楕円球空間 -114ページ目

悲しい日

金曜日、小さな研究会に参加。でも自分の学科の内部のものなので昼休みなどには研究室に戻れる。


戻ってメールチェックしたところ、大学の恩師が急逝した、という連絡が・・・。確かにもう御年(77歳)でもあるし、いつかはこういう日が、と覚悟はしていたがあまりに急なことに落胆。午後の自分の発表は集中できずあまりいい発表ができなかった。


先生は本当に厳しい方で、決して優秀ではなかった自分は大学院時代に随分と先生を怒らせた。「君はゼンゼン分かっていないんだよ!」など・・・。今思えば、その分野の厳しさを体感させて甘い考えで博士進学を考えるな、という愛情からだったのだなぁ、と思う。その後自分は研究分野を変えて就職したが、先生はいつも自分の研究を応援してくれていた。在学時の厳しさとは打って変わって暖かく、優しく、自分としてはやや拍子抜けしたのを覚えている。


博士号を取得でき、博士論文を持参して先生の御宅にご報告に上った際には我が事のように喜んでくださった。先生は退官後、ご出身の岐阜の近くがいい、と名古屋に住まれていた(出身も名古屋大だったのもあるだろう。たぶん坂田研出身だったのでは?)ので、自分が大学に移ってからは割と近いこともあって伺う機会はいくらもあったのだが、先生は若いころの結核のせいでお体はそんなに丈夫でもなく、伺うのも帰ってご迷惑になっては、と逡巡してしまったのが悔やまれる。年末にご挨拶のお品をお送りしていたが、お礼の電話を必ずかけてくださり、そのときに研究のご報告や先生の近況を伺うのが楽しみでもあったのに、もうそれもできなくなってしまった。本当に悲しい。「先生に喜んでもらおう」と思ってやっていた、と思っていたが、今にして思えば先生の喜ぶ様子を見て自分がうれしかったのだ、ということに気づいた。


ここ数日何も手につかないが、せめてもの慰めは先生が長く入院されたり痴呆になったりせず最後の一日まで矍鑠とされていた、ということか。身奇麗で背筋が伸び、凛とした先生らしい綺麗な最後だった。先生ならきっとこうおっしゃるだろう、と思いなんとか切り替えることにした。


「もうボクは死んでしまってどうもならんのだから、いつまでも悲しまずに君は君でできることを一生懸命やれよ!」


でも8月19日は本当に悲しい日ですよ、先生。

荒波その2

先月末に荒波の日が来た。


荒波のうち、論文は再投稿が可能になり徳俵で足一本で残った感じ。これから逆転だ!

試験のほうは(それとは試験だが)、今行われている別の試験。所謂入試。採点結果はまたまた悲惨。ごく一部の非常によくできる人と多数の全然(文字通り受け取ってください)できない人に分解。平均点も悲惨。3年くらいまえにずいぶん凝った問題を出して出来が悪かったが、今回は凝ってないけどもっと出来が悪い。あぁ学力低下。

スリージェ

出町柳にあるビストロ「スリージェ」に親友ご夫婦と行く。


移転したが真向かいに移っただけ。でもお店は洒落て広くなって席の間もゆっくりになってお手洗いも素敵で、といいことづくめ。実は3年ぶりくらいの訪問なんだが前回のカエルのソテーの美味さが忘れられず。


全員でシェアしながらだったので何を食べた、というのとは違うが、前菜が豚頭肉のゼリー寄せとムール貝。メインは舌平目のソテー・ガチョウのコンフィ・カモ肉のオリーブ煮・豚足にフォワグラとリードヴォーを詰めてパン粉焼きにしたもの。これにワインを2本(サヴォワの白とエクサンプロヴァンスの赤)。どれもしっかりとした味付けと十分な量で美味。自分が主に食べたコンフィは皮はカリっと、中はしっとりで、赤カブの付け合せとの相性もばっちり。大変満足。デセールも食べて食後にコニャックも飲んで〆て26000円はかなりお値打ち。再訪は確実か。

最近読んだ2冊

「セイバーメトリクスが野球を変える」

「ボクたちクラシックつながり」


前者は「マネーボール」を読んで触発されて講読。セイバーメトリクスの数値解説の書で簡単に読める。セイバーってSABR(Society of American Baseball Research)の略なんですね。知らなかった。


後者は青柳いづみこの軽い本。いわゆるのだめ本の一種かな。まずまず楽しく読了。最近重い本が読めないので逃避中。

夏休み中

会社員時代はお盆は仕事をしていたが、大学では強制的に夏休みになる。人が少ないときに仕事をするとはかどるんだけど・・・。


仕方ないのでノンビリ家ですごす。テニスして読書して甲子園を楽しむ日々。今年は智弁と菊川か、と思っていたら準々決勝で直接対決ですか・・・。あとは浦添商業・慶應あたりを応援しているんだけど(清峰は負けちゃったし)どうなるかなぁ。慶應は塾歌がいいねぇ。やはりそのへんの高校のそれと比べるとなんだか神々しい感じ(笑い)。


読書のほうは「偽善エコロジー」をさっさと読了。要するにきちんと丁寧に暮らすことが結局(意識しなくても)自然に「環境にいい」ことになる、という最後の部分がすべてか、と。そのstatementは完全に同意だなぁ。今は「戦うハプスブルグ帝国」を開始。

エコ?

「バーデン・バーデンの夏」は大きな感動とともに読了。今年のベスト3に入ることは間違いない名作だった。ドストエフスキー熱が再燃しそうで、早速江川卓著「謎解きカラマーゾフの兄弟」を生協で衝動買い。ついでにいろいろ買い込んで〆て12000円ナリ。


「魅惑する帝国」は半分くらいまできているのだが、買い込んだ1冊である「偽善エコロジー」を早速読み出してしまった。昨今の「行き過ぎた環境至上主義」と「CO2諸悪の根源説」をナナメから見ている私には格好の1冊。もうかなり読んだ。もちろんページの制約の関係で論理展開が弱いところもあるように思うが、概ねagreeできる内容。先日の池田清彦氏の著書と並んで必読か、と。最後はロンボルグを読もうと思っている。


と、こう書くと「お前は世界の将来がどうなってもいいのか!」とお叱りをうけそうだが、多分エコの面から言えば自分よりちゃんとやっている人もそうはいないと思う。基本スタンスとして、まず現在の化石燃料をジャブジャブ使うような生活がいいわけない、というのがある。これは基本。但しちゃんとしたデータに基づかない環境至上主義や、インチキ環境主義を糾弾しているだけ。CO2の増加が温暖化の原因だ、とか暖かくなって水没する、とかエコ家電に買い換えましょう(それを作るのと今までのものを捨てるのにどれだけのエネルギーがかかっているのか!)、なんていうデータや物理を無視した暴論は許せないタイプ。昨今の風潮をヘンだと思っているのであえて「環境に興味なし」というスタンスで行っている。生活の基本が「身奇麗に生きる」なのでそれを実践しているだけ、という意識。


エコという切り口では(興味はないが)多分自分が一番しっかりやっているほう。具体的にはまず、ファーストフード・ファミレスでは一切食事しない、お茶・麦茶は絶対ペットボトルで買わず自分で作る、ペットボトル飲料は一切買わない、コンビニも極力利用しない、移動はまず徒歩、次に自転車、電車・バス、と来てアクセスが悪いとか時間がかかるとか能率的でない場合のみ車(ついでに言えばこれだけエコとか言っているのに自転車を排斥する行政がまかり通っていること自体インチキエコだと思う)。服なども最低限必要なものを(しかし安かろうではなく趣味に合うものを厳選して)買う。買い物もレジ袋は貰わないようにするがこれはレジ袋を削減することが環境にいい、と思っているわけではなくてゴミをふやしたくないという経済的理由(ゴミ袋に金をとるという利権にまみれたおかしな行政が施行されているから)。これ以上に徹底しているひとがいたら見習いたいので教えて欲しい。


同時に徹底しているのは「主体は自分」ということ。自分は暑いのがダメで能率が極度に低下し体調もわるくなるので効率的に研究をしてアウトプットを出すためにエアコンの使用はいとわない。28度なんてありえない。車も時間的に無駄がおおい時には躊躇なく使用。要するに客観的にマトモで議論に耐えられるルールを自分でちゃんと決めて、それを実践するのみ。ムードや伝聞による情報に流されずに科学的・論理的に考えればいいことだ、と思う。

リリア・ジルベルシュテイン

あんなにオバサンになってしまったんだなぁ、と遠い目をしながら録画したスタジオ演奏を見る。


昔は(記憶では)美女系ピアニストだったはず。まぁ43歳のロシア人で太らない人が何パーセントいるかという問題はあると思うが。演奏のほうはタニェエフという知らない人の前奏曲とフーガに、ラフマニノフの13の前奏曲(作品32なので2番の協奏曲よりあと)という地味な曲目だったが、滋味あふれる演奏。知らない名曲ってあるんだなぁ、と実感。ラフマニノフのほうは12の前奏曲のほうはもちろん知っていたが、どうも聴いてみると13の前奏曲のほうがいい曲なんじゃないか、という印象。秋の夕暮れに紅茶にジャムでも入れて飲みながら聴きたい曲、という感じ。そういうわけで大変満足して視聴。


ピアノの言えば先日、大学時代の友人の演奏会に行った。もう20年くらいの付き合いだが口の悪くて話好きな奴(笑い)でいつも長話になり罵り合う(笑い)ことに。StuttgartとBernで長電話したこともあった。昔はよく室内楽をやって自分がVn、ヤツがVcだった。でも彼の本業(?)はピアノでそれはそれは超絶的な腕だった。特に現代曲やらせたらどんな曲でも弾きこなすような感じ。当時はメシアンをよくやっていたと思うが「難しい数学の証明問題を解くような感じで曲を分析する」とか言っていたっけ。結局大学を中退しプロになりベルン音楽院でマスターコースだかなんだかを修了し現代曲の泰斗として賞ももらったが最近は一転古楽のスペシャリストへの道を。今回はフォルテピアノという昔のピアノみたいなものでベートーベンのピアノ曲を全部弾く、とかいういかにもヤツらしい企画。


で、行った日はピアノソナタ数曲(告別とか月光のある10番台)に現代曲2曲。フォルテピアノって演奏難しそうですねぇ。音が出にくそう。ただヤツは(いつものことだが)練習不足だったなぁ(笑い)。アマのころからピアノに関しては超泥縄で前日にがーっと練習するタイプ(読譜が異様に強いのとテクニックが強靭なのでできる技だ)だったが、今回も案の定そうだったみたい。本人も不本意だったらしく、終演後楽屋に行くと会うのは7年ぶりだったのに第一声は「あ~もうホンマに!いますぐ死ね!」。現代語訳すると「こんな出来の悪い日に限って来やがって!お前に酷評されるのはイヤだから何も言うな!」ということ(爆笑)。一気に昔にタイムトリップした感じでしばし会話を楽しんで帰宅。このチクルスはずっと続くみたいだけど、次回は事前に行く日を伝えてしっかり練習してもらっていくことにするかな。

「バーデン・バーデンの夏」

レオニード・ツィプキン著。


たまたま新聞の広告欄で見かけて購入。いつもは書評を頼りに本を選ぶのだが、なぜか広告を見て反射的に「これは名著に違いない!」と反応して買ってしまった。旧ソ連時代に書かれた本で埋もれた名作、という感じだったのをスーザン・ソンタグが発掘して絶賛して一気に売れた、とか。


当ブログ読者諸氏はご存知のように、自分はドイツフリークでバーデン・バーデンは最高の避暑地でおまけにドストエフスキーに凝っている。この要素全てが入った本が面白くないわけない!と思ったわけだが、本当に面白い。おまけにこの本の様式が非常に変わっていて、句点がほとんどなく「-」でどんどん繋がっていき、おまけに途中でドストエフスキーの新婚旅行と著者のレニングラードに向かう鉄道旅行を話しが行ったり来たりし(合間にドストエフスキーの著作の主人公の話になったり、ドストエフスキーの結婚前の話が挿入されたり)、常に読者が重層的な話の間にたゆたう感じがする。ドストエフスキーの新婚旅行の部分は妻アンナの日記が元になっているとのことで、ドストエフスキーの異常なまでの賭博癖や文壇の巨匠への愛憎半ばする感情、さらに自分が正当に評価されていない、という焦燥などきめ細かく描かれていて、現代に生きる我々も容易に共感できる部分が多い(自分は少なくともわが身に投影して読んでしまう。賭博癖はないけれども・・・。)。


ということでまだ半分ちょっとだが、いい本に出会った!という感じ。

老人が怖い

ちょっと危険な話題だ、とは思うのだが書かずにはいられない。


最近よく老人男性(60歳から70歳くらい)に絡まれる。いや本当に絡まれる。明らかに非は向こうにある、ないしはなぜここで罵詈雑言のやりとりになるのか理解できない場面で老人のほうが先制攻撃をかけてキレてくる。


昨日も。自分は自転車で、老人はホンダのカブで小さい交差点へ。自分は一旦停止。カブも停止・・・・とおもったら老人はクラッチ操作を間違ったらしく交差点の入り口でカブは踊りだす。ややびっくりしたが当然クラッチを切ってブレーキをかけると思い、それなら時間的に自分は待たなくてもいい、と判断に出発。しかし老人は何もせずカブはガタガタと踊ったまま交差点に進入、で自転車の後ろに接触。自分は驚いたがまぁ判断や運動神経の鈍っている老人なので仕方ないと思いそのまま前進するとうしろから老人の苛立った声が。


「何で止まらないんだ!」


!!!え!?アンタはそういう判断なわけ?バイクと自転車でバイクに優先権がないことが理解できない?踊っているカブを何も処置せず交差点に進入することが異常だとなぜ理解できない?しかも相手が悪いとなぜ判断?おまけに相手に罵声を浴びせる異常さが分からない?もしこっちが万一キレた場合肉弾戦で勝てるはずがない(ヘタに相手に喧嘩を売ると殺される世の中だよ)のになぜケンカを売る?


アホすぎて話にならない、というのが感想。この前も似たような場面で老人に激怒された。口の減らない御仁で、そうなるとこちらも受けて立つハメになったが。自分は一見大人しくて気が弱そうに見えるらしくナメられているのかもしれないが実際は瞬間沸騰の激しい性格の上に弁も立つほうだから負けるわけがない。


とにかく、もうああなると憐憫の情しか湧かない。昨日も「あれは自分には何の関係もない生き物なんだ」と3回唱えて無視を決め込んだ。あの世代の男性は会社組織で自分を殺して上にヘイコラしていたものが退職してタガが外れて強烈な自己中心主義者になっている手合いが多い。テニスクラブでも異常に勝ちに拘って負けると不機嫌になり、きわどいボールを全て自分有利にジャッジし、マナーの悪い(自分がボレーしたボールが相手のプレーヤーに当たってしまったので謝ると「謝る必要ない!」とか言う)のはほとんど老人だ。


ここまで書くとお前は敬老の精神がない、とか言われそうだがデータがしっかりある。法務省発行の「犯罪白書」を見ると(原典に当たれない方は「反社会学講座」参照)、戦後最も青少年犯罪が多かったのは平成ではない。昭和35年の17歳が最も凶暴で現在の7倍程度も重大犯罪を犯している(殺人・放火・強盗・強姦)。だから「最近の若者はキレやすくて凶暴で怖い」というのは全くの間違いで「最近の65歳は若いころからキレやすくて凶暴で怖い」というのがデータからも正しいstatement。あぁ怖い。

野暮用で

伊勢に行ってきた。


暑かった・・・。伊勢神宮は溶けるような暑さ。外宮は閑散としており「やっぱりいまどきこういうところは流行らないんだ」とひとりごちていただが、内宮は一転観光客の山。さらに驚いたのは東南アジアからの観光客の多さ。おいおい、ここは日帝侵略主義の権化なんだよ。趣旨わかってきているのか?と思いながら見物。正直自分にはそぐわないtasteだったがまぁ何事も経験。


ちなみに外宮近くの「喜多や」という鰻屋で昼食。ここは非常にヒット。よくいく「かねよ」が明らかに鰻のランクを下げて値上げしたので不満に思っていたが、ここは実質が伴っていて(さらに言えばゴハンにもタレがしっかりかかっていて、伊勢まぶし、というらしい)大満足。夜は伊勢海老を食べて、翌日は松阪の「和田金」ですき焼きと網焼きと牛刺身を堪能し・・・て食べに行ったのか!という感じ。国内旅行なんてこんな感じです、はい。


和田金は旅館とみまごうばかりの威容に驚いた。時間もはずしていたので立派な座敷で会食。仲居さんはどうも女将さんだったような感じの人品卑しからぬ人。味のほうは自分の好みの「赤身の肉の旨さ」がしっかりと堪能できてこちらも満足。最近脂のきつい肉が食べられないので、方向性として自分に合っていた。また食べたいなぁ。