昭和31年度(1956年度)の「経済白書」は、あの「もはや戦後ではない」という有名なフレーズで戦後復興が完了したと宣言しました。これは、生産や消費、設備投資など主な経済指標の数値が白書刊行の前年までに戦前のピークを上回ったことを根拠にしており、「回復を通じての成長は終わった」と述べています。
 同時に、同白書は「今後の成長は近代化によって支えられる。日本の新しい国造りに出発する」とも宣言しました。その宣言どおり、昭和30年代から40年代半ばまで高度成長を達成しました。
 日本経済はすでに昭和29年12月から「神武景気」と名付けられた空前の好景気に沸いており、これが事実上の高度経済成長の始まりとなりました。その後、「岩戸景気」、「オリンピック景気」と続き、昭和40年11月から始まった「いざなぎ景気」は45年7月までの57カ月に及び、当時としては戦後最長の景気拡大となりました。

昭和29年(1954)12月~32年6月  31カ月   神武景気
昭和32年(1957)7月~33年6月  12カ月   なべ底不況
昭和33年(1958)7月~36年12月   42カ月   岩戸景気
昭和37年(1962)1月~37年10月   10カ月  
昭和37年(1962)11月~39年10月  24カ月   オリンピック景気
昭和39年(1964)11月~40年10月  12カ月   40年不況
昭和40年(1965)11月~45年7月   57カ月   いざなぎ景気

 上記の赤字が景気拡大期です。各景気拡大期の間には景気後退期(不況)を挟んでいますが、いずれも短期間ですぐに景気回復が始まり、高度成長の基調は崩れることなく持続していきました。

この戦後復興から高度成長期の経済発展を牽引したのは、主に鉄鋼と造船でした。
 鉄鋼業は終戦直後、政府の傾斜生産方式によって生産を急速に回復していきましたが、昭和30年前後からは各社がストリップミルという最新鋭の鉄鋼製造設備を導入し、設備の近代化投資と技術革新が活発化しました。
 30年代から40年代にかけては各社は相次いで新たな製鉄所建設や高炉の新設・増設に動きました。同時に連続鋳造設備を導入し、一段と生産性をアップさせます。こうした鉄鋼業の発展が、造船、機械、造船、建設などを発展させ、それがまた鉄鋼需要を増大させるという構図が生まれ、「投資が投資を呼ぶ」と言われる状況となりました。当時、鉄鋼が「産業の米」と呼ばれた所以です。

 北九州市八幡東区の八幡製鉄所跡を訪ねると、そうした鉄鋼業の歴史の一端を見ることが出来ます。
 八幡製鉄所は明治時代に官営八幡製鉄所として設立されて以来、日本の鉄鋼業の代表的な存在でした。昭和初期に民間会社の日本製鉄の八幡製鉄所となり、終戦後はGHQの命令による会社分割を経て、分割された相方の富士製鉄と合併した新日本製鉄(昭和45年発足)の主力製鉄所へと変遷を遂げてきました。
 その中で常に中心となってきたのが、東田地区の高炉でした(東田高炉)。すでに昭和47年に操業が休止されましたが、その跡が保存されており、見学することが出来ます。

 高炉跡の上部には操業を開始した年の「1901」(明治34年)のプレートが付けられています(2015年撮影、以下同)




 高炉跡の内部

高炉が稼働してした頃の様子を再現する展示もあります。


隣接地には、創業期に建てられた旧本事務所が現存しており、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つとして世界遺産に登録されています。普段は内部は非公開ですが、外観を見ることが出来ます。(旧八幡製鉄所にはこのほか4つの施設が同世界遺産に登録されています)

一方、造船は太平洋戦争で壊滅的な打撃を受けましたが、戦後は急速な復興を遂げました。早くも昭和30年度の受注量が世界トップに躍り出て、輸出立国ニッポンを代表する産業となりました。
その造船業の中でも長年トップに立っていたのが、三菱重工業長崎造船所です。同造船所は昭和31年と32年には単一造船所の進水量で世界一となり、さらに40年からは12年連続で進水量世界一を記録し続けました。まさに戦後復興と高度経済成長を象徴する存在となったのでした。

近年の造船業は韓国や中国などの躍進によって日本の受注が減少しており、長崎造船所は現在では原動機や宇宙機器などの生産が中心となっています。ただそんな中でも、船舶用機器、艦艇、水中艦載機器などではやはり長崎造船所が強みを持っています。

(2017年撮影、以下同)
 同造船所は、対岸にあるグラバー園の高台からの眺望が見事です。また同造船所には、明治時代に建造されたジャイアント・カンチレバークレーンが100年以上も経った現在も使われています。高度成長時代は休む間もないフル操業が続いていました。

ジャイアント・カンチレバークレーンの完成は明治42年(1909)。高さ約60メートル、アームの長さ約73メートルで、150トンの重量物を吊り上げることが出来るそうです。こんな巨大なクレーンが100年以上も働き続けているなんで驚きです。「明治日本の産業革命遺産」の一つとして世界遺産に登録されています。

同造船所内には、このほか2つの施設が世界遺産に登録されています。その一つ、旧木型場(鋳物製造のための木型を製作していた工場の跡)は現在、「史料館」として一般に公開されており、長崎造船所の発展の足取りを見ることが出来ます。


戦後復興から高度成長期の日本経済の動きについては拙著『経済で読み解く昭和史』(PHP新書)で詳しく書きましたので、こちらをご参照ください。