頭の中の図書館
頭の中には図書館があって、わたしは、図書館の管理人を
している。図書館は細長い通路状になっていて、わたしは
いつも、今という図書館の入り口に立っている。
毎日どんどん新しい情報が入る。本を読んだり、インターネット
で調べものをしたり、他の人のブログを読んだり
テレビやパソコンでニュースを見る。聖書も読むし、教会で
神さまの話も聞く。友達に新しい事を教えてもらったりもする。
そしてせっせと知識をためこんでている。時々奥の方から、
いろんなものを引っぱり出して、組み立ててブログを書く。
以前は直ぐに図書館から探せた人の名前がどこにいったのか
見つからないときもある。以前観た映画の名前も見つからない。
でも、使わなくなってからすっかり忘れてしまったはずの、
16歳の時に外国で覚えた言葉を最近もう一度勉強し直したら
無意識に言葉が口に出てきたりする。脳はちゃんとどこかに
以前覚えた事を保管しているのだと感じる。
頭の中の図書館には、記憶がしまいこまれているのだが、
管理人のわたしが、それがどこにあるのかわからなくなって
いることがある。奥の方に戻ってしばらくウロウロしていたら、
探しているモノが見つかったりもする。つまり、記憶が戻ったり
忘れていた事が浮かんでくるということもある。
インドネシアで、イスラム過激派が、ミッション系の高校生の
女の子を3人殺して頭を切り離し、警察所と、教会の前に
置いたというニュースを読めば、日本の学生が「サカキバラ」という
偽名を使って、幼児の首を切り落とし、小学校の前に置いた事件を
思い出すし、フセインが泥だらけで、大金を持って狭い穴の中に
隠れていたと聞けば、地下鉄でサリンをまいて大勢の人間を殺した
新興宗教のテロ集団、オウム真理教(今のアーレフ)の教祖の麻原
ショウコウ(本名は松本)が、大金を持って狭い場所に潜んでいた
事を思い出す。どこかで、高校生が電車のホームから線路に落ちた
小学生を、とっさに助けたというニュースを聞けば、日本で酔っ払い
がホームから線路に落ちたときに、韓国の青年と日本のカメラマン
がとっさに線路に降りて彼を助けたが、二人は死んでしまったと
いう事件を思い出す。脳は類似した記憶を勝手に引っ張り出してくる。
記憶は実際はどんな形で頭の中に存在しているのだろう。
いろんな電気信号になって、脳の中に蓄えられているのだろうか。
日本人の頭の中の「記憶」が日本や外国の政府にねじ曲げられた
「歴史」に取って代わっていないか。日本人の「記憶」が学校の先生や、
特定の新聞や、外国のロビイストの情報に操作されていないか。
反日教育を受けている中国人や韓国人のように、政府に故意に
植え付けられた「偽の記憶」にすり変えられていないか。
自分はどうだろうか。ペリーに無理やり開国させられてからの、日本の
状況や当時の世界の構造が頭の中の図書館からすっぽ抜けて
いたのではないか。いろいろ反省をしながら、歴史を勉強し直すと、
意外と知らなかった事だらけなので驚く。
日本人でありながら、日本の事を知らないで今まで生きていたんだ
なと思う。中国や韓国や北朝鮮のいきなりの反日騒ぎにびっくりして、
逆に日本人としての自覚が芽生えた。日本が言論の自由や信仰の
自由がある民主主義の国であり続けることを願っている。
一部の人が、キリスト教が日本の敵だと勘違いし、誤解を招くような
文章が入った本を書いているのもちょっと嫌だなと思っている。
お仕着せではない真実の「日本の歴史」を各自が探し求め、意見や
信仰が違う相手を尊重し、間違った知識を持つ相手には、忍耐強く
証拠をあげて丁寧に教え、みんなが自分と自分の国を誇れるような
いい国であってほしいと思う。今は、自分の頭の中の「日本」という
空っぽの棚に、どんどん知識を取り入れている最中だ。