にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

<<ブログ308>>

 

       現職国会議員逮捕の報道から想うこと

 

       国会議員そして企業トップ・・組織長・・

      日本の「リーダ―」と言われるみなさまへ

  「自分に厳しく他人(ひと)に優しく!!」

       ↓       ↑

    「他人(ひと)に厳しく自分に優しく」

        では絶対にダメ、です

        ~私の変わらない想い~   by入道

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        今回も埼玉県浦和そして秋葉原を基点として

           世界への羽ばたきをされておられる

   私のちょっとだけ歳の離れた友達、画家の田中拓馬さんがご厚意で

           素敵な挿絵を画いてくださいました。

          拓馬さん、ありがとうございます。

   田中拓馬さんの公式オンラインショップも訪ねてみてください。

           https://ttakuma.thebase.in/about

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★自分の心をいつも「掃除」して、自分の心を「きれい」な状態に!!

       これくらいなら・・・・の「ウソ」「チリ」・・・・

                 ↓

       「チリも積もれば『病(やまい)となる」

           ↑           ↑

       最初にひとがちっちゃなウソをつき

     次には最初のウソを正当化するために

        もう一回り大きなウソをつく

               そして

     最後にはウソひとを飲み込んでしまう   入道

 

●今回の報道でも登場人物は国会議員の先生秘書さん。

 

●国会議員の先生ご自身が「疑惑の対象」「疑惑の主人公」であるのに「私は知らない」「私は潔白」「私は・・・」の繰り返し。

 

         俺じゃない、わたしじゃないもんね・・・

                                挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★そして秘書さんの「取り調べ」。

 

昭和の時代から変わることのない、疑惑を持たれた時の「国会議員の先生」と「秘書」さんの関係・・・・。

 

●おかしさは、ものすごく単純!!

 

●秘書さんは国会議員の先生、貴方が雇っている「使用人」さんですので、「仮に」秘書さんだけでやった、としても「自分は知らない」「この言葉だけで済ませようとする」「自分には非はない」とする対応の仕方はとってもおかしいのです。

 

ビジネスの世界にはあたりまえに「使用者責任」と言う言葉が存在しています。政治の世界においても同じではないのでしょうか。

★昭和の時代からずっと続いている・・・おかしいです。そう感じてなりません。

 

●これまでも、徹底的に「秘書が・・・・秘書が・・・・」、この言葉だけを使い続けて、「ほとぼり」がさめるのを、世間の関心が薄れるのを待つ・・・この動き方は「与野党問わず同一」なのですね。

 

★決して、「実は、私がしました」「秘書ではありません」「私が今日までウソをついていました」・・・・とは絶対に言わない(言わなかった)与野党含めての日本の国会議員の先生方・・・。
 

新型コロナウイルスの動きと絡ませ、日本全体・日本人全員で「日本を変えていく」「日本の生活・仕事方法(スタイル)」を変えていく、そのために「何が第一に必要なのでしょか。

 

◆私が想う「日本のこれからの『変化』のために必要なもの」、それは嘗て私が会社所属時代にスローガンとして提示していた言葉に置き換えれる、そう思います。

 

◆今でも使い続けている行動スローガン、それは

          勇気を持って変化に挑戦

        変化への挑戦と勇気

  そして・・・・

         自分に厳しく他人(ひと)に優しく

です。

 

◆これからの「日本人」特に「日本の『指導者』『リーダー』と言われている人たち」、「企業経営者そして国会議員の先生方に官庁のみなさん更にすべての組織(=二人以上のヒトの集まりby入道)の長」のみなさん」に必要、求められるのは「勇気を持って自ら率先して挑戦していくこと」「変化への挑戦の勇気を持ち続け『こうどう(=考動by入道)』していくこと」である、そう想うのです。

 

◆そして「勇気を持って日本の変化に挑戦していく」ために「リーダー(と言われる人たち)」に求められること、それは「私欲を捨てる」と言うことになる、そう思います。

 

「リーダーが『私欲を捨てる』」と言うとは、生意気な表現で恐縮ですが「これからの日本」「これからの日本の政財界共通に必要なこと」である、と私は心からそう感じています。

           

                        挿絵は田中拓馬画伯 画

●「体制を守る」「自分の、自分たちの立場を守る」「自分を守る」・・・このような「過去から今日に至っている」「ものさし」を勇気を持って否定する」、「今これまでを変えていく勇気を持って挑戦していく」、こうならなければ、またまたまた「言葉のまやかし」「その場しのぎ」にしかならいと思います。

 

●今、新型コロナウイルスの「おかげ」で、日本全体が、当然に国会も「一つ」にならなければいけない、「一つになっていなければおかしい」・・・「一つになることができる状況」なのです!!!

与党・野党・・・そんなこと関係ないじゃないですか、共通の「日本人として」を「ものさし」として動いてください。動かないとおかしい、のです。

 

与党も野党も・・・ご自身の所属組織?を勇気をもって「捨去り」、「日本国の国会議員」、「これだけ」で「こうどう(=考動)」していってください。

 

変わってください、変えてください。先ず「ご自身を!!!!」

政党等、所属組織を変えていくのは難しいかも知れませんが「自分を変えること」は「ご自身だけでできること」なのです。

 

★でも・・・・そうなっていない・・・・日本の現状がとっても残念、そして私にとっては「不思議なこと」と感じてしまいます。国会議事堂には「ヒトの心をひとの心ではなくしてしまう」魔物が存在する?のかも・・。

 

〇政治の世界だけでなく財界・経済界・・・会社・企業においても「全く同じ」なのです。そう想います。

 

「新しいことに挑戦していく」、「変化」のために必要となるのは「自分自身の降りかかってくる(かも知れない)火の粉を恐れない」こと、別の表現をするならば「自分の血を流すことから逃げないこと」、だと思うのです。

 

〇この「心」「想い」「意志」「決意」「信念」・・がにければ「変化への『挑戦』」はできません、「現状、今これまでを変える」なんて、できないのです。

 

〇このように考えていくと「私は知らない・・・・秘書が・・・・」の言葉を使う人たちは「変化を望まない」「昭和の時代からこれまでの長い間の自分たちにとっての『甘い体質』の維持」を第一にしていると感じざるを得ません。

 

「国会」与党そして野党なんて言葉があり、区分けもありますが、こんな区分けは「政権を握っているのか」「そうでないのか」を表すだけであって、結局のところ日本の政治家、国会議員のみなさま、そして「リーダーと言われる」「リーダーと称される」経営者のみなさまは、(選挙の時には)素敵なカッコいい言葉で未来を語っていたとしても当選して「集団・組織に属したとたんに」みんな「自分第一主義」の人たちになってしまう・・・・ちょつと言い過ぎとは感じますがそう思わざるを得ません。

 

どうして!???なんで?????「自分に厳しく」ならないのだろうか、「自分に厳しく」なれないのだろうか、正直にそう思っています。

 

★こんな動き方は政界、国会だけでなく「企業・会社」にもたくさんたくさんあります。しかも・・・・それは「役職者あるいは職歴が長い人」に良くみられる、と言う「特徴」?があります。

 

★その人たち「行動特徴」は「まずい状況の時には『自分を主役には絶対にしない』」「評論家的存在」に自分を置いて「他人(ひと)を攻め続けることで自分を守ろうとする」動き、としてみることができる、そう想います。

 

            

                      挿絵は田中拓馬画伯 画

「新型コロナとの共存」「With コロナ」を前提とした「これから」はたぶん「変化が連続する時代であり「自己責任の時代」だと私は思っています。

 

★このような時代を生きていくためには、「これまで」のような?「他人(ひと)に厳しく、自分に優しい」人たちの存在は「マイナス」にしかなりません。私の想いであり、言い切りたいと思います。

 

★「これから」の「変化への勇気ある挑戦」に必要なのは「ひとり一人が」みんな「悪い・嫌な状況・状態」になったら、その原因を「先ず自分にみつける」動きの「結集」だと思いますし、「こういった動きをすることができる人たち」で「形成されている『国』『会社・企業』そして『組織(=2人の集まりby入道)』」だけが残っていくことができる、力強くなっていく、正直にそう思うのです。

 

☆「秘書が・・・・」ではなく、仮に自分がやっていなくて秘書が、であったとしても「わたしが・・・「私の責任」なのです。

 

「これから」の世の中に必要なのは、本来的には「今これまで」と同じであると思います。ちょっと」から「ほとんど」への変化です。

 

  「自分に厳しく他人(ひと)に優しい人」集団を

  ほんの一握り、ちょつとの今の状況から

 「日本人のほとんど」の状態にかえていくこと

           

 

(追記)

「自分に厳しく他人(ひと)に優しく」、このフレーズは私のもう30年来使い続けている「信念」でもあります。

そして会社所属の時代には「この想いと現実が不一致になったらすぐに辞職する」、そう決めて公言もしておりました。

            (幸い、そうならずに会社所属を自分で卒業いたしました)

 

       今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして
                ありがとうございます。

 

          「自分に厳しく他人に優しく」は私の「信念」のひとつです。

 

                             「信念」としていても・・・

         時にふっと「おい!!他人に厳しく自分に甘く」になってるぞ、と

                  自分で感じてしまう時が正直、あります。

 

           でも・・・・そう「気づく」のもこの「想い」があるから・・・

                               そう思っています。

 

                日本の「リーダーと言われる人たち」が

  みんな「自分に厳しく他人に優しく」で考えそして動いていただければ

       日本はきっと早く早く「良い方向への変化」が実現していく

                                そう思います。

                             お願いいたします!!!

 

                           ありがとうございます。

            にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ  入道(夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          

                                 

      

 

 

<<ブログ 307>>

 

             新型コロナウイルスを

   「自然から産まれたもの」と単純に考えて想うこと

 

 今、私たち地球人全員を脅威に陥れている

       新型コロナウイルスは

            私たち

「人間の今までの自分たちの動きの蓄積」が

 新型コロナウイルス発生可能な環境を

創り出してしまったことから産まれたのでは?

(コロナウイルスにとっては「いい環境」=地球上の「生き物」にとっては良くない状況)

                   

新型コロナウイルスを誕生させたのは人間?

                   

現代を生きている私たちの生き方(働き方)を

     変えていく機会なのでは

                 ⇩

  美しい豊かな地球環境を取り戻して

  「未来人の人たち」に引き継いでいく

   これが私たちの責務なのでは!?

        ~私の想い~      by  入道

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          今回も私のちょっとだけ歳の離れた友達

     秋葉原と浦和を基地として世界への羽ばたきをされている

    画家の田中拓馬さんが素敵な挿絵を画いてくださいました。
       

          拓馬さん、ありがとうございます。

    田中拓馬さんのウエブサイトも訪ねていただければと思います。

      http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

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  新型コロナウイルスはなぜに2019年末~2020年初に

             産まれたのだろうか

新型コロナウイルスも地球に産まれたもの、と位置付ける

単純に次のように考えることができるのではないでしょうか。

 

   永い永い地球時間の下で「これまでは新型コロナウイルス」は

   存在してはいなかった

    ⇓

   2019年末から2020年初にかけて「発生」しそして「勢いを

   増して」今、全地球上に存在

    ⇓

   なんで今になって!???

    ⇓

   地球環境・自然環境が「新型コロナウイルス」にとって

   「いい環境」になってきたから産まれそして全世界、

   全地球上で勢いを増すことができた!!

    ⇓  ⇑

   それまで(~2019年まで)は「存在することができなかった」

    ⇓

   おそらく・・・・「ある時に一気に発生」したのではなく地球時間での

   「ここ直近」で「徐々に「発生」したものなのではないのだろうか。

    ⇓

   「きれいな空気」「清潔な水」そして「温かな陽・・

   「もともとの美しい豊かな地球環境」下では、

   新型コロナは誕生することさえできなかった

    ⇓

    自然環境の悪化、地球環境の悪化

    ⇓

   「きれいな空気」「清潔な水」そして「温かな陽光     

   私たち「にんげん」がこの地球上に誕生してきた「源」でもある

   大切な大切な「地球資産」「自然資産」を「にんげん」、自分たち  

   が、自分たちで悪化(環境破壊)させてきてしまっている

    ⇓

   「文明」そして「豊かさ追求」の名の下での自然破壊・環境破壊

   の継続

    

   人間を初めとして地球に産まれた「生き物たち全て」にとって好ま

   しくない状況

      「汚れた空気」「汚い水」そして「熱い陽光」

    ⇓

   新型コロナウイルスにとって「好ましい状況」「新型ウイルス

   が産まれる環境」になってしまった、「(人間が)してしまった」が

   故に、新型コロナウイルスは地球上に出現して「人間にとりつき」

   (感染)、たくさんの人たちの「命」を奪ってきている

         ⇓

   にんげんは地球環境の守り人(前回のブログ306参照)

   なのに!!

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●私は生きて行く時、仕事をしていく時そして経営していく時に「変わらない一つの『ものさし』」を持っています。

●その「ものさし」は、いつもいつもにんげんとしての『あたりまえ』」の「ものさし」です。

●この「ものさし」は、これまでもたくさん私のブログに書いてきている「変わることのない想い」=「信念」です。

 

★人間としての「あたりまえのものさし」。私の想いの結論だけを記します。

★「あたりまえのものさし」それは「助け助けられ」でありべつの言葉で言い表しますと「やさしさ(優しさ)です。

 

◆人間が仲間(自分以外の人間)と一緒に「生きていく」「人間社会」の「あたりまえ」、それは「やさしさ」であり、人間は生まれながらに持っているもの、だと私は信じているのですが、どうして人間はその「やさしさ」をどこに置き忘れてきてしまったのでしょうか。

 

◆探しにいこうよ、取り戻そうよ、取り戻さなければ絶対に「いけない」と思うのです。「人間がきっと本能として持っている『やさしさ』」を!!

 

●私は「にんげんが生きていくにあたっての心配がなくなった先進国と言われる国の「身勝手」な人間たちが「本来あるべき産業形態を飛び越えてしまった、大きく大きく変えてしまった」(=ものさしの目盛りを変えてしまった)ことで「やさしさ」を置き忘れてきてしまった」、そう感じています。

 

産業・経済は「ひとが社会と言う群れ・集団で生きていく(=生活していく)ための「支え」となる動き」である、これが私の勝手な自己定義です。

 

★私の「造語」で恐縮ですが「産業は『生業』であるべき」、そう想うのです。

生業」とは「ひとが生きていくために必要な仕事」「生活に関わるものであること」、「生活産業」「生活経済なのだと思います。

 

●産業革命、文明の発達、利便性追求等の言葉の「裏」で、いつしか人間は「生きていくこと一生懸命になる必要がなくなり」、(先進国の)人間は「身勝手な人間」「自分が良ければのにんげん」にいつの間にか変わってきてしまった、そう想うのです。私たち、日本人も当然にここに入ります)

 

●19世紀から20世紀・・・・「技術革新」の言葉で代表される「人間の『賢さ』」で私たち人間は「物的豊かさ」を追求し続け享受し続けてきています。

 

●でも・・・それが「生きるために」からいつの間にか「際限なき貯めこみ」なってきてもしまった、のです。

 (賢さの追求が人間から「やさしさ」を奪ってきている、のでは)

 

●そんな人間の「心の変化」が「産業の変化」「経済の変化」「ビジネスの変化」の変化となり、20世紀の後半には人間が「頭かしこさ」で創り出した欲望経済(みんなで、ではなく「自分だけ」そして「際限なく」)主流の世の中となってしまい、その結果、「勝ち組」と「負け組」を明確に分類するような地球社会(国際的にも、そして一国の中でも)になってきてしまっています。

          

                        挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●そんな「動き」に拍車をかけたのが、今も拍車をかけているのは「人間の『頭(かしこさ)』が創り出した『金融ゲーム』(私の勝手な言い方で恐縮です)である、と私は思っています。

 

●「生活産業」育成のための「金融ビジネス」は必要な領域、実需の領域(=生業)なのですから否定はいたしません、必要なビジネスです。

 

★私が否定的なのは、「なくてもいい」「なくした方がいい」と想い続けているのは「投機的な金融ビジネス」(一瞬にしてどでかい金額を手に。長期育成視点での「投資」ではありません)です。表現を変えると「コンピュータと通信技術がなければできない(金融)ビジネス」となります。(私の感覚では実のビジネスなのではなくバーチャルな世界、ゲームの世界・・・バーチャルビジネス

 

★そして、投機経済の勢いを増した、増しているのは「オイルマネー」、そう思います。

 

★全世界がエネルギーとしての石油そして石油製品を使い続けていることで産油国が得られてる博大な莫大な金額のお金・・。

 

★そして・・・人間が発明した「コンピュータと通信技術」がなかったら、今の国際金融ゲームビジネスはできません。できない、のです。

 

★単純に・・・勝グループだけでは投機的金融ビジネスは成り立ちません。どこかに「負けている」グループの存在が必要です。

 

★他人を「負かして(やっつけて)」自分が「勝つ」・・・コンピュータゲームの世界と同じと感じてなりません。

          

                        挿絵は田中拓馬画伯 画

★そして、そんなマネーゲームの「対」として永い永い時間で蓄積されていたのが「地球環境破壊」「自然環境破壊」である、そう想うのです。

 

欲望産業・欲望経済がなくとも人間は生きていくことができます。生活していけます。

 

●なので・・・私はこのようなコンピュータと通信技術がなければ存在しえない「投機的ビジネス」「バーチャルゲーム的ビジネス」は絶対に「生業」ではない、と想い続けています。

 

「欲望経済」「ゲーム経済」を捨てて、「実経済」「生活産業」に改めて転じていく、この動きそしてこの転換が「にんげん本来の『やさしさ』回帰」、更に「地球環境」「自然環境」復活の入り口なのではないのかな、と感じています。

 

21世紀、「これから」を「やさしい時代」にしていき「未来の地球人」の人たちに「きれいな空気」「清潔な水」そして「温かな陽光」の地球を引き渡していくことが「今を生きている私たち『大人』の役割」「今を生きていく私たち大人の責任」なのではないのでしょか!

そう思います。

 

★永い永い時間での中で、ですが「人間が変えちゃった、変っちゃった」・・・・それだけなのですから「にんげん本来の『やさしさ』」に戻りさえすれば人間誕生の「母体」である「美しい豊かな地球環境」「美しい豊かな自然環境」を取り戻していくことは絶対にできる、そうもおもいます。

 

●現実・・・・・コロナによる全世界的な「Stay Home」「通勤自粛」「外出自粛」のほぼ2カ月の「動き方の変化」で「空気」「海」「河川」等々の地球環境・自然環境はきれいになってきているのですから。

 

で難しく賢く考えるのはやめて、「心」を使って「人間としての『あたりまえ』」に立ち還りましょう!!!

 

★     みんなで

  「にんげんしましょう!!」

 

       今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                ありがとうございます

 

     なかなか出口のみえない新型コロナウイルス感染対応

         ワクチン開発あるいは治療薬の開発などの

            動きに注目が集まっていますが

           ワクチン、薬が開発されたとしても・・・

          この新型コロナの後、例えば50年後

     さらに更に汚れた地球環境・自然環境となっていけば

                 きっときっと

         今のコロナよりももっと強烈、強いウイルスが

                 人間を襲う・・

              そんな気がしています

 

                    根本・・・

    地球環境、自然環境の改善、回復が大事なのではないのか

          別の角度からコロナを考えていきつきました。

 

                ありがとうございます。

        にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ  入道(入村道夫)


 

<<ブログ 306>>

        新型コロナウィルス、別角度からのTHINK

 

              新型コロナウィルスは

        わたしたちが生活を営んでいる「地球上」で

        長い長い地球時間の「~これまで」ではなく

         「今この時」に「新たに」発生してきている

            地球環境の激変が原因?

 

  その地球環境を悪く変化してきているのは私たち「にんげん」

    自然界における「にんげん」と言う生き物の「役割」

      今、改めて地球人全員で考える時なのでは

           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 にんげん=自然(界)<地球環境>の守り人

     その役割をしっかりと果たしていこう

            ~私の想い~  by  入道

 

●なかなか「出口」のみえてこない新型コロナウィルス対応。7道府県を対象に発せられた初の「緊急事態宣言」もさほど時をおかずに「全都道府県」「日本全国」を対象にしたものに変わってきています。

 

●テレビ、新聞そしてネット・・・・昨今、飛び交う情報は「コロナ一色」。そして人々の心を落ち活せて次の行動を促す報道よりも「いいきれば」「脅かす」「煽る」そして「批判」ばかりのような報道が非常に多いことが私個人として非常に気になっています。

 

★このような報道からは「日本人が一体となって」、日本が正に「ワンチーム日本」となって「一つの同じ動き」をしていくことはなかなか難しい、と言うよりは「無理」とも感じてしまいます。

 

そんな「情報洪水」からちょっと自分自身を離して、外に出て太陽を浴びて草木をみていて、心によぎりました。

新型コロナは私たちが生存している「地球上」で、しかも「前からある存在」ではなく「今この時にいきなり登場」してきている・・・。

 

★なんで「~今これまで」に存在していなかったものが、どうして「今この時に」いきなり発生してきているのだろうか・・??

 

「今これまで」と「今この時」、「地球時間の目盛り」で見て「地球の何が違うのか」・・・

 

◇きっときっと地球環境が違う」、「生物が生きて行く土台だった地球環境(きれいな空気、豊かな水、暖かな陽光)」の環境変化(悪化)が「もしかしたら」「今この時に」「(生き物ではないが)新型コロナウィルス」を誕生させてしまったのでは・・・?

 

このまま地球環境悪化が続いていくと、これからも第二第三・・・の新型コロナに変わるものが飛び出してくるのでは・・・とも想ってしまいました。

 

★そう想った時に、

俺、昔、ブログに「自然界におけるヒトと言う生き物にはきっと役割がある「ヒトと言う生き物は地球環境、自然を守るために誕生した生き物なのでは」とブログに書いたことあるな、と思い出し、すぐに部屋に戻って調べて・・・ありました!!!!3年前の2017年4月16日投稿の「ブログ260」。

 

★そこで今回はそのブログをコピーしてちょっとだけ前段をカットしてそのまま投稿させていただこうと思います。
(この時に挿絵を画いていただきました田中拓馬さんからもお許しいただきました)

                   

                   

 

<<ブログ 260>>

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      今回もさいたま市浦和ご在住私の年の離れた友達

           画家の田中拓馬さんが素敵な挿絵を

             ご厚意で画いてくださいました。

         田中拓馬さんのお心に感謝!!です。

                  田中拓馬画伯のオフィシャルサイトを

                      訪ねていただければ、と思います。

            http://tanakatakuma.com/

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       2017年、68歳の春、春の花々そして新緑をみていて

          心に突然の「新たな想い」が・・・・・

 

          自然界における

   『にんげん』の「役割」って何なんだろう

           それは、きっと

    『自然(界)の守り人』

         ~私の想い~     by 入道

 

 

●これまでブログに書いてきている「仕事」「組織」「生きる」「働く」等々に対する 私の(勝手な、独自の)定義」は全て『同じ想いから生まれてきています。

 

それはにんげんを動物として観る、動物として考える」ことで

 

永い時間の悩み悩んでの積み重ねがあって、ある時人間を

自然界の「生き物」、動物としてみていけば、考えていけばいいんだ、この「想い」に至った時に私の『変わらない想い(=信念)』が自分自身によって形成されました。

 


                     

                               挿絵は田中拓馬画伯  画

 

今回の『新たな「私の想い」』(2017年の春の花草がくれたひら

めき?)もその根底は前記してきたことと全く同じ、変わりはあり

ません

 

              自然ってすごい!!!

 

          自然界にはたくさんの動物がいて

           たくさんの植物が存在している

                   そして

           にんげんも自然界に生きている

          にんげんも自然界の「生き物」の一員

 

       美しく豊かな地球の自然環境があったからこそ

           誕生してきているすべての「生き物」

 

                にんげんも全く同

        美しく豊かな地球の自然環境があるからこそ

        生きていくことができる「すべての生き物」

 

        誰が「生き物たち」をどうやって誕生させたのか

                わかることではないが

                 わかることはひとつ

       「にんげん」は「自然界の一員」として誕生している

 

       地球の自然界に産まれ生きている「にんげん」

          「にんげん」ってきっと『役割』をもって

          この自然界に誕生してきているのでは・・・

     これが今回の新しい「私の想い」形成の入り口でした。

 

いつものように優しく易しく考えて、これから記していくような私の自分勝手な「想い(定義)」に行き着きました。

この「想い」も「変わらない私の想い(=私の信念)」となるそう感じています。

 

      ●「ヒトと言う動物」は自然(界)の『守り人』として

        誕生してきている、のではないのでしょうか。

 

      ●そう想います。

 

      ●地球の美しい自然環境、そしてこの美しい豊かな

       自然環境があるから誕生し、地球に生き続けている

      生き物たち(動物・植物)を「しっかりと守っていき、

       自然環境を「よりいいものに」していく」、その役割

      持って『ヒトと言う動物は誕生してきてい

     るそう感ずるのです。

 


           

                                挿絵は田中拓馬画伯  画

 

      ●その「役割」を果たしていくための「報酬・対価?」

      して「自然の一部」を「ヒトと言う自然界の守り人が生

      きていくために捕食・食することを許され、同時に

      本来は「自然(界)しかできない」「自然(界)しかやって

      はいけない」栽培そして育成』していくことを許されて

      いる・・・・のでは。

 

      ●「ヒト」と言う動物は自然界で一番「強い」動物なのでは

      なく、自然界の「すべての生き物たち」が元気に育ち、

      次の世代にしっかりとつながっていくように『自然環境を、

      そして地球上に生きているすべての『生き物」が「明日」

      を迎えていけるように守っていく、

 

       自然=豊かな地球環境の『守り人』

 

     それが「ヒト」「にんげん」なんだと思うのです。

 

     ●でも・・・いつからなのか、人間は自らの「役割」を忘れ去

      り、自分たちが「自然(界)を支配している」「自然(界)を

      好き勝手にいじくれる」との誤った想い生えてしまい、

      「にんげんと言う弱い弱い動物が生きていくために与え

      てもらった『賢さ』の使い方を誤ってきた、のではと感じ

      てなりません。

 

    行き過ぎた賢さ』なんだと思います。

 

    ●行き過ぎた賢さが「間の『自然(界)の守り人』と言う

     「役割」を忘れさせ、逆に「自分の役割を忘れて」の

    自然破壊・環境破壊始めてしまった、

     そう想います。

 

    ●人間同士の『武器を用いての』戦い、戦争・・・・・・戦いに

    於いても「人間の行き過ぎた『賢さ」」「より悲惨さ」を大

    きくしてしまった・そうなのでは・・・。

 

    ●にんげんに与えられた『賢さ』、にんげんが持っている

    『賢さ

    動物としての『にんげん』が「より「楽しく」

      「より優しく」生きていくために

            使っていくもの

    なのではと強く強く思えてなりません。

 

    ◇20世紀まで、にんげんは「自分たちの生活を豊かにし

    ていくために 「技術革新」の言葉に代表される「頭(カシ

    コサ)」を活用し、生活を豊かなものにしてきました。

 

    ◇しかし!!!!

 

    ◇いつの間にか「人間に芽生えてしまった『歯止めなき欲

     望?』満たしていくために「歯止めなき賢さの行き過ぎ」

     が、とてつもない「武器」を産みだし、そして・・・。

 

    ■現在の『倫理のないインターネット至上のサビシイ世界

    を創り上げIT技術+頭(かしこさ)」で「本来、人間が生き

    ていくために必要なものではない」『金融・投機経済社会』を

    誕生させ、地球全体でこの「実体のない『金儲けのための

    金儲け』(どこにも汗をかくことなく利益を獲得する)システ

    ムに、先進国みんながこぞって乗ってしまい、地球経済は

    本来の『生活経済』ではなく、際限のない「欲望」を満た

    していくだけの『欲望経済』に変えてしまっている、

    私はずっとそう想い続けています。

 


           

                                挿絵は田中拓馬画伯  画

 

    投資」ではなく「投機」!!!!!!!

        自分だけが良ければ、の世界です。

 

    ■「実体経済」ではなく「仮想経済・バーチャル経済」。

      そして『ゲーム化経済」にもなってしまった、してしまった、

     人間がそうしてきているのです

 

    ●「賢さの誤った使い方」の結果だと思います。

 

    ●「コンピュータと通信技術」の発展がなければ、現在の世

    界の状態生活経済ではなく、ゲーム化経済・欲望経済が主

    は現実とはなっていないはず。

 

    ●「使い方の誤り」と私は認識するべき、と感じます。

 

    ●と、すれば極論的に『今のようなコンピュータと通信技術の

    組み合わせ』は本来は「人間が楽しく生きていくために

    の必要な組み合わせ」としていくべき、なんです。そう想います。

 

    ★かつて、「おい、このままだとまずいよ」とにんげんに警鐘

    鳴らしてくれていた時がありました。

 

    ★バブルの崩壊そしてリーマンショックです。

       「おい、にんげんたちよ、本来の「生活経済主体」の

       経済活動にもどしなさいよ」

     と、にんげんに気づを与えようとして自然界からのでなか

     ったのだろうか、そう私は想い続けてきています。

 

    にんげんが「にんげんらしく生きていくための

          「あたりまえ」」があります。

 

      その「あたりまえ」とは『助け助けられ』。

      私の強い信念の一つです。

 

    ★そして、この「あたりまえ」の「土台」になるものがあります。

       何があれば「助け助けられ」が実現していけるのか、

       なれるのか。

 

    ★それは今まで記してきています「かしこさ(=頭)」の「対」

     なるもの。

          それは『やさしさ(=心)』です。

 

    ★この人間が「本能」として持っている(と、私は信じています

     「やさしさの発揮」を前面に押し出しての『生活経済

    (にんげん一人ひとりが活き活きと楽しい一日を積み重ねて

     生きていくための手段)に早く早く転換をしていくこと、

      そのために「人間のものさしの目盛」を「お金」から「人間

     として生きていくに置き換えていくこと、戻すことだ、と強く

     想います。

 

    ●そのためには!!!!!

       「頭」で「かしこく」「考える」のではなく

            「心」で「やさしく」「感じることです。


             

                                   挿絵は田中拓馬画伯  画
 

    ●にんげんとしての「あたりまえ」に戻ればいい、それだけの

     ことなんです。

       「あたりまえ」とは「にんげんとしてのあたりまえ」のことで

     す。

 

    ●私は本気でそう想います。

 

    ●私たち、にんげん一人ひとりがこれからの時代、「これから

     のためのものさし」の目盛りを『頭(カシコサ)』からもう一度

     『心(ヤサシサ)』に戻すことによって、もう17年過ぎてしまっ

    ていますが21世紀の「これから」を「やさしさ取り戻しの世紀

    そして「にんげんの役割回帰の世紀」にしていき、

    「これから地球に産まれ、生きていくすべての人たち(未来人

            そしてすべての生き物たち」に

     「美しい豊かな地球環境=自然」をひきついでいきたい

             

    ●そうしていきたいですし、そうしていかないときっとマズイ・・・。

 

    ●2017年の春、自然達が私にそう気づかせてくれました。

 

 

           今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                    ありがとうございます。

 

             「頭(かしこさ)」も必要な資質である、とは

                      思っています。

 

                       でも!!

               『大切なのは「その使い方」』です。

 

           世界の、国の、組織の指導者、リーダーの

            人たちは「頭(カシコサ)」と言う資質は

        「人間の生活を活き活きと楽しくする」ためにだけ

             使い続けていく強い意志を持つべき、

                  強くつよくそう想います。

 

                  これらの想いを込めて

              私がもう20年ほど使い続けている

                メールの署名となっています。

 

         ======================

          美しい豊かな地球の自然環境があるから誕生したヒト

             ヒトは単体では生きていけない弱い生き物

               だからヒトは集団(=社会)を形成する

                  社会で生きていくことが生活

               社会(ヒトの群れ)に生きるヒトが人間

           社会の成り立ちのあたりまえは「助け&助けられ

                  いつまでも豊かな自然を

                 そして やさしい心を大切に

 

                にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ

               入村 道夫

    ==================================

 

                   ありがとうございます。

 

 

      にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 305>>

            新型コロナウイルス対応で

        混沌そして殺伐感を増してきている人間界

             今、「何が必要」なのか

 

         社会も国も地球国際社会も全部「組織」

    組織を維持発展させていくためには何が必要なのだろう

  「共有できる想いの創造」⇒「想いの共有」

         ~私の想い~      by   入道

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           秋葉原そして浦和を基地として世界への羽ばたきをされている

          ちょっとだけ?年の離れた友達、画家の田中拓馬さん

         今回もご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

             拓馬さん、ありがとうございます。

     田中拓馬さんのウェブサイトも訪ねていただければ、と思います。

   http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

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◆なかなか「出口」のみえない、そして「今生きている私たち人類」にとつて初めての体験となっている新型コロナウイルス対応。

 

4月7日には史上初となる7都府県を対象としての「緊急事態宣言」が発せられました。その厳しい状況下で、過去と比べると比較にならないくらいの「清濁併せて、選ぶことのできない情報の氾濫」が、更に日本だけでなく国際社会全体を殺伐とそして騒然と、混沌とさせているように感じています。

 

このような状況をどうすれば、と考えていた時に思い出しました。

 

◆東日本大震災の後に投稿した私のブログ。(8年前になりますが、2012年4月22日に投稿しましたブログになります)

 今からですともう43年前になります。「組織を維持発展させていくために何が必要なのか」を考え悩みの末に行き着いて、それ以来私の「信念」の一つになっている「想い」を今回、改めて書いてみようと思います。

 

★社会もそして国も、更に国際社会も「組織」。「ヒトの集まり」「ヒトの群れ」です。

 

◆ヒトの集まりである「組織を維持発展させていく」ために何が必要なのか、この自分への問いかけに対して私の回答、私の「想い」の結論は下記のようになりました。

 

      組織所属のひとり一人が

     「常に『AU/あう』を意識して

     「こうどう=考動」していくこと

                

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

組織は「AU/あう」の欠如によって崩壊する

 

●この私の「想い」は昭和52年・1977年(私28才)に当時の日本リクルートセンター(現リクルート)でマネジャー(課長)となった時、「組織運営」と言うことに対して悩み考え続けて上記のような「組織形成に対する想い」となっていったものです。

 

「AU」。携帯電話会社ではありません。この想いに至った昭和52年はみんなが持つような携帯電話はまだ存在していませんでしたので、当然に携帯会社の「AU」(エーユー)さんはまだ存在していません。

「AU」は「あう」、ローマ字読みです。

 

★みなさまに質問をさせていただきます。

下の言葉の⇔(矢印)の「左」と「右」、どちらの「状態」が「好き」「好ましい」と感じますでしょうか。

 

     左      右          左      右  

   愛する ⇔ 愛しあう       感じる ⇔ 感じあう

   わかる ⇔ わかりあう      信じる ⇔ 信じあう

   助ける ⇔ 助けあう          報せる ⇔ 報せあう

   喜ぶ  ⇔ 喜びあう          教える ⇔ 教えあう

   分ける ⇔ 分けあう       頑張る ⇔ 頑張りあう

   励ます ⇔ 励ましあう      学ぶ  ⇔ 学びあう

   競う  ⇔  競いあう       理解する ⇔ 理解しあう

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

●私は「右側の言葉たち」が形成する状態がいい、と思います。

 

「AU/あう」の二文字がついている言葉たちが提示する「状態」を大切にして、その「状態」を「組織」で実現し続けて追求し続けてきています。

 

★上の言葉たちの「左」側の行動は「相手の存在を無視して、気にするく」「自分一人で勝手にできること」です。

 

★それに対して、「右側」「あう・AU」の状態となるには必ず「自分以外の人の存在・相手」が必要になります。

★このことから私は「あう・AU」の状態が「組織維持発展の根幹」を表すキーワード」である、そう想い続けております。

          

                                挿絵は田中拓馬画伯 画

 

相手の存在、相手の心を無視して、自分一人でできること、例えば「愛する」に「あう・AU」の二つの文字を付け加えると「愛しあう」となります。

「愛しあう」の状態となるためには「自分一人だけではできません」。「自分本位では実現することはできません」。

相手の人も、相手の人の心が自分と「同じ」(想い)であることが必要になってきます。

 

★自分と相手、「両者の心」「両者の想い」が「同じ」になった時に初めて「〇〇〇あう」状態が形成されるのです。

 

★こんな簡単な「あたりまえのこと」から、私は自分の言動を振り返る時、あるいは行動をしようとする時に「自分の行った」「自分がやろうとしている言動」が「あう・AU」であったのか、あるのかを確認いたします。

 

「あう・AU」。何かオットセイの鳴き声みたいですが、この「二つの文字」の持つ意味は「組織」「人間社会」において「大切な意味」をもっている、私はそう想い続けています。

 

組織は「あう・AU」の状態実現によって維持されそして成長・発展していく。そして・・・・組織は「あう・AU」の欠如によっ崩壊していく、のです。

◆私の変わることのない想いです。

 

●家庭、地域、課、部、部門、会社・・・・そして社会・・・全て同じと思います。「全て組織」なのです。

組織とは「二人以上のヒトの集まり」、私の自己定義です。単純です。難しくはありません。

 

★組織がいつも「あう・AU」の状態にあれば、たぶん、突発的にヤバイ(オットいけない)状況になったとしても、きっと組織を構成するひとり一人の「心の結集=想いの結集」によって、そのヤバイ状態から必ず抜け出せる、そう思うのです。

 

★2011年3月11日の東日本大震災以降の支援の動き、支援の報道に私は正直、若干の違和感を感じて、そこから学びました。

★この時の私の心=想い、それは「助ける」ではなく「助けあう」にしていかないと、でした。

 

助けてあげる、助けてやる、のではなく「助けあう」

★支援の方法そしてその実施の時期などは「助けて欲しいことを、助けて欲しいカタチで、助けて欲しい時に」であって欲しいのです。

 

●これが「あたりまえ」のこと、私は今でもそう思っていますが、当時の国の動きやマスコミの報道の仕方も、その大切な「あたりまえ」を無視して?「助けてやる」「助けてやれ」的になっていたと今でも感じます。

 

●被災直後、まだ呆然としていて現実を受け止められない、まだ「泣けない、泣くことのできない」被災されたひとたちに「涙」を求め、そこだけを何度も何度も報道し続けていた日本のマスコミ・・・・。

 

●そして、朝から晩まで繰り返される報道と発散するインターネット・SNS情報だけで「情報を自分自身できちんと自身の心で整理することなく」煽られて?の「義援金」「ボランティア」への動き・・・・・カタチが見える行動をしないのは「非人間」・・・・そんな風潮の中で、「心」よ先にその「流れ」に乗り遅れてはいけないと乗ってしまったたくさんの人たち。自社のホームページに「いくら寄付した」のかを誇るように記していたたくさんの日本の企業・・・。

 

★「あう・AU」がない、んです。相手の「想い」を無視していたんです。

 

「あう・AU」はたぶん、見返りを求めないもの、そうも思います。

「恩ぎせ」はしないものです。

 

◇時間はかなり経過してきてるのになかなか「出口の見えない」新型コロナウイルス対応・・・。

 

このような時にこそ、自分はどこで働いているのか、どこに所属しているのか、なんて「肩書」(与党・野党、マスコミ・・・・経営者、勤労者・・・学生・生徒・・・・等々)を一切捨てて、肩書を取り外して「今の日本人全員の共通の「想い」、「共有できる一つの想い」=みんなにとって初めての試練の時、新型コロナウイルス対応の難局を日本人ひとり一人の心・想いを一つにして、みんなで乗り越えていこう」の「共有る想いの創造」が必要なのだと思います。

           

                               挿絵は田中拓馬画伯 画

 

◇今、この時に揚げ足とりなんてもっての他足りないと思ったら教え「あえ」ばいい、「助けあえばいい」のです。

「助けあう・助けAU」ことをすぐにやりませんか。国会議員の先生方マスコミのみなさま・・・。

 

ちっちゃなちっちゃな「肩書」「現在の所属組織」の「殻」を力強く破って、日本人共通の「日本」組織そして「そこに所属する日本人」としての「こうどう=考動」をひとつになってしていきませんか!!

していきましょうよ!!!

 

「心の合致」「想いの合致」!!

これが「あう・AU」の状態実現に必要なこと、なんです。

 

★組織・・・・社会を良くしていくために。

新型コロナウイルス対応で困難な状況に陥っている「日本」を再び「いい国」にしていくために「活き活き元気な人の集まりが日本人」としていくために、改めて「みんなが、ひとり一人が「あう・AU」の状態を現実にしていく」動きにならないとダメだ、そうなって欲しい、そうしていきたい・・・強くつよく感じています。

 

★最後になりますが追記させていただきます。

 

新型コロナウイルス対応で身体と頭そして心に沢山の沢山の汗を流していただいている医療関連をはじめとするたくさんの皆様に、そして私たちの生活を支えてくださっているたくさんのたくさんのみなさまに心から感謝、いたします。ありがとうございます。

 

         今回も最終行にまでお眼をすすめていただきまして

                  ありがとうございます。

 

    緊急事態宣言がなされた出口のみえない新型コロナウイルス対応

   このような時にこそ必要なのは日本人ひとり一人が「同じ想い」になって

              「こうどう=考え動く」していくこと

                改めてそう感じています。

 

        「同じ想い」をものさしとして一体の動きをすることで

             きっとこの難局を乗り越えていける

                 そう信じています。

 

                ありがとうございます。

        にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 304>>

    新型コロナウィルス感染症対応で殺伐感?を増している

     日本社会に感じることを「私の想い創造原点」から

           1989年5月

        悩み悩み続けていた

     「自分への自分からの手紙」

   長い長い期間、毎日毎日「頭」で「賢く難しく」考え続け

   悩み続けてきた入村さん、貴方へ私からの手紙です。

   読んで感じてください。  1989年5月 FROM入道

         ⇩

  「頭」で難しく賢く考える、のではなく

   「心」で易しく優しく感じるように

   動きを変えてみたらどうですか。

         ~私の想い~      by  入道

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          今回も私とちょっとだけ歳の離れた友達

     浦和そして秋葉原を基地として世界への羽ばたきをされている

    画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

            田中拓馬さん、ありがとうございます。

     田中拓馬さんのウェブサイトを訪ねていただければと思います。

  http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

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入村道夫さんへ 1989年5月 From入道(入村道夫)

 

             「ヒト」という生き物は

       ひとりでは絶対に生きていくことのできない

       とってもとっても弱い弱い生き物なんです

  「ヒト」は単体、自分一人ではなく「みんなと一緒に」いることで

       ようやくと「生きていくことができる」生き物

           そして「ヒト」はこのことを

  「本能」として知っている、持っている弱い生き物なのです

                 だから

      「ヒト」って生き物は「群れ」「集団」を形成して

              生きていくのです

 

          「ヒト」という弱い弱い生き物が

      「生きて行くために」形成する「群れ」「集団」

              それが「社会

              そう思うのです

 

                そして

  「社会」、「みんなと一緒にいることで」「安心して生きていく」

   「社会」という「群れ」の中で「安心して生きていく」ことを

       「活き活きと生きる」の意味を込めて

   「生活」という、きっとそうなのだろうと思うのです

               だから・・・

    「社会」での「生活」の「あたりまえ」は難しくなんてない

  「ひとり一人ができることを出し合って」「助け助けられ」で

       「活き活きと生きていく」ことなのです

                

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

 

       原野で単体(一人)でなく「社会」という

 「ヒト」が形成した「群れ」「集団」の中で「生活」している「ヒト

 その「ヒト」たちのことをにんげん(人間)」というんです きっと

               だから

       「私・自分」という「にんげん(人間)」は

   「ヒト」と「ヒト」との「間」で生きている存在なのです

                           「助け合って」

          時に「助けて」時に「助けられて」生きていく

 

         「仲間意識」・・・・別の言葉だと信頼」でしょうか

          「信頼」でつながっている  

          「信頼」で結ばれている

     こんな風に言い換えてもいいかなと想うのです 

                 でも

              いつの間にか

   「人間は強くなければいけない」とかの想いが強くなり

     「賢さ」とか「腕力」とか「お金」を目盛りにして

         「人間をランク付け」してしまう

   そんないやな嫌なたくさんの「ものさし」ができてきている

 

     でも このものさしは誰でもない「私たち人間」が

          創ってしまったものなのです

                そして

      「自分たちが勝手に創ったそのものさし」に

        今、「自分たちが縛られている」んです

             何なのでしょうか

             おかしいですよね

 

    ひとり一人の「できることを見つけ出してあげる

            そんな動きではなく

    「できないこと」を敢えて、無理やり探し出して

    「ほら、あなたはこんなことができていないよ」

       「あの人できるのにあなたはできない」

        そんな言葉で強く指摘するような

        とっても「変な」とっても「悲しい」

      とっても「嫌な」「社会になってきています

           そう感じてしまうのです

 

     「できないこと」の「ランク付け」なんて不要です

       「できないこと」を見つけあうのではなく

          「私はこんなことができます」

   「私はこんなところで他の人たちのサポートができます」

   「あなたはこんなことができるじゃないですか、すごい」

         こんなやりとりを重ねていくことで

   ひとり一人の「できること一覧」に変えていきたいですね

                 そして

  ひとり一人が「自分のできること」を「一つずつ増やしていく」

         こんな状況になっていけばいい

            時間がかかってもいい

        「社会に居るひとり一人、みんな」が

          こんな想いになっていけば

         とっても「素敵な社会」になる

         とっても「優しい社会」になる

 

     そうしていくことが「教育」であり「育成」ということ

               そう想います

 

             「大人でも子供」でも

      「普通の人でも」「障がいをもっている人」も

        「生まれたばかりの赤ちゃん」も・・・・

   「みんなみんな誰だって」「できること」を持っているのです

 

      「その人の「できないこと」」を他の人たちが

        「ひとり一人自分の「できること」」で

      「そっと」「普通に」「優しく」「あたりまえに」

     「助け合って」みんなで「活き活きと生きていく」

        これが「生活」ということなんだから

 

           「社会」も「組織」のひとつ

           一番大きな「組織」です

 

     「組織」とは「二人以上のヒトの集まり」のこと

            私の独自の定義です

   だから「会社組織」でも「助け合う」は全く同じなんです

               なぜって

    「会社」も「たくさんの人たちの集まり」なのですから

 

   どうして「会社」はたくさんの人たちを集めるのでしょうか

                 どうして

           難しく賢く考えないでください

 この「問」に対する「答え」は「すごくごく簡単なこと」なのですから

 

       「(経営者)自分一人ではできないこと」も

         たくさんのいろんないろんな人たち

  ひとり一人異なる特徴(=個性、できること)をもった人たちが

          自分をサポート、助けてくれれば

            「できること」に変えていける

 

       「得意なことが異なるたくさんの人たちが

          自分をサポート助けてくれれば」

   単純「対応力の強い会社・組織」になっていくことができる

                 だから

   「自分と助けあって、自分と一緒にやってくれる『仲間』」を

        増やしていく、のです  そう想います

        

                  挿絵は田中拓馬画伯 画

 

                  仮に・・・

     「同じような特徴(=個性、できること)」を持った

      「同じような人間しか採用しない、集めない

          また採用してからの「教育」で

     「同じような企業人」を育てるために教育したら

   (今もほとんどの会社でやっている教育のほとんど

   会社組織に「ことある時(マズイ状況、ヤバイ状況)には

      極論「たった一つの同じ対応しかできない」

               こうなりますよ

 

     「100人」いても「1通りの対応」なのです

 

                  でも

    「100人ひとり一人のできることが異なっている」

       「ひとり一人の得意分野が違ってれば」

   その対応力は「100通り」の可能性をもつことになります

 

                 だから

            「会社の採用活動」は

      「この人は「どんなことができる」人なのか」

      「どんなことに可能性をもっている人なのか」

    「どんな分野でどんな時に助けてもらえそうか」を

             「感じ取ること

       私はずっとそう想いやってきています

 

       「採ってやる」こんな採用の考え方は

         絶対にダメてす あり得ません

 

   自分たちの会社の「明日」創造を「助けてもらう」ために

        「新たに「仲間に加わってもらう」

       「そのために人を選ばせていただく」

         これが私の「採用スタンス」です

 

              組織では・・・・

     「できないことを探しだす」なんて動きはしないで

  「(これからの可能性を含めて)できること・できそうなこと」を

   「本人」と一緒になって見つける動きを重ねていきませんか

 

         産まれたばかりの「赤ちゃん」には

           「赤ちゃん」にしかできない

        「赤ちゃん」だから「できること」があります

 

        「人の心を和らげる」「人の心を優しくする」

           「人の心を柔らかく穏やかにする」

             あの微笑み返し?がなくとも

       そこにいてくれるだけで心に感じさせてくれる

             赤ちゃんにしかできません

 

          「障がい」をもっておられる人にも

    「みんなひとり一人できること」を絶対に持っています

 

       障がいを持っているから「~ができない」を

        普通の人たちは探しだそうとしています

        そして この想いだけで動こうとします

               だめ、なんです

    でも残念なことに「バリアフリー」の考え方の入り口は

         その想い・考え方からの動きです

                 だったら

      その人の「できること」を見つけ出してあげて

           一緒になって「できること」を

          どんなに時間がかかったっていい

      「一つずつひとつずつ一緒になって増やしていく」

       この動きを「主」としていければいいのでは

 

     「賢く」「学問的」に「頭」で考えるのはやめませんか

  「賢く」「学問的に「頭」で考えるのはやめた方がいいですよ

                なぜなら

  「社会」そして「ビジネス」「事業」というものは

      決して「学問」「賢さ」から

     誕生してきているのではない

                のですから

 

       「ヒトはひとりでは

   生きていくことができない」

     この「あたりまえ」のことから産まれてきているのです

 

      「悩み」にぶち当たったら  難しい局面になったら

           「賢く難しく考えこまない」で

      「人間の「あたりまえ」」を「全ての前提」として

           「優しく」そして「易しく」

           「頭」で「考えるのではなく

             「心」で「感じとる」

         このことを大切にしていってください

 

    生きていくとき・仕事をしていくとき・経営していくとき

            「全く変わらないものさし」

      「絶対に変えてはいけないものさし」があります

                 それは

    「人間として(どうなのか)」

  「人間としての「あたりまえ」」です

                  そして

      この「ものさし」を使うのは「頭」ではなく「心」

        このことを絶対に忘れないでください

 

 「頭」で賢く難しく考えるのではなく

   「心」で優しく易しく感じる

             実践し続けてください

 

悩み悩んでいる入村道夫さんへ

                    1989年5月置筆  入村道夫より

 

           今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                   ありがとうございます。

 

        新型コロナウィルス対応下でまたまた出てきてしまっている

         日本人の自己本位性?自分だけ良ければの寂しい想い

         マスクの買い占め、信じられない値段をつけての再販売

          そして全く無関係なのに「うそ情報」「煽り情報」での

         トイレットペーパー、ティッシュが店頭から消え去った

         (他人を蹴散らして自分が買う、自分のものとする)

                       ・・・・・・

             そんな動きに殺伐感を覚えた時に

   31年前、R事件真っただ中で自分が悩み悩んでいた時に行き着いた

   私の「想い」の源、原点となる「想い」をなんとなく思い出していました

 

                「助け合いたい」ですね

         だってそれが「人間の原点」なのですから・・

 

  ありがとうございます。 にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 303 緊急投稿>>

     新型コロナウイルスへの動きから素直に想うこと

      「国会議員のみなさま」

           そして

   「マスコミみなさま」へのお願い!!

 「明日の日本」「明日の日本人」のために

 みなさまの「動き」を直ぐに変えてください!!

         ~私の強い想い~  by  入道
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今回も浦和そして秋葉原を世界への羽ばたきの基地として活動を続けられている

私のちょとだけ?歳の離れた友達、画家の田中拓馬さんが急ぎ投稿にも関わらずに

            素敵な挿絵を画いてくださいました。

              拓馬さんありがとうございます。

      田中拓馬さんのサイトを訪ねていただければ、と思います。

           http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

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最初に:

 これから記していくことは「私個人の想い」ですので場合によっては「言い過ぎ」「間違っている」と感じられる人もおられるとは思いますが、私のブログへの私の想いの投稿であることをご理解いただきたいと思います。宜しくお願いいたします。

 では・・・・

            <<お願い>>

 

国会議員のみなさまへ

 

       今、正に差し迫った状況なのですから

  「国会ワンチーム」「ワンチーム国会」となって

          日本そして日本人のために

   「党派」を超えてみんなで同じ動きにしてください

 

●私たち日本国民はなぜに、何のために国会議員を選出させてもらっているのか・・・国会の場で「他党の今これまで」の「マイナス点・失敗」を新聞・テレビそして週刊誌さらにインターネット情報等々のマスコミ報道から見つけ出して「追求する」「対決していただく」ために国会議員の先生を選ばせていただいているのでは決してありません。

 

「国会」という「国の最高の組織」「大きな組織」「一体」となって「明日の日本」「明日の日本人」そして「明日の国際社会」「明日の地球人」を「どうしていくのがいいのか」を考え提案し、そして議論してもらう・・・そして「国会という組織で決定したこと」については、決定したら「一体(ワンチーム)となって」その実現のために「国会議員の先生方全員が頭と身体そしてなによりも「心」に汗を流していただきたい、流して欲しい・・・だから選ばせていただいている、そう私は想うのです。

 

★そして、大変な「仕事」だとわかっているからこそ私たちから見れば「決して低くはない(高い)報酬」と「立派な議員会館に議員宿舎の格安利用にJR無料等々・・・」の「うらやましい程」の特権を差し上げているのではないでしょうか。

 

◆コロナウィルスで大変な大変な状況、「日本叩き」の状態にもなってきている「日本」そして「日本人」・・・。

 

なぜ、「今、こんなにも大変な時期なのに「国会全体」「ワンチーム」になって動こう」とされないのでしょうか。

 

◆国会議員の先生方、なぜ「組織人」としてそんな「提案」をされないのでしょうか。

 

                               挿絵は田中拓馬画伯 画     

 

★直ぐにしてください!!!

すぐに「ワンチーム国会」となってください!!お願いいたします。

 

国会議員の先生方、「客観的に今の国会でのみなさまの動き」を観て、私たち国民に「胸を張れる状況」になっていますでしょうか!?

 

3.11東日本大震災の時も同じだったなと感じています。

 

「ワンチーム」になるどころか、これ幸い?とばかりに他党のマイナスのところ、対応がまずかったところを探しだしてきての「追求」と「犯人捜し」。

 

どうして、「国としての緊急事態」なのに「足の引っ張り合い」をするのでしょうか。足の引っ張り合いではなく、必要なのは「国会という「組織」の一体化」「ワンチーム化」なのではないのですか?

私はそう思います。

         

                          挿絵は田中拓馬画伯 画

 

「国会の役割」って何なのでしょうか。「国会議員の役割」って何なのでしょうか?お一人おひとりきちんと解っていての今の動きなのでしょうか。

 

★大変に寂しいことなのですが、そして大変に申し訳ないのですが国会の先生方に先の「問」(国会の役割、国会議員の役割)を改めてなげかけたいと感じています。

★そして…・大変に失礼な質問もさせていただきたいな、と思います。

    国会議員の先生方、ご自分が所属している「党派」が

    「国」そして「国民」よりも「大事」なのでしょうか・・?

 

国会も、国会は「組織そう私は思います。思っています。

「組織」なのですから「組織目標」がある、のです。

 

●足の引っ張り合い、喧嘩しっぱなし・・・・なのではなく「それぞれの党の得意分野、できることを出し合って」「国会で目指すことを決定した明日の日本」を「実現」していくことを「あたりまえ」にやっていかないとおかしいのではないでしょうか。

 

俺は、私たちは「反対」したのだから「行動はしない」、こんなことが「組織として」「組織人として」「許される」と思われますか?

(大変に残念ですが、そうなっていると思わざるを得ないのが今の日本、国会の現実なのでは)

 

★組織は足の引っ張り合いでは絶対に成り立たない。組織に必要なのは「助け合い」!!!

     そうではないのでしょうか。

 

●お願いいたします!!!!

 

次に・・・

マスコミ各社そしてマスコミで働くみなさまへ

 

報道されたことが「間違っていたら」「自社で、自分で責任をとる「覚悟」ができている」ことを報道してください。

  自分では責任がとれない伝聞情報を報道する時には受け手が混乱しないように「そのこと(伝聞であること)を明記」していただきたいとも思います。

               

  例えば・・・・  

    ・この記事・報道内容については「当社そして取材者が責任を

     もって「真実」と断定できるものです。

 

    ・この記事・報道内容については当社そして取材者は責任をと

     る ことはできないものです。

 

●紙面を分けるとか、上のようなコメントを付けるとか・・・・その「記事・報道」を受ける一般国民、一般日本人が「混乱しないよう」に「報道する側が報道する情報をきちんと整理する」ことがものすごく重要だと思っているのですが、どうでしょうか。

 

●新聞・ラジオ・テレビ・・・・・・「プロの報道者」としての動きをしていただきたい、と想うのです。

 

◆午後のテレビ各局のほとんどを占める「ワイドショー番組」での取り上げ方についても「重い覚悟」で放送できる番組にしていただきたいと強くつよく感じます。

  

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

 

たくさんのたくさんの「コメンティター」のみなさまは必要なのでしょうか?私は不要だと感じています。

 

★視聴者は「この人は本当に理解して考えに考えて」お話になっているのかな、とも感じてしまう。

 

視聴者はコメンティターさん個人の感想を聞きたいのではないと思うのです。

 

 

「判断する」のは「聴視者ひとり一人」なのです。「押しつけ」は絶対に「ダメ」「NO」だと思います。

 

一般国民ひとり一人が「正しく判断できる」ように報道していく、ことが報道の「ポイント」なのではないでしょうか。

 

日本の報道・・・国会議員さんへのお願いでも記しましたが・・・・報道についても3.11東日本大震災の時と同じになってしまっている、と感じています。

 

●見たくない津浪の映像を朝から晩までずっと・・・何度も何度も・・・・

 

★日本の報道(そして「報道」から攻撃材料をみつけだそうとする動きのある国会も同じ??)には妙な表現で恐縮ですが、報道姿勢・報道内容には「3つの特徴」があると私は昔から感じています。

 

「怒り」「涙」そして「犯人捜し」です。

 

★何か起こった時・・・・・「こんなに大変な状態になっている」「こんなに悲しい目に合っているたくさんの人たち」これを何度も何度も報道し、「誰が悪いのか」にまで持っていこうとする、こんな動きの繰り返しが日本の報道姿勢・・・・言い過ぎとは想いますが正直にそう感じたりもしています。

 

★報道がそうだから、報道受け狙いで国会も「ワイドショー化」しているのかな、とも感じますが、いかがでしょうか。

 

日本国中、ワイドショー化。

        

                 挿絵は田中拓馬画伯 画   

 

●新型コロナウイルス・・・・・・・・ワイドショーで取り上げ続けることもうやめませんか。止めて欲しいな、と思います。

 

「自己責任での報道」姿勢をしていただき、貫いて欲しいと思います。

 

インターネット、ユーチューブなど「ウソ情報」「ガセ情報」そして「煽り(あおり)情報」等々・・・・・「毒情報」が「制約なし」に氾濫している現在、状況だからこそ『プロの報道機関」「プロの報道機関で働くプロの報道者のみなさま」になっていただくよう、強く強くお願いしたいのです。

 

みなさまの「報道」によって・・・・

私たち日本国民が「あした」「これから」のために「どんなことを考えどんな動きを重ねていくことかいいのか」、私たちにその一端を指し示す(=導く)「機関であって欲しいと今だから余計に「そう」思います。そしてそれがきっと「プロの報道」「プロの報道者」なのでは。

 

●お願いいたします。

 

        今回も最終行にまでお眼をすすめていだきまして

                ありがとうございます。

 

          自分で考え自分で想っていること

             今回も書いてみました。

     冒頭にも記しておりますがこれは「私の想い」であり

   この想いとは異なる想いをお持ちの方々もおられるだろうと

               感じてもおります。

 

            決して押しつけなんかでなく

     今の私の心の内を飾らずに記したものであることを

         結びにも記しておきたいと思います。

 

              ありがとうございます。

      にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ   入道(夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 302>>

    5Gそして6G、昨今の通信手段の進歩に想うこと
どんどん情報氾濫化が進んでいる現代・・・これでいいのだろうか

 通信手段よりも「通心」手段にこだわりたい

こだわらないとマズイ!!こだわりませか!!!

       ~私の変わらない想い~   by 入道

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    今回も浦和そして秋葉原を世界への羽ばたきの基地としておられる

      私とちょっとだけ?年の離れた画家の田中拓馬さん

        ご厚意で素敵な挿絵を画いてくださいました。

      拓馬さん、ありがとうこ゜ざいます。お心に感謝、です。

    田中拓馬さんのウェブサイトも訪ねていただけたらと思います。
    
http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series
         

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5Gでは日本は送れをとった、しかし「6G」では等々、2020年になって新聞・テレビで使われることの多くなってきている「6G」。

・マスコミ報道で5G・6Gの定義はされているのでここでは触れるのを止めて、「私なり」に昨今の『通信手段』の状況から想うこと」を記していきたいと思います。

 

「5G」そして「6G」があるのであれば、今日ここまでに「1G」「2G」「3G」そして「4G」があったはず、なのにその時を生きてきている私の頭には全く入ってはおりません。

★その当時は使用してはいなかった、たぶん、「今」を「5G」としての後追いなのでは、と想うのですがどうでしょうか。


★そんな私の「疑問」をKDDIさんがネット上で分かりやすく提示してくれています。それが次の図です。        

                                     ネット KDDI IoT より

 

携帯電話が登場したところからのスタート(1G)です。

そして今一つ、KDDI IoTネット資料に面白いものがありました。


これから私が記していこうとしている「想い」「いつも主役は『人・人間』でありたい、あるべき」の入り口になるのかな、と感じましたので添付しておきたいと思います。

                                 ネット KDDI IoT より


●このKDDIさんの図から「今までは全て人が主役、人が決めてきている」が、「AI化」と共に「意思決定の主役が人間からコンピュータに変わっていく、既に一部そうなっている」と感じている私の想いの表示にも連なるのかな、と感じています。

 

●「いつもいつも、どんな時でもそしてどんなに通信技術・科学技術が発達しても、それらは人間生活を豊かにしていくための「道具」なのであり、『主役はいつもそれらを使う人間』であるべき」、この私の想いは「今」思いついたみのではありません。前記のKDDI IoTさんの図で言えば「1G」の時、私が初めて仕事で「携帯電話」を使うようになった時から感じ始めていたこと、なのです。

 

◆昨今、通勤時間帯の電車に乗り、車内を見渡すと、かつて私がやっていた「日経新聞を周りの人たちの迷惑にならないように三つ折りに畳んで読む」・・・そんな人はほぼいない・・・多くの人達は座っている人も立っている人も混雑しているにも関わらずに「みんな自分の手許」を観ている。その手許にあるのはスマートフォーン」。

 こんな車内風景は帰りも変わらず、です。

 

◆何か「おかしい」と感じてならない、のです。

 

通信とコンピュータのとてつもない「新技術」ラッシュにより、私たちの社会生活は「コンピュータと通信」、「スマートフォーンとパソコン」なしでは考えられない状況になってきている、そう思うのです。

 そして、こんな状態に「やばいぞ」「まずいぞ」とも感じるのです。

 

◆たしかに、たしかに「便利」ではあるものの「行き過ぎていないろうか」そしてネット上に情報の掲載に関して『明確なきちんとした国際ルールなし』で、いわば「好き勝手にやっていいよ」になっている、していることに疑問を感じてならないのです。

 

◆その結果、ネット上だけではなく「世の中は「情報氾濫」しかも『ウソと本当』『清濁混合』、たぶん「濁」の方が多いのでは、と言う現実にもなってしまっています。

 

★私たち「にんげん」は「スマートフォーン+コンピュータ+インターネット」=「通信手段」に頼り過ぎているのではないでしょうか。そう感じ続けているのです。

 

「より人間らしく生きていくための『手段』の一つであるはずの通信手段=道具」が「手段・道具」ではなく「主役」になってきている、そんな気がするのです。

今は、もちろんその裏に「にんげん」が存在しているのですが、AI化の状況になると、「そうも言えない」のではとも感じます)

 

スマホそしてインターネットがなければ、そして「停電になったら」、「生活ができない」「仕事ができない・・・・こんな「馬鹿げた状態」にどんどん近づいてきている・・・こんな風潮に私は人間として「大きな危機感」と「大きな疑問」を持ち続けています。

 

通信とコンピュータ技術で「世界の人達と地域・時間差を超えて『いつでも』」の世界が実現したのですが、「際限なくこの動きを続けて行って本当にいいのでしょうか」!!

★そして「よりにんげんらしく生きて行くために」の「手段・道具」として開発している「はず」の情報機器、ここ数年の「AI」そして「5G」「6G」の動きはむしろ逆で「情報機器」が「主役」で「人間はそれに従って動く」・・・そんな方向に向っているように感じてなりません。

 

「にんげんから人間らしさを取り去ってしまう動き」なのではないでしょうか。

 

●携帯電話からスマートフォーンに変わっても電車の中で通話をしている人、休日・真夜中、時間を問わずに(気にせずに)、相手の状態を考えることなく「自己本位」での「通信」。

●メールを入れる、電話を入れる・・・このことで自分の責任を果たしたかのように感じている「自分勝手な動き」

 

●私は連絡しているよ、だから悪いのは「聞いていない・見ていない貴方」等々の様々な想いが「過剰な情報機器時代」への「反発」として浮かんできます。

 

スマホそしてコンピュータがなければ仕事ができない、「社会」は現実としてそんな状況になってきています。

 

★本当にスマホそしてコンピュータがなければ「仕事はできない」、「生活ができない」のでしょうか!??

 

そんなことは絶対にありません!!!

今までも人間はその時々の技術がもたらしてくれた「手段・道具」で工夫を重ねてきています。

 

◆何よりも今の状況のシステム化とは「通信とコンピュータ、インターネットがなかった時代」に「人間が悩み」「人間が考え、人間が決断し」営んでいた「仕事」を基にしているのですから。

 

◆仮に停電になってコンピュータが使えなくても、わかりやすく言えば「手作業時代の仕事のノウハウ(これをコンピュータの世界に入れ込んだだけなのですから)」を知っていれば、できるのです。

 

スマホそしてコンピュータにインターネットも「手段」の一つ、「道具」の一つなんです。

 

●「手段」に対しての「目的」、道具を何のために開発したのか。

それは「より人間らしい生活をするため」そして「より活き活きとした人間性(=人間だけが持つ創造性=創意工夫)を発揮して仕事をしていくために」なのだ、と私は想います。

 

5Gそして6GAI。今の状態は「人間らしさの追求」になっている、のでしょうか。「主役はにんげん」になっているのでしょうか。

 

●会社所属時代、永くシステム開発を担当してきた私からすると、今は「より人間らしく」の逆?に向っているように感じてなりません。

「脱個性」「人間性の喪失」・・そんな感じをもっています。このまますすんでいくと・・・進めていくと・・そして「いつも主役は人間」「決めるのは人間」の「大切なものさし」を忘れてしまうと・・・

  人間がコンピュータ、通信機器に、そしてそれらから出回る情報に「従わされてしまう」と思いますし、一部では既にそうなりつつあるのでは、とも思います。

 

スマホそしてパソコンからの情報・・ネット情報に溺れていませんか!!??頼りきっていませんか!!??

 洪水状態の情報のどれが「正しい情報なのか」解っていますでしょうか、ものさしを持たずに自分に都合のいい情報だけを選んでいるのではありませんか、

 そうなっていればそれが既に「情報にそしてコンピュータに使われている」「主役はコンピュータ」の状況なのです。

 

●今こそ、そしてこれからも「自分の動きを「人間の心」で客観しすることが大切」そう思うのです。やらないと「まずい」そう思います。

 

コンピュータもスマホも・・・インターネットもメールも・・・みんなみんな「道具」の一つなんです。

 

◆あなたはなぜ、私たちはなぜにスマホを片時も離さないのでしょうか。どうして真夜中にメールチェック、SNS投稿チェックをしないと眠れですか。

 そんな動きを続けていくと貴方には「いつでも電話していい」「いつでもメール入れてもいい」となり、あなたご自身の「にんげんらしい生活」を自分で破壊し続けている、のですよ。

 

★なので・・・「情報」を送る側だけでなく「受ける側」にも「今の異常(と、私は感じている)な状態の原因がある」のです。

 「嫌だ」「ダメ」、「止めてくれ」と言いませんか。

 

●考えます。

 

●「通信手段の開発よりも、お金と時間を投入するべきは「通心手段」なのだと。

          

                             挿絵は田中拓馬画伯 画

 

通信手段のさらなる発達にこだわる以前に「社会での人と人、お互いの「心の通いあい」の状態実現」にこだわりたいと「本気」」で思います。こだわるべき、です。

 

★人間が太古の時代からずっと持っていた「心の通いあい=通心」手段を人間は「いつどこに置き忘れてきてしまったのでしょうか。置き忘れてきています。大急ぎで探しにいかなければ・・・と私の心が感じるのです。

 

◆遠く遠く離れたところに住んでいても「相手を想う気持ち」があれば、毎日毎日、電話しなくても・・・メール入れなくても・・・真夜中に電話しなくても・・・「心の通いあい(通心)」は産まれ、そして大きくなっていくものだと思うのです。

そうなのではないでしょうか。

          

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

◆しかも!!!

 

◆「通心」は電池切れなんてないのです。停電も関係ない、WI-FIもいらない、通信にかかる時間も関係ありません、そして使用料も不要、なんです。相手の方にも迷惑は掛かりません。

 

「通心」の電源?は?「感性」!!

 「通心」のエネルギーは「おもいやり」なんです。

 

★このまま情報を伝えていいのか、すぐに伝えることなのか・・・いずれも「相手の心に立って考えること」なんです。

 

「相手のことを考える。相手のことを思いやる」「相手の心」を感じることをエネルギーとする「通心」にこだわるならば、スマホ・パソコン・メールアドレスを持っていなくても、SNS登録してなくても、パソコンの操作ができなくとも、必ず、必要に応じて、状況に応じて「使う手段」を考えて「相手の心」に伝えるはず、伝わるはず、なのです。

 

●約束を守らないなんてことはありません。

「やってもいないのに「今やっています」なんて嘘をつくこともありません。

 

通信とコンピュータ技術の強烈な発展に驚く、そして「情報洪水に自らの全身を浸ける」のではなく

    「人間社会の根本に戻りませんか」!!
       「自分で考えて自分で決める」、
      「にんげんに戻りませんか」!!

 

●コンピュータだけが人間を助けるのではなく、基本は「人間が人間を助ける」そんな「社会のあたりまえ」にこだわりたい、のです。

 

★そのためにも「通心手段」の発達にこだわりたいのです。

         

                          挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★そしてその上で、スマホとかネットとかSNS・・・・5G・6GそしてAIを「手段」「道具」として、更に更に「主役は人間」「決めるのは人間」、この「あたりまえ」を明確に位置付けて時と場所、目的に応じて「道具」を選り分けて使っていきたい、そう思います。

 

コンピュータも通信も・・・・5Gも6Gも・・・・AIも・・・これらは「道具」。

「人間生活をより活き活きと楽しくしていくための「道具」「手段」なのです。

 

道具に使われる人間なんて寂しすぎます。

本心からそう感じています。

 

                     システム監査技術者 入村 道夫

 

           今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

                    ありがとうございます。

 

                  コンピュータと通信に頼る

              行き過ぎている、と感じてなりません。

          それは「人間の活き活き差」「人間らしさ」のために、

          の「大切なものさし」をどこかに置き忘れてきていて

       とにかく「技術のすごさ」を競っている、競わせているように

                   感じています。

            もっと「ゆったり」していいのでは、

     もっと「機械ではなく人間同士が助け合っていったらいいのに」

                   そう思います。

 

         昔、よく口にしていたことを思い出しました。

    コンピュータと通信がなければできない仕事は実業ではなく

                「ゲームの世界」・・・

               今もそう感じています。

 

        ありがとうございます。  入道(夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 301>>

         組織のリーダーそして管理職みなさま

           そして国会議員先生みなさまへ

      私の変わらぬ想い(信念)形成に大きな気づきを

            与えてくれた英(単)語たち

      その⑤ マネージMANAGE)そしてマネジメント

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  今回も浦和そして秋葉原を拠点として世界への羽ばたきをつつけておられる

      私のちょっと歳の離れた友達、画家の田中拓馬さんがご厚意で

               素敵な挿絵を画いてくださいました。

               拓馬さん、ありがとうございます。

        田中拓馬さんのブログたずねてみてくださいませ>

    https://note.com/takumatanaka/n/nq78768c8158

....................................................

●今回のブログはこりまでの私の勝手な定義づけ、からのことでなく、28歳でいわゆる管理職に就いてーた時にマネジメント=管理、マネジャー=管理職と言われていることに対して「違うよな」「管理なんかではない」「「管理なんかできない」「管理なんかしたくない」「人が人を管理するなんていいのかなぁ!」「人が人を管理してはいけないのでは」・・・・では・・・・「マネジャーの役割とは何なんだ」と感じて、いろいろな英和辞典MANAGEと言う言葉の意味を観ていた時に・・・その辞書の下の方に「管理」とか「支配」ではない「別の解説を見つけたことからの自分の想い(信念)形成のプロセスを記していこうと思います。

         

                                挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●少しでも・・・みなさまの「これから」のヒントになれば幸いです。
 

◆私自身がマネジャーになる前に、勝手に言い続けていたことがありました。

◆それは

日本の多くの企業のリーダーそしてマネジャー(管理職)は「社歴・年齢」を第一として選ばれ続けてきている(いた)、と言うことです。

 

◆この想いはいつも私の癖ですがMANAGERと言う英単語を勝手に分解して浮かびあがってきていました。

     MANAGER=MAN+AGE+ER

 

上記の分解から「年取った人」「社歴の永い人」が心に自然に浮かんできていました。したかないのかな、とも瞬間想いましたが、これからの日本を考えていくには「NO」なのです。

 

★そして・・・・その後で、英和辞典で{MANAGE」と言う英語を調べました。(新英和中辞典 第6班(研究社))

 

なんと!!!びっくり!!!!

私の「想い」と合致する「意味」が記されていた、のです!!!

日本で多くの場合に語られ続けていた「管理」でない「意味」が明確に示されていた、のです。

 

★私の心にすっ~とはいりこんできたその「意味」とは・・

 

        「どうにかして<・・・・>する」

 

すごい!!!と瞬間的に私の心にはいりこんでつくったのが上のシートなります。

 

★この言葉の意味から私は「どうにかして・・・する」とは「今不可能と思われていることを、どうしたら実現していくことができるのかを考えそして実行していくこと」と定義づけをいたしました。これこそがMANAGEであり、、「そのことをできる人」が「MANAGER」なんだ、と定義つげをしたとたんに私の心にス~っと入り込みました。

 

マネジメントは「管理」なんかじゃ決してない・・・では何!???

 

★それは「支援」なんです。マネジャーの役割は「メンバ管理」なんかではなく、「メンバー支援」なのです。

 

そして今一つ。「メンバーは」「部下」ではなく「マネジャーである貴方を助けてくれる仲間」なんです。メンバーの支援がなかったら、メンバーがあなたを助けてくれなかったら「課」あるいは「部」「事業部」「会社」は成り立たないです。

 

●だから組織とは「マネジャーそして仲間の「助けたすけられ」で成り立っているのです。忘れないでください。

 

           

                           挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★繰り返します。心にしっかりと入れてください。

メンバー、仲間がいてくれてマネジャーの貴方を助けてくれているから組織が成り立ち、そしてあなたがマネジャーとしていることができる」のです!!!

 

「組織はメンバとマネジャーの助け合いによって成長していく」

当時、新任マネジャーの私が組織の仲間に言葉としていたことです。

 

マネジャーがメンバを支援し、メンバーが「本来であればマネジャーンがやるべきことを肩代わりしてマネジャーを支援している」これが「組織の姿」なのです。今でもそう想っています。

          

                      挿絵は田中拓馬画伯 画

 

何のために・・・・、「今の組織でできていないことをみんなで発見し、常にみんなで共有し、それをみんなで実行可能にすることによって組織を成長、変化し続けていく」ために、となります。

 

●ですので、その組織の変化の入り口として必要不可欠なのは・・・・マネジャー・・・あなたが「組織の明日へのデザイン(ああしたい、こうありたい)」を明確に持っていて、それを仲間に語り続けられているのか、語り続けているのかが絶対条件になるのです。

 

 

「明日へのデザイン」「組織をどうしていこうとしているのか」を明確にいなければ「マネジャーにしてはいけない、そう想い続け実践してましりきした。

 

●さて・・・一方で「経営する」とは何なのでしょうか。

会社のトップ、組織の長、代表取締役の果たすべき役割とは???

 

●悩み続けていた時にふっと「ものすごく単純」なことに行き着きました。

 

役職が上位になればなるほど、「助けてくれる人が多くなる」と言うことです。

 

社長は社員全員が自分の仲間」と意識して「会社をこれからどうしていくのか」「ドンな会社にしていくのか」を明快に「仲間」に示し、それが「仲間から受け入れられた」なら、その「変化の実現」のために「社長が゛身体と頭そして何よりも心にたくさんの汗を流す」こと・・・そのように私は定義付を行い、そのようにずっと実践してまいりました。

 

●決して、「仲間を、社員を管理すること、そして指示するだけでは絶対にない」のです。

社長を筆頭として事業部門長、部長・課長・・・社員・・・みんなが変化への「汗」を流し続けていくこと、なんです。役職者が何もせずに汗をかかないなんて、あってはいけないのです。

 

●では、どうしたら「みんなで共有して今できていないこと」をできる組織・会社にしてけるのでしょうか。

 

★まさに・・・・そのための「キーマン」が組織のトップ(社長)なのて゜す。経営企画室等に全てを委ねては絶対にダメ、なのです。

 

国会議員の先生方も全く同じですご自身で何も考えることなく、秘書さんにそして官僚皆様に全てを委ねていては絶対にダメなのです。

 

◆では、組織のトップ(社長)は何をするのか・・。

 

◆それは、「今できていないことを実現していくために「「自社の経営資源をどう組み合わせて実現に向けての『仕組み」を創ること」、私はそう想うのです。

最大の経営資源それは「社員・従業員・仲間・・・・そう「ヒト」なのです。

          

                       挿絵は田中拓馬画伯 画

 

◆「経営の差」はこの「組み合わせ形成の「差」なのだとも思っています。

 

★そして、「経営書」「他者の事例」を参考に真似をしては「ダメ」です。一社一社、働いている人たちが異なります。「あくまで」「自分たちの会社」で考えてそして行動していくべき、なのです。

 

★なぜなら・・・「実行に向けての動きをする組み合わせは言ってみれば「無限の組み合わせ」となるから、です。ですから、他社のたつた一つの例から「解決策」を見出しても、言いきっちゃいます、正に「無駄」なのです。

●例えば。。。10人の社員の会社を想定しますと「ひとり一人を」考えて「10通り」、そして二人の組み合わせは10人から二人を選ぶので「45通り」になります。(10C2)。次に10人から3人を選ぶ組み合わせは120通り」にもなるのです。

 途中を省いて「10人の会社」を考えても「組み合わせの数の合計は、なんと何と・・・1023通り」になるのです。そしてひとり一人は毎日、毎時心の状態は違ってくるのです。

 組織の長の貴方は「1023通り+たくさんのα」のマネジメントを考え

実施していくことが必要なのです。書籍に頼る、他社の事例に頼る・・・無理、ですよね・・・。

 

★だから・・・すべてに通用する「マネジメント手法は存在しない」社長・リーダー・・・そして国会議員の先生方もそう想うべきなのです。

 だから、「常に相手の「今の心の状況」に対しての柔軟なマネジメント」が必要となるのです。そして「全てはここから始まる」のです。

 

★重ねます、マネジメントは「管理」なのでは決してありません。言葉で表せばそれは「支援」・・・「メンバー支援こそがマネジメント」と言うことなのです。

 

●マネジメントと言うことに対しての私の変わらない想いを綴ってきました。いかがでしょうか。

        

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

 

このブログの最終として・・・

国会議員の先生方へ!!

 たくさんの歳費を国民からいただいているのですから、変えることのできない」「昨日までのこと」「揚げ足取り」に大切な国会の時間をつかわないでください。お願いいたします。
 

私達に「みなさんが考える「明日の日本」「日本をどんな国していきたいのか」「日本国民をどんな人たちの集まりとして形成していきたいのか」・・・等々・・・明確に「日本の明日のデザイン」を示していただきたいと思います。
 

★それができない、のであれば日本に明日のために今、辞めていただきたい・・きついですがそう正直に感じています。

★国民は貴方を支えてくれるノデショウカ!!!!


        今回も最終行にまでお眼を進めていただきまして

               ありがとうごさいます!!!
    昔から「管理」と訳され使われていることが多いMANAGEと言う言葉

 

    私は人間が人間を管理なんかしちゃいけないと28才でマネジャーに

              就いた時から感じておりました。

 

                    そして

           MANAGEの意味を再度調べるために

     英和辞典を開いていたときに突然に目に飛び込んできた言葉・・

 

             そこからの私の想い形成

       マネジャーとメンバー、メンバーとマネジャーは

            お互いに「支援し合う」仲間

          そう定義付をしてスッと心に落ちました

      そしてそれ以来、ずっと実践し続けてきていました・・。

 

               ありがとうございます。

      にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 300>>

 

    私に気づきを与えてくれた英(単)語たち」  その④

 

    『4つの「CH」』と『一つの「CO」』

 pinCH CHance CHange CHallenge 

          COurage

        ~私の変わらない想い~  by 入道

                 

                             挿絵は田中拓馬画伯 画

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                       今回も私の年のちょっとだけ離れた友達

                浦和と秋葉原を基点に世界に羽ばたきをされている

                    画家の田中拓馬さんがご厚意で素敵な挿絵を

                 画いてくださいました。

             拓馬さん、ありがとうございます。

    田中拓馬さんのwebサイトを訪ねていただければ、と思います。

   http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

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●今回のブログの入り口は現在もいろんなところでいろんな人が言われている「ピンチはチャンス」、この言葉と間もなく50年になる出会い、です。

 

 

●社会人としての動きを始めた当時の日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)の江副(浩正さん(社長)が社内でよく口にされていた言葉です。それだけ当時のリクルート、ピンチが多かったのかも・・。

 

「ピンチはチャンス」。江副さんはよく口にされていましたが質問をしても「どういうことなのか」の説明は全くなし、「自分で考えてみて」の一言だけ。

 

★そこで自分(当時22才!!)で考え自分で意味付けをしようとしたことがスタートでした。

 

「ピンチはチャンス」「ピンチ」は一体、なんのための「チャンス」なのでしょうか。

 

◆英単語事典で先ずは「ピンチPINCH」を調べていた時にピンチ「PINCH」の終わりの「綴り」の二つの「CH」は「ピンチはチャンス」のチャンス「CHANCE」の頭二つにかぶさるぞ!!と変な感じ方をしたのが「4つのCH」の入り口です。

                    pinCH      CHance

 

◆そこで、CHで始まる英単語を辞書を見つめながら、心に引っかかる単語を「二つ」見つけました。

 

◆それは「CHangeと「CHallenge」の二つの単語です。

 

◆この二つの出会いで今も使い続けている「4つのCH」になります。

      pinCH   CHance   CHallenge  CHange

 

◆そして!!!!!!!

この「4つのCH」を次の絵のように関係付けをしたことで私の変わらない想いの形成となっていました。そして同時に「しっかりと実現していくために必要なものとして「1つのCOが産まれました。

        

                             挿絵は田中拓馬画伯 画

 

 それも関係づけの中に加えました。これで「4つのCHと一つのCO」の完成です。

      1つのCO、それは『COurage・勇気』です。

 

 

ピンチはチャンス。何のためのチャンスなのか。それは「今これまで」を「変えてチャンス。でも・・・何もしないで「変化」は産まれてはこない。そのために必要なのがチャレンジ・挑戦の心。そして・・・挑戦

今これまで」を変えていくには「勇気・COURAGE」が必要となる。

これが私の「ピンチはチャンス」と言う言葉への自己定義でした。

 

●この自己定義づけの時に実は「新たな発見?」ができてもいます。

 

●但し、学問的では全くありません。その「新たな発見」とは・・・・それは「4つのCH」の中の二つの英語・・・「CHance」と「CHange」、この二つの単語からの発見?となります。

 

★小文字でCHanceとCHangeと見ていた時には気がつかなかったのですが、何かの拍子に二つの単語を大文字で縦並びに書いていた時に心に「瞬間的」に感じとりました。

            CHAN

                     ⇑⇩

        CHAN

 

★みてください。右から2つ目以外は全く同じなのです。

異なるのは右から二つ目の「C」と「G」これが違うだけなんです。そして・・・・CとGも似ていますよね

 

この違いだけで「チャンス」が「変化」となっていくんです。不思議て゛ないですか!??

 

★そこで考えました。「CとGの違いって何?」と。そして・・・何日か後だったと思いますが、勝手な想い、勝手な自己定義が想い浮かびました。それが下のシートになります。

 

「C」の右下に「T」をくっつけると「G」になる、んです。ではその「T」とは何???

 

★それはhink」と「acion」の二つの「T」なのだと勝手に決めました

実に勝手な意味付けなのですが、私の心にはストーンと落ちてきました。

   「チャンス」の時には「今日これからを考え

  そしてその実現のために動いていく」ことに

よって「今日これまでをチェンジしていくこと」に

         繋がっていく・・・・。

 

◆そして!!この時以来、まもなく50年になろうとする今でも私が使い続けている「こうどう」は単に「行動」なのではなく「考えてそして動くこと」即ち「行動とは考動」であるとの想いが形作られています。

 

●そして…目指す変化は「一気に大きく」でなくていい、のです。「小さな変化」を続けていけばいい、のです。「進化はちっちゃな変化の積み重ね」なのです。

 

 

●この「小さな変化」の積み重ねのために何が必要なのでしょうか

 

●私はそれを下の「2つのシート」のようにまとめました。そしてその想いは今でも変わってはいません。

 

★先ずは「こうありたいな」「こんなんだったらいいな」「こんな状態にしていきたいな」・・・・「MUST」ではなく「たくさんのWISH」が必要なのです。私はそれを「明日のデザイン」と称し続けています。

 

 

★では、この「明日のデザイン」をしていく「力」は何なのでしょうか?それを私なりに「4つの力」にまとめたのが次のシートになります。

 

 

「課題創造力」「挑戦力」「シナリオ創造力」そして「考動力」。この「4つの力」を持つことだ、としていますがどうでしょうか。

 

◆こんな自分の想い形成から・・・1971年・昭和46年10月に行われた日本リクルートセンターでの「新入社員フォロー研修」の最後に自分に向けての「これからのスローガン」を創る時間があり、私は下記のようなスローガンを創り、これ以来、今でもその動きを継続しています。

 

    常に疑問と再点検

     今が最高なのではなく

       もっと良くなるはず、と考えて

          常に新しい動きを重ねていこう

 

        今回も最終行にまでお眼をすすめていただきまして

                 ありがとうございます。

 

       ちょっとしたところに自分の想いを形成していくヒント

                  キッカケがある

      誰かがこういった、有名な人はこう言っているではダメ

             それだけだとすぐに忘れます

          やっても形だけになりますし真似です
                    なぜなら

       自分の言葉、自分の想いではないのですから・・。

 

          今日までずっとそう想い続けています

 

      今回で4回目になります「英単語からの気づき」

         後一回書いてみようと思っています。

 

             ありがとうございます。

     にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<<ブログ 299>>

        かつて・・・悩み悩んでいた時に

   私に「とてつもない大きな『気づき』」を与えてくれた

      「英語(英単語)たち」     その③

     「教える」の二つの英単語

   そして二つの「童謡」から気づいたこと

       TEACHからEDUCATEへの転換

 スズメの学校からメダカの学校への転換を 

       ~私の変わらない想い~    by  入道

                

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   今回も浦和そして秋葉原を基点として世界への羽ばたきをされている

      私の年の離れた友達、画家の田中拓馬さんがご厚意で

            素敵な挿絵を画いくださいました。

           拓馬さん、ありがとうございます!!

       田中拓馬さんのウェブサイトも訪ねてくださいませ。

     http://www.takumatanaka.info/gallery-sushi-bar-series

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     研究社 新英語辞典より

       TEACH     教える

       EDUCATE   教育する 育てる 養う 訓練する

       TEACHER   先生 教師

       EDUCATOR  教育者

 

●日本を「まとも」にしていくには大切なことがある、と想い続けています。

 

●そんな想いの私の心を揺さぶりそして固めてくれたのが今回の二つの英語・・・「教育」を意味する英語TEACHEDUCATEです。

 

★日本を「まとも」にしていく大切なこと・・・それは『現在の「学校教育」を勇気を持って変えていくこと』だと想い続けています。小学校、中学校、高校に大学・・・更に企業・職場そして家庭を含めての『教育』が対象になります。

 

★今日の「日本の教育のやり方?」「教育の『目的』」を「明日の日本人」「明日の日本」のために、へ「勇気を持って変えていく」ことをしていかないと「非常にマズイ」!!!私がそう感じ始めてから30年以上・・・残念ながら状況は変わってはいません。

 

日本の教育・・・・「点数付け」「ランク付け」「順位付け」・・「みんな同じ教育」「個性無視」「脱個性」・・・・「同じ人間を創ろうとしている教育」等々・・・・どうしておかしくなってしまったのだろうか・・・少し考えてみました。

 

★どうやら、私の年代も最後の仲間?として属している「団塊の世代」に大きな原因を見つけることが出来そう、です。

 団塊の世代、自分たちの子供時代そして就職での「体験」

 いってみれば「競争ばかり」の「競争世代」でもありました。

 そんな「競争体験ばかり」をしてきている私たち団塊の世代が親と

 なって子育てをしてきている・・・・たぶん・・同じような「ものさし」を使

 用して・・。

 

★団塊の世代の「体験」、それは端的な言葉で表すと「大人数集団」からの「振るい落とし」のための「手段」として「教育の場」を使っていたことにある、私はそう想い続けています。

 

ものすごい人数の「団塊の世代」に対応して学校数の絶対的な不足・・・・一学年50名から60名で1クラス、これで8~10クラス・・・それでも足りない・・・・(私も高校では3年8組57名のクラスでした)・・・そして「受験戦争」の言葉に代表される「学校が子供を選ぶ」状況下での「教育」・・・そして今、大きく学生の数が減少して学校余り「生徒が学校を選べる」状況になってきているにもかかわらず「教育の在り方」「教育の目的」に関して、ほとんどほぼ60年前と変わってはいません。変化を観ることができません。変化を感じとることができない、のです。

 

●言い切れば、「いい学校に入れる・入る」

                ↓

         「いい成績で卒業する」

                ↓

         「いい会社に入れる・入る」

こうなれば「いい人生」なのだとなっている、のです。みんなそう思っているのです。その状況がなんと「今も」続いているのです。

 

●私がよく用いる「手段」「目的」に区分して考えると「手段ばかりに固執している」のであり、「目的・何のために」がまったく「ものさし」とはなっていない、私はそう想うのです。

 

「いい点数を取ること」が「目的」ではない、のです。

なんのためにいい点数を取ることが必要なのか・・・・「いい高校・大学に入るため」「いい会社に入るため」・・・・目的ではありません、これらも「手段」の一つにしか過ぎないのです。

◆そんな「手段」としての「点数」「ランク」がとれない子供は「落ちこぼれ」としていいのでしょうか。

 

★違いますよね!!!でも・・・・・ものすごく残念なことに、まだまだそんな状態が続いています。続けてしまっている、のです。

 

★今のような日本の「教育」を続けていった時の「未来人(未来の日本人)」の人達に対して「いいのだろうか」「いいことなのだろうか」・・・・そんな気持ちになってしまいます。

 

★「叩き込み」「暗記」「詰め込み」の教育から「気づかせて」「導き出して」の教育に勇気をもっての転換を!!!!!

 

★そして「画一的」「没個性」「同じような人間をたくさん創り出す」教育

から「個性の尊重」「個性の発見」「ひとり一人の強さの育成」を前提とした教育に「教育の「目的」」を変えていく必要が絶対にある、私の信念です。(所属していた会社組織ではそれを実践してきたつもりです)

 

家庭そして職場での教育も全く同じ変化が必要だ、と想い続けています。

 

★この「想い」は先の二つの英単語の解説をじっと見ていた時に、ふっと心に浮かんできた「共に学校がタイトルの入っている二つの童謡」が覆いかぶさり私の想いは更に強くそして不変のもの=信念となりました。

 

二つの童謡。それは「スズメの学校」と「メダカの学校」の二つです。

この二つの学校と二つの英単語・・・・私の心の中でちゃんとマッチングした。マッチングしています。

 

       スズメの学校=TEACH

     メダカの学校=EDUCATE

                                  挿絵は田中拓馬画伯 画

 

★この二つの学校の「校歌?歌詞」を記します二つの童謡のうち、「スズメの学校」を知らない人がかなり多くなってきているようですが、私たちの世代では子供の頃に何度も口にしていました。

 

 

◆この二つの学校の校歌?の歌詞をよくよく見ていただきたいと思います。

 

「心に二つの学校の授業風景をおもい浮かべて」いただきたいと思います。

 

★いかが、でしょうか。

「どっちの学校で学びたい」と思いますか?そして自分の子供たち、孫たちを「どちらの学校」に入学させたいと思われますでしょうか?

 そしてそれは「どうして」なのでしょうか?

 

★「教える」「教育する」の英語は二つ。
          
TEACHとEDUCATEです。

 

●これまで・・・そして今でも私が気になっていることがあります。

●それは「教育の主体」「教育する側」にあり、「教育を受ける側にはない」、そして「教育の目的」が「教育の目的と手段を取り間違えている」が故に「インプット」に偏り過ぎている、「インプットばかり」であるということです。

 

EDUCATE、この英単語の語源を遡っていくと「導き出す」「引っ張り出す」の意味のある言葉であることが解ります。

 

★と、なると・・・・・「教育の主眼」は本来的に「インプット」て゜はなく『アウトプット』である、そう想うのです。インプットはアウトプットのための「手段」の一つなのです。

 

      アウトプットのないインプットは無意味!!

                (試験・テストはアウトプットとは違う)

      インプットは手段でありアウトプットこそが目的!!!

 

ひとり一人の生徒の「個性」をどう見つけ出していくことができるのか、そして本人と一緒に見つけ出した「個性」をどのように育てていくのか」・・・ここにこそ「教育の目的」そして「教育の在り方」があるのでは・・・・・そう想います。

                                 挿絵は田中拓馬画伯 画

 

TEACHEDUCATE。この二つの英単語二つの童謡=二つの学校覆い被せることで「これからの教育のありたい方向」が見つけられると私は想い続け、会社所属の時の自分にその変化を課し続けてた。

 

●学校と会社、社会の違いもあるのですから会社等での教育研修体系は「自由」に組み立てられるのです。

●学校の先生は決められたカリキュラムで生徒にTEACHするのですが、社会そして会社の先輩・上司・人事部(=会社社会での教育者・先生役)は先ず自らが自らのアウトプットでいつもいつも変化していなければならない(=最新・新鮮でなければならない。10年いつも同じではダメなのです)と思います。

 

★異なる表現をいたします。

学校教育には到達点(ココマデ)がありますが、会社・社会での教育には到達点はない、終わりがない、のだとも思います。

 

★それゆえに、社会での教育者(教える側)はいつもいつも自ら汗して新しい体験と知恵を身に着けていくことが必須条件になる、そうも感じます。

 

★そして・・・・「学校教育」と「社会教育」とこれまで分けて記していますが、この「垣根」「境目」を無くしていく、「連なるように教育を組み立てていく」ことが重要なのです。

 

★そのためには・・・日本の学校教育を勇気をもって変えていくべき、と想うのです。

 

その変化の方向

     TEACHからEDUCATEへ

       そしてスズメの学校からメダカの学校へ

               さらに

           TEACHERからEDUCATORへ

ここにあるのでは、私はずっと想い続けています。

 

教育者=EDUCATOR「教え育てる人」なのです。育てることを失しては絶対にいけない、のです。

          

                            挿絵は田中拓馬画伯 画

 

●そうなれば・・・・自然に・・・・

    「ひとり一人のマイナスを見つけあう・

         指摘し合う」のではなく

  「ひとり一人の強み(=個性・できること)を

          組み合わせることで

  生きていくこと、そして仕事をしていくことが

          「楽しく」なっていく、

     「楽しく」していくことができる!!!

そう想うのです。

   ・一人一人が活き活きと個性を発揮している

   ・失敗を糾弾し続けない

   ・犯人捜しをしない

   ・一度失敗すれば次にはそれを取り返そうとひとり一人が動く

   ・一人の失敗を他の仲間がその失敗を取り戻そうと一緒に動いて

    いる・・・・・・・・

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●こんな会社そして「社会」になっていけば、力強い優しい会社、力強い優しい「日本」社会を形成していけるのてはないでしょうか。

 

★学問的な「みかけの賢さ」を教えるのではなくにんげんとして生きて行くための知恵と優しさ身に着けて自然に醸し

    出していくことを教えて育てていく

          学校教育であって欲しい

強くつよく感じています。

 

                  今回も長くなりましたが

     最終行にまでお眼を進めていただきましてありがとうございました。

 

                  ありがとうございます。

       にんげんしあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村道夫)