歴史好きが教える歴史の視点・歩き方

歴史発見!!その時歴は繋がった!!歴史好きの為の、また歴史を好きになり始めた、興味を持ち始めた人の為のブログです。歴史を好きになるキッカケから、もっと深いところ、もっとマイナーなところを知りたいという方の猫の手のようなブログです。

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こんにちは、 日本マイナー歴史研究専門家の 原 一六四(ひろし)です。

 

今回の歴史の疑問は「賤ケ岳の七本槍は実は七本じゃなかった?」という疑問についてです。

 

賤ケ岳の七本槍といえば有名な話ですが、七本槍は 福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、片桐且元、糟屋武則、平野長春である。賤ケ岳の戦いは羽柴秀吉と柴田勝家の戦いですが、秀吉子飼いの武将たちが活躍した戦いですが、実は先にあげた七人の他に活躍した人物が、もう二人いました。

 

それは石河兵助と桜井佐吉という武将です。福島達と同じ秀吉の子飼いの武将だったと言われています。石河は賤ケ岳で討ち死に、櫻井は賤ケ岳の後に病死したと言われています。

 

本当は七本槍ではなくて九本槍だったんですね。

 

 

今回の疑問はいかがでしたか?次回も様々な疑問にお答えしますので、楽しみにしていてください。

 

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こんにちは、 日本マイナー歴史研究専門家の 原 一六四(ひろし)です。

 

今回の歴史の疑問は、「徳川家康が松平から徳川に苗字を変えた訳」についてです。

 

 

これも諸説あるわけですが、そもそも松平というのは三河の国(現在の愛知県岡崎市)の豪族なのです。なので源氏でも平氏でも無いんですね。家康が天下を狙っていたかは分かりませんが、源氏でも平氏でもなければ将軍になれないどころか任官も出来ません。

 

 

そこで、家康は三河を手に入れた際、三河守(みかわのかみ)になるために、源氏で新田義貞の末裔とされる徳川という苗字に変えたと言われています。まあ、そういう家系をデッチあげたんですね。

 

しかし、勝手に苗字を変えたという訳にはいかず、朝廷に認めてもらわなければいけません。そこで家康は時の関白の近衛前久(このえさきひさ)にお願いして官位と改名を認めてもらっています。

 

 

これで、家康は源氏の仲間入りで、この後の将軍になる事にあたってスムーズに進んだ事は確かですね。もしかしたら、家康は将軍になる事もあるのかと頭のどこかで考えていたかもしれませんね。

 

 

ちなみに、家康は将軍になる際に、新田から足利系の家系に書き換えたと言われています。

 

今回の歴史の疑問はいかがでしたか?次回も、ちょっと面白い歴史の疑問に答えますので楽しみにしていてください。

 

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こんにちは、日本マイナー歴史研究専門家の 原 一六四(ひろし)です。

 

今回の疑問は、楽市楽座についてです。楽市楽座というと織田信長が思いつきますが、実は、信長が最初ではありません。

 

そもそも、楽市楽座とは、今でいう商売に対する規制緩和だったんですね。それまでの商売は市場があり、そこに座という今でいう組合みたいのがあったんです。なので勝手に商売が出来ず、座に認められて市場で商売が出来、なおかつ座が大体の利益をもっていったという形でした。

 

信長は、それを全部自由にしたんですね。誰もが好きに商売して良いというようにしたんです。当然、今までの座の人達の反発はすごかったんでしょうね。ですが、誰もが自由に商売出来るのだから、どんどん商人が来たから信長は困らなかったんでしょう。さらに、多くの利益を座がとっていたものを、税という形で国に入ったので国も人も潤っていったので、経済成長は、すごかったでしょうね。

 

自分は、その他にも信長は色々な商人を入れて、情報収集に活用していたんじゃないかって見てますけどね。

 

さて、ではこの楽市楽座を最初に実践したのは、一体誰だったのか?それは、近江の国(今でいう滋賀県です。)の六角という武将だと言われています。また、愚将と言われる今川氏真も楽市楽座を奨励したと言われています。戦国武将って結構、経済に対して強かったんですね。じゃないと生き残っていけなっかたのかもしれないですね。

 

 

今回の疑問はスッキリしました?まだまだ疑問に答えていきますので、楽しみにしていてください。

 

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こんにちは、日本マイナー歴史研究専門家の 原 一六四(ひろし)です。

 

前回から始まりました、歴史の疑問に答えますですが、反響をいただき有難うございました。

 

今回の疑問は「戦国時代、一番落城した数が多い城ってあるの?」っていう疑問です。

 

戦国時代に一番落城した城 それは岐阜城です。

 

以外と思われるかもしれませんが、記録では六回落城しているそうです。織田信長も攻めあぐねた難攻不落のイメージがありますが、結構落城してますね。

 

でも、それだけこの城で戦があったという事なので、如何に重要拠点だったか分かりますね。

 

しかし何故、そんなに落城したのでしょう?それは岐阜城が立っていた稲葉山の山頂が狭く、多くの兵の配置が出来なかったという事が理由だったと言われています。

 

 

今回の疑問はスッキリしましたか?また次回、新たな疑問にお答えします。楽しみにしていてください。

 

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前回から始まりました、歴史の疑問に答えますですが、反響をいただき有難うございました。

 

今回の疑問は「戦国時代、一番落城した数が多い城ってあるの?」っていう疑問です。

 

戦国時代に一番落城した城 それは岐阜城です。

 

以外と思われるかもしれませんが、記録では六回落城しているそうです。織田信長も攻めあぐねた難攻不落のイメージがありますが、結構落城してますね。

 

でも、それだけこの城で戦があったという事なので、如何に重要拠点だったか分かりますね。

 

しかし何故、そんなに落城したのでしょう?それは岐阜城が立っていた稲葉山の山頂が狭く、多くの兵の配置が出来なかったという事が理由だったと言われています。

 

 

今回の疑問はスッキリしましたか?また次回、新たな疑問にお答えします。楽しみにしていてください。

 

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