったと思っています。
長くなるので、秋以降の活動については省略します笑
ホルンは、その後高2の秋まで吹き続けました。
本当に難しい楽器だったけれど、貴重な経験をさせてくれたこのホルンの担当になれた事を、心からとても嬉しく思います
吹奏楽について書き出すとつい長くなりますね😅
普段から長い記事を書いていますが、さらに長くなっているような気がします(これでもだいぶカットしました)