共通の思い出を持つ間柄 | 日本のお姉さん

共通の思い出を持つ間柄

兄弟とか、幼じみとか、クラスメートとか、


共通の思い出を分け合った人物に会うと、


時間が元に戻って、当時の自分に戻れた


ような気がするときがある。会社やご近所の


人とは、仮面をかぶって接するようなところも


あるが、子供時代からの知り合いとは、


世の中のしがらみとは切り離された関係が


なりたっているようで、会っていると気持ちが


軽くなる。幼じみや兄弟に先に死なれた人は


共通の思い出を一緒に楽しむ事ができなく


なって寂しくなるんだそうだ。


自分が若いときから知っている歌手が亡くなると、


親戚でもないのに寂しくなるのはなぜだろう。


同じ時代に生きている歌手や芸能人は、たとえ


会ったことがない人たちでも、いろんな思い出と


一緒に自分の記憶の一部になっているので、


きっと、「幼なじみ」のようなモノになっているんだ。


彼らにかかわる思い出が途絶えてしまうのは


寂しいことだ。自分のモノだった彼らの思い出は


もう更新されることはない。突然終わりを告げられたのだ。


やっぱりそれは寂しいものだ。亡くなった人をしのんで


「あの人はいつまでも、わたしの心の中に生きています。」と


いう不思議な言葉がある。過去は過去にすぎないけれども、


自分は、過去の延長線上にある今を生きているのであり、


今でも亡くなった人から得たモノ全てから良い影響を受け


ながら生きているのだ、自分が生きている間はずっと


そうなんだ、その人のことを忘れないで一緒に生きている


のだということだ。


思い出とは、頭の中に残っている記憶にすぎないけれど、


いろいろな過去があって今の自分という人間が


できあがっている。記憶の積み重ねが自分の性格を作って


いるとすれば、記憶が無くなると別の性格になるの


だろうか。わたしから、辛い思い出や、悲しい思い出を


消してしまって、何も無かったことにすると、わたしは


今のわたしとは、少し違う人になっているのかもしれない。


そう思うと記憶を失くすというのは、相当恐いことだ。


過去にすごく嫌な経験をしている場合は、思い出と一緒に


それに関する人物も葬り去りたくなるものだと思う。


嫌な思い出を忘れる事は、人間に備わった便利な機能だ。


起ってしまった事をくよくよしていては、今を生きていく元気も


無くなるからだ。いつだって過去よりも、今が大切なのだ。


あまりにも恐ろしい経験をすると、その記憶を消すために、


自己が分裂してしまう人もいる。いろんな人格が一人の


人の中にできあがってしまうのだ。


忘れなければ生きていけないほど辛い思いをした子供が


多重人格になる場合がある。多重人格者は、別々な


人格が別々に思い出を持っている。一つの人格に戻る


ためには、たとえ嫌な思い出でも、一つにまとめていく


作業が必要になるそうだ。思い出というのはひとりの


人間を構成する、重要なモノなのかもしれない。


高校生の頃、テレビで、おじいさんやおばあさんたちが


「長生きしていて、何が一番嬉しかったですか?」と


アナウンサーに聞かれているのをなにげなく見ていたら


一人のおばあさんが「嫌いな人が先に死ぬこと!」と、


言ったので、おもわず笑ってしまったことがある。


その相手には相当嫌な思いをしたのだろう。あんまり


正直な答えなので面白かった。いい思い出をいっぱい


持てた人は幸せだ。共通のいい思い出を持つ相手は


大事にしておいたほうがいい。もしケンカ中なら、


仲良くなっておくほうがいい。仲良くなれずにいる内に


相手に先に死なれたらきっと寂しくなると思う。全然


会ったこともない歌手でも死なれるとすごく寂しく


なるんだから。