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ホーチミンシティにいます ー タビハツヅク ー

アラフィフ独身リーマン
30過ぎに地元の愛知(三河地方)から転勤して関東の半都会生活が10年間ほど、今のベトナムは三ヶ国目で海外生活が10年以上になっています
大沢たかおが沢木耕太郎の『深夜特急』の世界観をリーマン人生でも実現したい男の日々を書き綴ります

 日系企業なら人の入れ替わる時期となり、帰任、異動…退職の連絡や挨拶が増えています。

 

 勤務先から年末か年明けに内示、単身者なら1月末テト連休に一時帰国をして日本の生活の準備ですね。

 

 家族で赴任している人は、子供の学校などでも帰国前日まで慌ただしい日々になると思います。

 

 

 さて、自分はベトナム生活8、9年となり、以前から言っているように長いことにいい事はほとんどありません。

 

 長くなると現地化し、場合によっては思考までもが毒され、日本人として日本的働き方の意味や価値がなくなります。

 

 余談ですが、来ベトナム回数や滞在年数を話し出せば、それしかない人なんだと見透かされます。

 

 外国人が働くことは基本的に現地の人ができないことをやること、それもあって労働には許可が必要です。

 

 

 帰任したくない、その理由が「また日本のあの環境で働きたくない」な人は少なくありません。

 

 でも帰任は辞令、本人に少しでも納得させるために自分がよく言うことがあります。

 

 「日本の会社を辞めて、こっち採用でこっちの給料と福利厚生で働くことを考えてみたら?」

 

 ほとんどの人は「それは嫌、それだったら日本に帰る」と言い、自分は「そう言うことだよね」となだめるように言います☆

 ドイツ通いから赴任になって経験したベルリン生活、日常で最も感じていたことは"いずれ日本はこうなる"でした。

 

 世界一の倹約家やケチとも言われるドイツ人、彼らの日常を見れたことは10年以上経った今でも勉強になっています。

 

 

 自分がはじめてドイツへ行ったのは25年ほど前、その初ドイツで見た街や人々に驚いたことを今でも鮮明に覚えています。

 

 それは「これが経済大国の首都の人々の暮らしぶりなのか」であり、豊かさや発展を感じることはありませんでした。

 

 

 当時はドイツ企業で働いていたので同僚達の働き方、それからドイツ人の移民や外国人との接し方も知ることができました。

 

 また人間関係も含めて彼らの物事との向き合い方がわかり、そこからも"いずれ日本だってこうなる"と予感していました。

 

 

 例えば持ち物、学生時代に買ったバックパックなら普通に10年は使っているし、実際に職場の人達もそんな感じでした。

 

 ドイツ人がお皿に残ったソースをパンで拭いて食べるのは有名なこと、彼らはラーメンなどスープを残す食べ方は理解できないと思います。

 


 

 そんなドイツ人達から感じたことは質素や清貧と言うより、できるだけ品よく見せる倹約術でした。

 

 いずれ日本もそうなる…それこそがこれからの自分の人生のヒントでしょう☆

 

 子供の頃の土曜日の昼食と言えばインスタントラーメン、ま、今でもそうですが。

 

 出前一丁、ちびろく、ボロ一(塩)ばかり食べていた思い出ですが、大人になってからはチャルメラが多くなっています。

 

 出前一丁、チャルメラ、サッポロ一番は完成された味、どれも美味すぎです。

 

 

 自分は古い人間のせいか、インスタントラーメンらしいインスタントラーメンが好きです。

 

 その"らしさ"、インスタントラーメンが生麺やお店の味を目指すのは好きになれません。

 

 インスタントラーメンにお店の味、お店のラーメンからインスタントの味を感じるのは嫌ですね。

 


 

 食品に限らず工業製品だって良さを本質的により活かす設計や思想、そして改良であってほしいです☆

 おとといの昼に食べたあれかなぁ…この体調の感じは食あたりのはずです。
 
 自分は年2,3回は食あたりになり慣れたものですが、できれば食あたりになりたくありません。
 
 よく「食あたりになれば免疫ができる」と言われますが、それはないように思います。
 

 

 さて、おとといの夕方から食あたりで動けないようになって今朝まで約36時間寝込んでいました。

 

 いくつかの常備薬を飲んだところ、正露丸など食あたり系よりこの薬+バファリンがよく効きました。

 

 

 寝込んで24時間くらいして少し動けるようになり、酸っぱい果物が食べたくなってサボンを買いました。

 

 爽やかな酸味が体に染み渡るように美味しく、それからカレーメシを食べたら再び体調悪化で寝込みました。

 


 

 今朝になって体調は7,8割回復し、水分と体に負担が低いものを食べてから職場復帰しました☆

 住宅価格の上昇や上がらない収入などで最近はマイホームを諦める人が増えているとニュースでありました。

 

 でも住む場所は必要、そのため賃貸住宅の需要が高まって家賃相場が上がっているそうです。

 

 

 さて、自分がもっと年を取って体が思うように動かなくなってきたら…と考えるようになっています。

 

 それは終の住処でしょうか、小さな土地に1DKの小屋のような家が理想てす。

 

 

 50代からはじめる住宅ローンを完済できるのか?

 

 例えば70過ぎまでローンがあるのは返済の計画性がないのか?と自分は思いません。

 

 「ローンは死ねばチャラ」があるそうで、こんな自分でも適用されるのでしょうか。

 


 

 住宅ローン返済計画は、可能な限り長い期間で少額が賢い選択でしょうね☆

 

 カンザー&ブンタウの自転車旅2日間で150キロほどを走って帰宅しました。

 

 翌日は体、特に足の調子が上がっていて、その勢いでホーチミンシティ内を50キロほど走りました。

 

 

 距離が少ない分は負荷を高めようとタイヤ空気圧を低めで3つの橋を渡りました。

 

 橋の登りでは脈拍数※200近くになり自転車を降りて歩きました。

※ 220-年齢=最大脈拍数(目安)

 

 

 太もも内側とふくらはぎが筋肉痛?でバキバキなので、フットマッサージで体メンテです。

 

 その後にバキバキは緩和し、ビタミン剤の効果もあって違和感なく普通に歩けるまで回復しました。

 


 

 自転車ハマり期に再突入、今週末も走りたくてどこへ行こうか考えるだけで楽しいです☆

 

 何か挑戦的なことをし終えた時の気持ちに変化があります。

 

 以前の自分は主に高揚感や達成感でしたが、ここ4、5年は安心感や安堵感を感じます。

 

 今年53になる自分は何か運動をしても体力UPより衰えた分を補填する体力維持が現実ですね。

 

 

 たまたま車や機内から見かけた場所、そこへ行ってみよう!そんな好奇心や探究心から自転車に乗っています。

 

 苦しい思いをしますが、体力、そして心も自分の限界がわかっていればその苦しみは限定的です。

 

 好奇心こそが自分にとって全ての原動力です。

 


 

 体を鍛えることは結局は心を鍛えること、ストレス耐性だって高められることを再認識しています☆

 

 2日目の朝、久しぶりのテント泊は楽しかったですが、6時過ぎに寒さで目が覚めました。

 

 今日走る距離は50キロほど、体力、時間的にも余裕があるので近くの市場へ行って朝ごはんを食べましょう。

 

 

 海はいいですね、東南アジアにいれば日本のような冬の寒い海がないので海辺は快適です。

 

 引退したら海から近い場所か島で一度生活をしてみたいです。

 

 

 カンザーからフェリーでブンタウに到着、テト休み期間中のせいか乗客が少なかったです。

 

 ホーチミンからブンタウへは高速船かバスで行くのが一般的ですが、カンザー経由で行くのもおもしろいですね。

 

 

 楽しみにしていた佐渡のお寿司屋さんのブンタウ店で昼ごはん、ちらし寿司ランチセットを食べました。

 

 店名がそのお寿司屋さんでない…経営者が変わったのかな?ま、美味しかったので良しとしましょう。

 

 

 昼食後に走り出したらパンク、5、600メートル先に自転車屋さんがありましたが開いてませんでした。

 

 広い歩道の木陰でチューブ交換、やっぱりお願いするより自分でやったほうが早い&安心です。

 

 

 ブンタウからホーチミンシティの自宅アパートへ帰りましょう。

 

 高速船に乗って約2時間で1区バクダン公園に到着し、自転車は100,000ドンで運んでくれます。

 

 

 1泊2日の自転車旅、トータル130キロを無事に走り、心地いい疲れと帰宅しました。

 


 

 あの先に何があるのか?あの道を走りたい!次回も楽しみになったテト自転車旅でした☆

 

 

 一時帰国からベトナムに戻り、テト休み後半はどうしようか。

 

 ベトナム国内は飛行機、寝台特急もほぼ空席なし、隣国への航空券価格は高止まりしています。

 

 こんな時は自転車旅、カンザー&ブンタウへ1泊2日で走りましょう。

 

 

 さて、1日目の目的地のカンザーまでは約60キロ、自宅からひたすら南下します。

 

 一本道の舗装路で走りやすいですが、海から弱い向かい風と単調な景色が30キロ近く続いて地味に苦しいです。

 

 

 カンザーに到着、途中で苦しいが辛いになりそうな往路で体力が落ちたかな。

 

 カンザーはリゾートやビーチな雰囲気はなく海辺の町、あちこちにグランピング施設がありました。

 

 

 グーグルマップで見る限り、ここがホーチミンシティ最南端のようで夕焼けの時間に間に合いました。

 

 カンザーはホーチミンシティ市街地から50キロ以上も離れていますがホーチミンシティです。

 

 

 今夜はグランピング施設に宿泊、久しぶりのテント泊でわくわくします。

 

 比較的暑くないこの時期でもテント内は扇風機だけでは少し蒸し暑い…暑い時期はサウナ状態ですね。

 

 

 近くでやっているBBQの煙がテントに直撃して煙臭い、自分の晩ごはんはテント前でカップ麺を食べました。

 

 9時過ぎから爆音のカラオケ大会が11時過ぎまであり、それが終わってようやく寝れました。

 


 

 明日はフェリーでブンタウへ向かいます☆

 

 平日午前中の市役所、どこの窓口も比較的空いていて自分の心配ごとの確認と相談をしました。

 

 空き家の実家、全く手入れをしていない山、公営住宅の入居条件、後遺症や終活支援などを。

 

 毎回思いますが、各窓口で対応してくれる人は親身になって相談に乗ってくれます。

 

 

 年金事務所も同じ、窓口で丁寧に問い合わせに対して印刷物や資料と一緒に説明をしてくれました。

 

 事務所内にはいろんなポスターやチラシがあり、なるほど!で有益な情報がいくつもありました。

 

 

 「国は教えてくれない」や「年金事務所は教えてくれない」とかネットでよく見かける言葉に疑問です。

 

 市役所や年金事務所でポスターを見るだけでも困った時やより良い生活をするヒントや支援があります。

 

 学ぼうとする姿勢があれば、まずはネット情報は不要で有料サブスクなんて知ってるつもりです。

 


 

 次回は人生初のハローワークへ行って5、60代の就職の現実、できれば何か講習を受けたいです☆