ふたつの「じりつ」で日本を変えていきたい、変えていこう~私の変わらない想い~ | にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ~入道のブログ

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20年間の苦しくしんどかった体験が私に構築してくれた「私の『生きること・働くことそして経営すること』への『想い』」。それを書き連ねていきたいと思います。

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  まともな国、日本としていくために

     何が必要なのだろうか?

        それは     

日本人ひとり一人の『ふたつの「じりつ」』!!

      ~変わらない私の想い~by入道

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             東京秋葉原のアトリエを基地として

                           世界への羽ばたきを重ねておられる
                               私とちょっとだけ?歳の離れた友達

              画家の田中拓馬さん
      ご厚意で今回も素敵な挿絵を画いてくださいました。

        拓馬さん「ありがとうございます」。お心に感謝です。
 

  田中拓馬さんのサイトも訪ねていただければ幸いです。

                http://tanakatakuma.com

                            https://ttakuma.thebase.in/
                               http://www.takumatanaka.info

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●2025年5月21日、みずからの発言を問われ事実上の更迭となった江藤拓農水大臣


●そして国の備蓄米を供出しているのに下がることのない米の価格、これからの参議院選挙を意識しての「消費税減税」等「今日明日をどうするのか」の手段」議論だけの国会での連日の動き・・・。「その手段」を使って「日本をどんな国にしていくのか」の議論そして国民への提示がない「目的が明示されていない」のです。

                              
                 挿絵は田中拓馬画伯 画


●「10年後20年後・・50年後の日本をどんな国にしていくのか」(=目的)のデザインがしっかりとあって「そのために何をしていくのか」(=手段)の「本来の国会の動き」が全く感じられることなく、報道されてくるのは{「目的不明の『手段』だけ」、言い切ってしまうと受け狙いの「目先の施策」のみ・・・・・。
 

●そんな今の日本の日常から嘗て私が組織に所属していた時に自分自身そして仲間の人たちにお願いしていたひとり一人が「二つのじりつ」をしていこうと動き続けていたことを想いだしています。

●国会の先生方だけでなく日本人全員ひとり一人が「二つのじりつ」の「こうどう=考動(私の造語です)を重ねていくことで日本を変えていきたい変えていかないと・・・と素直に感じています。

  今回はそれを改めてブログ掲載といたします。

 

 

 

           いつの間にか

       とてつもなく多くのひとたちが

   「自分が何をするのか」「自分は何ができるのか」

          自分に問いかける前に

    「他人が何をしてくれるのか」

    問いかけることがあたりまえになってしまった

            寂しい国、日本。

 

     日本を「まともな」国にしていくために

        何が必要なのでしょうか。

                   

    こんな問いに対する私の答え・私の想いは

       『ふたつの「じりつ」』

 

    日本人ひとり一人が『自律』そして『自立

    このふたつの「じりつ」にこだわって

            ひとり一人が

  自分自身の「こうどう(=考動)」を変えていくことで

      日本と言う国を、日本と言う組織を

         変えていくことができる、

          はそう想います

 

     嫌な、辛い、悲しい状況にあるときに

    「あいつが悪い」「上司が悪い」「社会が悪い」

         「政府が悪い」・・・・・・

 

  自分以外にその原因をみつけだそうとする
       動きでは

       「今を変えていくこと」はできません。

 

         変化への入り口、

      それはものすごく単純なのです。

      

                 挿絵は田中拓馬画伯 画

          組織のひとり一人が
自分に(も)原因がある、責任がある」と思い「自分自身にその原因をみつけること

        だと 私は想い続けています。

 

   自分からその相手に語りかけの動きをとっていない、

       それが「その人の原因」なのです。

 

      必ず「自分にも責任あり」なんです。

 

             そして

        自分に原因を見つけだせれば、

            後は簡単です。

 

  その瞬間から「自分の言動を変えていけばいい」のです。

      自ら自分の言動を『律し』
自らの動き(=こうどう=考え動く=考動)で
 自らの「人生」を形成していく(=自立)  

 

  本来は「あたりまえ」のことなのではないでしょうか。

 

    身体と頭そして何よりも心に
   沢山の「汗」をかいて働くことを

 認め合い、称えあい、そして報いあう国、

      日本でありたい

        と強く強く想います。

 

   「身体・頭・心に汗かかずに『らく(楽)』して

       金儲けをする人たちを称賛するような風潮」、

     「らく(楽)してお金を得る願望」から

        早くみんなで、ひとり一人が脱却して

    「あたりまえの人間の集まりの国、日本」にしていきたい

 

        本気でそう想い続けています。

 

      いつのころからなのでしょうか、

   日本人が日本人らしさにんげんらしさ

  どこかに置き忘れてきてしまったのは・・・・。

 

      たぶん、一億総中流と言われ

   一人ひとりもそう感じてしまったころから・・。

 

         朝から夜中まで

     身体中、汗まみれにならなくとも

         自分が、家族が

       ちゃんと生きていける、

 そんな感覚になってしまった時から、なんだと思います。

 

   世のなかに「3K(きつい・汚い・危険)嫌悪感」

  漂い始めた時と一致、しているのかな、とも思います。

 

    ものすごく単純、あたりまえのことなんです。

 

     一生懸命になっている人には

「大丈夫ですか」「何か手伝えることは」と

      人は声をかけます。
      
                 挿絵は田中拓馬画伯 画

 

       何もしないで

      寝転がっている人に

人間は同じような動きをするのでしょうか?

 

  そんな人が多くなってきたのに連れて

    日本人は「らしさ」喪失と共に

 助け助けられ、の想いも置き忘れてきて  

       しまっています

          

          私はそう感じています。

 

      日本人らしさ・人間らしさ

    取り戻そうよ、早く!!!!

    取り戻せるよ、今なら・・・

 

 

   今回も最終行までお目を進めていただきまして

         ありがとうございます。

      本当にいつのころからなのでしょうか、

     日本人が日本人らしさ、にんげんらしさを

     どこかに置き忘れてきてしまったのは・・・・。

      忘れてしまっていることですから

      想いだせば、「あっ」と感じられれば

       すぐに取り戻せる動きはできる

     そう想いますし、そう信じたいと感じています。       

   にんげん・しあわせ・ゆめ・こころ 入道(入村 道夫)