他人のためを思えば、あえて厳しく接しなければならない時もあるのでしょう。
しかし、同時に、それはとても難しいことです。
相手を傷つけ、関係を壊してしまうおそれもあるほか、誤解があれば、かえって相手の不利益になる可能性もあります。
一方、厳しくすることが難しいのは、「本当に相手のことを思えばこそ」です。
相手に対する共感がなければ、相手に配慮する姿勢がなければ、どれだけ辛辣な態度をとり、どれだけ深く傷つけても、心は痛まないでしょう。相手のことを思っていなければ、厳しくすることは簡単です。
そして、このような自己中心性から他人に辛辣に当たる人ほど、「厳しくすることは難しい」「あえて心を鬼にして」などと声高に叫んで、自らの行いを正当化しがちです。
相手のためにこそ厳しく接すべき場合があるということが正しいとしても、その正しい言葉を盾にした自己中心的で邪な行為を許してしまえば、多くの人が傷つくだけでなく、世の中自体を歪ませてしまうように思います。
そのような本質が見極められる社会であってほしいと願います。
(追伸)
あっという間に時期が過ぎ去りましたが、自宅近くの桜の木々は今年も綺麗でした。