対話無き日々 ここまでをまとめ読み その20
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のつづきです。
日本の教育は、多過ぎるカリキュラムの弊害もあるのだろうが、教育の本質を飛ば
して、はじめから受験のテクニックを子どもたちに叩き込んでいる。
このような教育を受けた子どもたちは、将来的に、分かる問題、できる課題は真面目
に勤勉にこなすが、
分からない問題は避けて通る
社会人になる
私は、言語聴覚士という国家資格のプロフェッショナルを養成する学校で音響学
などの科目を教えている。
言語聴覚士は、構音(こうおん)障害(脳の一部や発声器官に何らかの障害が起
きて、言葉を発することが困難になる障害)、難聴などの聴覚障害、嚥下(えんげ)
障害(物を食べるときに、のどや胸につかえ感や不快感などがあって飲み込むのが
困難になる障害)などがある人のケアやリハビリテーションを実施する専門職である。
これだけ多種類の疾患や障害を担当するわけであるから、国家試験の出題範囲は
とても広い。
特に、聴覚障害は、数学や物理学の知識が必要となる音響学を習熟せねばならない
ため、学生たちの勉強量は大変な量になる。
ところで、近年になって資格を取得した言語聴覚士の中には、聴覚障害に関する
知識が驚くほど乏しい者がいる。
嘆かわしいことに、明らかな間違いを患者やその家族に言っていたり、あろう
ことか、その間違いをSNSなどで(言語聴覚士を名乗って)発信している者もいる。
そんな者たちの1人に、「国家試験の前に、音響学や難聴について勉強しなかった
のですか?」と尋ねたことがある。
返ってきた答えは「数学とか物理は苦手なので聴覚障害関係は全て捨てて、嚥下に
絞って勉強しました。それでギリギリ合格点が取れる計算になるので」とのことで
あった。
まさしく、分からない「問題は飛ばせ」である。
こういう人たちに難聴のケアを担当された患者はたまったものではない。
真面目に学んでいるプロの言語聴覚士の皆さんの名誉のために書き添えておくが、
もちろん、こういった言語聴覚士は決して多くはない。
ただ、(私が関わっている学校では、絶対にこんなことは無いが)受験のテクニック
を学びと勘違いしている教員および学生が手を組んで難関の国家試験を突破しようと
すれば、このような者が一定の割合で出てくるのは当然である。
そしてこれは、言語聴覚士の世界だけの話しではない。
私が出会ってきた日本の大手企業の経営者や技術者などにも、難しい課題は避けて
通り、最初から答えが分かっているような職務だけしかやらない者が増えている。
いや、日本社会全体が、難しい課題、問題は見ないようにして、表層に見える
やさしい問題を効率的に解くことのみに必死になっているように見える。
「分からない問題は飛ばして、分かる問題から解く」という考え方に対話は不要で
ある。
人は、分からないことがあるから
他者との対話を欲するのである
対話が無くなれば、分からない問題は永遠に分からないままになり、その問題が
目の前に現れれば避けて通るようになる。
避けて通れないならば、それを解くための模範解答やマニュアルを求め、マニュアル
が無ければ出来ないと主張する。
主体的に学び、考え、関連付け、問題解決ができるようになり、生活を営む力を
習得していくための教育を受けておらず、一問一答式知識観を学びと勘違いしたまま
大人になってしまったので、他者との対話を通して、分からない問題に何らかの道を
導き出していく習慣もスキルも持ち合わせていないのである。
------------- 長屋の対話民主主義余禄 -------------
「まあまあ、こうやって馬鹿なことを言い合っているうちに、名案が飛びだす。それが万松(万造と松吉)の真骨頂じゃないか。もう少し吞ませてみよう」
鉄斎は、二人の茶碗に、なみなみと酒を注ぐ。万松の二人は、またそれを一気に吞み干した。
「それじゃ、松ちゃん、こんなのはどうでえ」
「聞かせてもらおうじゃねえか」
畠山健二:本所おけら長屋(五), PHP文芸文庫,2015 より
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4. 言葉の誤用と強要
対話という行為において、「どんな言葉、どんな用語を、どういった意味で使うか」は、
とても重要である。
同じような言葉であっても、互いに異なる意味で使われていたら、そもそも対話自体が
成り立たないからである。
近年の日本では、若者の国語力の低下が問題視されている。日本の国力の低下は、
国語力の低下と深く関わっている
との指摘もある。
罪を犯して捕まり、警察の事情聴取を受けても、「グリグリ」「バアー」「ガッ」といった
オノマトペでしか表現することができない少年などもいるという。
国語力の低下は対話の減少へ直結する。
しかし、ここでは、若者の国語力の低下を嘆く前に、大人は正しく言葉を使えている
のか?について考えてみたい。
言葉狩り
という言葉が当たり前のように使われるようになって久しい。
近年は、政府が「〇〇については、今後は△△という言葉を使うように」という通達を
出すと、大手メディアの大部分は、その日から言われたとおりに言葉を変える。
さらに、通達以前の言葉を使う者を「デマ」「陰謀論者」などと言って攻撃する。
もちろん、効率的かつ正確なコミュニケーションのために、用語の統一は必要である。
しかし、「その事がらを正確に表現するためには、どちらの言葉が適当なのか?」を考え、
決めるのは個々人の自由であり、そこにこそ対話の広がりがあるのである。
特に、様々な意見がある事がらや、異論があって然るべき事がらに対して、ある一方の
主張だけを反映した言葉(用語)を強要したり、「異論をはさむ者は△△だ」というような
決めつけをすると、それが新たな同調圧力を生み出し、
その副作用として対話が減少する
対話が減少すれば、全ての異論は抹殺され、さらなる同調圧力を生み出す。
ここで、言葉の誤用、強要や決めつけ言葉の事例をいくつか挙げ、その意味を考えて
みたい。
つづく-> ~消費税と売上税~ 対話無き日々
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