日本社会でも、以前と比べれば若手の登用が活発になったと感じますが、それでもまだ十分に浸透したとはいえないでしょう。
その理由の一つには、年上の部下を年下の上司が指導することへの抵抗感が挙げられ、意識の改善が必要とされています。
ただ、ここで必要とされている改善とはどのようなものでしょうか。年下の上司に指図されることに抵抗を感じない、あるいは、感じても我慢するようになれば、改善といえるのでしょうか。
そもそも、人間は、指図されたり、支配されたりするのを嫌うものであり、その抵抗感を、年上だから、先輩だからと納得させていたのではないでしょうか。
それが納得感の拠り所を失えば、たちまち抑え込んでいた抵抗感が噴出します。
果たして、これを押さえ込むことが今日求められる意識改善なのでしょうか。
おそらく、上司と部下の関係を今のような全人格的な上下や指導・追従の関係とする前提がある限り、年功序列にかかわらない適材適所は実現できないと思われます。
管理者も実務者も役割の違いに過ぎず、互いに役割と人格を尊重する風土が醸成されない限り、抜擢を含むような思い切った人事への抵抗感は払拭できないでしょう。
それは「甘え」と思われるかもしれません。
能力に差がある以上、能力の高い人間が高い地位を得て、能力と地位の低い人間を下に見て指導するのは当然だ、と。
しかし、能力と地位がある者が、その職務を遂行するに当たり、部下を全人格的に下に見て接するのは必然でしょうか、必要でしょうか。
それもまた一つの「甘え」なのではないでしょうか。
さらに、地位に「全人格的な支配力」が付随すると、地位への固執が発生します。
昨今、「老害」という言葉もしばしば聞かれますが、地位を単なる役割の違いに変えていかなければ、地位にしがみつく老害と、地位を失った悲しい「働かないおじさん」と、それに苦しめられる周囲の人達という皆が不幸になる未来を招いてしまうように思うのです。
(追伸)
2月に仕事で松本に行った際、松本駅で待合せまで時間ができたため、その間に松本城を訪れました。
ゆっくりはできませんでしたが、いい気分転換になりました。











