宝箱の蓋を開ける。

1991年 監督/ 北野武

その男、凶暴につき』『3-4x10月』で映画監督北野武の虜になり、監督作品第4作の『ソナチネ』で北野武を"映画の神"と崇めるまでになったボクですが、北野監督の第3作『あの夏、いちばん静かな海。』だけは鑑賞を見送っていたんですよね。当時は北野監督の斬新なバイオレンス描写や、曲者キャラクターで溢れた独特の世界観に心酔していた為、青春モノやラブストーリーを観る気にはまるでなれなかったのです。


しかし、当時の北野監督最新作コメディ映画『みんな〜やってるか!』を観てしまったはずみから、一応『あの夏、いちばん静かな海。』も観ておくか程度のノリで鑑賞に臨んだのですが…


驚愕の映像体験に超興奮!!

これは20世紀最高のサイレント映画だ!!


北野監督は、言葉ではなく画で語る作家。説明的な台詞を嫌い、役者に台詞を与えないばかりか、不要なカットを極限まで削ぎ落とす作風で知られています。

これまでも、台詞の少ない作品ばかりを撮って来た北野監督ですが、なんと本作では2人の主人公を聾唖者に設定し、完全に台詞を奪ってしまったのです。しかも、手話さえ使わせずに。


前作『3-4x10月』から脚本、編集まで手掛けるようになった北野監督ですが、本作ではこれ以降の北野作品を培う重要なエッセンスが二つ追加され、北野監督のスタイルを確立させた最初の作品と言えます。

追加されたエッセンスのひとつは、のちにキタノブルーと呼ばれる独特の色彩感覚が確立したこと。北野監督が好きな青を基調とした画作りがなされました。

そしてもうひとつは、久石譲を音楽担当として招き入れたこと。のちに北野作品に欠かせない存在となる久石は、喋らない2人の心情を完璧に、そして見事なまでに音楽で紡ぎました。ここまで音楽が雄弁に語り、物語を紡いだ作品を他に知りません。


北野監督の作品には主題となるストーリーがありません。本来であれば物語のクライマックスになり得るサーフィン大会のシーンなどには、主人公にカメラが寄る事もなく、シーンを盛り立てる為の音楽すらつけられていません(実際には音楽が作られましたが、本編では不採用とする賢明な判断がされています)

登場人物のある一定期間を切り取っただけのような作品に魅力を吹き込んだのは、北野監督が創造した数々の登場人物です。数ある北野武監督作品の中でも、本作ほど登場人物が魅力的に描かれた作品は他にありません。


徐々に芽生える登場人物たちの友情をドライに描いた作品ですが、『あの夏、いちばん静かな海。』が傑作とされる理由は、ドライな作風の中に、涙が溢れるような温かさが宿っているからなのです。




【この映画の好きなとこ】


◼︎久石譲の音楽

本作以降、北野作品になくてはならない存在となる久石の音楽だが、個人的には本作をベストに位置付けている。珠玉のスコアが目白押しだが、"Silent Love"と"Bus Stop"は尋常ならざる傑作。


Silent Love (Main Theme)

Bus Stop



◼︎キタノブルー

青の小物・衣装・美術と、青を基調としたフィルムの色彩感覚は、後にキタノブルーと名付けられた。本作以降90年代の北野作品は、ほぼこの世界観で統一された。

砂浜の色を見れば分かるキタノブルー



◼︎中島 (藤原稔三)

サーフショップの店長。ぶっきらぼうでがめついが面倒見が良い。高いサーフボードを買わされた茂だが、以後の付き合いにより高い買い物でなかったことに気づく。

この人マジずるいなあ。ホント最高のキャラだわ


◼︎田向 (河原さぶ)

茂が働く清掃会社の先輩同僚。サーフィンに夢中になるあまり仕事を休む茂を叱責するも、大会に出られるよう工面するなど、隠れた優しさが魅力。

昭和の頑固親父的魅力が炸裂!



◼︎小林と木村 (小磯勝弥・松井俊雄)

狂言回し的役割を担う2人組のサッカー少年。その微笑ましさで本作屈指の愛されキャラに。『ソナチネ』に登場する寺島進と勝村政信コンビの原型となったか。

小磯克弥(左)はTVドラマで少年時代のたけしを演じた



◼︎みち子と順之助 (窪田尚美・石谷泰一)

砂浜で転ぶ男と浮気性な女のカップル。他の男に擦り寄り、みかんを剥いてもらうみち子に嫉妬する順之助がかわいい。

わずかな出番ながら強いインパクトを残した



◼︎コメディパート

北野監督は、物語に直接関係のないお笑いネタを投入するのが抜群に上手い。ネタの数で言えばおそらく本作が北野作品で最も多く、そのどれもが群を抜いて面白い。

神出鬼没の転ぶ男。そのタイミングはまさに神芸
「3人乗っちゃいけねえって法律でもあんのかよ」「あるよバカヤロウ」


◼︎バス停

混んだ車内にサーフボードが持ち込めず、ひとり走る羽目になる茂。ひとりバスに乗る貴子の葛藤を久石譲の音楽が見事に描写!本作で最も好きなシークエンス。

サーフボードダメなんすか
走れシゲル!
罪悪感に苛まれる貴子は空いた車内でひとり立つ
このお婆さんが最高にいい仕事するんだわ
やっぱりそんなこと出来ない!



◼︎計画性の無い2人

他人を冷やかす性格ながら、自身がコメディリリーフであることに気づいていない。あと先考えない相方を叱責する様は、『ソナチネ』で車を焼いた勝村政信を叱責するたけしに引き継がれたか。

「オレもう金ねえぞ」「オレだってねえよ」「バス代くらい残しとけよ」

「オレたち出てねえじゃねえか」「だって申し込んでないもん」



◼︎中島の親心

サーフィン大会の帰り道で茂と貴子を拾う中島。人の心が近づく様をロングショットのパントマイムだけで表現。リアルな日常から切り取る北野はどこまで上手いのか。

王子様みたいじゃんかよ!カコイイ!



◼︎助手のいない田向

茂をサーフィン大会に出場させる為、上司に一人勤務を申し出る田向。大会当日、一人勤務に勤しむ田向の姿を愛さずにはいられない。この描写を投入する北野監督のセンス!

マジ沁みるぜ!



◼︎フェリー

大会が終わり帰路を辿る一行。音声をオフにし、久石譲のスコアが登場人物たちの心象を見事に奏でる。台詞を排除する北野演出と、久石譲の音楽が融合した胸熱シーン。

仲間と溶け込んだ茂と貴子の姿が嬉しい
コレ!マジ最高のカット!


◼︎思い出のサーフボード

思い出の写真をサーフボードに貼り付ける様をじっくり見せた名演出。極限まで切り落とすのが北野作品だが、カットすべきでない所もきちんと分かっている。やっぱり北野監督はスゴい。

マジここグッとくる
波打ち際まで歩く貴子もカットせずフルで見せた
波に洗われる二人の写真



◼︎フラッシュバック

黒澤明監督曰く「コレはいらなかった」だが、コレが無ければ『あの夏、いちばん静かな海。』ではない。まるで卒業アルバムを開いたようなときめき。居酒屋で祝杯をあげる田向のカットには思わず涙が溢れ出る。

意外な明るさを振りまく貴子が可愛すぎる
コレ!もうポスターにしたい!!
みち子がみかんを剥き、順之助に差し出す



◼︎エンドロール

寄せては返す波の音は、茂や貴子が聴けなかった音だが、きっと体で感じ受けていたはず。そう思うと少しも聴き逃すまいと、いつまでも心地よいこの波音に耳を傾け、身を委ねたくなる。

どこまでも最高!!



本作最大の魅力はとにかく登場人物です。

俳優に台詞を与えない北野監督のすごいところは、無言で物語を進める2人の主人公を見ても観客が違和感を覚えないことです。その卓越した演出術は、2人の主人公が聾唖者という設定であることすら忘れてしまうほど。

北野監督の『その男、凶暴につき』で、主人公我妻は刑事を辞めてから、物語の後半で一切口を開いていませんが、そのことになかなか気づかせてくれません。そこに北野武という映画作家の凄みがあるのです。それほどの演出家だからこそ出来た映画、それが『あの夏、いちばん静かな海。』なのです。


そして繰り返し言いますが、やはり本作に久石譲の音楽は欠かせません。その傑作スコアの数々には、本編を観終わった後も、この余韻からは容易に抜け出せません。

そんなボクはいつも、本作の鑑賞後に本作のサントラをフルで聴き、茂や貴子達との思い出に浸ります。


本作の後に撮られた『ソナチネ』と比較すれば、作品としての完成度は劣るものの、眩いカットやシーンの連続には、批評家をも黙らせる力があります。

事実、北野武を映画作家として育てた映画評論家の淀川長治も、本作を北野作品のベストに位置付け、黒澤明監督も高い評価をしています。


『あの夏、いちばん静かな海。』の鑑賞は、茂と貴子、そして大好きな仲間達に会いに行くこと。だからいつも本作を観返すとき、それはもう宝箱の蓋を開けるようなときめきに包まれるのです。



※2018年12月21日の投稿記事をリライトしました