“迷い”と“願い”の街角で

“迷い”と“願い”の街角で

確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

タイトルを「D-Words-easy」から「“迷い”と“願い”の街角で」に変えました。これからも、少しずつでも、社会や人などについて、ふと思うことを書いていきたいと思います。大したことは出来ないと分かっていても、それでも道を進むため、少しでも何かを紡ぐため。

2026年が始まりましたが、皆様、年末年始はどのように過ごされましたでしょうか。

私は自身と妻の実家を行き来し、元日は、私の実家近くの石神井公園のほか、「としまえん」閉園後に整備された練馬城址公園を散策しました。

元日は、空気が冷たい一方で、日差しは暖かかったですね。
そのような中で、人間も同様に、適度に冷えた緊張感と、暖かく穏やかな気持ちが必要なのかもしれないと、ふと思いました。

よい1年でありますように。































坂本龍一氏と天童荒太氏の対談本『少年とアフリカ: 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話』を読了しました。
音楽家だった故坂本龍一氏と小説家の天童荒太氏のジャンルを越えた対談は、社会、世界、人間、生き方などについて論理的というより感覚的な洞察に富み、それぞれの感性が呼応し合っているような印象で、何ともいえない魅力、面白さを感じました。

この中でも、特に心に残った箇所を挙げると、一つ目が、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問について、2人が「自分がいやなことは人にもしない」「人を殺してもいいと認めることは、自分が誰かに殺されても構わないと認めるのと同じ」と意見を一致させているところです。

あまりにも基本的なこの感覚がなければ究極的には社会は成り立たないと思います。
しかし、インターネットでの誹謗中傷等が珍しくなくなった現在、世の中では、いかに自分が撃たれないように人を撃つかという真逆の発想が席巻しているようにも感じます。
ネットリンチで人が死ぬことにも社会慣れて、感覚が麻痺してしまっているのではないかと恐ろしくなることがありますが、今の世の中に、天童氏は、そして、存命であったならば故坂本氏は何を思ったでしょうか。

もう一つ心に残った箇所は、ナチスとアメリカの兵隊の見栄えに関するところです。
坂本氏は、ナチスほど格好いい軍服を作った軍隊はなく、一方のアメリカ兵はだらしないが、だらしないからこそアメリカは勝ったと言います。
これについて、天童氏は、「兵士一人ひとりに、だらしなくいるという、個々の意志を持つことが許されていたからこそ勝てた」と分析します。

確かに、没個性的に権威で統制された集団は、一時的には凄まじい力を発揮するでしょう。
一人ひとりの自由意思に委ねられた集団は、ある意味でバラバラなので、刹那的には、統制された集団に駆逐されるかもしれません。
しかし、自由意思を抑え込まれた人間と自由意思を発現する人間とでは、最後は後者が力を発揮するように思います。

集団の性質として、どちらが良いか悪いかではなく、また、全くどちらかの傾向しか持たないということもないと思います。
大切なのは、自らの傾向を客観視し、その傾向が行き過ぎたときに生じる弊害や脆弱性について、過去や歴史から学び、避けることなのでしょう。
しかし、権威による統制が強化されれば、その客観視や学習すら忌避され、排除され得ることに注意が必要です。

2人の感性での語り合いを見ていて、人間の根本に感性がある以上、客観性の名の下に感性を排除して物事を考えることはできないと感じました。
感性を主観として排除した先には、人間の排除を生む、人間は人間であり続けなければ、よりよい社会や世界は生まれないように思います。

(追伸)
先日、仕事で初めてつくば駅、筑波大学を訪れました。
筑波大学は驚くほど広大で、構内をバスが走っていましたが、確かにバスでないとキャンパス内の移動も難しいだろうと感じました。



















先般、柳田邦男著『この国の失敗の本質』を読了しましたが、2000年に発行された本ですので、今でも変わらず納得できる箇所と、もう時代が変わったと感じざるを得ない箇所がありました。

例えば、阪神淡路大震災を受けた防災対策であり、今の日本の国力では考えられないような壮大な対策が提唱されていました。
不況とはいえ、当時はまだ経済大国としての自認と自負が日本社会に多く残っていたのでしょう。

一方、第二次世界大戦中の日本軍における様々な判断誤りから得る教訓は、今の日本社会でも参考になる、言い換えれば、残念ながら、今の日本社会でも同じような過ちを繰り返しているものと感じられました。

戦闘機に対する姿勢として、アメリカは撃墜された際にもパイロットの命が助かることを最優先する設計とした結果、死亡による熟練したパイロットの減少を防ぎ、空中戦を継続できた一方、日本は飛行性能や戦闘能力のみを優先し、撃墜時にパイロットが助かることは後回しにしたため、熟練したパイロットを失っていき、空中戦が益々不利になっていったとします。
短期的な戦果のために、パイロットという人材を粗末にした結果、次第に苦境に立たされていったのです。

これを読んで頭に浮かんだのは、就職氷河期世代の苦境と現在の人材不足です。
就職氷河期においては、多くの企業が短期的に利益を確保するため、採用者数を減らし、また、立場も待遇も劣る非正規雇用に置き換えていきました。
その結果、就職氷河期世代では、キャリアを積むことができない人材が多く発生し、現在になって人手不足が問題視されています。

これを見ると、昨今、新自由主義を批判する文脈で使われている「今だけ、金だけ、自分だけ」の姿勢は、戦時中から現在に至るまで脈々と日本の社会に巣食い、その骨組みを劣化させる要因と成り続けてきたように感じます。
原爆投下、敗戦、統治構造の転換を経てさえも変わらなかったこのあり方をどうしたら変えられるのか。
今、個々人にできるのは、それを意識しておくくらいなのかもしれません。

(追伸)
今年も後半は仕事で、横浜、千葉、宇都宮、水戸、前橋と回りました。
観光はできませんが、それでも途中で色々な景色が見られるのは楽しいものです。























あっという間に「嫌な空気」が広がってきたように感じます。
恐れていたことではありましたが、思った以上に急速でした。

過去を断じたり、罰したりする司法と異なり、政治は皆にとってより良い社会を作り上げる創造的な営みといえるでしょう。
だからこそ、政治に持ち込んではならないものがあると考えています。
それは、宗教の教祖・信者のような関係性と「ざまあみろ」という発想です。

一部の政治家を教祖のように崇め、それを信者のように信奉するのは、皆が生きる社会のあり方や仕組みを不断に考えていく政治とは相容れません。
また、社会を健全に継続するには、可能な限り皆が納得できるあり方を模索する必要がありますが、自分とは考えの異なる相手を攻撃し、不利益を望んで喜ぶ「ざまあみろ」の姿勢は、社会を瓦解させ、禍根を残すだけです。

しかし、昨今はむしろ、これらの教祖・信者のような関係や「ざまあみろ」の発想が主に政治を動かしているように感じます。
長期に安定した安倍政権を始め、社会現象を起こした石丸伸二氏、斎藤元彦氏、さらに今の高市総理をみると、いずれにも「信者」と呼ばれる支持者の存在、その「教祖」に仇なすとされた者への苛烈な攻撃が見られました。

そして、先日、インターネットで見た記事に益々寒気がしたのです。
それは、「ネット上では、中国政府を擁護する発言をしたり、イスラム土葬墓地の整備を求めたり、外国人差別の撤廃に取り組んだりしている国会議員らを「売国政治家」と呼び、「外患誘致罪で逮捕しろ」と主張するSNS投稿や動画配信を目にします」というものです。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/5e67d09a9af58c1a0012d45bec5285938258f5f1

外患誘致罪は、日本で唯一死刑しか科せられる罰のない罪ですが、外国と通謀して日本に武力を行使させるものなので、上記のような行為が同罪に当たることはありません。
しかし、おぞましいのは、そのような発信ができてしまうことです。

特に、イスラム土葬墓地については日本に定住したイスラム教信者が一定数いる限り、ある程度の整備は避けては通れず、むしろ一律禁止などすれば社会の混乱を招くと思われるほか、当然ながら外国人への不当な差別はあってはならないことです。
これに対して、死刑しか法定刑のない外患誘致罪の適用を主張するのは、つまりは、「死ね」「殺せ」ということです。
信者にとっては、教祖に仇なすというだけで、自分たちの教義に反するというだけで、生命を奪うに値する罪ということでしょうか。

教祖への盲従だけが尊ばれ、人間の生命も、身体も、心も、尊厳も無価値となった社会。
空虚と苦痛と、一緒に誰かを痛めつけることで得られる仮初の醜悪な連帯感と憂さ晴らしに満ちた社会。
そのような社会で生きることが幸せとは、それが未来に残すべき社会とは、とても思えません。

(追伸)
長い夏の後、ようやく秋が訪れたと思いましたが、駆け抜けるように、あっという間に冬に変わってしまった印象です。















今の職場に来てから5年半が過ぎましたが、昼休みに時々訪れる公園があります。
あまり大きな公園ではありませんが、季節ごとに見応えのある花々や紅葉が楽しめます。

先日、この公園を訪れると、一面の彼岸花が咲き乱れていました。
この公園に時々来るようになって5年もの間、これほどの彼岸花が咲くことは全く知りませんでした。

訪れるのは週に1回あるかどうかのため、これまでタイミングが合わず、目にせずにいたのでしょうか。
ごく近くの馴染み深い場所であっても、タイミングが合わないだけで、長い間出会わないこともある。
少しだけ考えさせる出来事でもありました。















紆余曲折を経た高市政権の誕生からしばらくが経過、現時点で着実に役割を果たしているような印象を受けます(今回の中国・台湾をめぐる騒動は、やや勇み足だったかもしれませんが)。
気になっているのは、実際の高市政権の動きとは遊離するほどの絶賛と批判の声、両者の衝突がみられることです。

高市総理を支持する側は、とにかく絶賛していますが、今の時点でさすがにそこまで賞賛されるような行動や実績があるのか疑問です。
一方、高市総理を批判する側も、とにかく一挙手一投足に辛辣な言葉を放っており、このようなことに、ここまで言う必要があるのかと感じてしまいます。
そして、両者は激しく衝突し、分かり合う余地をお互いに自ら徹底して排除し、罵り合っているように見えます。

ここで感じたのは、いつの頃からか、この社会は「怒り」が支配し、「怒り」で動いてきたこと、そして、それが待望したのが高市政権であったのではないかということです。

かつての日本は、閉鎖的な組織の中、パワハラに溢れた上下関係を軸に、社会を動かしてきました。
これは、「怒り」のエネルギーを上から下へと効率的に流すことで、社会を駆動させていたということにも思えます。
しかし、「怒り」による駆動は、必然的に無理を生じて、組織の疲弊や破壊を招いていきます。
雇用や家庭、地域などでの人間関係が崩壊すると、今まで効率的に流されてきた「怒り」のエネルギーが鬱屈していきます。
これを、知ってか知らずか、極めてうまく利用したのが安倍元総理であったように思います。

安倍元総理は、鬱屈した「怒り」のエネルギーを効率的に流すため、安心して一方的に叩ける対象を提示することで、社会で「怒り」の暴走を抑えるとともに、「怒り」を持つ者の連帯感を醸成し、かつ、逆らう者への見せしめにもしたのではないでしょうか。
これにより、安定して陰湿かつ陰鬱とした社会が、安倍政権下で長く続いたように思います。

安倍元総理を失うと、社会の「怒り」の行き場も失われました。
続く、岸田元総理、石破前総理は、どちらかといえば「融和」を目指したように思います。それは、過去の「怒り」の一方通行による陰湿・陰鬱な社会に辟易とした人にとっては希望でした。
しかし、「怒り」を一方的に発出し、発出者同士で連帯できた過去を懐かしむ人には不満でしかなかったでしょう。

そして、彼らが待っていた時は来ました。
安倍元総理の「愛弟子」で、考えの似た高市総理が誕生、「怒り」の一方通行を今こそ再開すべく、一気に盛り上がりました。
一方、過去の状況に辟易とした人達も、これを阻もうと、「怒り」で応戦し始めたのではないでしょうか。

高市総理誕生はあくまできっかけにすぎず、社会に鬱屈した「怒り」がある限り、遅かれ早かれ、何らかの形で今のような状況は出現していたように思います。
「怒り」は二次感情といわれます。その背景には、不安、悲しみ、苦しみ、恐怖といった一次感情があり、鬱屈した「怒り」を発出させ、振り回してみても、一次感情がそのまま放置されれば、何も変わるところはありません。
そして、「怒り」が渦巻けば渦巻くほど、肝心の一次感情は見えなくなっていくように思います。

「怒り」の一方通行がしにくい社会になったとき、表面的な「融和」でなく、一次感情に向き合わなければならなかったのかもしれません。
しかし、それができないまま、「怒り」の一方通行に向けた道筋が再び作られ始めています。
この社会に渦巻く「怒り」を生んだ一次感情は何なのか、それを考え、向き合う時間が果たしてどれほど残されているでしょうか。

(追伸)
先日子供達と行った王子駅近くの飛鳥山公園です。
紫陽花の名所としては知っていましたが、小さなモノレールがあるほか、昔の都電荒川線の車両や蒸気機関車も展示されていました。
その後、近くの北とぴあ展望台に行きましたが、100円玉がなく有料の双眼鏡が使えなかったことに子供達は残念がっていました。















樋田毅著「彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠」を読みました。
大学において命さえも危険にさらされるような暴力と恐怖の時代があったこと、今となっては想像もできないことでした。

共産主義革命により理想の国家・社会を生み出せると少なからず信じられていた時代、しかし、その実現の可否以前に、それが異なる考えを持つ者への排撃や、自分たちへの同化を迫る支配へとつながっていってしまいました。
最初は、皆が幸せになれるようにという理想があったはずですが、なぜ、その反対に多くの不幸と悲劇を招いてしまったのでしょうか。

このような時代の状況をみて、「だから左翼はけしからん」で済ますこともできないと思います。

この本で描かれている革マル派が大学を支配し、学生の思想や言動を暴力的に統制する様子は、あたかも戦時中の憲兵や特高警察を彷彿とさせます。
また、理想を掲げて始めた取組が、その理想とは相反するものに変わっていく様も、自由や開放を大義に開始された戦争が抑圧や支配を生んでいくのと似ているように思います。

これで思い出したのは、かつて若干勉強した政治学で紹介されていたアイゼンクという学者の学説です。
ここでは、人々の政治意識は、イデオロギーが保守的かリベラル的かという軸と、心が硬いか柔らかいかという軸で分類され、イデオロギーは変化しやすいが、心は変化しにくいとされていました。
例えば、過激な左翼が右翼に考え方を変えることはないと思われがちですが、過激な左翼が過激な右翼に転向することなどは珍しくない一方、むしろ過激な左翼が穏健な左翼に変わる方が難しいというものです。

私自身詳しく学んだわけではなく、また、現実はより複雑かと思います。
しかし、戦時中の憲兵や特高警察と戦後の左翼過激派の蛮行を考えると、思想という表面的な衣が変わっただけで、力付くで他者を屈服させようとする醜い欲望に暴走する本質は同じように感じてなりません。

衣が変われど他者を暴力で従わせようとする欲望は人間社会の幸福の敵であり、戦うべきはその邪な心のはずですが、厄介なのは、それがいつの間にか思想の闘争にすり替えられてしまうことです。
思想が邪な攻撃を正当化し、向き合うべき悪を覆い隠し、闘争の激化がさらなる攻撃を正当化します。

では、どうすればよいのか。
有効な対処法はないのかもしれませんが、硬直化した思想に凝り固まらず、自然な心で物事を感じることを大切にしなければならないと思います。

(追伸)
先日、子供達とさいたま市にある調神社(つきじんじゃ)を訪れました。
境内には様々な場所にウサギの石像がある珍しい神社で、入口を守るのも狛犬ではなくウサギでした。
子供達は特にウサギの口から水が出ている花手水が気に入ったようです。

















高市早苗氏が自民党総裁選を制して、女性初の自民党総裁となりました。
高市氏については、その政治思想や言動から、熱烈な支持と苛烈な批判の双方が渦巻くことが予想されましたが、就任早々から、その発言をめぐって賛否両論が巻き起こりました。

その発言とは、自民党の議員に対して「馬車馬のように働いていただきます」とした上で、「私自身もワークライフバランスという言葉を捨てます。働いて働いて働いて働いて働いて、参ります」としたものです。

他者に「馬車馬」のような労働を求め、ワークライフバランスを捨てるとしたことを労働者の健康や生活を守る時代の流れに逆行するという批判がある一方で、あくまで国民の代表である議員への要望と自身の決意表明であり、国民に求めたものではないため、批判は当たらないと擁護する意見もあります。
これについては、高市氏の発言はあくまで自身の意気込みを示したものとして、意図の正当性は認めつつ、その影響として、過酷な労働の強制の助長を懸念する声があり、このあたりが最も冷静かつ的確な捉え方のように思えます。

ところで、この高市氏の発言にここまで動揺が広がった背景には、失われた30年がこの社会に与えた深い傷があったのではないか、そのトラウマを高市氏の発言が刺激したのではないかと感じました。

一昔前は、馬車馬のように働き、日本と自分が豊かになっていきました。
しかし、長期間にわたる不況の中で、特に就職氷河期世代と称される世代は、それこそ馬車馬のように働かされ、劣化していく待遇の中で「自己責任」の鞭を振るわれ、壊れれば容赦なく捨てられていきました。
ようやく「自己責任」の欺瞞が払拭され、遅きに失するとはいえ支援が拡充されつつある中、高市氏の発言に「あの時代」に巻き戻る恐怖を惹起したのではないでしょうか。

職場のホワイト化が急激に進む一方で、想像を絶するパワハラ等を引き起こすブラック企業も残っており、また、氷河期世代の採用抑制や脱落により生じた人材不足も深刻化しています。
失われた30年が社会に与えた深い傷は、治り切らないまま、一部化膿を始めているといえるのかもしれません。
その傷にきちんと向き合い、癒すことなしには、これからの社会を健全に築いていくことはできないように思います。

(追伸)
夏休みには家族で群馬を旅行し、渋川市の伊香保温泉や高山村のロックハート城を巡りました。
群馬はかつて家族で住んでいた思い出の地、懐かしい場所と新しい場所の双方を回れた旅行でした。





























例えば、ある朝、職場の上司の機嫌が非常に悪く、理不尽に怒鳴られた時、その上司からこう言われたらどうでしょうか。
「俺は出勤途中で、知らない奴に肩をぶつけられた。しかも、そいつは謝るどころか舌打ちして去っていった。そのせいで俺は不機嫌だ。俺の言動に文句があるなら、俺を不機嫌にしたそいつを探し出して、そいつに言え。」

明らかに理不尽でしょう。
その上司が肩をぶつけられたことは、部下には何の関係もありません。
しかし、ここまで極端でなくても、このように自分の不快な感情をそのまま他者に押し付けたり、自分の言動を他人のせいにしたりする場面は時折見受けられます。
本来、人には、自分の感情に自分で向き合う責任、自分の言動を自分で制御する責任があるはずです。

大学時代に、専攻ではありませんでしたが、哲学の講義を履修していました。
そこで、「自己」を理性や感情を最終的に統括する意志とする考え方を知り、それが深く印象に残っています。
そして、人生を重ねていくうちに、感情だけではなく、理性だけでもなく、決心や覚悟という形で物事を決断する場面を経験し、何となくですが、上記の考え方が腑に落ちた気がしました。

人は、そのような決断にこそ、責任を持つことができるのではないでしょうか。
より自分という人間であるために、より自分の人生であるために、簡単ではありませんが、可能な限り、自分の意志で決断し、責任を持つような生き方ができればと思っています。

(追伸)
また実家のある石神井町へ行き、石神井公園や近くの寺院を散歩しました。
また、連続テレビ小説「らんまん」で取り上げられた牧野富太郎博士ゆかりの牧野記念庭園も、実家に比較的近いにもかかわらず、これまで行くことがありませんでしたが、初めて訪れました。































2005年に放送された学園ドラマ『女王の教室』、天海祐希演じる教師・阿久津真矢の強烈なインパクトが記憶に残り、根強いファンが多いようです。
一方、今年2025年に放送された学園ドラマ『御上先生』、東大卒のエリート文科省官僚で高校に教師として赴任した松坂桃季演じる御上孝が独自の授業を行うこちらのドラマも話題になりました。

インターネットでは、これらのドラマが、生徒たちに社会の厳しさを突き付けて、それに立ち向かわせようとする点で通じているとすり考察がありました。

逆に、これらのドラマの相違点として、『女王の教室』では、絶対的な権力で生徒を支配し、社会の厳しさを徹底的に叩き込むのに対して、『御上先生』では、生徒たちと向き合い「考えさせ、行動させる教育」を実践することを挙げているものがありました。
また、その背景として、『女王の教室』放送当時は、教師の強権的な指導が当たり前だった昭和以前の時代を反映し、「教師の指示に従うこと」「生徒主体の学びよりも社会の厳しさに備えること」が重要視されがちだった一方、『御上先生』が放送された今日では、教育において主体性が重んじられ始めていると分析されています。
https://trilltrill.jp/articles/4028111

実際のところ、どちらのドラマも観ていないのですが、このような分析には非常に興味を持ちました。
ただ、両者の違いの背景については、やや異なる意見を持っています。
そう言うのも、私は2001年に高校を卒業しましたが、現在ほどではないとしても、その時点で既に教師からの一方的な権力による教育はかなり薄れていたと感じるからです。

むしろ、『女王の教室』に反映されていたのは、就職氷河期と自己責任の時代だったのではないでしょうか。
社会はあなたを利用しても、助けようとはしない。だからこそ、甘えを捨てて、強く生きなければならない。

その時代の若者は果敢に戦いました。そして、確かに強くあり続け、戦いに勝ち抜いた者はいました。
しかし、それは一部に過ぎませんでした。
勝った一部しか這い上がれず、多くが敗者として沈む社会は、全体として崩壊を始めました。

最初から一部しか勝てない構造のまま社会を良くすることはできない。
皆が幸せになり、社会を良くするためには、社会を変えなくてはいけない。
遅まきながら社会に広がり始めたその「気付き」が、『御上先生』に反映されたのではないかと思います。

とはいえ、生徒を社会の中で自立して生きていける人間に鍛えようとするところは両者に共通しているのではないでしょうか。
まさに、そのことが教育の本質といえるのかもしれません。

(追伸)
先日、家族で吉見町の道の駅を訪れました。イチゴが特産品のようで、様々なイチゴの商品があり、面白かったです。
酸味の効いたイチゴソフトクリームは大人にも子供にも美味しく、また、子供達はイチゴのご当地キャラクターが気に入ったようです。