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「深セン30周年記念式典」のキナ臭さ

 中国政府が広東省深センに経済特区を設置したのは、今から30年前の1980年8月26日。潜在力を解き放たれた中国経済を象徴する役割を担ってきた深センの「30歳の誕生日」を祝う記念式典が9月6日に開かれ、胡錦濤国家主席が出席した。

 一見何の変哲もない、中国サマの自画自賛イベントの話にしか見えない。ただこのニュース、ちょっとキナ臭い。ひょっとすると中南海で「火事」が起きているかも、と思えるフシがある。

 そもそも記念式典は特区設立の記念日である8月26日に開かれるはずだったが、なぜか11日も延期された。その原因は8月23日にフィリピンで香港人8人が死亡したバスジャック事件が起き、隣接する香港が喪に服したため、と当初は見られていた。北朝鮮の金正日総書記が8月26日に突然吉林省を訪れたことも、延期の原因の一つだと推測された。

 しかし、いくら「一心同体」の香港が喪に服しているとはいえ、それで深センの式典をわざわざ10日以上も、しかも記念日とは何の関係もない日に延期するというのも妙な話である。金正日訪中にしても中国外務省には当然もう少し早く情報が入っていたはずだから、深センのイベントと首脳会談がぶつからない日程調整だって可能だったはずだ。

 9月4日、中国共産党中央宣伝部がお目付け役の知識人向け全国紙「光明日報」が徐振華という筆者名で「2つの異なる『民主』」を混在させることはできない」という記事を掲載した(光明日報のサイトでは現在、当該記事を確認できない)。ウェブ上に残されたコピーによれば、記事は次のように「誰か」を批判している。

深センの経験した政治改革に対する期待の中で、とりわけ政府の権力区分に関するある種のあいまいな認識、考え方の混同、盲目的な引き比べ――が存在している。その原因は、社会主義的民主と資本主義的民主をはっきり区別せず、西側の考え方を中国政治の発展に無理やり重ねようとすることから起きている。

光明日報の記事が批判しようとした「誰か」は温家宝首相だと見られている。温は経済特区設立30周年に先立つ8月21日、深センを訪問して次のような談話を発表していた。

経済改革だけではなく政治改革も進めなければならない。政治改革がなされなければ、せっかく達成した経済改革の成果が再び失われてしまう。現代化という目標も実現できない。

停滞や後退はこの30年あまりの改革解放の成果や貴重な発展のチャンスを葬り去り、中国の特色ある社会主義を窒息させる。人民の意志にも反しており、中国を死に至らしめるだけである。

鄧小平は特区設立に先立つ1980年8月18日、「われわれのあらゆる改革が最後に成功するかどうかは、やはり政治改革にかかっている」という講話を発表した。温の「政治改革がなされなければ、せっかく達成した経済改革の成果が再び失われてしまう。現代化という目標も実現できない」という今回の言葉は、鄧の30年前のこの言葉にかけて「今の体制は政治改革がちっとも出来ていない」とあてこすったようにも読める。首相があてこする相手は当然、胡錦濤国家主席ということになる。

亜洲週刊9月5日号の特集「誰が温家宝を守るのか?」によれば温は現在、(1)毛沢東思想を信奉する極左派(2)現政権内の特殊権益集団(3)温を口ばかりで何もしない人物とみている自由派人士――の3つの勢力による包囲網にさらされているという。(3)に属する作家の余傑が最近、香港で「中国影帝温家宝(中国一の名優、温家宝)」という本を出版したばかりだ。

2002年に政権が発足したとき、中国人民だけでなく世界が温胡新政に「理性」と「改革」を期待した。ところがこの8年間に温胡政権がやったことといえば、五輪のような大きなイベントが近づくと「臭いものにフタ」とばかりに民主活動家や人権派弁護士を拘束する動きばかり。むしろ改革は停滞、あるいは逆行したといっていい。

そもそも「一党執政」が憲法の第一条に明記された国で民主化や政治改革が行われるはずはなく、そんなことを世界に期待させた温胡政権に責任がある。残り2年あまりというこの段階になって始まった2人の泥仕合は、ただの責任のなすりあいでしかない。

亜洲週刊によれば、温は「趙紫陽集団」のリーダーと目されているのだそうだ。「趙紫陽集団」は、反温家宝派が温にすべての責任をなすりつけるために作り出したグループ名なのだという。20年経って自らが捨てたかつての上司の名前を被せられるとは、さすがの「元能吏」も想像しなかっただろう。

「人民銀総裁亡命」という恐るべきウワサ

※この記事は特定国の有価証券の購入や売却を推奨するものではありません。

自民党のジミなジミさん――とかつては(一部で)呼ばれた自見庄三郎・金融担当相が世界的な注目を集めている。といってもご本人が活躍したからではない。極めて微妙な時期に、ある人物と会談したからである。

ある人物とは中国人民銀行総裁の周小川。8月30日前後から「米国債の取引で4300億ドルの損失が生じたため、中国政府が周小川を含む複数の個人を罰する可能性がある」という情報が流れ始め、さらに「周が亡命した」という未確認情報が拡散。31日に引用元とされた香港・明報が声明文を公表して完全否定……という騒ぎになっていた。

そんな騒ぎのさなかの30日にジミさんが周と北京で面会したものだから、外電という外電が「Jimi Shozaburo」の動向を転電。一気に世界に名前を知られることになった。

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この写真が捏造でない限り、周が自見と会ったのは事実で亡命もしていない。ネットが普及して以来、久しくお目にかかっていなかったメガトン級の「小道消息」だが果たして不発弾だと認定していいのか。

現在の中国の外貨準備高は2兆4000億ドル。国家の貯金と言えなくもない外貨準備の5分の1が消え去ったとなると、中国経済の信用不安につながる気もするが、中国の外貨準備が積みあがっているのは元安を維持するための元売りドル買いの結果。買ったドルはおそらく米国債で運用しているのだろうが、そもそもどうやったら4300億ドルもの損失を出せるのか?

上海閥のメンバーである周については06年の陳良宇事件で「双規」(決められた場所、決められた時間=逮捕のこと)されたとか、08年の中国開発銀行副頭取、王益の収賄事件にも関与していたとか、これまでさまざまなダークな噂が流れてきた。今回の「不発弾」も例によって某勢力が仕掛けた情報戦の可能性が高い。

10月の五中全会は相当波乱含み、かもしれない。

「譲子弾飛」は中国版オーシャンズ11か

中国を代表する映画監督の1人でありながら、監督作品が「太陽の少年」「鬼が来た!」の超話題作2作とオムニバス作品の「陽もまた昇る」しかない姜文が新作を撮影、すでに編集作業に入っている(中国公開は12月)。

タイトルは「譲子弾飛(Let the Bullets Fly、弾丸を飛ばせ)」。「清末以降の北洋軍閥期を舞台にした伝奇的ストーリー」らしく、映画の宣伝文句的には「全編にわたる騎馬戦、銃撃戦、市街戦の大スペクタクル! 乱世の友情あり、愛情あり、男の戦いあり、笑いあり! 中国映画の伝統を変える一大巨編!」というところになるようだ。



「中国版オーシャンズ11」と呼ばれるくらいだから、とにかく俳優陣が豪華絢爛。馬賊の頭目を演じる姜文のほか、「男たちの挽歌」の周潤発、「非誠勿擾」の葛優、「中国の小さなお針子」の陳坤、日本でも人気の胡軍、そしてあの「名優」馮小剛……と、中国映画好きには信じられない男性俳優陣のラインナップが実現している。「インファナル・アフェア」のカリーナ・ラウ(劉嘉玲)も出演する。

近代史をきちんと学校で教えない日本人には北洋軍閥期、と言われてもなかなかピンと来ないかもしれない。簡単に言うと、義和団の乱(1899年)以降、清朝が勢いを失うのに乗じて勢力を伸ばし、辛亥革命(1911年)を経てなお中国政治に大きな影響力を与えた地方軍閥の時代、ということになる。袁世凱、段祺瑞、張作霖という名前を思い出してほしい。

いわば「最後の戦国時代」と言っていいかもしれない。この後中国は日本の東北進出と北・中支侵略によって混乱の内戦時代に突入していく。映画が描いているかどうかは不明だが、背後には日本だけでなくソ連やイギリス、アメリカが暗躍する。中国人にとってそれなりに思い入れがあるのに、これまであまり映画では取り上げられて来ず、政治的にもそれほど敏感でない「おいしい」テーマ……に姜文は目を付けたことになる。

「譲子弾飛」がこの時代をどこまで描いているかはまだ分からない。もしそれなりの深みをもって描けているのなら、この作品に豪華俳優陣を擁した(だがそれだけの)映画の代名詞である「オーシャンズ11」の名前を被せるのは相応しくない。姜文が「太陽の少年」「鬼が来た!」の気概をもって臨んでいるなら、「オーシャンズ11」超えを期待していいかもしれない。

願わくば中国版「七人の侍」であってほしい。