疲労度増す遠征
金曜日は閣外協力している研究プロジェクトのミーテンングで東京へ。
研究リーダーを個人的に尊敬し、またひとかたならぬお世話になったことを感謝もしているのでこのプロジェクトに声をかけてもらってとても嬉しく、光栄に思っており、閣外協力ではあるが毎回ミーティングには参加して勉強したり意見を言ったりしている。
今回も楽しみにして言ったのだが、結果は最悪。理由はリーダーの上に位置する元締めが最悪のア○だということが判明し、かなり険悪な雰囲気になったため。もっともプロジェクト自体は(元締めは何にもわかっていないので)高評価のままだと思うが、自分が少しからんでいるところはかなり険悪。こちらとしては有益な意見は(それが自分の意見と違っていても)取り入れたい、と思うのだが、まるで会社にいたころのようなバ○上司がそのままこの場に降臨してきたか、のようなバ○っぷりでまるで議論にならない。ちなみに
1.自分の過去の成功体験を振りかざして根拠のない否定的意見を連発(⇒時代も違うし技術も違うし材料も違うし目指すものも違うので、そんな成功体験に意味ないのにね。過去にもそういう上司、いたなぁ。)
2.こちらが順序立てて説明して向こうの意見を誤りを訂正していくと逆ギレ(⇒どうもみんなの前で恥をかかされた、と思ったらしい。知らないことを素直に知らない、といえるのは能力だ、と思う。決めのセリフは「そんなことは分かっている」。だからぁ、わかってないから、そういうバ○な否定的質問するんでしょ)
3.議論の相手の年齢・肩書きに応じて態度を豹変
などなど、自分にとってセピア色の会社員時代が、いきなりカラーになって戻ってきた感じ。最後のほうは「金を出せばいい研究できるわけじゃない」と、自分がその研究資金を出す立場の元締めである立場を完全に忘却した迷言まで飛び出し、〆は「1兆円あればノーベル賞とれるわけじゃない」とまで。そんなのノーベル賞とれない貴方が言ってもねぇ。おまけにいままで1兆円出たプロジェクトはないから統計がないし、さらに言えば研究に巨額の費用を投入しているアメリカが最も多くノーベル賞を排出している事実をどう説明するのか?
正に企業アガリの研究ゴロ、という感じで本当に不愉快だった。リーダーに迷惑かけられないのでギリギリでガマンしたが、それでなかったら「じゃ、もうこのテーマやめますか」と言っていたところ(口元まで出たがガマンした。えらい。)。以後、ヤツがくるならミーティング、不参加かな。
玉砕
昨日は国内で行われる国際会議で学生が発表するので付き添いで参加。もっとも、優秀が学生なので質疑応答で助け舟を出す必要もない、と思い、多少シドロモドロのところもあったが千尋の谷に突き落とすつもりで放置。発表後、ちょっとだけ反省会。「いやぁ、それを日本語なら説明できるんですが・・・」とは学生の弁。
実は昨日の出際に3月から凄いエネルギーを注いだ論文が、散々editorやrefereeとやりあった挙句にrejectとなり、さすがに落ち込んだ。あまり学生に凹んだ姿は見せらないので虚勢を張ったが、帰宅後一気にズドンと落ち込み、結局明け方まで悶々のして過ごす。教授は「大分時間もたったし、APLあたりでどう?」と進めてくれたが、2ヶ月前ならいざ知らず、ここまで頑張ってAPLでは悲しすぎるので更なる玉砕覚悟でPRLに挑戦することに。今日は8時に研究室に来て必死に書き直し。最初は分量が多いのでPRBか、と覚悟したがムリヤリ押し込んで(だいたいレフェリーのしょうもないコメント対応で分量が膨らんだだけで刈り込めば減らせる)、なんとか修正はできたかな、という状況。明日の東京出張の間に最終修正して週末に投稿&cond-mat登録してしまいたい。来週は成果報告会や研究会なのでそれまでにcond-mat #だけでも付けておかないと格好つかないしなぁ・・・。
週末
いろいろとやるべきことはあるのだが、真っ白になってしまってただひたすら休養。途中、虫歯の治療で詰め物をしてもらいに行ったが、噛み合わせがうまく合わず、翌日にもう一度調整、という疲労感倍増の週末。
日曜は大学院時代の友人(素粒子論屋)と彼の弟子と研究室の後輩(最近物性論も開始)の4人で、益川さんの授賞を祝う会(本人いないけど勝手に)。友人は益川研で、博士論文の主査も益川さんだったので、2人で益川さんの思い出話で盛り上がる。大分呑みすぎて帰宅。
多忙&発熱
久々の更新ですが、それは時間が(体力も)ないから。
1日終わって「今日何や ったかな」と思っても思い出しきれないくらいいろいろと仕事を片付けている。おまけに体調もずっと悪く、遂に昨日は発熱。夜中にイヤな汗をかいた。今日は比較的マシ。でもゆっくり来て早く帰ることに。週末はとにかく休みたい。それくらい体調悪い。
ところでむかし所属していたオケがNY公演をした(らしい)。14日らしい。出来はどうだったんだろうか。昔はここでは書けないような出来だったが・・・・。まぁ上達したからNYなんだろう、と。
小林・益川 その後
テレビなどで周辺の紹介が流れることが多い。
益川さんの周辺、ということで九後先生・畑先生などが登場するが、九後さん、老けたなぁ・・・(苦笑)。益川さんは昔とあまり変わらないのに・・・・。
その益川さん、昨日泣きましたね。ああいうところが「らしい」というか純粋な益川さんらしくて好きだなぁ。ちょっとひねくれているところも好きだが。話好きで明るいお爺ちゃん、という路線をひた走ってほしい。
英語のほうだが、どうもインタビューを読む限りスピーチをしないで済まそう、という腹のように思えるが・・・(笑い)。予想されるのは小林先生がスピーチをし、益川さんは「サンキュー」とだけ言う、という感じかな。
小林・益川 追記
目下の自分の(そして益川さんを知る人の)最大の関心事は、尋常ならざる英語嫌いの益川さんが授賞式でどういうスピーチをするか、ということ。
既に新聞などでは既報だが、本当に英語が嫌いらしい。本人から聞いたわけではないが、論文をほとんど書かないのもそのせいだ、という話。サーバーに登録されている論文はたった30本弱(でもどれも珠玉の名作、と誉れ高いが)。今の、論文数・インパクトファクター重視、の風潮では淘汰されかねない状態。やはり研究は社会還元だの、効率だのを第一に考えていてはダメということ。少しは多様なものさしをいろいろな分野に使ったほうがよい。なんでも基準を導入して統一して点数化・数値化すりゃいい、ってもんじゃない。あ、でも授賞論文はもう5500以上の引用なんだそう。名作は勝手にそういう下世話な基準を超える、ということか。
ちなみに、その授賞論文だが、これも仄聞した限りでは、英語嫌いの益川さんが全然書かないのを小林先生がお尻を叩きまくってムリヤリ書かせた、という話。
小林・益川、そして南部
やっと、本当にやっと出た、という感じ。
自分が院生のころからこの3名は既に超有力候補だった(特に南部先生)。小林先生・益川先生はトップが見つかれば翌年には授賞だろう(既にボトムは見つかっていたので)、という感じだったのでこれでも遅い感じなのだが、南部先生に至っては遅すぎて逆にもうもらえないのか(候補から外れている?)、という感じだった。
3名の中でダントツに自分に近いのが益川さん(学生もみんなマスカワサンと呼んでいたので以後こうします)。大学院時代に2つ講義を取ったが、その形式はユニークというかgoing my wayというか勝手というか・・・。既に超有名教授だった益川さんの講義なので大講義室が1回目は溢れる(笑い)。小柄な益川さんがヒョコヒョコと入ってきてやにわに講義が始まるのだが、小さな字で数式をものすごいスピードで書きなぐり、それを何度も消しながら猛スピードで講義。表現も独特な「益川語」で今でも覚えているのは
「だからスピンをくるっと1回回したんでは取れなくて、2回くるっくるっと回さないと取れない、ということなんだよねぇ」
というもの。今でこそわかるが当時はなんのこっちゃ、という感じ。大学院での素粒子論特論も、面白いのだが難解。ちなみに学部の講義は毎回学生が半減していき、最後には20人くらいしか残らない(大講義室なのに。爆笑)。ということで講義がうまいか、というと正直微妙。でも学問をやるっていうのは脳みそから汗をかく、というくらい難しいことと向き合う、ということを直接教えてくれた、という意味でも、いくらでも難解な世界がある、という覚悟を決めさせてくれた意味でも、自分には名講義だった。実家に講義ノートがまだあるはずなので、もう一回見てみよう、という気に。
人間的には益川さんは明るくて正直で「子供がそのまま大きくなったような人」という印象。学生でも気軽に質問したり話しかけたりできる。自分も講義前に教室に一番のりで待っていたら、次に益川さんが入ってきて暫く雑談してくれた、という経験がある。どうも出身の坂田研の伝統らしい。思えば自分の恩師も坂田研で、そういうフランクなところは形を変えて(権威に阿ねない、偉ぶらない)やはり受け継がれていたように思う。恩師が亡くなった年に、恩師の後輩でもある小林先生と益川さんが授賞、というのも何かの因縁を感じないこともない。
南部先生はもちろん直接知らないわけだが、ある意味で自分の今、に大きな影響を与えた人だ。Nambu-Goldstone bosonの研究を勉強していて、それが物性理論でも汎用性のある理論らしい、ということを知り、修士終了後の進路で迷っていた自分が物性に転向する、ある意味でも後押しになった。結果いまハッピーな研究生活を送れているので、南部先生にも感謝しないといけない。
ということで自分の中で物理学賞の絶対的第一候補だった先生方が授賞できて本当に嬉しい。
モダン焼きは友人を思い出させた
日曜日は久々にのんびりした。なんとなく学生時代によく食べたモダン焼きを食べたくなり、「フジ」へ。1年半くらいご無沙汰だったが、お父さんも元気で、B級グルメの王様であるモダン焼きも相変わらず美味しく食べられた。今のバイトさんはなかなか、というか相当にスジが良く、台がふっくら焼きあがっていておいしい。
ここのバイトは何年か前まで、うちのクラブがよくやっていたことを思い出した。そういえば学生時代はアイツの焼いたモダン焼きを食べたっけ、と考えていて、ふとその友人がもういないことに気づいた。昨秋に急逝したんだった。卒業してから10年ほど会わなかったが、とある学会で偶然再会し、話を聞けば「自分もこの分野の研究をすることになったんだ」と楽しそうに話していた。「またいろいろなところで会えるね」と話しをし、自分がドイツ滞在中の学会では招待講演もしていたのに・・・。
あのときのモダン焼きを焼くアイツの姿が目の前に浮かんだ。お父さんは彼の急逝を知らなかったそうで、とてもショックを受けていたが、話をきけば歴代のうちのクラブからのバイトさんも何人 か既に亡くなっているようで、お父さんはそういう事実も受け入れてきたらしい。今回もいいお話をしてくれた。最近多忙でアイツのことを忘れてしまっていたが(死んだ、という事実がまだ受け入れられないのかもしれない。日曜もお父さんに話していて、自分でも何かの勘違いで本当はアイツは元気なんじゃないか、と真剣に悩んだくらいだ。)、アイツを思い出させてくれたモダン焼きに感謝。
ハーゲン・カルテットを聴く
怒涛の会議が終わり、G氏はドイツへ帰国。12月の再会を約して楽しい邂逅は終了。翌日の東京での講演を自分は終えて週末はハーゲンQを聴く。
ハーゲンQとしては2回目(1回目は10年前にザルツブルグでモーツァルトプロだった)、チェロのクレメンスのソロ演奏会も一度行ったので都合3回目?今回はベートーベンの「セリオーソ」と14番、それにドビュッシー。ドビュッシーは1楽章のみだが20年前に演奏会で弾いた。2楽章と3楽章は遊びであわせたが、とにかく和音が難しくて合っているように聴こえない(苦笑)。14番は社会人になってから知り合いのメンバーでなんどか通してみたことがある。セリオーソは自学自習した。ということで楽譜がある程度頭に入った状態で鑑賞。
セリオーソは、特に1楽章は暖機運転という感じもあったが、2楽章あたりからぐっと集中も高まり、ハーゲンらしいnon vib奏法も随所に取り混ぜながらの好演。特に4楽章のコーダはワクワク感に溢れた演奏。次のドビュッシーが演奏会のハイライトと言っても過言ではない稀に見る名演で、特に3楽章の美しさは正に天国的。ビオラのヴェロニカとチェロのクレメンスが飛びぬけて美音かつ技術的に傑出しており、そこに2nd Vnがうまく調和をとって入り込み、1stのルーカスが割に自由に演奏する、というスタイルで、聴衆が安心して演奏に身をゆだねることのできる名演だった。
休憩後の14番は、これまで聴いたアルバンベルクも東京Qも(長く集中力を必要とする曲だけに)途中でどこか破綻しかかるところがあったのだが、最後まで安定した、出し入れ自在の演奏。難しい数学の証明問題をいろいろと解法を変えながら解説していくような感じで、ゴールを見失うことなく、過度に派手な演奏になることもなく、演奏を堪能できた。
全体に非常に知的で上品で技術を誇示することもない、上質な芸術を堪能できる演奏会だった。なかなかこういう演奏会はないのだが、次回の来日が本当に楽しみになる演奏会。これで6000円というのは信じられない良心的な設定。
友あり、遠方より来る
ドイツから親友のG.C.氏が来日。国際会議の招待講演をお願いしたので、忙しい合間をぬって来てくれた。
氏は去年の自分の滞独時のホスト。今回はそのお礼も兼ねているので京都に宿泊してもらって観光などにも連れて行っている。日曜は3月のニューオーリンズの学会で再会し親しくなったI.A.氏も来日するので3人でいろいろと楽しんだ。I.A.氏は宿泊が別なので夜はC氏と一緒にいろいろ「日本」を紹介。氏は完全な日本党で、湯葉も赤貝も鱧も鯛もトロも大好き。今日も鮨を食べたい、とおっしゃっているのでどこか探す。
食事をしながらの彼との会話は物理から文学・音楽・哲学・社会・経済と多種多様な話題に飛ぶがどれも刺激的で本当に楽しくあっという間に時間が過ぎる。本当に気があう、という感じで幸せな時間を過ごしている。いろいろとストレスの溜まる時期だったが、一気に解消された。さぁ今日も楽しむぞ!