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ワンセルフカードの広場

ワンセルフカード認定トレーナーによるワンセルフカードを使ったセミナーや講座の情報広場です。

ワンセルフカード、

メイントレーナーのマサコ(中本雅子)です。

 

「想定外のことで涙腺が崩壊」と、

前回のブログで書いたばかりですが

こちら

再放送の『駅ピアノ』

お昼に見ていて

最後に出てきた卒寿を越えた

イギリス紳士の味わい深い演奏に
またまた涙。

 

 

自宅のお昼ごはんでよかったです。

(;^ω^)

 

涙がこぼれたもう一つの理由は

曲が自分の創業時に流行った

ドン・モーエンの『give thanks』だったから。

(直訳すると「感謝を伝えよう」

 

1986年に発売されたようですが

確か日本では1990年発売され

その時の曲名は「こころからの感謝」

 

 

当時もそして今も

私の心の琴線に触れたのは

後半のサビの歌詞。

直訳すると

 

「心の弱い者に

 『私は強い』と

 

 貧しい者に

 『私は豊かだ』と言わしめよ」。

 

これをマサコ流で超訳すると、

(#^.^#)

 

「自信のない人には

 『本当は私は強い人間だ』と、

 

 心が貧しくなっている人には

 『私は心豊かな日々を送っている』と、

 

 気づいてもらおう」

 

 

そして今日はこの歌詞と共に

思いを馳せたことがあります。

 

一つはワンセルフカードの『与』

 

 

 

※ワンセルフカードとは 

 ↓

 

 

 

そしてもう一つは

私と出会った頃は

おどおどしていたけど

ワンセルフカードを使っていくことで

堂々とリーダーシップを

取っている人の姿。

 

それはカードの茶話会セミナーを

定期開催し続けている大阪在住の

エリアマネージャー、

藤原くみこさん。

 

先日もオンライン開催を

してくれていたようで、感謝!

 

 

※エリアマネージャーとは

 → こちら

 

肝心の今日のこの駅ピアノの演奏は
動画がみつかったのですが

著作権の問題でこのブログへの

直リンクができず。

(-_-;)

 

でも下記をクリックすると
このロンドン紳士の

年輪を感じさせる演奏と歌声が聴けます。

 

 

91歳の彼は50年以上、

ロンドンの市場の花屋で働き、

ピアノ歴はなんと84年だそうですが

プロではなく自宅で弾き続けてきたとのこと。

 

演奏を終え

「周りのみんなに受け入れられて

 毎日を重ねていく。

 同時に私の演奏が人々に喜びをもたらす。

 本当に幸運な人生だった。

 これのおかげでね」

と静かにピアノに触れて

彼は立ち去っていきました。

 


 

この人は演奏することで

聴く人々に人生の美しさや

音楽の力を伝え、

聴衆からは感謝と称賛をもらって、

品格ある長寿の人生を

手にしているのでしょう。

 

それはまさに「与え、与えられ」の

美しい循環に

包まれている人のお手本のよう。

 

 

原曲であるドン・モーエンのコンテンツは

直に貼り付けができたのでご興味のある方は

 

 

 

 

『与』のカードについて

 過去にも別の角度で書いていますので

 よかったら読んでみてね。

 ↓

 

 ●2歳児発見のスーパーボランティア

  → こちら

 

 ●ムーミンシリーズに出てくる「ヒコウオニ」

  → こちら

 

 

最後に今回のがん治療で

沢山の方に有形無形のものを

送って頂いています。

 

ですのでこのブログからで恐縮ですが

私もギブ・サンクス!、
心からの感謝を!!

 

  

 

  

 

  

 

  

 

 

 

(↑上記は最近の有形の一部)


 

出番を待っている新ワークを

こちら

引っ提げての復帰日を待っていてね~!

 

今日は扇風機などを閉まった後に

疲れて午前も午後も寝てしまい、

今は目が冴え冴え。

苦笑。

 

これから秋が急速に深まりそうですね。

 

最後まで読んで下さりありがとうございます。

 

【補記】メモ 

(1)10/1付でHP を更新

   

(2)認定トレーナーの開講日程 を9/27付で更新

  

(3)このブログとは別の内容で書いている

  個人ブログ→ こちら  

ワンセルフカード、

メイントレーナーのマサコ(中本雅子)です。

 

化学療法の薬は
徐々に体に降り積もっていくので

ちょっと用事をしたら横になる時間が
どんどん長くなっていて

最近はあっという間に夜。

(苦笑)

 

今日のブログは満月だった一昨日の夜に
UPしたかったのですが
その日は体力がなかったので

facebookのストーリーズに画像のみUP。
(;^ω^)



でも
「こうした倦怠感等は
 がんそのものの症状ではない」
と熟練(笑)キャンサーサバイバーは
冷静に判断し過ごしていますので
ご安心を。

(^^)/

 

~~~~~★~~~~~~

 

さて10日の十五夜満月を

自室の窓からも十分に拝めたので
窓辺のサンキャッチャーを入れて

写真を撮りました。

 

 

その日に書きたかったことは

満月の前日の9日に
アメブロさんが

「7年前の10月の今頃はこんな日記を」

と教えてくれた中に紹介していた

真民さんの詩。

 

奇しくも詩の題名が「つゆのごとく」

満月、
サンキャッチャーのガラス球、
そして10月10日で〇繋がり。

(#^.^#)

 

 

とにかくこの詩の書き出しが
人生二度目の化学療法中の私の心を
ぐっと掴んでしまったのです。

 


それをここにも書き出すと、

 

”いろいろのことありぬ 
 いろいろのめにあいぬ”

 

 

これはもしかしたら

私だけでなく今年は
「いろいろなめにあいぬ」の方が
多いかな?と思ってのご紹介。

 

さらに私を鷲掴みにしたのは


 

”かなしみも
きよめまろめて
ころころと
ころがしゆかん”

 

(↑最近予想外の涙腺状態でして、

  これで涙腺崩壊・・・)

 

これらの言葉と共に
十五夜お月さんを観ながら

6年前に咽頭がん手術をした母を
父と見舞った満月の夜のことを
反芻していました。

(二人とも今は彼岸)

 

 

病院に到着したのは

折しも十五夜の宵。
するすると上っていく大きな月を背に

とぼとぼと歩行器を押して

病院の廊下を歩く認知症の母。

 

フレイル
(要介護に移行しつつある年配者)

が進んで虚ろな目でそれを見ている父。

 

これは私にとっては
忘れられない記憶、

忘れられない風景。

 

人間は案外こうした切ない記憶によって
成熟していくのでは?

 


 

勿論楽しい記憶、

喜びの思い出からであってもよいです。

 

それに忘れてしまうことだってあります。

きっとそれはもう必要のないもの。

忘れられることは素晴らしいこと。

全部を抱えては生きていけないから。


でも両親と病院の窓に上った

2016年の満月と

今年は抗がん剤治療真っただ中に

自宅から拝めた十五夜の風景は
私にはいわば「しおり」のようなもの。

 

 

だから自分の過去ブログのリブログは
読んで頂くためもあるけれど、

時を超えて自分の記憶を
定着させる装置
でもある、

と思って書いています。

 

皆さんには
満月の思い出がありますか?

 


 

もしあれば
それにまつわる人々は?、

そして思い出した時の気持ちは?

 

それを整理したり
掘り下げるのに

よかったらワンセルフカードを

活用して下さい。

 

 

※ワンセルフカードとは 

 ↓

 

 

私が今年の十五夜で
フィットしたワンセルフカードは

7年前のブログにも書いている「輝」、
特にサブメッセージ。

 



 

最後になりますが

冒頭にリンクの日記の中には
ワンセルフカードの「輝」の

ベースの色がなぜ「白」や「黄」でなく、

「緑」なのか?
の理由の一つが書いてありますので

未読の方はクリックして
読んで頂けると幸いです。

 


 

今日も最後まで読んで下さり

ありがとうございました。
 

【補記】メモ 

(1)10/1付でHP を更新

   

(2)認定トレーナーの開講日程 を9/27付で更新

  

(3)このブログとは別の内容で書いている

  個人ブログ→ こちら  
 

 

ワンセルフカード、

メイントレーナーのマサコ(中本雅子)です。

 

「ワンセルフカードに

 ジュニア用はないのですか?」

という質問を頂きました。

 

それに対しては

「残念ながらないのです」。

 

 

前に(って、10年前に)その理由を書いていました。

 

(上記に書いていますが)

要約すると理由は二つ。

 

(1)私自身に子育ての経験がないから

 

(2)子供の頃に「子供用」とあてがわれたり、

   赤ちゃん言葉で話しかけてくる大人が

   大嫌いだったから。

   (;^_^A

 

主には(1)が大きな理由ですが

(2)について8年前になりますが

雑誌「ユリイカ」で

ケストナー(ドイツの詩人、作家)が

このことに言及しているのが嬉しくなり、

紹介しているのでご興味ある方は下記を。

 

 

ケストナーの不朽の名作。

 

 

~~~~~★~~~~~~

 

今日は上記の理由(2)を更に掘り下げて

「~用」という対象者を決めることでの

歪(ひずみ)についてという、

ちょっと理屈っぽい話を書きます。

 

「子供用」ということだけでなく

「がん患者用」とか「シニア用」と

ターゲットを決めることについても。

 

 

勿論対象者を決めることは有意義なことですが

下記に書きますような

可能性があることも知ってほしくて。

 

長くなりますので

お時間ある時にお付き合い頂けると幸いです。

 

数年前のことになりますが

母はがん治療の退院間際に

「アルツハイマー型認知症」

と診断されました。

 

 

それでも本人の強い希望で

自宅に帰ったのですが

その後腸閉塞を発症し緊急入院し

その際医師の勧めで

シニア用の施設に入りました。

 

 

私が仕事を終えて面会に行くと

大抵リクリエーションタイムで、

大音量で民謡や演歌が食堂に流れていました。

 

 

元々こういうジャンルの歌が

好きではない母は浮かない顔でした。

 

そうして2か月くらいしたら

その輪に母は入らず一人窓際で

ぬりえや読書をしていました。

その姿を思い出すと

今でも切ない気持ちになります。

 

今から2年ほど前にNHKで

認知症研究の第一人者が

認知症になった特集番組がありました。

→ こちら

 

もう母は亡くなっていましたが

興味を持って見ましたら

かつては医師であったその人が

デイケアで訪れる施設でも

民謡や童謡をまるで

幼稚園の子を諭すように

先生役が先導して皆で歌っていました。

 

その中で彼は居心地悪そうで

口を開けることはありませんでした。

でもこうしたプログラムを作成したのは

皮肉にも彼自身だったのです・・・。

 

ところで『ドミナントストーリー』

という言葉をご存じでしょうか?

(言葉の詳細説明は後述)
 

これは例えば

「老齢になると人は丸くなる」とか

「老人は大抵民謡好き」というように

いつの間にかどこかで刷り込まれた思い込み。



 

これに支配されてしまうと、

そこから外れた自分(または相手)を

「この歳になったのに」とか

「社会的に不適合者」

と否定してしまうことになります。
 

時にその刷り込みの枠に

自分(または相手)をはめ込もうとして

苦痛や軋轢が増したり、

「どうして皆とやっていけないの?」

と自分(または相手)を責めたり。


けれど本当に大事なのは

この『ドミナントストーリー』ではなく、
『ナラティブストーリー』と呼ばれる

「自分が主人公の話」。



 

「老人は(または子供は)~」

で始まるストーリーなんて、

本当はどうだってよくて、

肝心なのは「私は~」で始まるストーリー。

 

私も「子供用」というのが

好きでなくなった原点を辿ると

幼稚園の頃に無謀にも

「タップダンスが習いたい」

と親にねだったのですが

そんな教室は住んでいる町にはなく、

親は苦肉の策として

バレエ教室を見つけてきたのです。

 

しかし見学した先で待っていたのは

満面の笑みで赤ちゃん言葉で

語りかけてくる先生と、

教室に流れる「かもめの水兵さん」。

「こんなのは違う!」

と習うことを断固拒否した私でした。

 

今となってみれば

いきなり子供にトゥシューズの

レッスンは無理なんですけどね。

(;^ω^)

 

 

さて先ほどのシニアのことに

話を戻しますと、

民謡や演歌好きの年配者は勿論いますが、

やっぱり押さえておきたいのは

自分が決めた枠に相手を押し込んで

接してしまうことの弊害。

 

シニアと呼ばれる年齢に

近づいていて思うことは、

「自分が抱いていたシニアのイメージは、

 いつの間にか刷り込まれていた

 偽物だった」ということ。


「シニア」をターゲットにした

番組や雑誌から受け取るイメージが、

そのまま私の中に

「あるべきシニア像」

として出来上がっていたのだということ。

 


 

誰でも「若者」と呼ばれていた頃には

趣味や嗜好は千差万別だったのに

「シニア」と呼ばれる年齢になった途端、

皆一斉にお花畑を散策する仲良し老夫婦になったり

(配偶者のいない私はどうすれば?:苦笑)、

家庭菜園を作って野菜中心の食事を心がける

老人になったりするわけではないのに・・・。

(;'∀')


一色に染めようとしている(?)

大手企業やメディア

「子供は~こういうものが好き」

「高齢者はこう扱っておけばよい」

という『くくりの情報』に

自分や相手を埋め込まず、

その時その時の自分や

目の前の人と対峙していきたいと

今は強く思います。

 

自分が今置かれている

「がん患者は~」もきっとそのはず!

 

元気な時(人)もあれば

そうでない時(人)もあるし、

楽観的な時(人)もあれば

悲観的な時(人)もあるしねぇ~!!

(^^)/

 

 

そんなバランスの良いセラピー

(セミナー、カウンセリング、コーチング等など)

にワンセルフカードがお役に立ったら

無上の喜びです!!

 

※ワンセルフカードとは

 → こちら

 その認定講座は

 → こちら

 

 

※今日登場した二つの用語の

 もうちょっと詳しい説明

 ↓

 

 ★「ドミナント(dominant)とは、

  「支配的な」「優位に立つ」という意味。

 

 ★「ナラティブ(narrative)」とは、
  直訳すると「物語」。

  しかし「ストーリー」とはニュアンスが異なります。



 

  ストーリーは物語の筋書きや内容を指しますが

  ナラティブは語り手自身が紡いでいく物語

  主人公は語り手自身であり、

  物語は変化し続け終わりが存在しません。

  つまりナラティブは一人ひとりが主体となって、

  より自由に語られるイメージを持つ物語。


  この概念は1960年代頃に

  フランスの文芸理論上で登場したそうです。

  

  これを用いたカウンセリングのアプローチは

  1990年代に生まれたとされています。

 

  従来のカウンセリングは

  悩みを持つ相談者と

  専門知識を持ったカウンセラーの間には

  大きな力の差があると言われ、

  時にはそれが弊害となっていました。

  

  ナラティブアプローチは

  こうしたカウンセリングのあり方を

  見直そうという動きから生まれたもの。

 


 

  今ではカウンセリングや

  福祉の分野だけでなく、

  マーケティング等のビジネス分野でも、

  消費者が主人公となれる、

  あるいは企業が紡ぐ物語に参加できる

  「ナラティブマーケティング」

  が広まっています。

 

私が自分を「マサコさん」

呼んでもらうことは

今日書いたこのことにも繋がっています。

→ こちら

 

 

最後に下記は最近見つけた動画。

「ビバルディの四季の演奏は

 こうあるべき」を飛び越えて

子供達がマリンバで『四季』を演奏。

 

軽やかな気分になりますので

よかったら聞いてみて下さいね。

 


明後日の金曜に3回目の

化学療法が待ち受けていますが

私は自分のがん患者ライフを

この演奏者達の姿を焼き付けて

臨もうと思っています。

(^^)/

 

(↓イメージとしてはこんな感じの治療です)

 

 

皆様もそれぞれのストーリーで

かけがえのない秋の日々を。

 

 

長い文章を最後まで読んで下さり

ありがとうございました。

 

【補記】メモ 

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(2)10/1付でHP を更新

   

(3)認定トレーナーの開講日程 を9/27付で更新

  

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