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馮小剛が国策監督に成り下がった理由

去年公開された「非誠勿擾(邦題・狙った恋の落とし方)」が巻き起こした「中国的北海道ブーム」のお陰で、中国人映画監督の馮小剛(フォン・シャオガン)の名前が随分日本でも知られるようになった。彼が撮った「甲方乙方」「不見不散」「没完没了」といったコメディの名作を中国で見ていた人間として、知られざる中国人名監督が日本でも有名になるのに悪い気はしない。

馮の真骨頂はあくまで庶民を描く喜劇にある。今は亡き傅彪や葛優という「丑星(ぶさいくスター)」に馮の妻でもある徐帆ら美しい中国人女優を絡めながら庶民の悲喜交々を描くその作品は、あえていえば中国の「寅さん」的位置づけと言っていい。ただ個人的には「寅さん」よりももっと洗練されていると思う。

その馮が監督した最新作「唐山大地震」の公開が22日から中国で始まった。



現在、中国映画は国内での興行成績が芳しくない。1年で約400本も撮影されるため供給過剰状態で、「業界の赤字率は70%」という指摘もあるほどだ。懐が厳しいのは馮ほどの巨匠でも同じらしく、1億2000万元(約16億円)に上る「唐山大地震」の制作費の半分を唐山市政府に頼っている。会見で馮は「76年当時の生活用品を持っている人がいたら、映画の小道具用に無償で提供してほしい」とも呼びかけている

唐山市政府が大スポンサーとなれば、「大地震から復興する唐山の人々と街を描く」という説明を聞かずとも、その中身の想像がついてしまう。トレーラーを見ただけで結論は出せないが、中国メディアには「人情味を失った馮小剛の作品に感想などない」という酷評が流れ始めている

馮小剛が変わる気配は07年の「集合号(邦題・戦場のレクイエム)」からあった。国共内戦を初めて本格的に描いた大作、と鳴り物入りで日本にも持ち込まれたが、目につくのは最近流行のリアルな戦闘シーンだけで、やたら「解放軍の苦闘とその克服」と強調する薄っぺらな中身に「これが馮小剛か」と愕然とさせられた。

「非誠勿憂」で持ち直したように見えていたのだが、結局また中国映画界の「大作化」の波に飲み込まれたようだ。あまりにたくさんの映画が作られるから、手っ取り早く差別化するには大作を作るしかない。ただ大作が「大作」とは限らないから、結局借金が増え、借金を返すためにはまた「大作」をつくるしかなくなる――まさに悪夢の自転車操業である。税金にすがりつきたくなる気持ちも分からないではない。

馮は俳優としても活動していたことがある。そして素晴らしい演技の才能をもっている。姜文の「太陽の少年」で夏雨らが演じる少年たちにいたずらをされる先生役を演じていたのが馮である。「太陽の少年」は非の付けどころのない「大作」だが、その中でも馮の演技は出色の出来だった。

不動産より先に映画のバブルが弾けて、馮が俳優から出直す、なんてことにならなければいいのだが。

笑える!赤軍版「今夜もBeat it」

マイケル・ジャクソン一周忌はとっくに終わったが、中国ネチズンは「MJ追悼」を続けているらしい。You Tubeでは音楽が削除されているが、土豆網で革命歌に「Beat it」の音を被せた面白ビデオが公開されている

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元のビデオで歌っているのは49年以降、解放軍文工団員として活躍した「紅軍叔」こと馬国光(1932~89年)。百度百科によれば、イジりやすいキャラらしく、Beat it以外にも勝手に曲を当てられたバージョンがあるらしい。

確かに黒澤映画の常連だった加東大介みたいな風貌の馬がBeat itに見事にのって歌う様も笑えるが、圧巻はギターソロと二胡のシンクロ。ひょっとしてこんな音が出るんじゃ?!と思えるほどのハマり具合だ。

以前、香港の企業による文革をパロディ化したCMを紹介したが、文革パロディの許容範囲が大陸にも広がりつつあるらしい。

赤軍版Beat itはとりもなおさず、中国国民全体における文革の「傷」が癒えつつあることを示している。そして、文革の傷が以外に浅いことも表している。日本で「皇軍Beat it」が生まれ得ないことを考えれば、それはすぐ分かる。

余傑の「温家宝本」に書いてあること

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あの「兄弟」の余華が公安当局に捕まった! と驚いていたら、余華でなく余傑だった。ただ連行された「容疑」を聞いて、もう一回驚いた。共同通信は記事に書いていないが、余傑は今、「中国影帝温家宝(中国一の名優~温家宝)」というタイトルの温家宝本を書いている。公安が国家政権転覆扇動容疑の対象にしているのは、この温家宝本なのだという。

北京大学卒の余傑は今年36歳。「火と氷」「香草山」といった作品で知られる作家だが、今はむしろ民主活動家・人権活動家(彼は洗礼を受けたキリスト教徒だ)として認識されている。日本にも関心が深く、「百年中日関係沈思録」(香港三聨書店)といった著書もある。

香港の明報が転載した余傑のツイ―ト(をさらに転載した台湾の中央広播電台)によれば、公安部一局(国内安全保衛局)の朱という名の職員が4日、自宅から余傑を連れ出し、4時間にわたって温家宝本を香港で出版しないよう脅したという。

「温家宝は一般市民ではない」と朱を名乗る職員は余傑に警告した。そして「彼の批判は国家の安全を脅かし、国家の利益を損ねる。厳重な刑事責任を負わねばならない」「あんたと同じような言論活動を続けた劉暁波は11年食らった」と彼を脅し上げた。

BBCに対し、余傑は公安の脅しによって出版計画を変更することはない、と答えている。余傑にそのつもりがなくても、出版社がどうか分からない。ただそれにつけても気になるのは、温家宝本の中身だ。

中央広播電台によれば、初稿は4月に完成しており、「温家宝神話はどのようにして作られたか」「温家宝とネチズンの交流を客観的に評価する」といった内容が含まれるらしい。「温家宝幻想を抱いている内外の人々の眼を覚まさせる」のが狙いだという。

実はこの温家宝本、おそらく同一とみられる内容の記事をほぼネットで見ることができる。アップしているのは博訊網「温家宝神話はどのようにして作られたか」「温家宝とネチズンの交流を客観的に評価する」も、同一タイトルの記事が存在する。

「(温家宝の)庶民への親しげな態度は作為的で、自然なものではない。選挙で選ばれる西側国家の政治家が民衆に親しげな態度を取るのは彼らの本能。しかし共産党の指導者は前任者からの指名あるいは密室での推薦で決まる。民衆に選挙権はない。だから、その親しげな態度は彼らの演技なのである」

「北京に陳情に来た庶民は、温総理はいい人だ、地方の役人が悪いだけだ、もし温総理がわしの無実の罪を知ったら、きっと何とかしてくれる。ただ惜しいかな、忙しい温首相は『国事に力を尽くして死ぬまでやめない』人なので、『楊乃武と小白菜』(清末の有名な冤罪事件)式の悲劇は処理しきれないのだ……と言う。(中略)温家宝の演技をよろこぶ民衆は、学者の言葉を借りれば『類人子』(心が成熟していない、理性のかけた人間)である」

温家宝には実は妻の汚職情報や、それが原因の離婚情報といったネガティブな側面もある。だがメディアが怒涛のごとく垂れ流し続ける「人民の総理」というイメージが、そのネガティブ情報をすべて打ち消している。

上述の2本の記事を見る限り、今回の余傑の本には具体的なスキャンダルはなさそうだ。あくまで「評論」の範囲である。無視してもよさそうなものだが、公安部が過敏に反応するのは、いったん中央批判を許すと、中共統治の正統性そのものがなし崩し的に崩壊する怖れがあるからだ。

「彼の批判は国家の安全を脅かし、国家の利益を損ねる」という朱という名の公安警察官の言葉は、まさにその意味で正しい。