特別陳列「小牧・長久手の戦い」秀吉清正記念館 | ヤマカン103のブログ

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$ヤマカン103のブログ名古屋市秀吉清正記念館(名古屋市博物館分館)で開催されている、開館45周年記念特別陳列「小牧・長久手の戦い」を見に行きました。  10月6日~11月11日入場無料

秀吉清正記念館は豊臣秀吉、加藤清正の生誕地に建つ歴史博物館です。

常設展示室
常設展では、尾張中村で生まれた2人の武将、豊臣秀吉と加藤清正の事績を紹介しています。秀吉が織田信長に仕えたころから、天下統一への道のり、秀吉死後の関ヶ原の戦い、大坂の陣での豊臣氏滅亡までを、実物資料、複製、模型などを用いて、展示しています。





館蔵品から
下左:豊臣秀吉画像、江戸時代藤原邦信画。甲冑(かっちゅう)姿の秀吉画像は数少ない。
着用している甲冑(色々威二枚胴具足)の実物は、館蔵していますが展示はありませんでした。

下右:加藤清正画像、江戸時代後期
長烏帽子形兜、片鎌槍、虎皮の敷物など、清正らしい要素を多く描き込んであります。

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$ヤマカン103のブログ←徳川十六将図、江戸時代

徳川家康の家臣、16名(四天王・十二神将)の姿を描いたもの。
家康は神格化され、描かれていません。

名古屋まつりの前に、四天王・十二神将を見分けられると思いましたが、兜を着用していませんでしたので無理でした。


常設展示室はほとんどレプリカの展示ですが、秀吉・清正ファンには必見の記念館です。
特別展示室は撮影禁止ですが、常設展示室は申し出れば撮影可能のようです。これまでの画像はHPよりお借りしました


予習コーナー:小牧・長久手の戦い

1584年(天正12)、豊臣(当時は羽柴)秀吉と徳川家康が直接対決した、唯一の合戦です。この戦いは、織田信長の後継者を決める最終決戦として、重要な意味を持ちました。4月9日に、三河攻撃をめざす秀吉方別働隊を、家康勢が長久手付近で急襲し、これを壊滅させた戦いは非常に有名です。しかし、戦いは11月まで続き、全体としては秀吉の勝利に終わります。
 この戦いは、単に「信長の後継者争い」にとどまりませんでした。秀吉、家康とも全国の大名へ協力を呼びかけ、どちらの陣営につくか、判断を迫りました。全国の軍事勢力を2つのブロックに分けてしまうほどの、大きな影響力を持った、「天下分け目の戦い」でもありました。
 今回の展示では、小牧・長久手の戦いをめぐる情勢と、秀吉が天下統一を進めていく中で、どのような位置を占める事件だったかを紹介します。


特別展示室 展示品

長久手合戦図屏風 江戸時代中期 豊田市郷土資料館蔵(浦野家旧蔵) 豊田市指定文化財
写真は、徳川勢が山上の有利な地点に布陣し、秀吉方別働隊を攻撃するチャンスをうかがう部分。*10月23日(火曜日)から11月11日(日曜日)展示。名古屋初公開です

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私が見たのは、10月6日から21日展示の、小牧長久手合戦図屏風(副本)江戸時代後期(犬山城白帝文庫蔵)でした


小牧御陣御進発之図 江戸時代中期 和歌山城整備企画課蔵(和歌山市立博物館寄託)
この戦いの経過を示す地図の中でも特に大きく、絵や文字の情報が豊富な地図。
下左;小牧山城、犬山城、小幡城付近の部分  下右:長久手布陣図 名古屋初公開です

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大阪城天守閣蔵の資料をはじめ、小牧・長久手の戦いの多くの資料が展示されています。
11月11日までの開催です、A4・8ページのパンフレットも貰えます。合戦図はパンフレットからお借りしました