その箇所を引用すると次のとおりです。
「先に母親が「助けて」を封じられることに触れたが、その背景にあるのは日常的に投げかけられる言葉や「世の中からの扱われ方」だ。」
「児玉さんはもともと大学の英語の専任講師だったのだが、「重い障害のある子どもの親になった」ことで、〈世の中からの扱われ方がゴロリと変わった〉と書く。子どものように扱われたり、上から目線で指導されたりするようになったのだ。」
https://imidas.jp/girls/2/?article_id=l-60-155-25-06-g421
これは、この社会が、社会の中での立場や地位、優劣ばかりを重んじるマウンティング社会であることの表れのようにも感じます。
なるべく他者を下に位置づけて、優越した立場にいたい人からすれば、子が障害を持つという「弱み」を抱えた人は絶好のマウントの標的です。
さらに厄介なのは、同情的な態度であったとしても、その根底にあるのがマウントの意識であれば、決して有効な支援にはつながりません。
マウントする側からすれば、ずっと自分の下にいてほしいため、適切な支援で上がってこられたら困るのです。
これにより、同情するのに支援には消極的という一見矛盾した姿勢が生まれますが、これは日本の社会で決して珍しいことではないようにも感じます。
そして、このような社会では子を持つことにブレーキがかかっても仕方ないだろうと思うのです。
なぜなら、子を持つこと自体、周囲に迷惑や負担をかけがちになる大きな「弱み」となるからです。
その「弱み」を標的として突いてくる人が社会に広く潜在していれば、どうしても警戒せざるを得なくなります。
社会に根深く張り巡らされたマウントの呪縛は、容易には除去できないと思いますが、少しずつでも解きほぐしていかなければ、未来はないように思います。
(追伸)
春に撮影した実家のある石神井町近辺の桜。桜の季節は毎年訪れますが、やはり綺麗です。
加えて、他の場所でふと撮影した菜の花、また、練馬駅で撮影した昔の西武鉄道の車両を模したフォトスポット。
西武池袋線ではこの黄色の車両は見なくなりましたが、今でも西武鉄道というと、このイメージです。
























































































