「小さな村の小さなダンサー」の美しすぎるバリエーション
中国バレエといえばいまだに「紅色娘子軍」を思い浮かべる読者も多かろう。地主vs貧農の娘+人民解放軍……というとてもとても分かりやすい構図の物語に京劇テイストをまぶした、見ようによってはおどろおどろしい舞台芸術なのだが、そのドロドロぶりが「お好きな」中国ウォッチャーにはたまらないらしく、今でも中央バレエ団が演じている。
もちろん、現在の中国バレエが「紅色娘子軍」や「白毛女」といった革命バレエばかりやっているわけではもちろんない。むしろクラシックバレエやコンテンポラリーダンスでの存在感が、その経済力に比例して高まりつつある。
それをもっとも如実に表しているのが、73年に始まった世界の新人バレエダンサーの登竜門ローザンヌ国際バレエコンクールの入賞者数だ。80年代以降10年ごとの日本と中国の入賞者数は
80年代 日本15人、中国4人
90年代 日本21人、中国1人
00年代 日本16人、中国8人
と、日本に迫る勢いで増えている(このデータもそのときどきの国際社会における中国の国力の盛衰を反映していて面白い。80年代に4人というそれなりの数字を維持したのは、文革が終わり、改革開放で国民のエネルギーが解放されたことが背景にある。それが90年代にダウンしたのは、あきらかに天安門事件がもたらした国際的孤立と無縁ではない)。
さて、本題である。山東省の片田舎から見いだされ、文革に翻弄されながら北京舞踏学院で学んで後にアメリカに「亡命」したバレエダンサー李存信(リー・ツォンシン)を描いた映画「小さな村の小さなダンサー」が8月、日本で公開される。
留学先のヒューストンバレエ団で自由に踊ることに目覚め、アメリカ人の恋人と電撃入籍してグリーンカード取得を目指したが中国領事館に阻まれ、それが国際問題になって鄧小平と父ブッシュの直談判でアメリカに残ることになったが……という李の波乱の生涯を描いた映画、である。やや古くさい演出(何だか80年代の映画みたいだった)は気になったが、ストーリーはそれなりには楽しめた。
むしろ(というかやはり)圧巻だったのはバレエシーン。李の役は現在バーミンガムバレエ団でプリンシパルを務める中国人ダンサーの曹馳(ツァオ・チー)が演じているのだが、劇中でけがをしたプリンシパルの代役として踊るドン・キホーテのバジルのバリエーション(バリエーションはソロダンスの意味)を見ていて、その鬼気迫る踊りぶりに(陳腐な表現で申し訳ないが、こうしか言いようがない)背筋に電流が流れた。
バジルのバリエーションといえば、熊川哲也16歳のローザンヌの映像(↓)が有名だが、個人的には曹の踊りは熊川を超えていると思う。
16歳で天才的才能を認められた熊川哲也だが、プリンシパルとして迎えられたはずの英ロイヤルバレエ団ではついに実力を完全には発揮しきれなかった。同じ日本人の吉田都がほぼ完全燃焼して退団したことを考えれば、それはレイシズムの類ではないだろう。
バレエはあくまで女性が主役であり、男は脇役に過ぎない。そのことをよく理解して世界に愛されたのが昨年パリのオペラ座を退団したマニュエル・ルグリだったように思う。その対局が熊川哲也で、彼がロイヤルバレエ団でうまくいかなかったのは、その押しの強さ(というかアクの強さ)ゆえではないか。16歳のローザンヌで既に熊川はコメンテーターにそれを指摘されていた。Kバレエ団が明らかに男が主役のカンパニーであることを見てもそれは明らかだ。
中国人は本来日本人よりずっとアクが強い国民性のはずだが、中国人ダンサーである李にも曹にも、熊川の「アク」はない。それが右肩上がりの国力を背景にした「余裕」から生まれるものなのかどうか定かではない。ただこれから曹のようなダンサーがどんどん生まれるなら、世界のバレエ団のプリンシパルに中国人が占める割合も右肩上がりになっていくはずだ。
曹馳のドンキは、バレエも中国人のものになる時代の始まりを告げているのかもしれない。
もちろん、現在の中国バレエが「紅色娘子軍」や「白毛女」といった革命バレエばかりやっているわけではもちろんない。むしろクラシックバレエやコンテンポラリーダンスでの存在感が、その経済力に比例して高まりつつある。
それをもっとも如実に表しているのが、73年に始まった世界の新人バレエダンサーの登竜門ローザンヌ国際バレエコンクールの入賞者数だ。80年代以降10年ごとの日本と中国の入賞者数は
80年代 日本15人、中国4人
90年代 日本21人、中国1人
00年代 日本16人、中国8人
と、日本に迫る勢いで増えている(このデータもそのときどきの国際社会における中国の国力の盛衰を反映していて面白い。80年代に4人というそれなりの数字を維持したのは、文革が終わり、改革開放で国民のエネルギーが解放されたことが背景にある。それが90年代にダウンしたのは、あきらかに天安門事件がもたらした国際的孤立と無縁ではない)。
さて、本題である。山東省の片田舎から見いだされ、文革に翻弄されながら北京舞踏学院で学んで後にアメリカに「亡命」したバレエダンサー李存信(リー・ツォンシン)を描いた映画「小さな村の小さなダンサー」が8月、日本で公開される。
留学先のヒューストンバレエ団で自由に踊ることに目覚め、アメリカ人の恋人と電撃入籍してグリーンカード取得を目指したが中国領事館に阻まれ、それが国際問題になって鄧小平と父ブッシュの直談判でアメリカに残ることになったが……という李の波乱の生涯を描いた映画、である。やや古くさい演出(何だか80年代の映画みたいだった)は気になったが、ストーリーはそれなりには楽しめた。
むしろ(というかやはり)圧巻だったのはバレエシーン。李の役は現在バーミンガムバレエ団でプリンシパルを務める中国人ダンサーの曹馳(ツァオ・チー)が演じているのだが、劇中でけがをしたプリンシパルの代役として踊るドン・キホーテのバジルのバリエーション(バリエーションはソロダンスの意味)を見ていて、その鬼気迫る踊りぶりに(陳腐な表現で申し訳ないが、こうしか言いようがない)背筋に電流が流れた。
バジルのバリエーションといえば、熊川哲也16歳のローザンヌの映像(↓)が有名だが、個人的には曹の踊りは熊川を超えていると思う。
16歳で天才的才能を認められた熊川哲也だが、プリンシパルとして迎えられたはずの英ロイヤルバレエ団ではついに実力を完全には発揮しきれなかった。同じ日本人の吉田都がほぼ完全燃焼して退団したことを考えれば、それはレイシズムの類ではないだろう。
バレエはあくまで女性が主役であり、男は脇役に過ぎない。そのことをよく理解して世界に愛されたのが昨年パリのオペラ座を退団したマニュエル・ルグリだったように思う。その対局が熊川哲也で、彼がロイヤルバレエ団でうまくいかなかったのは、その押しの強さ(というかアクの強さ)ゆえではないか。16歳のローザンヌで既に熊川はコメンテーターにそれを指摘されていた。Kバレエ団が明らかに男が主役のカンパニーであることを見てもそれは明らかだ。
中国人は本来日本人よりずっとアクが強い国民性のはずだが、中国人ダンサーである李にも曹にも、熊川の「アク」はない。それが右肩上がりの国力を背景にした「余裕」から生まれるものなのかどうか定かではない。ただこれから曹のようなダンサーがどんどん生まれるなら、世界のバレエ団のプリンシパルに中国人が占める割合も右肩上がりになっていくはずだ。
曹馳のドンキは、バレエも中国人のものになる時代の始まりを告げているのかもしれない。