恐れていたことではありましたが、思った以上に急速でした。
過去を断じたり、罰したりする司法と異なり、政治は皆にとってより良い社会を作り上げる創造的な営みといえるでしょう。
だからこそ、政治に持ち込んではならないものがあると考えています。
それは、宗教の教祖・信者のような関係性と「ざまあみろ」という発想です。
一部の政治家を教祖のように崇め、それを信者のように信奉するのは、皆が生きる社会のあり方や仕組みを不断に考えていく政治とは相容れません。
また、社会を健全に継続するには、可能な限り皆が納得できるあり方を模索する必要がありますが、自分とは考えの異なる相手を攻撃し、不利益を望んで喜ぶ「ざまあみろ」の姿勢は、社会を瓦解させ、禍根を残すだけです。
しかし、昨今はむしろ、これらの教祖・信者のような関係や「ざまあみろ」の発想が主に政治を動かしているように感じます。
長期に安定した安倍政権を始め、社会現象を起こした石丸伸二氏、斎藤元彦氏、さらに今の高市総理をみると、いずれにも「信者」と呼ばれる支持者の存在、その「教祖」に仇なすとされた者への苛烈な攻撃が見られました。
そして、先日、インターネットで見た記事に益々寒気がしたのです。
それは、「ネット上では、中国政府を擁護する発言をしたり、イスラム土葬墓地の整備を求めたり、外国人差別の撤廃に取り組んだりしている国会議員らを「売国政治家」と呼び、「外患誘致罪で逮捕しろ」と主張するSNS投稿や動画配信を目にします」というものです。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/5e67d09a9af58c1a0012d45bec5285938258f5f1
外患誘致罪は、日本で唯一死刑しか科せられる罰のない罪ですが、外国と通謀して日本に武力を行使させるものなので、上記のような行為が同罪に当たることはありません。
しかし、おぞましいのは、そのような発信ができてしまうことです。
特に、イスラム土葬墓地については日本に定住したイスラム教信者が一定数いる限り、ある程度の整備は避けては通れず、むしろ一律禁止などすれば社会の混乱を招くと思われるほか、当然ながら外国人への不当な差別はあってはならないことです。
これに対して、死刑しか法定刑のない外患誘致罪の適用を主張するのは、つまりは、「死ね」「殺せ」ということです。
信者にとっては、教祖に仇なすというだけで、自分たちの教義に反するというだけで、生命を奪うに値する罪ということでしょうか。
教祖への盲従だけが尊ばれ、人間の生命も、身体も、心も、尊厳も無価値となった社会。
空虚と苦痛と、一緒に誰かを痛めつけることで得られる仮初の醜悪な連帯感と憂さ晴らしに満ちた社会。
そのような社会で生きることが幸せとは、それが未来に残すべき社会とは、とても思えません。
(追伸)
長い夏の後、ようやく秋が訪れたと思いましたが、駆け抜けるように、あっという間に冬に変わってしまった印象です。





















































































