日本は児童ポルノを野放しにするな。
日本は児童ポルノの取り締まりにもっと真剣に
なるべきだ。児童ポルノのビデオはYahooの
オークションでも売られている。いつだって手に届く
ところに、児童ポルノのビデオが売られている。
日本が児童ポルノを厳しく取り締まる姿勢を明確にしないと、
性犯罪予備軍の変態たちが図に乗って、他人の娘を
用具室に呼び出して裸にしたり裸同然の姿で体育館を走らせ
たりするようになる。
自分の性癖を隠している間はいいが取り締まりがユルいと
なると欲望をかなえようとする人間が多く現れるようになる。
また、児童ポルノビデオを観たために、いらぬ刺激を受け、
女子児童に対する変態性の性嗜好が現れたという場合も
あると思う。日本政府は少子化を心配する前に、子供の
こころと体を傷つけるチカン・変態を厳しく取り締まるべきだ。
今回逮捕された市役所の役員でバスケットボールの教師、
愛媛県四国中央市土居町上野、同市建設第2課長補佐
尾崎靖雄容疑者(47歳)を、みせしめの
ためにも厳罰に処するべきだ。触ったか触っていないかなど、
争点にするべきではない。女児を裸にした時点ですでに重大な
犯罪を犯しているではないか。
他人の子供を裸にすると、どれだけの罰があるのか、全国の
性犯罪予備軍たちに見せてやってほしい。
安心して子供を育てられる環境がなければ、日本人は子供を
産まなくなるだろう。
教師であるという立場を利用し、女子児童を狭い場所に閉じ
こめて脅して裸にしたのだ。
この教師のしたことは、隠しカメラで女性のスカートの中を
撮影した芸能人の罪より、もっと罪深い。全国に顔写真と
実名を出して、厳しく裁くべきだ。
頭の中の図書館
頭の中には図書館があって、わたしは、図書館の管理人を
している。図書館は細長い通路状になっていて、わたしは
いつも、今という図書館の入り口に立っている。
毎日どんどん新しい情報が入る。本を読んだり、インターネット
で調べものをしたり、他の人のブログを読んだり
テレビやパソコンでニュースを見る。聖書も読むし、教会で
神さまの話も聞く。友達に新しい事を教えてもらったりもする。
そしてせっせと知識をためこんでている。時々奥の方から、
いろんなものを引っぱり出して、組み立ててブログを書く。
以前は直ぐに図書館から探せた人の名前がどこにいったのか
見つからないときもある。以前観た映画の名前も見つからない。
でも、使わなくなってからすっかり忘れてしまったはずの、
16歳の時に外国で覚えた言葉を最近もう一度勉強し直したら
無意識に言葉が口に出てきたりする。脳はちゃんとどこかに
以前覚えた事を保管しているのだと感じる。
頭の中の図書館には、記憶がしまいこまれているのだが、
管理人のわたしが、それがどこにあるのかわからなくなって
いることがある。奥の方に戻ってしばらくウロウロしていたら、
探しているモノが見つかったりもする。つまり、記憶が戻ったり
忘れていた事が浮かんでくるということもある。
インドネシアで、イスラム過激派が、ミッション系の高校生の
女の子を3人殺して頭を切り離し、警察所と、教会の前に
置いたというニュースを読めば、日本の学生が「サカキバラ」という
偽名を使って、幼児の首を切り落とし、小学校の前に置いた事件を
思い出すし、フセインが泥だらけで、大金を持って狭い穴の中に
隠れていたと聞けば、地下鉄でサリンをまいて大勢の人間を殺した
新興宗教のテロ集団、オウム真理教(今のアーレフ)の教祖の麻原
ショウコウ(本名は松本)が、大金を持って狭い場所に潜んでいた
事を思い出す。どこかで、高校生が電車のホームから線路に落ちた
小学生を、とっさに助けたというニュースを聞けば、日本で酔っ払い
がホームから線路に落ちたときに、韓国の青年と日本のカメラマン
がとっさに線路に降りて彼を助けたが、二人は死んでしまったと
いう事件を思い出す。脳は類似した記憶を勝手に引っ張り出してくる。
記憶は実際はどんな形で頭の中に存在しているのだろう。
いろんな電気信号になって、脳の中に蓄えられているのだろうか。
日本人の頭の中の「記憶」が日本や外国の政府にねじ曲げられた
「歴史」に取って代わっていないか。日本人の「記憶」が学校の先生や、
特定の新聞や、外国のロビイストの情報に操作されていないか。
反日教育を受けている中国人や韓国人のように、政府に故意に
植え付けられた「偽の記憶」にすり変えられていないか。
自分はどうだろうか。ペリーに無理やり開国させられてからの、日本の
状況や当時の世界の構造が頭の中の図書館からすっぽ抜けて
いたのではないか。いろいろ反省をしながら、歴史を勉強し直すと、
意外と知らなかった事だらけなので驚く。
日本人でありながら、日本の事を知らないで今まで生きていたんだ
なと思う。中国や韓国や北朝鮮のいきなりの反日騒ぎにびっくりして、
逆に日本人としての自覚が芽生えた。日本が言論の自由や信仰の
自由がある民主主義の国であり続けることを願っている。
一部の人が、キリスト教が日本の敵だと勘違いし、誤解を招くような
文章が入った本を書いているのもちょっと嫌だなと思っている。
お仕着せではない真実の「日本の歴史」を各自が探し求め、意見や
信仰が違う相手を尊重し、間違った知識を持つ相手には、忍耐強く
証拠をあげて丁寧に教え、みんなが自分と自分の国を誇れるような
いい国であってほしいと思う。今は、自分の頭の中の「日本」という
空っぽの棚に、どんどん知識を取り入れている最中だ。
中国・胡政権の戦略
「田中宇の国際ニュース解説」に、『中国・胡政権の戦略』という面白い記
事があります。暴動報道や、現政権の方針に関する分析です。
ぜひ読んでください。
・田中宇の国際ニュース解説(中・韓版あり)
http://tanakanews.com/
・中国・胡政権の戦略
http://tanakanews.com/f1025china.htm
←面白いです!!
このお知らせはここから。
↓
http://shiozoffice.seesaa.net/article/8606743.html
インドネシアの警察が頑張った!
インドネシアの警察が頑張ってくれた。
バリの爆弾テロの犯人の居場所をつきとめて
銃撃戦の末、犯人は自爆した。日本だと、犯人は
生け捕りにして裁判で裁くのだろうが、インドネシアでは
相手も銃や爆弾を持っているので、のんびりしていては
警察がやられてしまう。銃撃戦になったら、犯人が
死ぬのはやむをえない。今回の件では犯人は自爆したが、
相手は自分の命も他人の命も大切だと思わない過激な
思想の持ち主で、爆弾製作のプロだ。
すでに何人も殺してきたし、これからも殺す気が
満々の人物だ。キリスト教会を爆破する予定もあった
そうだ。過去にインドネシアのキリスト教会を爆破して
いたのは彼だったのかもしれない。
ヨルダンのホテルで行われたイスラム過激派の自爆
テロは、ヨルダンのキリスト教徒や、イスラエル人がよく
利用するホテルだったそうだ。ホテルで結婚式を
あげていた男性が涙を目にいっぱいに溜めながら、
「親戚も死んだ。兄弟も死んだ。」と、カメラの前で言って
いた。幸せを祝ってもらうために集まったもらった結婚式
が、一瞬にして惨劇の現場となった。インドネシアのイス
ラム過激派もキリスト教徒や教会を狙う人が多い。
宗教闘争に持ち込みたいというイスラム過激派の作戦
なんだろう。キリスト教徒の家でも、イエス・キリストを
信じていない者もいるのだ。神の教えに逆らい、復讐を
図る血気盛んな若者が暴動を起こせば、彼らの罠に
はまったということになる。インドネシアのあるクリス
チャンは、「教会を燃やされても、また建てればいい。
教会が無くなっても外でも礼拝はできる。」と言っていたが、
インドネシアの警察は、もっと真剣に教会を焼いたり、
キリスト教徒を狙って殺害しているイスラム過激派を取り
締まるべきだ。
彼らの最終目的は、宗教闘争から、インドネシア全体を
混乱に落としいれ、経済を崩壊させて、民主的な国家
ではなく、イスラムが国の政治をつかさどる国にする
ことなのだ。
死ぬのはキリスト教徒だからかまわないと思って、警察が
事件を放置していると、彼らはどんどん力を付けてきて
インドネシア政府を転覆できる勢力になっていくのだ。
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イスラム過激派のアズハリ・ビン・フセン容疑者(48)が警察との銃撃戦中に自爆死したとみられる事件で、インドネシア国家警察は10日、現場に残された遺体の指紋が同容疑者のものと一致することを確認した。また、同容疑者らがスマラン市などのキリスト教会を狙った連続爆破テロを計画していたことが分かった。
共通の思い出を持つ間柄
兄弟とか、幼じみとか、クラスメートとか、
共通の思い出を分け合った人物に会うと、
時間が元に戻って、当時の自分に戻れた
ような気がするときがある。会社やご近所の
人とは、仮面をかぶって接するようなところも
あるが、子供時代からの知り合いとは、
世の中のしがらみとは切り離された関係が
なりたっているようで、会っていると気持ちが
軽くなる。幼じみや兄弟に先に死なれた人は
共通の思い出を一緒に楽しむ事ができなく
なって寂しくなるんだそうだ。
自分が若いときから知っている歌手が亡くなると、
親戚でもないのに寂しくなるのはなぜだろう。
同じ時代に生きている歌手や芸能人は、たとえ
会ったことがない人たちでも、いろんな思い出と
一緒に自分の記憶の一部になっているので、
きっと、「幼なじみ」のようなモノになっているんだ。
彼らにかかわる思い出が途絶えてしまうのは
寂しいことだ。自分のモノだった彼らの思い出は
もう更新されることはない。突然終わりを告げられたのだ。
やっぱりそれは寂しいものだ。亡くなった人をしのんで
「あの人はいつまでも、わたしの心の中に生きています。」と
いう不思議な言葉がある。過去は過去にすぎないけれども、
自分は、過去の延長線上にある今を生きているのであり、
今でも亡くなった人から得たモノ全てから良い影響を受け
ながら生きているのだ、自分が生きている間はずっと
そうなんだ、その人のことを忘れないで一緒に生きている
のだということだ。
思い出とは、頭の中に残っている記憶にすぎないけれど、
いろいろな過去があって今の自分という人間が
できあがっている。記憶の積み重ねが自分の性格を作って
いるとすれば、記憶が無くなると別の性格になるの
だろうか。わたしから、辛い思い出や、悲しい思い出を
消してしまって、何も無かったことにすると、わたしは
今のわたしとは、少し違う人になっているのかもしれない。
そう思うと記憶を失くすというのは、相当恐いことだ。
過去にすごく嫌な経験をしている場合は、思い出と一緒に
それに関する人物も葬り去りたくなるものだと思う。
嫌な思い出を忘れる事は、人間に備わった便利な機能だ。
起ってしまった事をくよくよしていては、今を生きていく元気も
無くなるからだ。いつだって過去よりも、今が大切なのだ。
あまりにも恐ろしい経験をすると、その記憶を消すために、
自己が分裂してしまう人もいる。いろんな人格が一人の
人の中にできあがってしまうのだ。
忘れなければ生きていけないほど辛い思いをした子供が
多重人格になる場合がある。多重人格者は、別々な
人格が別々に思い出を持っている。一つの人格に戻る
ためには、たとえ嫌な思い出でも、一つにまとめていく
作業が必要になるそうだ。思い出というのはひとりの
人間を構成する、重要なモノなのかもしれない。
高校生の頃、テレビで、おじいさんやおばあさんたちが
「長生きしていて、何が一番嬉しかったですか?」と
アナウンサーに聞かれているのをなにげなく見ていたら
一人のおばあさんが「嫌いな人が先に死ぬこと!」と、
言ったので、おもわず笑ってしまったことがある。
その相手には相当嫌な思いをしたのだろう。あんまり
正直な答えなので面白かった。いい思い出をいっぱい
持てた人は幸せだ。共通のいい思い出を持つ相手は
大事にしておいたほうがいい。もしケンカ中なら、
仲良くなっておくほうがいい。仲良くなれずにいる内に
相手に先に死なれたらきっと寂しくなると思う。全然
会ったこともない歌手でも死なれるとすごく寂しく
なるんだから。
トルコのデモ
以前イラクで誘拐した2人のモロッコ大使館員を殺害すると、
アルカイダはインターネットで予告したのですが、それに対して
モロッコで大きなデモ行進がおこなわれた。
超極左からイスラミ原理主義者まで、10月20日バクダットで
アルカイダによって誘拐された2人のモロッコ大使館員に
連帯を表明するために、カサブランカで数千人がデモ行進を
行った。
彼らは2人の人質の大きな看板をかかげ、のぼりには
『イスラムの名において人質を解放しろ。』
『コーランは無実の人の処刑を禁じている』あるいは、
『モロッコ人は、2人の犠牲者と連帯している』と
アラビア語で書かれていた。
2人の大使館員、アブデラヒム・ブアレン(55歳)とアブデル
クリム・ムハフィディ(49歳)は、アンマンに給料を取りに行った
帰り道で、アブー・ムサブ・アル・ザルカウイに率いられている
イラクのアルカイダによって、バクダットで誘拐された。
2人は、20年以上イラクに住み、イラク人女性と結婚している。
行進は、『緑の行進』(マルシュ・ヴェルト)の歌で始まった。
日曜日は、ハッサン2世の呼びかけで、350,000人のモロッコ人が
王国の領土を主張して、西サハラへ向かって行進してから、
30年目の記念日だからだ。
デモ参加者は、国連広場からハッサン2世通りへ向かい、
「自由にイエス、テロリストにノー。野蛮な行為はやめろ。」
「イスラムは愛の教えだ。戦いではない。」の語句とともに進んだ。
イスラム原理主義アル・アデル・ワルイフサーヌ(正義と善行)のス
ポークスマン、ファタラ・アルスラーヌは、「このような団結は、宗教や
どのような政治的グループに属していようとも、市民の誘拐や殺害
には反対することを示している。」という。
「われわれの宗教はわれわれを攻撃しない者に対して、このような
行為を禁じている。」
正義と発展のイスラム教(PJD)の国会議員サーディヌ・オスマニは、
「政府で組織したデモではないが、モロッコ市民から生まれた
マニフェストで、2人を誘拐した犯人に直ちに開放するように求め
ている。」と、語っている。
以上、無料メルマガ「明日のアラブ」より。登録は
職場を離脱して、独自に食料を確保しようとする者は、米の値段は15倍
北朝鮮は職場に出てこないで食料を確保しようとする者に
米を15倍の値段で売って、社会の秩序を保つようにしている
そうだ。と、いうことは、配給がうまく行われていないという事
なのでは?今年は北朝鮮は豊作だったそうだ。
中国から肥料や四川省の豚肉をたくさんもらったのかしら?
それとも韓国から援助をたくさんもらったのかしら?
日本が経済封鎖しても、中国や韓国が援助するなら、
あんまり意味は無いのかもしれないけど、脅しにはなる。
そして日本が拉致された日本人を本気で返してもらいた
がっていると、相手に示す事ができる。
北朝鮮をテーブルに連れ出すことができる。
その代わり、日本人は、安いビジネススーツや、安いしじみや
あさりが食べられなくなるかもしれない。安いマツタケも手に
入らないかもしれない。それでも、拉致された日本人が帰って
来るなら我慢できるのではないか?
トルコでは、イラクでザルカウイに拉致されたトルコ人二人の
ために、大勢のトルコ人が自主的にデモを行ったそうだ。
日本人も同胞を救うために、もっと何か努力しないといけない
のではないか?北朝鮮も、自国の船が日本に入れないと、
ミサイルの部品も手に入らないし、贅沢品も手に入らなくなる。
日本に帰るに帰れない日本妻たちが、日本の親戚から食料を
もらえなくなって、餓死してしまうとしたら大変だが、
日本政府は、脅してでも、拉致された日本人を取り返すよう
努力を続けるべきだ。小泉首相は初めて拉致された人の
ために動いた首相だ。彼には、日本のお姉さんから、
勲章をあげたいぐらいだ。狂牛病になる日本人はこれから、
何人でるのかわからないが、彼らは日本が核を持たない
かわりに、アメリカに核で守ってもらうための犠牲者だ。
アメリカに頼って裏切られた場合、狂牛病患者は無駄死にした
ことになる。今のうち、日本はアメリカが助けてくれなかった
場合に備えることも考えておくべきだ。
アメリカのために日本人を犠牲にしても、仕方がないのだろう。
でも、北朝鮮の偉い人の我ままのために、日本人を犠牲に
するのは、意味が無いことだ。
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10日付の韓国紙・東亜日報は、北朝鮮が10月から都市部を中心に再開した食糧配給制度で、工場や農場などの職場に出勤していない者に対するコメの配給価格を働いている者の15倍前後に設定し、社会秩序の回復を図っていると報じた。
1990年代半ばからの「苦難の行軍」と呼ばれる食糧・経済難の時期に、職場を離脱して食糧確保に走る労働者が相次いだことを踏まえ、勤労実態に応じて配給価格に差をつけて、労働意欲を高めるのが狙いとみられる。(時事)
インドネシアのミッション系女子学生に対するテロ
インドネシアでは、2億以上いる人口の87%がイスラム教。
6%がキリスト教だ。
イスラム過激派は、ここ2年の間にマルク島北部やスラウェシ島で、
多くのキリスト教徒を殺害した。
マルク島南部にはイスラム教徒が多いが、南部にはキリスト教徒が多く、
マルク独立を狙うイスラムの過激派は、1999年から2002年の間に
9000人、2002年からは1000人のキリスト教徒を殺害し、
23のキリスト教会を焼きうちにした。
2003年から2004年のこの地方でのキリスト教徒に対する
爆破テロは20件。
10月29日には、スラウェシで、黒い覆面をかぶった複数の者が
3人のキリスト教徒の女子高校生を拉致し、首をはねた。
切り離された首は警察所の門の前と、教会の前に置かれていた。
11月9日も2人のキリスト教徒の女子高校生が狙われ、顔を銃撃され
重症を負った。警察は、イスラム過激派の逮捕に熱心ではなく、
何人かのキリスト教徒がジャカルタで抗議のデモを行ったばかり。
アメリカやオーストラリアがインドネシア政府によるイスラム過激
派の取締りを強化するよう要請しない事件では、インドネシア
政府の動きは鈍いようだ。
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【ジャカルタ29日共同】インドネシア東部スラウェシ島の中部ポソで29日朝、キリスト教会付属の高校に登校途中の女子生徒3人が何者かに襲われ、首を切断され殺害された。警察によると、1人の頭部は教会の前に置かれていた。AP通信によると、ほかに1人が重傷を負った。
ポソ周辺では2000年から01年にかけてイスラム教徒とキリスト教徒の激しい抗争が起き、1000-2000人が死亡した。今回の事件は、イスラム過激派が抗争を再燃させるため起こした犯行との見方が強い。
中スラウェシ州警察によると、犯人は複数で、マスクで顔を隠し刀で生徒らを襲った。事件を知ったキリスト教徒数十人が警察署に詰め掛け、徹底捜査を要求した。
【ジャカルタ9日時事】インドネシア東部スラウェシ島中部の町ポソで8日夜、女子高校生2人が2人組の男に顔などを銃撃され、重傷を負った。同地では10月29日、3人の女子高校生が登校途中に何者かに首を切断される事件が発生したばかり。社会不安をあおり、宗教抗争を再燃させる狙いがあるとみられている。
昔の話しですが、知らなかったなあ。
集)」によ れば、「日本に住んでいる大ひきな部分を占める朝鮮人は太平洋戦
争中に日本の官憲 によって強制徴用され……」とあり、在日韓国・朝鮮人は
口を開けば必ずのよう に、「われわれは日本政府によって強制連行されてき
たものだ」と主張する。だが この表現は正確ではなく、むしろ事実に反する
というべきだと思われる。
1974年の法務省編「在留外国人統計」によれば、在日韓国・朝鮮人の日本上陸
は日本政府が朝鮮人の来日を取締まっていた昭和10年までに 渡来したものが
全体の53.7%と、半分以上になる。昭和11~15年はまだ民 間の自由募集
の期間だし、次の16~19年の中でも、国民徴用令による徴集は19年の9月以降
のわずか4ヵ月間であるから、単純に計算すると、この期間に徴用されたもの
は16~19年間の1万4514人の12分の1、つまり1210人(全体 の1.46%)に
すぎないことになる。これに、次項「昭和20年9月1日以前」 の679名(0.8%)
を加えた概算1889人(2.3%)ほどが、真に強制連行の名に値する在日朝鮮人
だということになる。かりに「官あっせん」を強制徴用の概念の中に入れ、
官あっせんが行われていた昭和17年2月~19年8月来日者の推計数を全部加えても、
約1万1300人余(14%)にすぎない。この推定は、昭和16~19年間の月間 来日数
を均等として考えたものであるが、実際には、関釜連絡船の運航は終戦が近 く
なるにつれ次第に困難になりつつあったから、19年後半の来日徴用者も減少し
ているはずである。すなわち、どんなに強制連行の概念を広く解釈しても10%
を大 きく超えることはまずあるまい。
に對する集團暴行・傷害事件がある <その、集団>
翁が軽井澤の静養先から帰京しやうとして信越本線の汽車に
乗って居たら、例の「朝鮮進駐軍」が後から大勢、切符も買はず、
鐵道員を突き飛ばし押入って來て、俺達は戦勝國民だ、おまへら
被支配者の敗戦國民が座って支配者様を立たせるとは生意氣だ、
此車両は朝鮮進駐軍が接収するから全員立って他の車両へ移動しろ、
愚図愚図するな! と追ひ立てた <軽井沢、鉄道、この>
其で鳩山氏が、我々はきちんと切符を買って座ってゐるのに
そりゃおかしい、と一乗客として穏やかに抗議したら、忽ち大勢
飛び掛かって袋叩きにし、鳩山翁を半殺しにした 幸にして重体
にも重傷にも至らなかったが、頭部裂傷だか顔面挫傷だか忘れた
が、血に塗れ腫れ上がった痛々しい顔で帰京した <それ、たち
まち>
年老いた祖父を理不尽に叩きのめされて怨まぬ孫も有るまい、
如何に不出來な孫にせよ 孫共は此を知らんのだらう <いかに、
これ>
直後に總理大臣に成る程の大物でも如斯 況や庶民に於てをや
土地も屋敷も物資も操も、奪ひ放題であった 闇、賭博、傷害、
強盗事件が多く、殊には、空襲や疎開で一時的に空いてゐる土地
が片端から強奪された 今、朝鮮人が駅前の一等地でパチンコ屋
や焼肉屋を営業してゐるのは、皆、あの時奪った罹災者の土地だ
<総理、かくのごとし、いわんや、おいて、ことに、り災>
其でも警察は手が出せなかった 歴代總理大臣等が絞首刑に
なって行く状況で、警察如きに何が出來よう 或日、警察は
何月何日を以て廃止す、再び登庁するを許さず、と命ぜられれ
ば、其切り警察は消滅する 七百萬の大軍を擁した彼の帝國陸
海軍ですら、左様にして両總長 両大臣以下、自然廃官になった
まこと、敗戦はかなしからずや <ある日、もって、万>
堪りかねた警察が密かにやくざに頼み込み「濱松大戦争」に
なった訳だが、「小戦争」は日本中に頻發した <たまりかねた
、頻発>
最後の頼みの綱は聯合國軍であったが、遂には其憲兵隊でも手
に負へぬ非常事態に立ち至った <連合国、ついに>
其で流石に米軍も腹に据えかね、日本本土全域の占領を担當
してゐた米第八軍司令官アイケルバーガー中將が、關東と言は
ず關西と言はず、はたまた北九州と言はず、不逞鮮人活動地域
に正規戦闘部隊の大軍を出動させ、街頭に布陣して簡易陣地を
築き、重装甲車両を並べ、人の背丈程に大きな重機關銃を構へ
て不逞鮮人共にピタリと狙ひをつけ、漸く鎮圧した 我々は其
火器の煌めきを間近に見た <中将、ようやく、きらめき>
此時、聯合國軍總司令官ダグラス・マックアーサー元帥の發
した布告が、「朝鮮人等は戦勝國民に非ず、第三國人なり」
<発した、あらず>
と言ふ声名で、此ぞ「第三國人」なる語のおこりである
総人口わずか1%以下の在日朝鮮人の公務執行妨害は21%
(1949年)、騒擾のごときは83%(1948年)、そ
して密造酒は全密造酒の30%近く(1953,54年)、
ことに覚醒剤の販売量では全量の60~70%を占めるとい
う有様であった。(1953,54年)
公安調査庁坪井豊吉氏は、終戦後間もない頃の在日朝鮮人の
犯罪状況について『法務研究』に次のように書いてある。
本期における大きな傾向としては、個人的感情にもとづく
報復的詐欺、脅迫、暴行などの一般犯罪のほか、いわゆる
親日派民族反逆者への監禁、暴行、あるいは・・・・・
帰国問題に起因する不穏行動、各地の保安隊、警備隊
(朝連の自衛組織)などの警察類似行為、主食の集団要求
や買出し、彼ら同士の派閥抗争などがみられた・・・・・
またそれらの中の主な事件は、各地における集団強窃盗、
官公署への横暴な態度と不当な要求、建築物の不法占拠、
汽車、電車、バスなどの不法乗車、生産管理、人民裁判な
どであった・・・・・。彼らの不法行為は、敗戦による日
本側当局の無気力と消極的な処置に乗じてやたらと増長され、
戦後の混乱をいっそう助長するところとなった・・・・・
敗戦の混乱におびえるに日本の一般社会人心は極度に不安
な環境におちいり、一時は全く無警察状態が各方面に現出
された。彼らの不法行為が、一般日本人はもちろん、在留
外国人の間にまでも、彼らの性格が事大主義で、遵法精神
が薄く、感情的で、極端な凶暴性をもっているとの深い印象
を植え付けたことだけは、まぎれもない事実のようである。
この時代は、特にその初期は右翼と称される民団、建青など
によっても数々の不法行為が敢行されていた・・・・・
騒擾(そうじょう=不平分子が集まり騒いで社会の秩序を
乱すこと 『騒擾罪』 )
民団(在日朝鮮居留民団→大韓民国居留民団)、建青(朝鮮
建設促進青年同盟)
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以上は、2001年のどこかの2chの記事ですが、どこから
取ったかは忘れました。でも、みんなが勉強しないといけ
ない事なので、ここに書いておきます。