風呂デューサープレゼンツ企画始動!@大沼旅館
宮城県鳴子温泉郷東鳴子温泉に来てはや4か月…早いですねー
来た当初と比べるとそこそこ仕事もできるようになり(?)、自分のこれからのことやらお湯とは何か、温泉とは何か…いろいろと考えるようになりました。
そんななか、先日こんな記事を書きました↓
ここで「自分で掃除をして自分好みの温度にお湯張りをして一番風呂に浸かること」それが私にとっての最高の風呂だと書きました。
さて、題名の通り私が今お世話になっている旅館大沼で、風呂デューサープレゼンツ企画として「私が思う最高の風呂」に入ってもらおう!という企画です。
名を冠するならば…真の母里の湯体験企画です。
ちなみにこれが母里の湯です。写っているお兄ちゃんが私です。
ざっくりと説明させていただきます。
まずお客さんには母里の湯について少しお勉強していただいて、ざっと掃除の流れをご説明します。
そのあとはいったん母里の湯に入っていただき、体を暖めてから掃除に入ります。
一人で30~40分程度の作業なので20分程度の掃除になる予定です。
翌朝、入れたての母里の湯に入ります。基本的に母里の湯に朝入るためには
・前日の到着が遅すぎてその日に入れなかったとき
・前日混みあいすぎて入れなかったとき
くらいです。(もちろん希望の時間を言っていただければその時間に入れる…はずです)
風呂マニアの私が思うに、朝の母里の湯はすごく雰囲気がいいですよ!それも是非みなさんに体験してもらいたいですね!
これ無料です。
私の最大の目的はこれです↓
温泉マニアの自己実現ということの事業化を考えているからです。
まだ先の話ですが、その際温泉マニア、旅行好き、風呂マニアのかたがたと一緒になって行うことを考えています。
普通旅行に来たら飯食いながら酒飲んでゴロゴロしてから風呂入って…という時間の使い方が大多数だと思いますが、その最高の温泉に入るために時間を割いて風呂掃除をしたい!というかたはその事業化をしたときに絶対に必要な知識をくれるかたなんです。
東京に戻るとそういった出会いは激減すると思います。なので今、この機会に会心の出会いを求めています。
一応無料ですが、私の話を聞いていただき、自分でいうのもなんですが、ファンになっていただきたいのです!
もちろん最高の温泉を体感してもらいたいという思いもあります。
一番最後の状態の湯と、一番最初の状態の湯を一度に経験し比較できるチャンスです。
お湯の違いが視覚的にも感覚的にもわかると思います。
そして温泉がどのような苦労を伴って保たれているのか…その辺も感じ取ってもらえたら嬉しいです。
是非この機会に旅館大沼に来てみてくださいね!!
現代湯治
前回で昔湯治の話はおしまいです。
さて、なぜ「昔湯治」と「昔」をつけたのか。
それは今現在使われている湯治という言葉と昔湯治はだいぶ意味合いが違っているからです。
お話した通り、昔湯治の本質はそこで出会う人との人間関係が温泉のよさと同等の魅力を持っていました。
しかし現在の湯治のなかに人間関係の魅力を求めてくる人は少ないです。むしろ人間関係から解放されることを願ってくるお客さんが多いような気がします。
もちろん昔湯治のような意味合いで湯治という言葉を使っているところもあります。
「静かな環境で、人間関係のしがらみから解放されて自分と向き合う、自分だけの時間をつくって本当の自分を再確認する」
今湯治で重要視されているのはそこなのかなと、約4か月、こちらに来てから思うようになりました。
上記のとおり、昔湯治は消える流れにありますが、一方で湯治という言葉は生まれ変わり、多様な意味を含むようになりました。
その多様な中で湯治という言葉の中身を決定するのは各風呂屋によって異なっています。
いわば今湯治は決定的な意味合いはまだ持っておらず、湯治戦国時代なわけですね。
いかに自分の宿のコンセプトと合わせて集客に結び付けるか、それが今湯治なのだと思っています。
それを選ぶ私たちは湯治というものがなんなのか、一応の理解はしておかないと、本質的な湯治という言葉の意味である「昔湯治」の文化が消えてしまう…
そう思ってこの記事を書きました。
なんとなく湯治の意味、わかっていただけたでしょうか?
今後もこういう湯の文化的側面も記事にしていきますね。お楽しみに!
消えゆく昔湯治 その③
なんだかんだ3回目です。
前回は湯治のいいところはお客さん同士のおしゃべり、人間関係である!
というところで終わりました。
ここで私のなかで何かと似ている…という感覚が出てきたのです。
銭湯と似ているなと。
湯に浸かることと同等以上にお客さん同士のコミュニティがあり、そこでお話したりして楽しむ…
これって共通点ですよね。銭湯の最終形態っていうのはここにあるんじゃないかなとふと思ったのでした。
銭湯、湯治は 人間≧湯 とするならば
一泊宴会旅行っていうのは 人間>>>>>>湯 であり、湯治文化があってこそのこの旅行スタイルなのかな…とも思いました。人が楽しむっていう点で湯治もこれも同じなのです。違いと言えば…体が休まらないこと、湯質はどうでもいいこと…ですかね。
どちらも湯が人間の居場所をつくってくれてますよね。
単純に温泉というとその質や設備、管理状況など液体としての湯が注目されがちですが、人を集める力を持っていて、人に安らぎを与えられるものっていうのが湯の本質なのかもしれないですね。
最近、湯そのもの善悪はない。って思ってます。
それが今回宿泊して確信に近づいたような気がしました。
度肝抜かれた話はとりあえずおしまいですが、似たような話が少し続きます。
消えゆく昔湯治 その②
前回湯治なんぞやというお話をさせていただきました。
今回は前回冒頭で触れた、度肝を抜かれたお話です。
とある温泉旅館に泊まりました。
そこは湯治部という建物があり、かなり安い値段で宿泊が可能です。
なんと建物の床がオンドルになっており、かなり暖かいです。
写真がなくて申し訳ないのですが、一番安い大部屋だと人が一人寝られるくらいのスペースで2,000~3,000円くらいだったかな?で泊まれます。
隣の人との仕切りは白線だけです笑。現代の感覚だとありえないとまでは言いませんが、なかなか見ることのない光景ですよね。
宿のかたのご厚意もあって、ベテラン湯治客のかたとお話する機会をいただきました。
湯治の最大の魅力は??という問いに対して
・お湯の良さ
・オンドルサイコー
ここまでは想定の範囲内でしたが…
・みんなでしゃべる!!
これに少し驚きました。私の感覚だと地元のほうが友達もいるし、しゃべれるじゃん…なんて思ってしまうのですが…
前回湯治に来て知り合った人と時期を合わせてまた来たり、ほかの湯治客のかたとお話ししたり、という文化があるのだそうです。
体のどっか痛いとか、病気なんてみんなでしゃべって大笑いすればどっかとんでっちゃうよ!!
湯治客はみんな親戚みたいなもんだよ。気を遣わずに楽しく接してるよ!
湯治の良さってこれかーって思いました。
これが現代社会に育った私たちに通じるか…それを考えるとどうなんでしょうね。
現に来る若いお客さんは、そういう文化に触れるというよりは安く泊まれるという感覚のかたが多いそうです。
この環境を居心地がいいととらえるか、悪いととらえるか…その辺は世代によって意見が分かれるところでしょうね。
とにもかくにもこの文化は非常に貴重です。とても素晴らしい経験ができ、大満足です。
この文化って…アレと似てるな~…っていうのは次の記事です。
消えゆく昔湯治 その①
先日、湯治ができる旅館に泊まりました。
私は今まで湯治と言ったら
「長期間温泉宿に宿泊して疲れを抜き、温泉に入って免疫力を上げること」
「食事は自炊で備品も持ち込み、生活は質素に一日を自由気ままに過ごす」
なのかな~と思っていました。
もちろんそれも間違ってはいないのでしょうが、ここでの経験はかなり度肝を抜かれるものでした。
そもそも湯治という文化は仏教の禊から来てると思いますが、そんな昔にお湯は超貴重品だったハズなのです。火をたくのも大変だろうし、扱い間違えれば町ひとつ簡単に消滅する代物ですよ!
そんな貴重品がなんのリスクもなくボコボコ湧いてたら…すごくありがたいものですよね。
(温泉を信仰する文化はこの感覚から来てると思う)
気軽に火を使えない…すなわち体を温める手段は、今と比べてかなり少ないと想像できます。
各家庭に風呂があるなんて奇跡ですよ!!
体を温めると温熱効果により血管が拡張し疲労回復やら免疫力アップやらいろいろと効果があります。
当時は薬なんてものはほとんどないだろうし、「治りますように~」と祈ることと湯に浸かることを比べれば、後者のほうが体に変化はありそうですよね。
(湯治をすると病気が治るって感覚はこれが原点だと思う)
その感覚はつい最近まで受け継がれていたように思いますが、長期の休みがとりにくい社会構造へと変化、医療の発達、お湯の存在が手軽になった…この辺の時代の変化によって昔ながらの湯治は消えて行った。そう考えています。
本題に入る前にそもそも湯治とは…ってとこで今回はおしまいです笑