以前は、スポーツの指導者といえばほとんどが男性で、女子チームの指導者も男性ということが当たり前でした。特にサッカーや柔道など女子選手の人数が少ない競技では、指導者になるような人材も少ないため、育成年代からトップまで女性の指導者は限られていました。

 

最近では、バレーボール日本代表に中田久美監督、サッカー日本女子代表に高倉麻子監督が就任するなど、徐々にトップチームでも女性が監督になる例が増えてきました。今後は更に女性の指導者が増え居ていくことが予想されます。

 

 

国内の女子サッカーのトップリーグである「なでしこリーグ1部」は、10チーム中7チームは男性が監督で、徐々に増えてきましたが女性の監督は3チームだけです。

 

サッカーは現在でも男性に比べて女性の選手は少ないですし、一昔前は男性がやるスポーツという認識の人が多かったと思います。しかし、そのような時代だった40年ほど前に、驚くことに日本一になったサッカーチームの監督を女性が務めていました。

 

1977年に行われた第一回全日本少年サッカー大会で静岡県の清水FCが優勝(決勝は埼玉県の与野下落合と引き分けて両チーム優勝)しましたが、その時の監督は小学校の教員だった綾部美知枝氏でした。

 

綾部氏は学生時代に陸上競技やバレーボールをやっていて、サッカーは未経験者でした。小学校の教員をしているときに担任となった生徒達に誘われてサッカーを始め、その後に清水サッカーの礎を築いた堀田哲爾氏にサッカーの指導法を学び、赴任していた小学校にサッカーチームを結成させました。

 

そして、静岡県主催のコーチングスクールに唯一の女性として参加し、清水FCの前身であるオール清水で、川崎フロンターレ監督の風間八宏、来季からFC岐阜の監督に就任する大木武らを指導します。

 

1977年の全日本少年サッカー大会優勝時には、ガンバ大阪監督の長谷川健太、前清水エスパルス監督の大榎克己、堀池巧などがおり、この時以外でも数多くのJリーガーを指導しました。

 

綾部氏は、合宿には子供達に戦国武将などの本を持参させ、試合の戦略を自分で分析する時の参考にさせるなど、様々な指導法を工夫して育成に取り組んでいました。子供に一方的に教えるのではなく、子供の様子を見ながら、子供が指導を受け入れるタイミングを見計らうということに気を付けていました。

 

子供に技術を身に付けさせることだけでなく、それ以上に子供が自分で考えてサッカーに取り組むようになることが重要だと考えて指導していました。

 

綾部氏は、その後に日本サッカー協会理事に就任し、全日本少年サッカー大会における8人制導入に関わり、育成年代の指導に携わり続けていました。

 

現在は、日本サッカー協会の名誉役員となり、静岡県サッカー協会評議員や清水エスパルス講演会常任理事を務めるなど、サッカーに関わる役職に就いています。


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