大阪経済大学が開いている「北浜・実践経営塾」でこのほど、大阪・道修町で江戸時代から事業を営む老舗香料メーカー、塩野香料の塩野周作社長をゲスト講師にお招きし、「薬・香料と歩んだ210年の歴史」をテーマに講演していただきました。


 塩野香料の創業は1808年(文化5年)で、初代の塩野屋吉兵衛が大阪・道修町の薬種商で丁稚奉公から大番頭まで勤め上げた後にのれん分けを認められて商売を始めたのが起源です。
道修町は江戸時代から薬を扱う薬種問屋が集中する「薬の町」として知られ、現在でも武田薬品工業や田辺三菱製薬など多くの医薬品大手企業の本社やオフィスが並んでいます。 
ここで薬種商を始めた塩野屋吉兵衛は順調に商売を発展させ、明治になってからは創業者の孫の3代目吉兵衛は薬種商卸仲買商組合のトップである総取締役に就任(明治22年)、大阪製薬(後の大日本製薬、現在の大日本住友製薬)設立の発起人も務めるなど、道修町と業界の中心メンバーとして活躍しました。明治37年には道修薬学校(現・大阪薬科大学)創立にも携わっています。
ちなみに、3代目吉兵衛の弟・義三郎は明治11年に分家して薬種商を創業し、西洋の薬を扱って発展していきました。これが現在の塩野義製薬です。社名は、その塩野義三郎からとったもの、同社も本社も現在に至るまで道修町にあります。
話を本家の塩野屋吉兵衛商店に戻しますと、明治41年に香料の輸入販売を開始しました。これは当時、急速に西洋の薬が普及していたため、従来からの扱い品である和漢薬の伸びが鈍り始めていたことへの対応や身内同士の競合を避けることが狙いだったとみられます。ちょうどその頃、ヨーロッパでは普及品となっていた香水や香料などへの関心が日本でも高まっていたことに目をつけ、それを機に薬種商から香料輸入商への事業転換を図ったのでした。
当初は香料の輸入販売だけを手がけていましたが、やがて大正年間に香料の製造に進出、香料の国産化に成功して「扇印ブランド」で生産を開始。昭和4年(1929年)には塩野香料株式会社を設立しました。こうして今日の同社の形が出来上がりました。
第二次世界大戦が始まると「香料などはぜいたく品だ」といった風潮の中で、社名を塩野化工に改称して軍需工場となっていましたが、戦後に再び塩野香料へと改称して香料の製造販売を再開、現在に至っています。
香料は香水や化粧品だけでなく、洗剤、入浴剤、芳香剤などの日用品から、ジュースやコーヒー、アイスクリーム、カップラーメン、スナック菓子、冷凍食品などありとあらゆる加工食品に使われています。これらの製品に塩野香料という会社名を目にする機会はほとんどありませんが、ビール大手の4社と即席ラーメン大手の5社すべてに納入しているのをはじめ、顧客企業は飲料・食品メーカーや日用品メーカーなど約600社に及んでいます。私たちは毎日、知らず知らずのうちに同社の香料を嗅いでいると言ってもいいでしょう。
塩野社長は「香料はさわやかな気分にさせてくれたり、食品の味覚を向上させるなど日常生活のあらゆる場面で役立っている。商品の特徴づけをして付加価値を高める役割も大きい」と強調していました。塩野社長によると、香料はほとんどがオーダーメイドだそうです。同社では顧客からのリクエストを受けて、香りを作り出すプロフェッショナルである調香師が完成を活かしてさまざまな成分をもとに調香し、サンプルを提案。顧客が気に入るまで何度も繰り返して完成させていきます。全社員が入社後3カ月間は毎日、100のサンプルを嗅いでにおいを覚え、翌朝にテストをして、その中から適性のある社員を調香師として育成していくそうです。
こうした人の感性と経験をもとになしながら、同時に長年にわたって培ってきた技術開発力をフルに発揮して事業を展開しているわけです。最近の研究では、香りが脳細胞を活性化させ認知症の予防にも役立つことがわかってきたそうです。こうした面も含め、今後は香りに対するニーズはより強まり多様化していく時代を迎えています。香りビジネスの役割はますます高まることでしょう。