躾が全くできていない子供、とは…… | “迷い”と“願い”の街角で

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確固たる理想や深い信念があるわけではない。ひとかけらの“願い”をかなえるために、今出来ることを探して。

「躾が全くできていない騒がしい子供の入店お断り」という貼紙をしたお店がインターネット上で話題になっていました。

日本の社会のこういった姿勢が、親子を息苦しくし、少子化を進めるという苦言が呈される一方、店が入店を断っているのは「躾が全くできていない子供」であって、普通の親子を排除するものではないと上記の苦言を批判する声も多々聞かれました。


皆様はどう思われるでしょうか。

公共の場で子供が騒いでも、親が注意もせず放置している状況が問題視されることがあります。

これではさすがに親として無責任と感じられるでしょうし、他の客の迷惑を考えても、そういった親子連れの入店を拒んでも致し方ないといえるでしょう。

この意味で、貼紙の内容は決して間違っていない、まさに正論といっていいと思います。


そう、まさに正論です。

正論なのですが・・・小さな子供を持つ身としては、このお店に入るのは避けると思います。


入店を拒んでいるのは「躾が全くできていない子供だけ」といいますが、「躾が全くできていない」の水準について、考え方は人それぞれです。

中には、「きちんと躾ければ常に子供を静かにさせておけるはず」と考えているような方も見受けられます。

しかし、子供や親の個性にもよるでしょうが、実際には、確実な静寂を保証することなどできず、その躾のために、大声の応報になることも珍しくありません。

人によっては、これも「躾が全くできていない」と捉えられるのではないでしょうか。


考え方自体は正論でも、その正論が常に健全に使われるとは限りません。

ただし、これは「親は子供を躾けるべき」という正論にも、「社会は親子連れに寛容であるべき」との正論にもいえることです。

心がざわついても、安易に正論の刃を振り下ろすことのないよう、冷静さと落ち着きを持っていたいと思うところです。


(追伸)

3月初めに志木市の寺院に梅を見に行きました。紅白の見事な梅、その後、近くの川沿いの施設に立ち寄ると、綺麗な吊るし雛が披露されていました。