2024年11月30日

延川和治


サードキャリアへの踏み出しは、今までのファースト、セカンドキャリアのその時とは
大きく違うという理解と意識が必要なのではないでしょうか?

ご自身は、これから何を求めて、サードキャリアを展開されますか?

もし世の中の為になることをやりたいと思われるとき、そもそもその対象となる現実の「世の中」をしっかりと把握されておられますか?
ご自身が理解されている「世の中」が現実と違っていることはありませんか?
現在の、そしてこれからの「世の中」を理解する接点は、以前より広くされていますか? 

理解しようとするエネルギーが、以前より少なくなっていることはありませんか?
たとえ思いと違う「世の中」でも、思われていることを実現できますか?

セカンドキャリアの分野の延長のサードキャリアを進まれようとする場合、このギャップは少ないかも知れません。
しからば、この方向でサードキャリアを考えますか?

もしこれからのサードキャリアは、今までと違い、自分の満足を得ることをやるキャリアとしたいと思われるとき、それを成し遂げる時間と体力と経済力に確信・自信がありますか?
いまでも日々体力の衰え、対応のスピードが遅くなっていることに、気がついておられるのではないでしょうか? これから更に衰え、遅くなっていっても、大丈夫ですか?
「面倒だから明日にしよう」の毎日になりませんか?

実績を積み上げてこられた今までと違い、年齢を重ねられているご自身に対して、ご自身を見る目、理解する態度が以前とは違う「今」の世の中で、ご自身は何を求めるサードキャリアとされますか?
世の中・周囲の方々の笑顔ですか? 
ご自身の満足感ですか?
それとも日々毎日の充実感ですか?

ご家族も含めた健康状態やご自身の体力への心配、記憶力・処理力やそのスピードの衰え、そして経済力の変化など、御自分をとりまくサードキャリア遂行環境は、ファースト、セカンドのそれらとは大きく異なるのではないでしょうか。

ここまでいろいろな経験もされ、いろいろな結果を残され、ご自身に自信を持っておられる皆様と存じますが、このいままでとは違う感覚に基づき、これからの御自身が何をサードキャリアに求められるのかを決められ、そのサードキャリアに挑戦されようとされることが、必要になっているのではないかと思います。

これからの日々の充実に、是非ご自身で、今までと違う自己や環境を理解され、求めるものに向かい、サードキャリアをお進みになられることを、期待させて頂きたく思います。


                                                     以上
 

サードキャリアのチャレンジは安全運転で

2024年11月30日 大圖健弘

 

 サードキャリアの世界に突入する場合においても、色々な目標や超えなければならない壁が存在することは、セカンドキャリアを歩んだりそもそも最初のキャリアを踏み出したりする場合と同様で新しい課題にチャレンジする必要がある。ビジネスで新しい分野に進出する場合もあるし、今までのキャリアを生かして、少し異なる分野での活躍を夢見ることもある。又、ビジネスの分野ではなく趣味の分野やボランティア活動等にその活躍の機会を見出す人も少なからずいらっしゃる。こうしたサードキャリアでの活躍を考えた場合に気を付けることは何であろうか。

 そもそも人生の中でサードキャリアを歩みだす段階がどのような段階であるかを考えた場合、長い人生の中では少なくともその後半部分に差し掛かった段階がサードキャリアを意識し、新しいキャリアにチャレンジする段階ではないかと思う。確かに、それまでのキャリアがずっと不遇であり、そういった意味で早いうちにセカンドキャリアでなくサードキャリアと選択される方もいらっしゃるかもしれない。こうした人にとって見ると、サードキャリアはまだまだキャリアの最初の方ということがあるかもしれないが、こうした人はむしろ少数派であって、多くの人はそれまでのキャリアである程度実績を上げ、更に高みを目指したり、これまでできなかったことにようやくチャレンジしたりといった形でのサードキャリアを目指されるのではないかと思う。

 こうしたサードキャリアを目指す場合、そのキャリア形成にあたってはいくつかの制約条件がある。1つは、先ほど述べたように人生の後半部分にあたっているために、年齢的な制約が大きくなっていることである。何か張り切ってやろうと思ってもなかなか体力的に難しくなったり、気持ちだけが先に進んで、体がついていかなかったりすることは経験される方も多いと思う。2つ目はそれまで積み上げた財産や、地位など一定の成果を上げているのにそれを台無しにするリスクは冒せないという制約である。若い時分であれば(あるいは人生の先が長い状況であれば)こうしたリスクがあって、失敗をした場合においても、ある程度時間をかけて修復し、盛り返すことができるかもしれないが、サードキャリアを選択する年代では失敗すると取り返すことができない事態になる危険がある。3つ目は何かとしがらみが多くなっていることがある。勿論、天涯孤独の身であれば何も問題がないが、例えば係累があったり、友人や知り合いがあったりということがあれば、何等かの失敗をすることで関係する人たちに、迷惑をかけることは大きなリスクとしてのしかかってくる。

 こうした制約条件が人生の中にあるということを前提にサードキャリアとして新しいフロンティアにチャレンジすることが、サードキャリアに存在する難しい課題であることを自覚することが重要になると筆者は考える。それと共に、チャレンジして得た成果についても、世の中で目をそばだてるようなものではない可能性もある。「今までだったらもっと社会に貢献できていたのに。」とか、「もっと社会に認められるものを」とかという成果となってしまう可能性も高いものと考えられる。そうした中でも、チャレンジすることで「自分として何かできた」「何か新しい経験を積むことができた」という満足は何かしら得られること思う。そうしたささやかな満足を得られることがサードキャリアの醍醐味なのかもしれない。

これまでと違ってサードキャリアのチャレンジは安全運転を心掛け、その中で自身が満足する目標設定を心掛けて踏み出していきたいものである。

 

                                 以  上

2024年11月2日
延川和治


文部科学省の統計によれば、40 歳代後半からは,男女ともに著しく体力水準が低下する傾向を示し,65 歳から79歳でも,男女とも加齢に伴いほぼ直線的に低下する傾向を示しているとのこと、御自分の感覚のなかにも、体力の衰えを感じながらも、40歳代以降も頑張り続け、65歳を経てガクッと足腰の弱さを始め、体力が急激に落ちた感覚をもちながらも、更に頑張っておられる方も多くいらっしゃると思います。

この体力が衰えていくことには逆らわず、これを受入ながら、ご自身のやり甲斐、経済的な面、孤独感の一掃、または健康のためにと、サードキャリアを頑張っておられる方も多いことと思います。 素晴らしいと思います。

一方、この頑張っておられるサードキャリアの方々を、苦しい状況に落ち込ませてしまうのが、ご家族、奥様やご両親の健康問題、あるいは介護と思います。
これが発生してしまうと、目を背けることができない、逃げることができないと思います。
病状にもより、介護度合いにもよりますが、精神的、体力的、経済的にも負担が大きく、誠に大変と思います。

ご自宅で療養されるのか、入院されるのか、介護施設に入られるのか、ご本人のご希望もあると思います。 そのご希望が叶えられる病状なのか、ご希望に沿えないときその説得もあります。 また、先生や介護士に来て頂けるのか、介護施設はどこがいいのか、費用はどうなのか、いろいろ検討され、ベストを掴もうとすることになると思います。

入院・施設に入られたら入られたで、遠く家からの心配は大きく、あるいは付き添い、または面会時間の制限等での時間的制約も発生します。 

こちらも頑張って働いているだけではなくなってきます。
せっかくご自身のやりがいの為、収入のため、コミュニティ、健康のためにと思われて頑張っておられていることが、突然一気に遠のいてしまいます。

でも、これはもう「受け入れざるを得ない」しかないのではないでしょうか。
第三者に全てお任せすることは、やはりできないのではないでしょうか。

どれだけの時間や体力を療養・介護に費やすことになるのかも、判らないと思います。
病気や症状の進行具合も一定でなく、突然の変化があれこれ出てくると思われます。
けれど、ご自身のサードキャリアを全うされようと思われるのであれば、この状況を受入れ、一方ご自身のキャリアをギブアップはせず、当面は介護やケアに全力投球をされるも、その中にあっても、ご自身のキャリアを進められる範囲で進めるべく、働く場所、時間、内容など工夫されていくことが大事なのではないかと思いますがいかがでしょうか。

大きなご心痛のなかで、大変なことと思いますが。

 

 

 

以上

 

サードキャリア世代と家族の健康

 

2024年11月2日  大圖健弘

 サードキャリアを考える年になってくると、自分自身を取り巻く環境も今までと変わってくる。勿論自分自身もある程度の年齢になってくるし、家族もそれなりに年齢を重ねてくる感じになる。家族といっても、夫婦や子供たちだけではなく親が存命であればそれこそ、高年齢者であり、何らかの支援を自分が行っていかないとならないことも多くなってくる。

 このような中で、サードキャリアにこうした家族の健康がもたらす影響について少し考えてみたい。セカンドキャリアを過ごしている時期は多くの方は、自分の健康にも、家族の健康にもそんなに気にしないで過ごしてこられていると思う。健康ということが所与の条件のもとに自己が成長し、あるいは自己が望む目標に向かってある意味、不自由なく邁進し、成果を上げることができてきた。たとえ、家族が健康を崩すといっても、普通の場合は通院等で済むことが多く、日常活動の支障になることはそんなに多いことではない。しかし、サードキャリアを歩む時期になると、自分自身の健康にも陰りの見える人も出て来はじめ、それだけではなく家族の健康にも気を使わなければならない可能性も大きくなってくる。サードキャリアの世界はこうした制約条件の中で、個人が何を目指し、どのようにその条件と折り合ってキャリアを積んでいくかを考える世界であるかもしれない。

 この中で、自分の健康についてはまだしもそれぞれの個人が気を付け、あるいは鍛錬すること等によって管理することが可能で、また、損ねたからといって自分のことだから、という意識がある為、それが自身の行動内容に影響をもたらされても、さほど意識的な負担にならず、過ごしていけるかもしれない。事実、筆者も食事等の制限を受けているがそれがサードキャリアを積んでいく過程で大きな障害に感じることはない。しかし、家族の健康の問題となるとなかなか厄介である。勿論、家族の中のどの存在の健康かということや、その程度によっても随分違いがあるが、いずれにしても、まず、自分自身がコントロールできないということが大きな課題となる。家族が健康を損ねると、時間的にも、金銭的にも自身が管理できないところでの問題となり、行動が制約される可能性が高い。今まで何も気にしていなかったことが、急に重くのしかかってくるのである。筆者が所属している合唱のサークルでもメンバーに高齢者が多いため、配偶者が介護を必要としているためなかなか練習に参加できないといったことが、結構話題になり、それぞれのメンバーはそういったことに対処しながら活動している。勿論、配偶者ではなく親の面倒で、制約を受けるといったことも逃れにくい課題で、特に遠隔地の高齢の親を抱え、その面倒のために時間も金銭的な負担も大きく降りかかってくるということはよく耳にする問題である。

 私たちは、こうした問題がサードキャリアを歩んでいくときには避けて通れないものだということをなるべく早い時期から認識し、例えば、セカンドキャリアを選択する時においても、サードキャリアを歩むころはこうなっているということを考慮しながらその行動について考えていくことも必要なのではないだろうか。日頃、なかなか考慮されない事項であるが、一度立ち止まってこうしたことにも目を向けてみることも、人生100年世代に実りあるサードキャリアを過ごすために有用かもしれない。

 

 

                              以    上

親の健康、介護

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親の健康、介護

 

2024年10月31日 鈴木 友之

 

 家族の健康や介護の問題には、親だけでなく子供や兄弟についてもある。特に大変なのが子供の介護やケアが必要なケースがあげられる。一人で抱えるのでなく周りの支援、特に学校や地域、勤め先の理解を得てサポートを得ていくことが肝要だ。そのようないろいろな問題の中で、セカンドキャリア、サードキャリアになると、特に親の健康や介護、所謂老々介護の問題が大きく浮上する。

 

 実際、私自身も親の介護に直面したのはセカンドキャリアのころだった。母親は元気だったから日常的な介護は母親が見ていたが、それでもひとりではとても面倒を見切れないから、それまでのマンション住まいから同居に引っ越した。妻はフリーランスの日時を調整して手伝い、私も時に車いすでの散歩や通院などをした。もちろん、母親の介護疲れを軽減するために地域のデイサービスのお願いもした。父親が他界して介護の必要が無くなった時には、今度は母の介護が始まった。父と母の二人同時に介護が必要になったのでなくて随分と救われた。母は人の世話になりたくない気持ちが強かったから随分と一人で頑張っていた。しかし、女性に多いといわれる腰椎圧迫骨折をした後からは動くのも大変になり急速に衰えを感じるようになり、日々の食事の準備だけでなく入浴などのいろいろな動作も厳しくなり、急速に衰えて息を引き取った。

 

 一方の妻の両親は我々夫婦の住むところから飛行機か新幹線で5時間かけて訪ねるところに住んでいた。両親二人で生活していたもののサポートが必要になってからは、地域のケアサービスにお願いするようになった。私がサードキャリアに入ったころに、日常のすべての動作に二人ともサポートが必要になった。妻の妹と妻がひと月交代で同居してサポートをするようになった。夫である私と妻の妹の亭主も、それぞれに1週間くらいは実家に行って力仕事などを行った。そのような日々が数年経ったところで、妻の母は胃がんに罹っていたが、これが進行して入院してから間もなく他界した。そうなると父親一人となり、母親が担っていた食事の準備や入浴等を妻の妹と妻が交替で同居して行うことになった。しかし、とても母親がしていたようにはサポート出来ないと限界を感じて父親に相談。幸い、認知症はそれほどではなかったから、妹と妻の困難な状況に理解を示してくれて、我々が住む地域の老人ホームに転居することができ、老人ホームで最期を迎えた。

 

 ながながと私たちの両親の健康と介護の経緯をご紹介したが、幸いにも両親4人の介護が順番に発生したので、大きな波乱や困難もなく乗り越えることができた。もし二人以上が一度に発生したらと思うと、とても想像できない困難があったに違いない。地域の介護サービス等の基本は同じでも、個々の事情をよく説明して相談していく必要がある。自分の時にはそのような事態にならないよう、子供たちにも自分が親の介護をどのように工夫したか話して、自分が自律的な生活を目指しても、どうしても出来ないことに何があるか想定して、その時にどんなサポートして欲しいか整理して一緒に考えるよう始めている。

 

 これは、つとに言われている終活の始まりだろうと思う。その中には、大きく健康上の問題、特に介護が必要になった時にどのようにサポートをして欲しいのかといった問題から、延命治療といった問題への考えも整理して、配偶者は勿論、家族にも相談する形で伝えることが重要に思う。

 

 私自身は、その手始めに、まずはXデイの連絡先、手続き書類の保管状況といったことの整理から始めている。また、健康管理面から病気の現状とかかりつけ医のリストや、いろいろなネット会員登録のIDとパスワードなどのデータを、随時更新する様に一層心掛け始めた。

 皆さまは、どのようにお考えだろうか。

 

以上

2024年9月29日
延川和治


サードキャリアで、超えるのが大変難しい壁の一つに「周囲の目の変化」があると思います。自分は従前と変わりなく、あるいは、従前から積み上げてきた力を発揮し、あるいは発揮しているつもりでも、ある日突然に、周りの人から、従前とちがう自分が今ここにいることを教えられることがあると思います。

それまで良く慕ってくれていた周りの人が、自分を見る目が変ります。 年老いたね、無理する必要はないよ、身体壊すといけないから大事にしてね、とか。
確かに物忘れは日に日に多くなるようにも自分で感じ始めるし、話をしていても、名前が出てこない、適切な言葉がでてこない、他人の話を聞く集中力が続かない、など自分で自分が老いてきていることを感じてはいます。 でも、だから何、と思う自分がいると思います。

一方、「周囲の目」が気になる気持ちもなんとなく大きくなってくるのも、正直なところではないでしょうか。 自分もこの歳になり、まあもういいかと。 でも、なんとなくいまいち納得が。

体力、気力を出し切った、引退すると納得されておられるなら、それはそれでいいと思いますが、もやもやされている方には、「あなたの人生はあなたのもの」「人生は旅、他の人とどうのこうのではない」「自分はやれる」「自分の次のページを開くことができるのは自分しかいない」などの言葉はいかがでしょうか?

同年の人と話をして、その人が実にのびのびとその人なりのサードキャリアを進めていることを知ると、羨ましくもあり、それに対して自分はなんとも、と思い、落ち込むこともあるかと思います。
けど「あなたのサードキャリアを作るのは、あなたしかいない」、落ち込んでいるだけでは何も生まれない、また次への挑戦を再開してと気を取り直すのはいかがでしょうか?
他の誰のものでもない、ご自身のキャリアですので。

 

以上
 

自分が見る自分と周りが見る自分のギャップ

 

2024年9月28日 鈴木 友之

 

仕事に限らず、日常生活や外出する時などでも、若い時の様には行動出来ない。体調良いにもかかわらず変化を感じた第一の経験は、電車の乗り換えの所要時間の問題。外出する際に電車を利用する時は、「乗換案内」で乗り換え時間を調べる。以前は「普通に歩く」に設定して乗るべき電車を検索していた。すると、人込みの中や階段を徒歩で移動するような場合、乗るべき電車に間に合わないことがあった。2,3回失敗を繰り返して、気づいた。乗り換えの所要時間が以前と違って、ギリギリなのだ。その問題に気づいてからは、「ゆっくり歩く」に設定を切り替えて、余裕をもって乗り換えることができるようになった。

 

 仕事でも、以前は複数の仕事を並行してするのは当たり前だったが、今では、一つの仕事が一段落してから次の仕事へと順番に取り組まざるを得なくなった。作成する資料の仕上がりまでの時間に余裕を持たなくてはならない。並行処理が出来ないことに加えて、誤字脱字などのケアレスミスも多くなっているので、確認時間に余裕を持つ必要が前以上にある。ということは、仕上がり予想時間を伝える時に、余裕を持った時間を織り込むことが肝要になった。本人は大変申し訳なく思って伝えても、周りはそう理解していないようだ。「それで大丈夫ですか? もう少し余裕をもって良いですよ」などどいたわりの言葉が返ってくる。それではと、相手の言葉に甘えて余裕をたっぷり持つようにする。そうすると、今度は余裕がありすぎて、取り掛かりが遅くなる。まずは、コーヒーを飲んでからと一服したりする。結局、余裕のあまりない状況になるのは困ったものだ。ゆったり時間のリズムに体内時計も変えなければ。

 

 自分の仕事の終わり見込みを人と打ち合わせる時に、相手はどのようなことを根拠に時間に余裕を見てあげようと思うのだろうか。想像するのは、パソコンを使っているにもかかわらず誤字脱字が多くなったといったことだけでなく、もっと日常的な話し方や行動に変化を感じ取っているのではないだろうか。確かに電車に乗った時、突然に目の前で座っている若い人から「ドウゾ!」と席を譲られたことが何度かあった。妻に、その経験を話して「そんなに老けて見えるかなー?」と問うと、「そんなことはないわよ、まだまだ10歳は若く見える」と励ましの言葉と思しき返事がくる。「ハテ?」「そのような励ましの言葉自体が年取ってきたと見ていることの裏返しではなかろうか?」と疑心暗鬼になる。

 

 そこまで考えて気がついた。年寄りに見えるとか、席を譲られるのは不本意だ、などと思うことは、自身の気持ちはまだ若い証拠。そうだ、以前のペースで行動できなくても、少しでも行動スピードを維持しようという気持ちだけでなく、実際に無理のない運動や読書・趣味をして、体力と思考力を「それなりに」維持しよう。一方で、周りの目の変化を味方にして、余裕をもって行動して、体力・思考力のありたい気持ちと現実のギャップを少しでも埋めようと考えた。

 

 以上

キャリアチェンジと周囲の目

 

2024年9月27日 大圖健弘

 キャリアチェンジは本人の意思決定に基づくもので周囲の目を気にしながら行うものではないことは言うまでもないことである。この中で周囲の目について考えることにはどのような意味があるだろか。実は、キャリアチェンジをする度に当然のことながら自身の取り巻く環境は変わってくる。この中で周囲の目といっても、その周囲はそれぞれ違うメンバーであり、そういう意味では周囲の目(例えば周囲からの評価等も)もリフレッシュされる。周囲の目を意識する場合、こうした周囲の環境が変わることを認識しながら考えていく必要がある。又、これまで幾度か触れているように、サードキャリアの世界ではこれまでのキャリアと違って、個人の目標とするところも変わってくるし、その属する組織の目標も今までのように一様ではなく、所属するメンバーによって考え方が様々になってくる。この為、この世界では、評価基準もメンバーによってさまざまである可能性があるし、当然のことながら自分自身と異なっていることが多い。

こうした環境下において周囲の目について意識する必要は何であるかを考えてみたい。まず、組織に共通の目標がないわけであるから、目標に対して何か突き進んでいる姿勢を評価される必要性は少ない。勿論、短期的な目標(例えば、その組織がある時までに開催を予定しているイベントのような目標)を成功させるために積極的に参画することは、共通の目標がある為、重要なポイントである。しかし、それとても、これまでのキャリアの世界のように我武者羅に頑張っているところを評価される必要はないかもしれない。むしろ、周囲の足を引っ張らない程度に頑張り、メンバーと一緒にこの短期的な目標を達成できるように行動することが必要とされるようである。こうして考えるとこういった短期的な目票達成の場面においても、目標達成への積極的な姿勢より協調性やメンバーの和というものへの理解が重要になっている。これまでのキャリアの世界で、売り上げや利益、変革といった組織目標の設定とその達成に対するひたむきな姿が評価される周囲の目とは明らかに違う周囲の目がここに存在するように思う。

こうした周囲の目の中で、自分がうまくやっていくための行動とは何かを考えた場合、これまでのキャリアの場合以上に、組織のメンバーに目を向け、協力して組織を盛り上げていくことはないかと思う。これまでも、そうしてきたと考えてられる方も多くいらっしゃると思うが、これまでのキャリアの中では、組織に共通の目標があり、その達成のためという枠組みの中で、協調性を持って行動をされてきた方が多いと思う。しかし、サードキャリアの世界では組織の目標をして考えるものが、メンバーによって異なって認識されている。この中で、協力して組織を盛り上げるためには、各メンバーそれぞれに注意を払い協力的に行動していく必要がある。それと共に、自分自身も、このキャリアを選択してよかったと思えるよう、サードキャリアの世界を満足されるように行動することも重要となる。こうして、今までと違い多様性を重視し、幅広い観点で自分の行動を考えていくことが必要になるのではないだろうか。

 よく、若い頃「尖がって」いた社員が、年を取って違うキャリアに入ったのち、元の仲間から「随分丸くなった」とか、「人が変わった」とか言われることを耳にすること太がある。これは勿論、年を取って体力、気力その他の変化から性格的な変化がみられるということも多くあるのかもしれないが、今回述べたように、これまでと違うキャリアに入って、考え方が大きく変わることによる、行動の変化もあるのではないだろうか。

皆様も、是非、キャリアの変化による周囲の目の変化とそれに対応した、個人の行動の変革に就いて一度考えてみてはいかがだろうか。

 

                              以   上

 

 

 

サードキャリアでの地域の交流

 

2024年8月24日 鈴木 友之

 

 仕事以外も含めたライフキャリアと言う観点において、サードキャリアにはいると仕事の比重は減るとともに仕事関係の人々との交流も減り、相対的に地元で過ごす時間が増え、居住地域での活動と交流の機会が多くなると思う。私自身と知人の範囲で知る事例を4つ紹介して、セカンドキャリアまでとの違いを抽出してみたい。

 

 私事から始めると、偶さかの縁で町内会の組長を引き継ぐことになった。前任者が急逝されたためなので引き継ぎ無しで始まった。町内会長から町内会の目的と年間行事予定、組長の役割などの説明を受けて確認しながら仕事を始めた。仕事自体は難しいものではなく、時間的にもさほど取られることもなく順調に始められた。しかし、町内会の役員や組長との交流に戸惑った。実にいろいろな人がいる。男女、年齢は様々。自己紹介で言及はしないが生業とする職業や退職者の職業経験も様々と推察され、それぞれの価値観も大分違う様だ。それでも、皆でにこにこと浅い交流を続けている。そのようなメンバー構成の中で、町内会においては主に中年齢層の女性からの発言が多いことに気づく。内容も具体的な根拠を示しての納得感のある説明。それだけ日常的な町内の課題に目が行き届いている証拠と思う。結果、ファースト及びセカンドキャリア時代は、平日朝に出勤して夜遅くに帰宅する生活からは知りえなかった地元を改めてみる視点を数多く戴いている。それをどう組長としての活動に生かせるか、更には自分のライフスタイルに繋がるか分からないが、組長を続けていこうと思う。

 

 音楽を趣味にしている知人の事例。彼は音楽の趣味はエレクトーン演奏だった。定年後の活動として、それまで歌ったことはなかったが、地元のコーラス団体に参加してみた。メンバーがみな高齢者というだけでなく、多くが歌の初心者ばかりで気後れすることなく参加できた。持ち前の人懐っこさもあり、いろいろと教えを請い行動し、気づいたらグループに溶け込んでいて、数年後にはメンバー最年少にも拘らず団長に推薦されて、現在に至っている。

 

 市民農園で野菜作りを始めた知人。ゴルフが趣味で毎週のようにゴルフに出かけていたが、それだけではと市民農園を借りて野菜作りに挑戦した。野菜作りには中々の難しさがあり、同じ市民農園を利用する周りの人たちに教えてもらいながら一歩一歩学んでいった。野菜作りは毎日の面倒見が大切で、気づいたらゴルフからは遠のき、毎朝早く市民農園に行く日々。野菜の世話をした後は、野菜作りを話題に周りの人たちとのお茶する仲間に入っていた。今ではゴルフ会員権も手放して野菜作りに専念している。お陰でゴルフでのプレーの良し悪しに影響された一喜一憂はなくなった。一方で、野菜作りの研究と工夫を重ねる中で仲間と話し、新鮮でおいしい野菜を食卓に提供し、安定した生活リズムも出来て、体調もメンタル的にも快適な日々を過ごしているという。

 

 最後に仕事に繋がった事例を。ある知人Aさんは定年後、再就職せずに町内会に参加した。活動では、いろいろな役割を選り好みせずに積極的に引き受けていた。そのような活動を見ていた町内会長が、ある時、会長の知人でいくつかの保育園を経営する経営者から、新しい保育園長を探していると相談された。町内会長は即座にAさんを思い浮かべて、声をかけた。Aさんはそれまで管理職経験はあったものの保育園は全くの門外漢で躊躇し、奥さんと相談した末に、清水の舞台から飛び降りる覚悟で引き受けた。実際に園長の仕事に就いてからは、戸惑いながらも持ち前の積極性を発揮して保育園経営者の指導を受け、他の保育園長に相談して、管理職としての人との接し方や計数管理などの経験を生かして1年後には立派に安定軌道に乗せることができた。

 

 いかがでしょうか。4つの事例を紹介しましたが、その中で見いだせるサードキャリアの道を進むうえでの大切なことは何か?

 私が考えるには、サードキャリアで地域との交流に軸足が移っても、やることはセカンドキャリアまでと変わらない、未来志向に支えられたPDCAに替わる「インプット、アウトプット、振り返り、新たな行動」と思いますが、皆さまはどの様にお考えでしょうか。

 

 以上

2024年8月23日

延川和治

 

皆様がこれから迎えられるサードキャリアでも、独りよがりではなく、社会とつながり、周囲のニーズに応えて、まわりの方々の笑顔を、日々一緒に見られるキャリアを送りたいと思われておられるのではないでしょうか。

 

一方、ファーストキャリア、セカンドキャリアと進むにつれて、環境もかわり、置かれる立場も変化、肉体的精神的体力も減少し、自然と他人との接触も少なくなり、自分の活動範囲が以前とくらべて相当に狭くなっていることに気付かされる方々も少なくないのではないでしょうか。

 

御自分でその変化を意識され、交際関係を維持され、培われてこられた幅広い人脈を活用されている方々は、その普段の積極性とともに、サードキャリアでも、おそらく御自分のご希望に向かって、周囲の方々と一緒に、邁進されておられるのではと想像します。

しかし、そうしたいけれど、なかなかできない方々も大勢おられるのではないでしょうか。

 

コンサルタントからも、御家族、友人、元同僚、元客先、元仕入先、これまでに出会われたいろいろな方々を振り返られ、接触されてみられることをよく勧められるかと思います。 これはこれで良いと思いますが、結果、御自分のこれからに対して、なにか物足りなさを感じられることも多いのではないでしょうか。

 

御自分の独自の判断だけでなく、いろいろな方々との接触を通して、世の中の動き、ニーズの変化、いろいろな考えなどを得て、総合的に判断し、これからのサードキャリアの展開を、より実のある物に進めて行かれたいご希望は、何とか工夫して叶えていきたく思います。

 

そのときの盲点になっている情報源に、区議会議員があると思います。

サードキャリアを組み立てていくときのいろいろな情報を得る助け、キャリア展開の場所・必要な協力者との繋がりなどを得るのに有効な接触先と思います。

お住まいの場所によって市議会議員、町議会議員などとその呼び方は変ると思いますが、

要は、お住まいの地域の課題を知り、人脈をもち、相談者の相談に乗ってくれる意思や姿勢のある人達(議員)です。

 

現に、サードキャリアとして英会話教室を開こうと思い立った元商社マンが、区議会議員に相談を持ちかけ、英会話教室の教師の紹介、教室の開催場所の紹介を受け、開催に漕ぎ着けた実例を見ています。 その商社マンはその区議会議員だけに頼った訳ではないのですが、依頼をうけた区議会議員は、その顔の広さから、別件で接触がある人達に、このような教師ができる人を探している、このような場所を知らないかなどと、機会有る毎に聞き、そこから得た情報を元商社マンに流してくれ、最終的にそれら情報が開催のカギになっていました。

もちろん区議会員本人にもよるとは思いますが、このように協力的な区議会員もいるということは、一つのご参考になるかと思います。

 

このような区議会議員に加えて、「おしごとカフェ」と称して、職業紹介ハローワーク、キャリアカウンセリング、各種セミナー、メンタルケア相談など行っている区もあります。

またこれらを通して、コミュニティへの参加もご希望されれば、紹介を頂けるようにも感じます。 

御自分の情報ソースが狭まったと感じられている方々、今お住まいの地区の議員をご活用いただくのも一手かと思います。 試されてみられては如何でしょうか。

 

以上