悲しい日
金曜日、小さな研究会に参加。でも自分の学科の内部のものなので昼休みなどには研究室に戻れる。
戻ってメールチェックしたところ、大学の恩師が急逝した、という連絡が・・・。確かにもう御年(77歳)でもあるし、いつかはこういう日が、と覚悟はしていたがあまりに急なことに落胆。午後の自分の発表は集中できずあまりいい発表ができなかった。
先生は本当に厳しい方で、決して優秀ではなかった自分は大学院時代に随分と先生を怒らせた。「君はゼンゼン分かっていないんだよ!」など・・・。今思えば、その分野の厳しさを体感させて甘い考えで博士進学を考えるな、という愛情からだったのだなぁ、と思う。その後自分は研究分野を変えて就職したが、先生はいつも自分の研究を応援してくれていた。在学時の厳しさとは打って変わって暖かく、優しく、自分としてはやや拍子抜けしたのを覚えている。
博士号を取得でき、博士論文を持参して先生の御宅にご報告に上った際には我が事のように喜んでくださった。先生は退官後、ご出身の岐阜の近くがいい、と名古屋に住まれていた(出身も名古屋大だったのもあるだろう。たぶん坂田研出身だったのでは?)ので、自分が大学に移ってからは割と近いこともあって伺う機会はいくらもあったのだが、先生は若いころの結核のせいでお体はそんなに丈夫でもなく、伺うのも帰ってご迷惑になっては、と逡巡してしまったのが悔やまれる。年末にご挨拶のお品をお送りしていたが、お礼の電話を必ずかけてくださり、そのときに研究のご報告や先生の近況を伺うのが楽しみでもあったのに、もうそれもできなくなってしまった。本当に悲しい。「先生に喜んでもらおう」と思ってやっていた、と思っていたが、今にして思えば先生の喜ぶ様子を見て自分がうれしかったのだ、ということに気づいた。
ここ数日何も手につかないが、せめてもの慰めは先生が長く入院されたり痴呆になったりせず最後の一日まで矍鑠とされていた、ということか。身奇麗で背筋が伸び、凛とした先生らしい綺麗な最後だった。先生ならきっとこうおっしゃるだろう、と思いなんとか切り替えることにした。
「もうボクは死んでしまってどうもならんのだから、いつまでも悲しまずに君は君でできることを一生懸命やれよ!」
でも8月19日は本当に悲しい日ですよ、先生。