5 『古事記』の表記方法

 

『日本書紀』と『古事記』、二つ目の違いは読者です。

 

『日本書記』は外国人向けです。 

我が国の歴史を海外に示すために作られたのが『日本書紀』です。

当時、外国といえば支那のことを指すほど、支那は世界の中で経済力でも軍事力でも、ものすごい力を持っていました。

その支那人にも読めるように書かれました。

ですから、『日本書紀』は文法に沿った漢文体です。

『日本書紀』冒頭部分「 古天地未剖 陰陽不分 渾沌如鶏子 ・・・ 」

(古に天地未だ剖かれず、陰陽分かれざりしとき、渾沌れたること鶏の如くして・・・)

 

一方、『古事記』は日本人向けです。

『古事記』冒頭部分「 天地初発之時、於高天原成神名 天之御中主神 ・・・ 」

(天地の初発のとき 高天原に成りませる神の名は 天之御中主神 ・・・ )

『古事記』は、漢文形式で表記した日本語の文体です。

支那の漢字というのは、“表意文字”です。文字の一つ一つに意味があります。

山 (意味=やま。土地の高く隆起したところ。読み=サン)

これに対して、“表音文字”というのは、音を表す文字のことです。

平かな、カタカナ、アルファベット、ハングル文字など。

表記する場合は、普通、“表意文字”が“表音文字”のどちらかだけを使います。

しかし、日本人は、ここに画期的な方法を生み出しました。

表意文字である漢字を表音文字として使う。

一つ一つの漢字の意味は捨てて、音だけをとるのです。

例えば、

【 安 以 宇 衣 於 】と表記し、「 ア イ ウ エ オ 」と読む。

これが“万葉仮名”或いは“万葉漢字”といわれるものです。

「淤能碁呂嶋(オノコロジマ)」「遠呂智(オロチ)」「阿那邇夜志 愛 袁登売(あなにやし え おとめ)」のように、

音を伝えたいものに使われました。 

『古事記』は、見た目は漢字ばかりですが、表意文字としての漢字と万葉仮名を混ぜて作られています。

日本語の文章を書き表したのは、『古事記』が初めてです。

『日本書記』は古代支那人には理解できます。しかし、『古事記』はチンプンカンプンでしょう。

やがて平安時代になり、万葉仮名を簡略化した平仮名が発明されます。

【 安 以 宇 衣 於 】

 ↓  ↓ ↓ ↓ ↓

【 あ い う  え お 】

現在の日本語表記の原型は、『古事記』の文章だったのです。

 

6 『古事記』を生み出した二大天才

 『古事記』は、二人の大天才がタッグを組んで出来た作品です。

記憶が得意な稗田阿礼と文章を書くのが得意な太安万侶です。

どちらか一方がいなかったら『古事記』は世に出なかったかもしれません。

また、『古事記』がなければ、今の日本語表記もなかったことでしょう。

 

稗田阿礼は天才的な記憶力の持ち主です。

一度読み聞きすると覚えて忘れない。

天武天皇は稗田阿礼に命じます。

「各地に残る神話や伝承をかたっぱしから読み込みなさい」

稗田阿礼はその通りにいろんな書物を読み、伝承を聞いて頭の中に入れていきます。

さらには、暗誦した話をもとに物語を組み立てました。

 

一方、太安万侶は、文章を書く天才です。

( 太安万侶を祀る多神社 多宮司さんは太安万侶の末裔 奈良県田原本町  )

 

命を受けた太安万侶は編纂を始めますが、日本語の表記という問題にぶつかります。

漢文のように表意文字である漢字だけで書くと、漢字が必ずしも日本語の音と同じではないから音が伝わらない。

では、全部表音文字の万葉漢字で書くと、音は分かるけれども意味の伝わらないものも出てくるだろう。

それに平仮名だけで書くようなものだから、すごく長くなる。

『古事記』序「すでに訓に因りて述ぶれば、詞心に及ばず。全く音を以て連ぬれば、事の趣更に長し」

やまと言葉で口承口伝してきたものを漢語で書くのは難しいと言っています。

『古事記』は語り部の音声言語による伝承でした。

しかも、音や言葉には生命があるとして言葉を大切にしてきた民族です。

山上憶良は、日本を「言霊の幸はふ国」と表現しました。

そこで、太安万侶は漢字を表音文字として使う新しい方法を発明します。

そうすることで、表音文字と表意文字の混合表記が生まれました。

現在の日本語表記の基礎を作ったのは太安万侶です。

こうした苦労話が『古事記』に書いてあります。

さて、いよいよ『古事記』が世に出るときが来ました。

元明天皇は、太安万侶に命じます。

「稗田阿礼が暗誦した内容を書にして提出せよ」

『古事記』序「ここに旧辞の誤りたがえるを惜しみ、先紀の謬り錯れるを正さんとして、和銅四年九月十八日、臣安万侶に詔して、稗田阿礼が誦むところの勅語の旧辞を撰録して以て献上せよとのたまえり」

天武天皇の詔から数えて30年間の準備期間をへ、元明天皇に提出を命ぜられて130日で『古事記』は完成しました。

( 於 多神社 )

 

<参考にした書籍>

 伊藤八郎『古事記神話入門』(光明思想社 平成24年8月25日)

 竹田恒泰『古事記完全講義』(学研 2013年10月29日)

 出雲井晶『朗読用 日本の神話 古事記神代の巻』(戒光祥伝出版 平成17年3月1日)