共感性羞恥とエンパス

さー、このシリーズもだいぶ飽きたでしょう。ふふふ、こちらは本来一気に書いているのでまったく感じませんがね、いやー4・5日分は稼げたね。


相変わらず、わかんない人には分からない記事ですよ。

さて、本シリーズ?最終章は「エンパス」です。ちょっと、カテゴリーは超常現象っぽいところがありますけど、僕の範囲での話で言いますとよーするに

「共感力」がふつうより突き抜けて高い人ですな。


「他の人が思っていることや考えていることを、まるで自分のことのように疑似的に感じてしまう」訳です。で、この気質を持った人たちには「共感性羞恥」を生じてしまうと考えられます。



僕は学校の先生が中学や高校、あるいは社会人にもなって上司などが「相手の立場になって考えなさい」みたいなことを「なんでそんな分かり切ったことをわざわざ言うんだろう」と不思議に思っていましたが、思いませんでしたか?…僕だけですか、そうですか。

ま、そーゆ―事です(笑)。「相手の立場になって考える」などほとんど無意識に行ってしまうので、わざわざ説明されることの方が謎だったりします。むしろ考えないようにすることの方が意識しないとできないんです。が、これが無意識に出来ている側の方があんまり平均的ではないって事です。
 

エンパス気味かどうかは、正確には「エンパス」で調べて簡易チェックでもしてくださいな。

面倒なら、まー、そうですね…簡単な目安として…気になる方はどうぞ。


・なんとなく、人の感情や心情を察してしまう

・他人の肉体的な痛みや辛さが感覚的に察せられる

・他人の気持ちが優先されると自分の思っていることが言いづらくなる


・他人の考えが入り込み過ぎると、自分自身の気持ちが分からなくなる


・人混みに入ると何をした訳でもなくても極端に疲れてしまう


・人との交流後もその人の感情や感覚を自分で思い返し疑似体験してしまう

・やたら涙もろい

とか言うのがj数多く思い当たったなら、エンパス気味でしょうね。僕は全部ですけどね(笑)。



エンパス気味だと脳的には膨大なエネルギーを「共感」に使用していることになります。共感と一言で言ってますが、自分の他、他人の心情や心理、感情をいっぺんに同時処理している事になりますので、何でもない平時でも通常は感じ取ることができないところを感じとってしまっています。で、これらを処理する間「ボーっとしている」なんてことが起こる(笑)。

例えば、人混みに入ると「あ、この人イライラしてるな」とか「あの人はひどく疲れてんのかな」「店員さん、大変そう」とか考えなくてもいい事を無意識にやってしまうので異常に脳を働かせてしまうので、極端に疲弊します(笑)。あまりひどいと自分の事と「自分ではない他人の制御できかねる心情」までも分けることができずに常時処理し続けて…早い話が自我が崩壊してしまいかねないんですね。混乱し、自分自身の精神に異常をきたしかねません。


エンパス気味の人は自覚症状は乏しくて、他の人は感じておらず自分だけが感じている事を知らないまま歳を重ねてしまい、同様の悩みをエンパスではない人たちと共有することができないので、自分だけでひたすら思い悩んでしまう。その対象がケロッとしていても勝手にその対象の気持ちにってショックを受けてしまったりするんです。

エンパス的ではない人から見たら「変なの!」と思われる訳ですが、実際、他人が怒られているのを見ていることの方がよっぽど自分が怒られている事よりもつらいんですよ。それが身近な人だったりしちゃうと、もーいたたまれな過ぎて大変orz


とにかく無意識に他人の感情が流入してきますので、「無意識故に」困難な場合が多いんです。場合によっては「自分の感情」と「他人の感情」が区別できなくなって、他人事なのに落ち込んで考え込んでしまうこともありますし、悲しみに暮れることもあるのです。ポジティブな感情だと一緒になってハッピーになれるんですけどね(笑)。

で、実はそれが「人」である必要すらないんです。物語の登場人物や空想上の人、しまいには犬や猫等の動物の気持ちにもなってしまうし、花やお日様にも感情移入してしまう。もちろん、アニメや漫画でもダメですよ。僕はドラえもんの映画シリーズ、下手すると全部泣けるからね(笑)。娘もたぶん、全滅する。


…今となってはただの笑い話ですが縁日で売れ残ったヒヨコが処分されると聞いてしまい、買い取った挙句、夜中、ピーピー泣いているのを耐えられずに一晩一緒に泣いて(笑)、亡くなった時には「僕も一緒に死ぬ」とか大騒ぎしたなぁ…トオイメ

「反対のこと」も当然起こるんです。感動するなどの「プラス感情」はいいこと尽くめで自分事のように喜べます(笑)。試合なんかで自分が負けた悔しさよりも勝って喜んでいる人の気持ちが伝播すると、「勝てて良かったね♪」という事も起こります。



さてさて、そんな諸刃の剣的なエンパスですが、これらの行き過ぎを抑制する対策としては「意識して考えないようにする・考えても仕方ない事はなるべく早めに放棄する」のが手っ取り早いからですね。またかよ、と思うかもしれませんが、僕がアドラーの「個人心理学」を大切にしているのは自分と相手を明確に切りわける必要性に迫られていたからです。

感情が伝播したら泣いていいし、笑っていいし、怒ったり、悲しんでいいんです。が、それは「実際に起こっている事とそうでないことを分けて捉える」必要があります。他人の感情がそのままそっくりコピーされている訳ではないのは理屈で分かっている訳ですから。

その正体は、昨日も触れた脳細胞「ミラーニューロン」があたかもその対象の自我を写し取ったかのように働いているためと考えられます。

僕自身はそのために「心は脳が映し出した現象」として、「脳は事象に反応して処理する」と分けて捉えている訳ですが、それというのも自分なりの無意識の矛盾を解決するために導き出した手段に過ぎなかったりします(笑)。



相手の事を思いやる、と言う事を無意識に行ってしまう特性を逆手にとると、案外便利だったりするんですよ。…いや、人混みや議論の中ではちゃんと時々抜け出さないと、知らない間に大量に感情処理してたりするんで異常に腹が減り、とてつもない疲労でマジ、気絶しそうになるんですけどね。

最近は「それがなんとも感じない人」の感情を先に事前に意識的に取り入れてパクる、という荒技を覚えたので何とかなっていますが(笑)。まー、だから、講座とかの講師を勤めてるときは他人なんだな、あれは。どっかの講師の皮を被ってるんだよ、きっと。

ちなみにエンパス気味の人がそういう舞台で「スベる」ととてつもない大打撃をこうむりますのでご注意ください。


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