『マイナビニュース』に掲載~デジタル改革と行政改革が日本経済再生のカギ
 菅義偉内閣の発足をうけて、『マイナビニュース』の連載「コロナ禍に打ち克つためにできること」の第9回「菅内閣始動!デジタル改革と行政改革で危機突破めざす」を掲載しました。
 https://news.mynavi.jp/article/covid-19-9/

 菅首相はアベノミクスの継承を掲げてコロナ対策と経済再生の両立を目指すとしていますが、新内閣では平井卓也デジタル改革相と河野太郎行革相が早くもフル回転で動き出しました。安倍政権の政策を継承しつつ、それに新政権として独自色を加えたと言えます。
 デジタル改革と行政改革は、菅首相が言うようにコロナ禍によってその必要性が浮き彫りになりました。これは多くの人が強く感じているところですので、幅広い国民からの支持も期待できるでしょう。

 と同時に、デジタル改革と行政改革の二つは、アフターコロナを見据えた中長期的な観点から重要なテーマでもあることを強調しておきたいと思います。日本経済がアフターコロナに対応して構造改革を成し遂げて復活・再生していくためにどうしても必要な課題なのです。
 アベノミクスについてメディアでは批判や否定的な論調が多くありますが、アベノミクスによって景気が回復してきたことは紛れもない事実です。あれだけ長年にわたってどん底状態だった日本経済が、バブル崩壊後で初めて上向きの軌道に乗ったこと、海外で日本が高く評価され、日本の国際競争力も回復し始めたことなどが過小評価されていると思います。
 ただそれでも道半ばだったというのが現実で、積み残した課題も少なくありません。デジタル改革や行政改革が、まさにその代表的なものです。ですから、菅首相がこの二つにまず取り組むということは、アベノミクスの継承であると同時に、強化することになるのです。

 しかしこれにはさまざまな抵抗があるでしょうし、そう簡単に成し遂げられることではないでしょう。菅首相や平井、河野両大臣の突破力に期待したいところです。その成否が日本経済再生のカギを握っていると言っても差し支えないでしょう。

飢饉と経済危機を乗り越えた上杉鷹山~元祖「自助・共助・公助」
 「マイナビニュース」の記事では、こうしたことを詳しく論じていますが、記事ではもう一つ、菅首相が語った「自助・共助・公助」についても書きました。
この言葉の元祖は、江戸時代屈指の名君と言われる米沢藩主・上杉鷹山(1751~1822)の自助・互助・扶助」という「三助の思想」です。呼び方は少し違いますが、考え方は同じです。
 当時、米沢藩では天候不順と不作が続いて飢饉が続き、農村は疲弊していました。これは全国的に起きていたことですが、特に米沢藩では年貢収入が減る一方で歳出が膨らみ、藩は倒産状態でした。飢饉と財政破綻という二重の危機に直面していたのです。今日のコロナ禍と経済悪化という事態と重なって見えます。
 このような時に藩主に就任した鷹山はまず財政改革に乗り出しました。徹底した倹約と藩政改革、現在になぞらえれば「聖域なき歳出削減」を断行するとともに、新田開発や地場産業振興などによって藩収入増加を図りました。これは民間経済の活性化、成長戦略に例えることができます。
 ところが、そこに江戸時代最大の飢饉が日本列島を襲いました。「天明の大飢饉」です。全国で約100万人が亡くなったといわれ、東北ではほとんどの藩で死者が数万~10万人に達し、人口の半分が亡くなった藩もありました。飢えによって体が弱るため疫病も流行し、死者増加に拍車をかけました。
 しかし米沢藩では何と、飢饉による死者はゼロだったそうです。鷹山が過去の飢饉の経験をもとに、あらかじめ藩内に多数の米蔵を建設して米を備蓄していたのです。危機管理に手を打っていたわけです。
 そのうえで「三助の思想」に基づき、「自助」として農民に米以外の栽培を奨励したほか、各家庭の生垣に食用植物を植えさせ、食用植物の保存法や調理法をひらがなで書いた小冊子を作成し配布しました。
 「互助」では村ごとに5人組や10人組を組織して近隣で助け合う体制を作り、「扶助」として全戸に米を緊急支給しました。
 鷹山はこれらの政策を実行するにあたって、藩士だけでなく農民や町人など身分の区別なく意見を広く求め、藩士にも新田開墾などに従事させました。当時としては常識はずれの行政改革・規制改革です。

抵抗を乗り越えブレずに改革を継続~餓死者ゼロ、経済再建も果たす
 しかし改革が順調に進んだわけではありません。上杉家には偉大な先祖・謙信公以来代々つかえている譜代の重臣が多く、彼らは従来から認められてきた特権や前例を重んじ、ことあるごとに鷹山の改革に抵抗していました。まるで、菅首相が指摘した「縦割り、既得権益、悪しき前例主義」です。そのため改革は困難に直面することもありましたが、鷹山はブレない姿勢で改革を貫きました。
 その結果、天明の大飢饉では餓死者をゼロにすることができ、財政再建も果たしました。藩内の経済も活性化し、人口は増加に転じました。鷹山が奨励した織物や錦鯉養殖などは、昭和に至るまで米沢の地場産業として長く発展しました。このように上杉鷹山は、現在の私たちに危機乗り切りの教訓とヒントを残してくれていると言っていいでしょう。

 菅首相の「自助・共助・公助」に対し、「自助というのは政治の責任を個人に押し付けるものだ」との批判が一部で出ています。しかし、コロナ感染防止においても経済社会活動においても、個人が自ら努力することは当然のことですし、地域や職場、仲間などで協力し合うことなくしてコロナ禍の克服も経済再生も実現しません。これに公助が加わって3助が一体となって困難を乗り切ることができるのです。それは、鷹山の業績を見れば明らかです。

 鷹山が残した、もう一つ有名な言葉を紹介したいと思います。
 「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」