いつの頃からか、「論破」が流行り始め、相手を言い負かせば自分の意見が正しいと決まるかのような物言いがなされるようになりました。
しかし、本来、議論は互いの言い分を言い合い、理解し合い、より良い考えを得るとともに、その認識を共有するために行うものではないでしょうか。
議論の相手が自分の意見に理解を示し始めたら、当然喜んで受け入れるところかと思います。
ところが、なぜか、そうならないことがあります。
ここぞとばかりに、「さっきは違うことを言ってただろう」と攻め立てたり、「そらみたことか」と嘲笑したりと、不可思議かつ醜悪な言動を始めます。
そもそも、相手の理解を得ようと話をしていたのではありません。
相手を攻撃し、けなすこと、まさにマウントこそが目的だったといえるでしょう。
ここでは、言葉が理解し合うためのコミュニケーションの機能を喪失しており、単に相手を不快にさせ、傷つけるための凶器でしかなくなっています。
一方でもこのような姿勢で臨めば、進んで凶器で刺されて傷つきたい人はいないでしょうから、反撃するか、諦めて去るか、いずれにしても、もはや分かり合うことは不可能です。
たかがマウンティング意識といえばそれまでですが、これが蔓延すれば、社会に様々生じる問題を解消するために必要な関係者の合意が作られなくなるおそれもあります。
そのような社会にならないよう、小さなことですが、自らの姿勢や話し方に気を付けていきたいと思います。
(追伸)
4月の終わりに家族で醤油工場の見学に行きました。
見学ツアーに参加できるだけでなく、子供の遊び場などがあるほか、食事や醤油風味のソフトクリームも美味しかったです。






「躾が全くできていない騒がしい子供の入店お断り」という貼紙をしたお店がインターネット上で話題になっていました。
日本の社会のこういった姿勢が、親子を息苦しくし、少子化を進めるという苦言が呈される一方、店が入店を断っているのは「躾が全くできていない子供」であって、普通の親子を排除するものではないと上記の苦言を批判する声も多々聞かれました。
皆様はどう思われるでしょうか。
公共の場で子供が騒いでも、親が注意もせず放置している状況が問題視されることがあります。
これではさすがに親として無責任と感じられるでしょうし、他の客の迷惑を考えても、そういった親子連れの入店を拒んでも致し方ないといえるでしょう。
この意味で、貼紙の内容は決して間違っていない、まさに正論といっていいと思います。
そう、まさに正論です。
正論なのですが・・・小さな子供を持つ身としては、このお店に入るのは避けると思います。
入店を拒んでいるのは「躾が全くできていない子供だけ」といいますが、「躾が全くできていない」の水準について、考え方は人それぞれです。
中には、「きちんと躾ければ常に子供を静かにさせておけるはず」と考えているような方も見受けられます。
しかし、子供や親の個性にもよるでしょうが、実際には、確実な静寂を保証することなどできず、その躾のために、大声の応報になることも珍しくありません。
人によっては、これも「躾が全くできていない」と捉えられるのではないでしょうか。
考え方自体は正論でも、その正論が常に健全に使われるとは限りません。
ただし、これは「親は子供を躾けるべき」という正論にも、「社会は親子連れに寛容であるべき」との正論にもいえることです。
心がざわついても、安易に正論の刃を振り下ろすことのないよう、冷静さと落ち着きを持っていたいと思うところです。
(追伸)
3月初めに志木市の寺院に梅を見に行きました。紅白の見事な梅、その後、近くの川沿いの施設に立ち寄ると、綺麗な吊るし雛が披露されていました。



























































































