ギボウシの季節ですね
@家の近く
何がきっかけだったか忘れてしまったのですが、、、
最近「シェナンドー」(「Shenandoah」)というアメリカの伝統曲(民謡)のことを30年ぶりくらいに思い出して、今ならYou Tubeで聴けるかな?と検索したら、まぁ、もう、た〜〜くさんの方が、様々なアレンジでカバーしていて、聖歌隊あり、交響曲あり、ソロやグループのミュージシャンもあり、等々、
その中に、まさかまさか、ボブ・ディラン・バージョンもあったんです。荘厳なオリジナルのイメージとは流石かけ離れていて!!曲調は軽快だけど、歌い方は超ディラン。
(でもその後、トム・ウェイツ&キース・リチャーズ版を見つけて、もっとぶっ飛びました。)
とは言え「本当のオリジナル」がどんな感じか、よくわかってないのですが。民謡だと口伝だったりするのでしょうか。
「Shenandoah」は「広大なミズーリ川を越えて」と訳されていることもある様に、歌詞にミズーリ川が出てきます。
それで、前回書いた『ソングの哲学』by ディランの中に、「ロンドン・コーリング」(ザ・クラッシュ)の章があり、その中で、
"アメリカで、川といえばミシシッピ
だが、これは(ロンドン・コーリングに出てくる川は)テムズ川のこと"
という指摘があり、なるほろー。(文章の記憶は適当です。)
曲は知っていたけれど、歌詞のことまで考えたことなくて、人によって、お国によって、イメージする川って、あるんでしょうね。
ミズーリ川は、ミシシッピ川の一番大きな支流らしいです。
Wikiの「シェナンドー」でも曲が聴ける様になっていましたが、
この際、色んなバージョン聴き比べ
シンプルなアカペラ・バージョン、解説付き
(私の中では、こんなイメージの曲です)
ちょっと軽快なバージョン
ザ・ヴァン・モリソン節
ハーヴ・プレスネルさんバージョン
(レコードらしきプチプチ音入り)
トム・ウェイツ&キース・リチャーズバージョン
(対極にありそうなトム・ウェイツがまさかのカバー、そこにキース・リチャーズが、、、もはや逆になんかすごい^^;)
ボブ・ディランによるカバー
(トム・ウェイツの後で聞くと驚きが軽減されるマジック)
矢野顕子もカバーしてる
(このアルバムは当時買って、オリジナルの世界観に近くて好きでした。
あっこちゃんは90年代にコンサートを観に行ったら色々思う所あり、その後は全く聴かなくなりました。)
ピアノバージョン by キース・ジャレット
(歌はなし)
荘厳なアカペラ・バージョン
(即・寝落ち)
『ソングの哲学』は、1%くらいしか受け取れてない気がするくらい、見た目だけじゃなく、内容も分厚い本だなと思います。
川の事故が多発していて、、、
水遊びや沢に行かれる方もお気をつけて。。
私も小さい頃、近所の子が多摩川で溺れてしまって、ショックだったことがありました。大人達の空気も違ってました。
今思うとその経験が関係あるのか、スイミングスクールに通わされて、そのスクールとは別に受けた講習がなかなかスパルタで(今と違う時代のやつです)やめたくてもやめられず、そのおかげで水泳は唯一できるスポーツになりました。子どもの時はイヤイヤだったけど、結局その後また泳ぎたくなって、自分から通うようになったりして。
ところで、20代の頃、とにかく低予算でバックパック旅行をしていた時に(東南アジアやネパールです)、一度、アメリカ南部を西から東に大きなワゴン車で横断するという企画に参加したことがありました。現地集合で指定された宿に行ったら日本人は私一人だけという衝撃。旅のスタイルは毎日テント泊で、ベッドに寝たのは2晩だけ。テントメイトは香港から来た女性でした。十数人の参加者で私達が唯一のアジア人でした。
ドイツから参加していた男性は毎朝テントを揺らしに来ては「アースクエーク、アースクエーク(地震だぞ〜)」と笑わせてくれたり、「おはよう」って日本語で何て言うのか訊かれて答えたら、その後は「オハイオ、オハイオ」(オハヨウよりオハイオ州みたいな発音で)言いながらテントを揺らして笑わせてくれました。
その時、旅の後半に、シェナンドー国立公園という所に寄り、ちょうど紅葉の始まりで、赤系ではなく、黄色系の紅葉が美しく風に舞い、高台のようなところに行くと、周囲をぐるり見張らせて素晴らしい眺めの所でした。旅のリーダー兼ドライバー、ミラベル(インド系のカナダ人)が舞い散る紅葉の下で両手を広げてくるくる踊っている光景が妙に焼き付いています。
その横断旅行では、ルート66を延々と走れたり(丸1日走っても荒野に一直線が続いた時は本当にビックラでした)、憧れのモニュメントバレーで見た夜明けの美しさ(夏だけど寒かった)、念願のレイク・パウエルで泳げたこと(背中に酷い日焼けをして10年以上消えなかったドジドジ)、サンタフェの夜空は「気持ち悪いくらい」星に埋め尽くされていて、あんな星空を見たのは後にも先にもありません。チャタヌーガではチューチュートレインを見たり、ニューオーリンズでは「日本語シック」が超超超MAXになってしまい、バーボンストリートで観たライブに出ていた日本人プレイヤーと日本語話せて生き返ったり、、、、ナバホ族の居留地では夕方洞窟から飛び出してくる無数のコウモリを見て、空が黒くなるって本当にあるんだと知り。
ヒアリングすらろくにできなくて、そんな旅に参加するなんて、今じゃとてもできない、アドベンチャー満杯の旅でした。そのきっかけは、小中高の頃、アメリカ横断ウルトラクイズがものすごく好きだったのが影響してたと思います。ちなみに一番前のめりになったのは第10回大会でした。(もちろん福留さんの時代です。)
ちょっと長くなりすぎました。
ここで書き終えるはずだっんですけど、、、
さきはど、日暮れ前、観光客が多いことで有名な通りで信号待ちをしていたら、4〜5才くらいのアジア系の女の子が号泣しながら駆け寄って来て、「マンマ〜マンマ〜」らしき言葉を発してまた泣く、、、
ひざ(服)をつかまれたまま、迷子なのか?親が子どもを使ってナンカ要求する手口なのか?!(←アジア旅のことを思い出した後だったのでこんな邪推が、、、)とか、混乱しつつ近い交番どこだっけ?警察署ならあるけど少し歩くな、とか、、、
女の子に「マンマ?マンマ?」言いながら考えてたら、一部始終を見ていたらしきお店のおやっさんが「あっちから真っ直ぐ走ってきたから、たぶんあっちに(家族が)いると思うよ」と。女の子が持っていた物のロゴマークに、そういや見覚えがあったので、しばらく一緒に歩いて行ったら、向こう正面から(本当に大げさでなく)鳴き叫びながらスーツケース引きずりながら走ってくる女性がいて、ほーーーー、親子再会となりました。。。
お母さんも取り乱してへたりこんで泣きじゃくっていたので、何語なのかよくわからず「よかったね〜よかったね〜」とか言って背中すりすりするしかできなかったのですが、その時咄嗟に浮かんだのはなぜか「マイペンライ」(タイ語)で、しばらくしてから、「モウマンタイ」(無問題)を思い出し、、、
帰り道、さっきのおやっさんに遠巻きに「大丈夫でした〜」的OKサインを出したらおやっさんも笑顔で、ホッと帰路についたのですが、私はマスクしてお母さんと似た服装でもなかったし、人助けできたのはよかったですが、泣きながらすごい見つめてくる女の子の悲しそうな目と、あんなに取り乱したお母さんを目の当たりにして、子どもが巻き込まれる事件事故あったばかりだし、、、暑さと空腹で頭ヨレヨレ。
キムタクの娘さんは二人共、長年父親を「トト」と呼んでいるそうだし、片寄(明人)君の息子さんは「チチ(父!)」と呼んでいるそうだし、こんな事態の時は「パパママ」呼びを知って育った方がいいのか?とか、冷静になればスマホの翻訳こんにゃく機能があるか、、、とか。
あのおやっさんが話しかけてくれなかったら、私どうしていたんだろう、、、 最初はおやっさんの言葉も片言に聞こえて、この人何言ってるんだ??と一瞬警戒心出たし、でも助けようとしてくれてるんだとわかって、
とりあえず交番を考えるより、子どもが来た方角、持ち物を確認なのか?!
生きてさえいれば、必ず見つかるはずっ
翻訳といえば、「VIVANT」の1、2話の翻訳音声、ふざけてておもろかったです。
それでは明日もお元気で〜〜