消えゆく昔湯治 その③ | 銭湯、温泉探求録

消えゆく昔湯治 その③

なんだかんだ3回目です。

前回は湯治のいいところはお客さん同士のおしゃべり、人間関係である!

というところで終わりました。



ここで私のなかで何かと似ている…という感覚が出てきたのです。


銭湯と似ているなと。


湯に浸かることと同等以上にお客さん同士のコミュニティがあり、そこでお話したりして楽しむ…

これって共通点ですよね。銭湯の最終形態っていうのはここにあるんじゃないかなとふと思ったのでした。



銭湯、湯治は 人間≧湯 とするならば

一泊宴会旅行っていうのは 人間>>>>>>湯 であり、湯治文化があってこそのこの旅行スタイルなのかな…とも思いました。人が楽しむっていう点で湯治もこれも同じなのです。違いと言えば…体が休まらないこと、湯質はどうでもいいこと…ですかね。



どちらも湯が人間の居場所をつくってくれてますよね。

単純に温泉というとその質や設備、管理状況など液体としての湯が注目されがちですが、人を集める力を持っていて、人に安らぎを与えられるものっていうのが湯の本質なのかもしれないですね。


最近、湯そのもの善悪はない。って思ってます。

それが今回宿泊して確信に近づいたような気がしました。



度肝抜かれた話はとりあえずおしまいですが、似たような話が少し続きます。