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『にゃんころがり新聞』

にゃんころがり新聞は、新サイト「にゃんころがりmagazine」に移行しました。https://nyankorogari.net/
このブログ「にゃんころがり新聞」については整理が完了次第、削除予定です。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー㊾ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 いちばんはじめに起きたのはメメでした。メメはしばらく大人しくベッドの上で寝転がり、天井の木目を眺めていましたが、そのうち退屈に耐えきれなくなり、リュシエルを指でつつきましたが、リュシエルが、「ムー!」と怒って手で払い除けたので、彼を起こすのをあきらめました。
 メメはこっそり起き出して、ジョーニーを抱えて山荘内外の探検をはじめました。
 メメは時間をかけて山荘の周りをぐるっと一周しましたが、戸口の椅子に腰掛けて見張りをしている若い山賊の男に出会うと、ジロッと睨まれたので思わず後ずさりしました。若い山賊の男はメメの存在に気がつくと、にこっと笑って、おいでおいでの手招きを繰り返していましたが、メメはそうされればされるほど山荘の中にどんどん後ずさって行きました。
 メメはリュシエルとミミが眠っている部屋を通り抜けると、さらに山荘の奥の間へ抜き足差し足で進んで行きました。大広間を抜けて、さらに廊下を奥へ進むと、行き止まりと思しき部屋の中からミコの声が聞こえて来ました。
「お母様の大好きな紅茶を淹れましたよ」
 メメが木の壁の隙間から覗き見ると、ひどく年をとった老婆がミコに抱え起こされ、ベッドの上に起き上がろうとしているところでした。
「いつも悪いねえ」
 老婆は何かたちの悪い病気にでも罹っているらしく、何かが喉の奥に引っかかって取れないような、たちの悪い咳を何度か立て続けにしています。
「わしはもう長くないのじゃから、わしのことはあまりかまわんでおくれ。それより、わしのために、せがれが悪事に手を染めることだけはやめさせておくれ。人様にご迷惑をかけてはなりませんよ」
「大丈夫ですよ。心配しないで下さい。オカシラは誰にも迷惑はかけていませんから。全部彼がきちんと働いて、手に入れたものです」
 その言葉を聞くと、気持ちが楽になったとでも云うように、老婆は差し出されたカップの中の紅茶をゆっくり啜りました。
「あのお婆さん、何歳なのかしら?」
 メメはその部屋から遠ざかると、腕の中のジョーニーに訊ねました。
「おいらの見るところ、ありゃ相当な歳だぜ」とジョーニーが云いました。「多分、二百歳は軽く超えてると思うな」
「人間て、二百歳まで生きられるの?」
 ジョーニーはすこし考えてから、云いました。「だって、それくらい生きなきゃ、人生あまりに短すぎるだろ」
 メメとジョーニーはお喋りをしながら山荘の外に出ました。その時ジロッと見張りをしている若い山賊に睨まれましたけれど、メメは彼とは視線を合わせずずんずん進んで行きました。そしてきれいな水が流れている細い清流の傍の、坐るのに丁度いい木の切り株の上に腰掛けると、ジョーニーを草の上に横たえて、休憩しました。
 山荘の屋根に止まっていたカラスがぎこちなく空を飛んでこちらにやって来ました。
「あんた、そろそろ行かないと。もうすぐ陽が暮れちまう」
 とストレイ・シープは云いました。メメはカラスが喋ったので、目を点にして驚きました。
「分かってる」とジョーニーは面倒臭そうに云いました。
「そろそろ帰らないと、ほんとにヤバいぜ」
「何がヤバいの? それより、このカラス、あなたの友達?」とメメが興味津々に訊ねました。
「そうさ。ストレイ・シープって云うんだ。ストレイ・シープは、おいらの云うことなら、何でも聞くんだぜ。背中に乗って空を飛ぶことだって出来るんだぜ」
「ふうん」
 ジョーニーはこの時、頭の中に或る考えが浮かびました。それはメメをストレイ・シープの背中に乗せてそのまま自分と一緒に何処かの国へ連れ去ろうという計画でした。少々手荒な計画ではありましたが、メメが容易には自分の云うことを聞いてくれそうにないので、それは思いがけない名案のように思えるのでした。
 メメをうまくストレイ・シープの背中に乗せることが出来れば、もうこちらのもんだ。空へ場所を移せば地上へ降りることも出来まいし、此処から遠い国へ逃げ出して美しい花嫁と結婚して幸せな家庭を築くという自分の夢がようやく叶うことになるのだ。
 メメが襞のついたレースの洋服のポケットから、食事の時にくすねておいたクッキーを取り出して、半分をジョーニーの口元へ持ってきました。
「はい、あ~ん」
 クッキーをもぐもぐ咀嚼しながら、ジョーニーはメメ連れ去り計画を実行に移すことを心に決めました。
 ジョーニーはクッキーを飲み込むと、素知らぬふうを装って、
「ストレイ・シープの背中に乗って、空を飛んでみたいと思うかい?」とメメに優しく話し掛けました。「空は景色も良くて、とってもとっても、気持ちがいいんだぜ?」乗ったら最後、降りたいと思っても降りられないぜ、ベイベー(Baby)。とジョーニーはこころの中で嘯きました。
 メメは落ちていた木の枝で何かの虫を突っついています。メメは三秒後に云いました。「……いいわ。また今度にする。落っこちたら怖いから」
 ジョーニーは愕然としました。そうして何とか彼女を言いくるめようと躍起になりました。「落ちたりなんか、しないさ。おいらがしっかり摑んどいてあげるから」
「……」
「だから、安心して、ね」
 メメに木の枝で突っつかれた虫が、丸まって転がって行きました。ジョーニーは、虫が転がって行く様子を一瞥した後、すぐに視線をメメに戻しました。
「……やっぱり、いいわ」とメメは云いました。「別に、空なんて、飛びたくないもの」
 ストレイ・シープが木の枝に止まり、小首を傾げていました。
 西の空が橙色に染まってきていました。
 まっこと思い通りにならぬのは乙女心かな。ジョーニーは空を仰ぎながら嘆息しました。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

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にゃんく

 

 

 

 人から受けた恩を裏切るような後味の悪い行いに、リュシエルもミミも道中無言でした。
 そして南へと、行く当てがあるようでない旅を続けました。ただ安息の地を求めて。
 ようやく空が灰色になり、視界が開けはじめました。朝がやって来たのです。
 道は山あいに入っていました。
 リュシエルもメメも、夜なか中ずっと同じような景色の中を延々と歩き続いていたような気がしました。
 とうとうメメはお腹ぺこぺこでこれ以上歩けないヨと言い出して山道に座り込んでしまいました。疲労から倒れ込むようにその場にくずおれたのはメメだけではありませんでした。これ以上一歩も歩けないのは、ミミもリュシエルも同じでした。
 魔法の教科書には、試したことのない魔法がたくさん載っていましたが、空飛ぶ魔法を使うにも、ミミ自身が疲れている状態では使えませんでしたし、盲目の状態で空を飛ぶのは危険でした。魔法の世界も、現実の世界と同じようにシーソーのようなバランスで成り立っていて、無限の価値を生み出す鉱脈などはなく、何かがプラスになるとその埋め合わせで何処かでマイナスの状態が発生する仕組みになっているようでした。
 引き返すこともこれ以上進むこともならず、ミミは見えない目で空を仰ぎ、何気なく胸に手を当てると、山賊たちからもらったオカリナを持っていることを思い出しました。今までもらったことすら忘れていたのです。
 山賊のオカシラが云った、「魔法のオカリナさ」という言葉が蘇ってきました。
 ミミは試しにそのオカリナを吹いてみることにしました。
 その音は、山びことなって、空の彼方から返って来て、また去って行きました。
 山賊たちの耳に聞こえただろうか?
 リュシエルもメメも思い思いに、後ろ手をついて遠い彼方に視線をやったり、ピエロの人形を傍に置いて、寝転がったりしていました。
 しばらくすると、一陣の風が巻き起こり、突然竜巻のような風の渦が見えていたかと思うと、夢の中の出来事のようにその中から以前出会った四名の山賊たちが現れました。オカシラにミコ、弓を持った白い髭の初老の男、それに先端に巨大な石を結わえ付けた棒を持った大男です。
「やあ、呼んだかい?」
 無造作に伸ばした赤みがかった茶色の髪を風に靡かせながら、オカシラが脳天気な声で云いました。
 リュシエルもメメも、我が目を疑い、オカリナを吹いたミミと山賊たちを交互に見交わしていました。
「どうしたんだい? キツネにつままれたような顔してさ」とミコの声です。「何か困ったことでもあったんでしょう? そう顔に書いてあるわよ」
 リュシエルが唖然としつつも、実はお金を盗られて一文無しになって困っている、三人とも疲れてしまって一歩も歩けない、と訴えますと、
「うちらのアジトはこの近くにあるんだ。良かったら来なよ」とオカシラが親指を立てて、こっちへ来いという合図をしました。「あ、そうだ。この金は返すよ」
 そう云って出し抜けにオカシラがリュシエルに何かを投げつけました。リュシエルは取り落としそうになりながらも、掌に握っているものを見ると、それは眩いばかりの金貨一枚でした。
 三人は山賊たちの後について再び歩きはじめました。
 ミミは不思議に思って、胸のオカリナに手を触れてみましたが、すでにそれは何処にもありませんでした。リュシエルに訊ねてみると、どうやらオカリナはミミが吹いた後に粉々に砕けてしまったようで、あとにはただ首から下げた紐があるばかりでした。
 そこから三十分ほど歩くと、山の中腹に、山荘がありました。山荘の隣には、屋根付きの飼育場があり、おとなしい山羊がいて、せっかちな鶏がせわしなく動き回っています。飼育場の隣には庭があります。
 この古めかしい山荘には、屋根まで緑の蔦が絡まっていて、周囲の木々がうまい具合に山荘の姿を隠していてくれていました。
 山荘の入口の戸の前には名も知れない若い山賊の子分が見張りをしていました。
  リュシエルたちは山賊たちのアジトの中に招き入れられ、木の卓子と椅子のある部屋に案内されました。
「すごい、秘密基地だわ!」とメメが両目を丸くして云いました。
  やがて食事が運ばれて来て、腹ペコのリュシエルたちはご馳走にありつくことができました。かぐわしい匂いのする鳥肉の丸焼きや、上等のぶどう酒、新鮮な野菜、プディングなどのデザートがテーブルの上に所狭しと並べられました。リュシエルはミミに食事を食べさせてやりながらも、自らも夢中で食べ物を口に入れていました。メメは小さな体に入りきらないほどの食べ物を、口いっぱいに頬張っていました。
  オカシラは部屋の隅の椅子に坐り足を組んで、長い煙草を銜えて眉を顰めながら、そんなリュシエルたちの様子を興味深そうに眺めていました。
「ところで、一文無しになったって云ってたけど、いったい誰にお金を盗られたの?」
  オカシラが訊くと、リュシエルはまだ半分食べ物の入った口で、
「しょうとくフのチェキッ子でとあれたニャア」、ともぐもぐ答えました。
「ああ?」
 とオカシラに聞き返されましたので、リュシエルは急いで口の中の食べ物を飲み下すと、もう一度云い直しました。
「北方総督府の関所で、憲兵たちに盗られたのです」
 その時の顛末を、リュシエルが説明しますと、オカシラの隣に坐っていたミコが声をあげました。
「バカだね、何故その時、オカリナを吹かなかったんだい?」
 リュシエルは今度はミコの方に顔を向けて答えました。
「その時は、あまりに必死で、オカリナの存在を忘れていたのです」
「それ何処の関所よ?」とオカシラが聞きますので、リュシエルはオカシラが広げた地図を覗き込み、関所があったと思われるだいたいの位置を、指で示しました。
 リュシエルとミミが食事を取っているあいだ、オカシラは長い煙草を口に銜え、その煙を肺の奥まで吸い込んでいました。オカシラは気持ち良さそうに目を細めながら白い煙を吐き出し、空中にドーナツ型の白い雲を作って遊んでいます。
 長い煙草が指先でつまめないほどの短さになった時、オカシラは不意に立ち上がり、「さあ仕事だ」と云いました。「出掛けるぞ」
 弓を背負った白い髭の男と、棒を持った大男ふたりが、何やら慌ただしく動きはじめました。そうして気がついた時には、三人は何処かへ出掛けてしまったらしく、山荘からいなくなっていました。
  ミコがリュシエルたちに云いました。
「此処には好きなだけ居ていいよ。オカシラたちはちょっと用事が出来たから、しばらく此処を留守にするけれど、私がお留守番をするから。オカシラ達も、夜には一仕事終えて帰って来ると思うから」
 リュシエルはオカシラ達が山に狩りにでも出掛けたのかなと思いました。
 食事をとると、ミミたち三人は、強い眠けを感じ、椅子に腰掛けながらも、うとうとしはじめました。無理もありません。何しろ、夜通し歩き通しだったのです。その様子を見て、ミコは隣の部屋にベッドがあるから、そこで寝るとイイヨ、と云ってくれました。三人は隣の部屋に移動してベッドに横たわると、ものの数秒で眠り込んでしまいました。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

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にゃんく

 

 

 リュシエルは武器を持っていながら闘わなかった自分の姿勢を、果たしてあれで良かったのかと自問自答していました。
 時が時なら、王子である自分にあのような振る舞いをした彼らには、厳しい処分が待っている筈でした。けれども今、自分は追われる身でした。一瞬にして無一文となった自分の無力さを、リュシエルは痛感していました。

 

 

 Ⅶ 王子の犯した罪

 

 

 小径の適当な石に腰掛け、ミミ、リュシエル、メメの三人はお昼休憩をとりました。ゴルドー村の銀髪の男性宅で、パンを分けてもらっていましたが、そのパンもすぐに無くなってしまいました。
 三人は、休憩をとると再び歩きはじめました。
 水筒に隙間なく満たして来た水も無くなってしまいました。
 たとえ村に着いても、一文無しと成り果てた自分たちの境遇が改善するようには思えませんでした。
 今日の宿をどうするか? リュシエルは道々思案を練りながら歩きましたけれど、名案は何ひとつ思い浮かびません。
 考えの定まらないままに、夕方前にようやく村に到着しました。
 そこは八十ほどの家がある村でした。
 村には一本の川が通っていて、その川沿いに何軒かの家が並んでおり、水車がゴトゴトと音を立てて回っていました。
 三人は、川のそばに腰掛けました。ここなら川の水はきれいで、喉が渇けば手で掬って水はいくらでも飲めます。
 やがて水を飲むのにも飽きて、三人はそれぞれ空を仰いだり、空腹を忘れるために寝転がったりしました。
「お腹空いたよう」メメが弱々しい声を出しました。
「……ぼく、食べ物を捜しに行って来るよ」とリュシエルは言い出しましたが、ミミが時間を訊ねて、もう暗くなっていることを知ると、「今日は危ないからやめて。一晩くらい何も食べなくても、大丈夫よ」
 と云いますので、三人はじっと我慢して夜明けを待つことになりました。メメが不満そうに口を尖らせています。
 そこへ偶然、村人が通りがかりました。
「お前さんたち、此処でさっきから何をなされているのじゃ?」
 腰のやや曲がった老婆です。声からすると、六十歳をすこし過ぎたくらいでしょうか。
 リュシエルが旅を続けていますが、泊まるところがなくて此処で野宿しようと思っています。ご迷惑をかけて申し訳ありません、と説明しました。
 ミミのお腹がぐうっと鳴り、ミミは包帯をしていても分かるくらい顔を赤らめました。
 老婆は微笑みながら、
「それはお困りぞな、もし。襤褸家じゃが、良ろしければ、どうぞうちに泊まっていってくだされ」と云って手招きしています。
 リュシエルたちはどうしよう? と迷っていましたけれど、老婆が、「遠慮せんでええ、遠慮せんでええ」と重ねて云ってくれるので、思い切って厄介になることにしました。
 老婆の家は二十メートルほど先にありました。
 老婆の連れ合いは五年ほど前に他界したそうで、現在は、いつになっても嫁がやって来る気配のない、定職も持たないどら息子とふたりで暮らしているのだそうです。
「僅かばかりですが、さあどうぞ、召し上がれ」という老婆の言葉に甘えて、三人は歩きとおしでお腹も空いていたので、出された食事を夢中で平らげてしまいました。
 夕食を食べると、馬鈴薯の皮を剥いている老婆と一緒にしばらく世間話をしてから、(老婆のどら息子は近所の友人と何処かに出掛けて行って、何時帰ってくるか分からないということでした)、リュシエル、ミミ、メメは奥の広い居間に案内され、一息いれました。
 庭に立っているマロニエの樹の葉がざわめく音が居間の窓を通して聞こえてきます。近頃は秋が近付いていて、夜となるとだいぶ気温が下がっていました。
 リュシエルたちは藁布団の上に寝転がっていると、積もり積もった疲労から、そのまま眠り込んでしまいました。
 二、三時間眠ったころ、いつの間にか帰宅していた老婆のひとり息子が、大きな声で老婆と何か喋っていました。
 ひとり息子は軀が大きく、眉間には絶えず皺を寄せ、常に何か悪いことを考えているというふうな、人相の悪い顔つきをしていて、リュシエルはこれがあの老婆の息子かと我が目を疑うほどでした。
 ひとり息子は、物騒な棍棒のような武器や、ナイフの入った鞘を見せびらかすように腰に提げていました。リュシエルが目を醒ましたことに気がつくと、はじめは愛想の良かったひとり息子ですが、そのうちに、
「まだ貰ってないって云うから、一泊の宿賃を頂戴しますぜ、旦那」
 と云い出し、リュシエルが今持ち合わせがないので何でもするからその埋め合わせをさせてほしい旨を伝えると、人が変わったように粗野な言動をはじめました。
「それじゃあ、何かい? 金もないのに、ただ食いしたり、家に転がり込んで来たりしたって云うのかい?」
 リュシエルがいくらズタ袋の中を漁ってみても、やはりお金はビタ一文も出て来ませんでした。騒々しさに、今ではミミもメメも藁布団から身を起こして、寝惚けまなこながらも、ふたりのやり取りに聴き入っていました。
 ひとり息子は何を思ったか、「ちょっと待ってろ」と云い捨てて、家から出て行くと、しばらくして同じ年頃の男を呼んで戻って来ました。その男はどうやらひとり息子の仲間のようで、顔には細かい傷を持ち、擦り切れた衣服を着て、絶えず嫌らしい含み笑いを浮かべながら、酒臭い息をリュシエルの顔に吐きかけてきました。一目でろくな人間ではないことが分かりました。ひとり息子に輪をかけたような、ならず者でした。
「ご客人に、失礼なことしちゃいけないよ」と老婆が注意をしましたが、ひとり息子はそんな忠告も何処吹く風で、
「すっこんでろ!」
 と老婆を罵倒したかと思うと、リュシエル達三人を、「ちょっと外に出ろよ」と云って連れ出しました。そして扉をぴしゃりと閉め、まだ心配そうに見守っている老婆を家の中に残し後ろ手で扉を閉めました。
「この落とし前、どうつけてくれるんだよ?」
 ズタ袋の中を何度も掻き回しているリュシエルに、ひとり息子は我慢の限界とばかりに、「ああ!?」と凄んで見せました。
「ですから」
 と顔を上げて話し出そうとするリュシエルを遮って、
「ですからじゃねえよ」とならず者の友人が横から口を出しました。「なあ、お坊っちゃん。うまく逃れようたってそうはいかねえぞ」
ひとり息子も云いました。「言葉なんかいらねえんだよ。どうやって償うのか、それを聞きたいんだよ」
 リュシエルがいくらお金は必ず返します、それまで一生懸命働いてこの恩には報いますので、と説明しても、ひとり息子達は聞く耳を持たず、「そんなの信用できるか」、「ないんだったら、軀で返してもらおうか」と云い出して、ミミの腕を摑んで、ぐいぐい引っ張って行こうとしました。リュシエルが止めようとすると、ならず者の友人が、「お前達はこっち」と云って、ミミと引き離されてしまいました。「ミミ!」今では、メメもリュシエルとふたりで、ならず者に手で制され、ミミがひとり息子に乱暴される様子を、遠目から見守っていました。
 ミミは木蔭に連れて行かれました。ミミの悲鳴が聞こえてきました。「顔は醜くても、カラダは上ものだぜ、こりゃ」涎が垂れそうだと云わんばかりに、ひとり息子はミミの上衣を破いて、胸を露わにさせました。形の良い乳房が、のぞいています。
「ひひ。あとで、オレにもやらせてくれよ、あんちゃん」リュシエルの前で、ならず者がそう云いました。ひとり息子は返事もせずに、ミミを犯すのに夢中になって、もがくミミを押しつけて、下衣を脱がせようとしていました。「へへへ、こいつ、もう濡れてやがるぜ」
 リュシエルがミミを助けに行こうとすると、ならず者が、「お前は大人しくしてろ!」
 平手でぶたれ、リュシエルは木に頭をぶつけました。リュシエルは手にズタ袋の縄を握っていることに気がつきました。袋の中には剣が入っています。リュシエルは起き上がり、素早く剣を取り出すと、ならず者に斬りつけました。
「ひゃあっ」
 斬られると思っていなかったならず者が、顔に似合わぬ変な声を出しました。かすり傷でしたが、手の甲からは、血が垂れています。よろめきながら、他愛もなく、ならず者は背中を見せて逃げ出して行きました。
 ひとり息子の方は、騒ぎに気付きもせずに、斜めを向いてミミの股をまさぐっています。リュシエルは抜いた剣を持って静かに近付いて行き、ひとり息子がその気配に気付き、振り返りました。ひとり息子が片手で脱ぎ捨てようとしているズボンに、妙な武器をぶら提げているのがリュシエルの目に入りました。ひとり息子は、体つきもごつくて、腕っぷしが強そうでした。
 リュシエルがミミからひとり息子を引き離そうとすると、彼は激しく抵抗し、あわやリュシエルの剣を奪いかけようとしました。そこで力が入り、気がつくと、ひとり息子は痙攣して横たわっていました。王家の宝刀は、彼の胸に突き刺さっています。
「はあ、はあ」
 リュシエルには、すべてが一瞬のことで、訳が分かりませんでした。「大丈夫かい、ミミ?」
 ミミは涙を流しはじめました。リュシエルはしばらくミミの頭を優しく撫でたり、彼女を抱きしめたりして、落ち着かせようとしていました。けれども、いちばん落ち着いていないのは、リュシエル本人でした。彼ははじめて生身の人間を刺したのです。
 どのくらいそうしていたのか分かりませんが、時を置いて、
「ギャ――――ッ」
 という、耳を覆いたくなるような悲鳴が深更の村中を駈け抜けました。いつの間にか、家の戸口に手燭を持った老婆が立っていて、ひとり息子が息も絶え絶えな様子を、目の当たりにしていたのです。
「ひどい、あんまりですが、もし」老婆が涙ながらに話す声が聞こえてきました。「わしらが、いったい何をしたというのですじゃ」
 そこではじめて、リュシエルは仰向けに横たわったままのひとり息子の方に近寄りました。ひとり息子は目を見開き、おそろしい形相をしており、口からは血の交じった泡をぶくぶく吹き出しています。
 混乱の中で、どうしたら良いか咄嗟のことに判断しかねて、リュシエルは彼の胸に突き刺さっている剣を引き抜きました。ごぼっという音がし、ひとり息子は口から血を吐き、左胸からは、夥しい量の鮮血が溢れ出してしまいました。
 周囲の家から、人の気配がしはじめました。村人たちの何人かが、何事かと驚いて戸口から出て来て、遠巻きにこちらを見ています。
「人殺しだ! 助けてくれ!」ならず者が、そう言い触らしている声が聞こえてきました。「宿賃が払えないからって云って、あんちゃんを、刺しやがった! 凶悪な人殺しだ! 流れ者だ!」
 リュシエルはミミを助け起こし、彼女の手を引いて駈け出しました。「メメ!」呼びかけると、メメも後から遅れまじとついて来ました。月の光は、風に流れた雲に遮られ、世界は暗闇に包まれていました。まるで月がリュシエル達の逃亡を助けてくれているかのようでした。村が小さく見えなくなってからも、三人は何かに追い立てられるように体中汗だらけになりながら、歩き続けました。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー㊻ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

Ⅵ 関所の憲兵たち

 

 

 

 次の朝、ミミ一行は銀髪の男性宅を出発しました。
 さて、南のカルマ村までは、およそ半日がかりの距離がありました。リュシエルの財布の中には金貨が四枚と銀貨が三枚、入っていました。リュシエルには仕事もなく、家もありませんでしたが、これだけのお金を持っていれば、何処に行っても何とかなるように思えました。
 村を出ると、再び森の入口に差し掛かりました。森の中は人が通れそうな小径が一本通っているだけでした。
 リュシエル一行はその細い道を一列になって進んで行きました。
 ミミは胸にピエロの人形を抱いています。
 リュシエルたちの進行に合わせるように、枝から枝へと同じカラスが一定の距離をあけてついて来ていました。
 間もなく、その細い道を封鎖するかのようなバリケードが突如リュシエル達の前に現れました。三人の武装した男たちが、木の杭が何本か打ち付けられただけの簡単な関所を守っていました。リュシエルはこれが太っちょの奥さんの云っていた北方総督府の検問所なのだと思いました。
 男たちがじっと見守る中、もはや引き返すことも出来ず、リュシエルはミミの手を引いて、少しずつ関に近付いて行きました。いちばん最後にメメがついて来ていました。
「お前たち、何処へ行くのだ?」
 向かって左側の隊員が先頭のリュシエルに問い質しました。隊員は赤色の肩当て、赤色の膝当てを着け、赤色の布の服を着、全身赤ずくめの格好をしています。隊員は左胸に星形の小さなバッヂをひとつ付け、腰には棍棒を提げています。隊員の顔は、簡単な直線と曲線だけで構成されていて、砂の地面に木の枝で描けば誰でも数秒で描けてしまいそうなシンプルな顔をしています。
「これから南の村へ向かうところです」とリュシエルは答えました。
 赤の隊員は包帯を巻いたミミの顔をじろじろと眺めていましたが、やがてリュシエルの顔に視線を向けると、ぽかんと口を開けました。そして反対側の木の杭付近に立っていた、黄色の装備をつけた男と、青色の格好をした男たちのところに近付いて行き、何事かを耳打ちしました。奇妙なことに、黄色の隊員も、青の隊員も、まるで三つ子のように赤の隊員と全く同じ顔をしていて、もし違った色を身に纏っていなければ、リュシエルには誰が誰だか見分けがつかないほどです。
 赤の隊員は、「ちょっと待て」とリュシエルを手で制すると、青の隊員と一緒に、道の脇にある、簡素なテントの中に這入って行きました。後には黄色の隊員が残っていて、じっとリュシエルたち三人を見張っています。
 赤と青の隊員は、しばらくして鼻より長い顎髭を蓄えた男を伴って出て来ました。顎髭の男は制服の左胸に星のバッヂをみっつ付け、全身銀色の装備と銀色の布の服で身を固めています。
「何なんだよ? 一服したら、一眠りしようと思っていたところなのに」と髭の男は煙草を口に咥えながら云いました。
「分隊長、この者です」と青の隊員がリュシエルを指差して云いました。「手配の殿下の似顔絵に似ているように思われます」
 リュシエルは、分隊長と呼ばれた顎髭の男の、舐めるような視線を全身に感じました。リュシエルはズタ袋の縄に力を込めました。ズタ袋の中には、王家の剣が入っています。
 銀の分隊長はリュシエルとミミの周囲をゆっくり回りはじめました。リュシエルは全身が凍りつくように感じました。
 銀の分隊長は、時間をかけて一周した後、赤の隊員を振り返って云いました。
「こいつは王子ではない」
 隊員たちは黙っていました。
「あれだけ捜して見つからなかったのだ。王子がこんなところをほっつき歩いているわけがないだろ。もしほんとうの王子って云うのならな、王宮へ行ってそう云って来いよ。まあ、取り合ってもらえないと思うけどな」分隊長は面倒くさそうに顎をしゃくって云いました。「行っていいぞ」
 リュシエルは軽くお辞儀をして、ミミの手を引いて行こうとしました。
「しかし」と赤の隊員が云いました。「一応念のために、総督府に連れて行った方がよろしいのでは? もし本物の王子ならば、大変なことになりますよ」
 その言葉を聴いて、銀の分隊長は口に咥えた煙草を左手に持って、固まりました。
  分隊長の身体は異様に震えはじめていました。まるで分隊長のいる場所だけ激しい地震が襲って来たかのように、全身ブルブル震えています。左手に持った煙草の灰がバラバラと分隊長の銀色の服を汚し、「あ―――――!」と分隊長は変な声をあげ続けています。あまりに手の振動が激しすぎるために、隣に立っていた黄色の隊員の腕に火が当たり、「あっち!」と叫んで黄色の隊員は飛び上がりました。
「『しかし』ではじまる言葉を、た、隊員が、のた、のた、のたまった!」銀の分隊長は目を剥いて怒りを露わにしています。
 青の隊員が愕いて、「貴様、分隊長を怒らせて、大変なことになるぞ!」と云って、赤の隊員をたしなめました。「口を慎め。たとえ分隊長の命令が間違っていたとしても、我々が云うべき言葉は『はい』しかないのだ。分かったか?」
 赤の隊員は項垂れて、畏れ入ったように云いました。
「はい、失礼しました。以後、気をつけます。今度ばかりはお許しを」
 青の隊員が分隊長にとりなしました。
「赤の隊員には、後でよく云い聞かせておきます。なにせ赤の隊員は、入隊したての新隊員です。何も分かっておらぬヒヨッ子です」
 それを聞いて、銀の分隊長のあり得ないほどの震えはようやく収まっていきました。黄色の隊員は腕に開いた穴にフーフー息を吹きかけています。
 リュシエルたちは隊員たちのやり取りを眺めていましたが、急いで関を通り抜けようとしました。数歩進んだところで、「待て」と云う銀の分隊長の呼び止める声が後ろから聞こえました。びくっとして、リュシエルは立ち止まりました。やはり思い直して自分を捕らえるのではないかとリュシエルは思いました。
「此処を通るには、金が要るぞ」
 リュシエルは思わず振り返って、分隊長を睨みました。
「何だよ?」と分隊長が云いました。
 リュシエルは深い溜息をつくと、財布を取り出し、金貨一枚を取り出しました。
 分隊長は金貨を受け取ると、口角にいやらしい笑みを湛えながら、「ずいぶん金持ちじゃねえか」と云って灰のかかった髭を気持ち良さそうにしごいています。
 リュシエルはもう一度お辞儀をして前よりも早足で関所を後にしようとしました。メメが遅れまじと走ってついて来ます。「待て」と再び銀の分隊長の声が響きました。「有り金全部置いていくのだ」
 この先まだ旅を続けなければならぬというのに、手持ちのお金をすべて盗られてしまっては生きていくことも出来ないではないか。いったい何の名目でこれ以上のお金を払わなければならないのか。リュシエルは思わず抗議の声をあげそうになりましたけれど、
「どうした? まだ持ってるんだろ? こちらの手を煩わせたいのか?」と銀の分隊長の気の短そうな声がぴりぴりと空気を震わせました。
 赤の隊員が真面目な口調で口を挟みました。
「いくら何でも、それはまずいのでは? 代理官殿も、そこまでやれとは云っていません。これではそこらのチンピラとやってることは同じです」
 一瞬、皆が息を呑みました。しかしもう手遅れでした。銀の分隊長はまるで病気のように震えはじめ、「ほほほほほほほ!」とこの世の終わりのような叫び声をあげながら、音楽に乗ったキツツキのように頭を激しく前後に振りはじめています。手に持っていた煙草がすぽっと飛んで行き、黄色の隊員の顔に当たりました。「あっちっち!」
「はやくお鎮めしろ! とんでもないことになるぞ」
 青の隊員が慌てて震えを止めるために分隊長の両肩を両手で摑みましたけれど、あまりの激しい動きのために青の隊員にまで震えが伝染する始末です。
「ほ、星ひとつの、た、隊員が、ぶん、ぶん、分隊長に、い、い、意見を、のた、のた、のたまった!」
 と分隊長はたちの悪い酔っぱらいのように絶叫しています。今や分隊長と青の隊員ふたりは狂ったように震えています。
 青の隊員が、震える口で赤の隊員に云いました。
「き、き、貴様、そ、その、く、口を、い、糸で、しっかり、ぬい、縫い付けて、おけ。おけ。おけ。い、いくら、じょ、じょ、上官の命令が、あほ、あほ、阿呆なものでも、それ、それを、くち、くち、口に、だ、出しては、いけない。はら、はら、腹の中に、お、おさめて、お、おくのだ。それ、それ、それが、そ、組織と、いうものだ。わかっ、わかっ、分かったか!」
 青の隊員の必死の説教に、赤の隊員はべそをかいて答えました。「はい、申し訳ありません。今日のことは深くこころに刻みつけて死ぬまで忘れません。今回ばかりはどうかお許しを」
 青の隊員が、銀の分隊長をなだめました。
「あやつは、昨日今日入ったばかりの新隊員です。何も分かっておらぬ馬鹿者です。後でお仕置きしておきます。どうかおこころをお静め下さい」
 分隊長の強烈な震えはやっとおさまり、黄色の隊員は顔に開いた穴を修復するため周りの皮膚をよせ集めようとしています。
 やがてリュシエルとミミの周りを棍棒を腰に提げた分隊長と隊員たちがずらりと取り囲みました。
「この財布の中身が全財産なのです。これが無くなると、このさき生活していけないのです」
 リュシエルは分隊長に訴えましたけれど、分隊長はにやにやしたまま、「じゃあ何か? 身ぐるみ剥がされたいのか?」と云います。リュシエルは仕方なしに、財布の中身を全部赤の隊員に手渡しました。
 銀の分隊長はお金を巻き上げると、さも満足そうに鼻の穴を膨らませ、猫でも追い払うように、「シッシッ」と云いながら、手でリュシエルたちを追い払う仕種をしました。
 リュシエルたちは逃げるように、その場を後にしました。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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 リュシエルは何事かと愕いて駆け寄り、腰高窓を開けました。しかし、リュシエルが窓外を見回しても誰もいませんでした。遠景の森と村の家々が点在している他には、近くの赤レンガの家の屋根にカラスが一匹止まっているだけでした。カラスは小首を傾げていました。
「何もいないよ」
「変ねえ。さっきは誰かいるような気がしたんだけど。ちょっと私にも見せてくれないかしら?」
 リュシエルがメメの体を持ち上げてやると、窓の外に頭を突き出して外を見回していたメメが大きな声を出しました。
「あっ、いた! さっき誰かいると思ったのは、これのことだったのよ」
 窓の下には、赤い鼻、赤い唇、青い瞳、左目の付近にはハート型の黒い模様が入っている、一体のピエロの人形が落ちていました。
「こんな所に誰が置いて行ったんだろう?」
「何が置いてあったの?」とミミが訊ねました。
「汚いピエロの人形さ。誰かが捨てて行ったみたいだね」
 リュシエルは屈んでピエロの人形を拾い上げました。見せて、とメメが云うので、リュシエルはメメに人形を手渡しました。
「ぱっとしない人形だわね」
 ピエロのジョーニーは身じろぎひとつしませんでした。ミミの目が見えていたなら、そのピエロはリーベリの部屋にあった人形だと気付いたかもしれませんでした。
 ジョーニーはめでたく尋ね人の居場所を探知したわけでした。今までリュシエル達が森の中をさ迷っていたために、上空からいくら探しても見つからなかったのでした。けれど、今回の仕事はジョーニーとしても上出来の部類でした。これだけ早く見つければ、いくら気の短いリーベリだって、褒め言葉のひとつくらい云ってくれるだろうと思いました。あとは、リュシエル達にスパイの任務を見破られないよう気をつけて、ひとりでは帰れない方向音痴のストレイ・シープと合流し、洞窟に帰りリュシエル達の居場所をリーベリに報告すれば自分たちの仕事は無事終了するのでした。
 しかし、今、ジョーニーは自分を抱きかかえているメメの愛くるしさに目を奪われていました。こんなに可愛らしい人間の女性を見かけたのははじめての経験でした。またたく間に、ジョーニーの中に、メメとの愛情を育みたいという欲求が育っていきました。
 そのジョーニーの願望を実現させてくれそうな状況が早くも訪れました。メメがジョーニーを抱えたまま、ひとりで部屋の外へ歩いて出たのです。
「人の家なんだから、あんまり歩き回っちゃ迷惑になるよ」
 リュシエルの声が背後からしました。「はぁい」とメメは答えましたが、リュシエルの云う意味を分かって返事をしているのかどうか微妙なところでした。
 メメは好奇心いっぱいに家の中の探検をはじめました。ジョーニーも薄目を開けて、そんなメメの様子を心をときめかせて観察しています。
 メメひとりになって、ジョーニーはメメに話しかけたい気持ちがますます強くなりました。リーベリが必要としているのはリュシエルとミミの居場所だけで、この女の子はその中に入っていない筈だとジョーニーは考えました。この女の子をどうしても自分の物にしたい、その強い思いが「死んでいる人形」として演技しなくてはならない筈のジョーニーの口を、動かしました。
「もしもし?」
「きゃっ!」メメは飛び上がって驚きました。
「もしもしもしもし?」
「何? 誰?」
「おいらだよ。いま君が抱いているじゃないか」
「まあ、人形が喋ってる?」
「おいらはジョーニーっていうんだよ。驚かなくていいよ。おいらはピエロの人形の姿をしてはいるが、れっきとした人間だよ。リーベリ様がおいらを人間にしてくれたんだ」
 メメはびっくりして遠くへ投げてしまいそうになったジョーニーを、身体から出来るだけ遠ざけて手の中に持っていました。
「そういうことだったのね。突然、吃驚させないでよ。それなら私も同じなんだから」
「同じって?」
「私も元は人形だったの。ミミが魔法をかけてくれたのよ。そういう意味では、私たち、仲間ね。私はメメよ。仲良くしましょ」
 ジョーニーは、事態を把握するのにしばらく時間がかかりました。しかし、ようやく頭に血がめぐり、こんなことってあるのだろうか?と感動すらする思いでした。この子の云うことが正しければ、メメも自分と同じ元人形だったというではありませんか。云ってみれば、これは人形が人形に恋をしたということでした。いつかきれいな花嫁を迎えて、幸せな暮らしを送りたいという願いがやっと叶えられる時が来たような気がしました。これこそ神様が与えてくれた、百年に一度あるかないかの出逢いではないか。
「メメ」とジョーニーは云いました。
「なに?」
「おいらと一緒に逃げないか?」
「えっ?」
「おいらと一緒に逃げないか?」
「何処に?」
「此処じゃない何処かさ」
「でも、どうして逃げるの?」
「その……おいらと一緒に幸せに暮らさないか?」
「幸せに暮らすって云われても……さっき会ったばかりじゃないのよ?」
「それはそうだけど……君と出逢えたのは、何だかおいら、運命みたいな気がするんだ」
「ふうん、そうなんだ。でも、どうして此処から逃げたいの?」
「それは……此処はすこし危険過ぎるかもしれないからさ」
「どうして?」
「……そんな気がするんだ。つまり、胸騒ぎってやつさ」
「変なの。ま、いいわ。リュシエルたちに聞いてみるわ。それに、あなたが喋れることも教えてあげないと。きっとみんな吃驚すると思うわ!」
「ちょっと待って。あの人たちにはおいらが喋れることは内緒にしておいてほしいんだよ」
「どうして?」
「君がおいらと同じ人形だったから秘密を教える気になったけど、あの人たちは元々人間だろ? だからおいらは彼らのことをまだ信用できていないんだ」
「大丈夫よ。いい人たちよ」
「とにかく、おいらが人間だってことは、君の胸の内におさめておいてほしいんだ。それは約束してくれないか? おいらからのただひとつのお願いだ」
「……わかったわ。そこまで云うなら」
「おいらはみんなの前では喋れないフリをしているから、おいらに話しかけたりしちゃダメだよ」
「変なの」
「それから、おいらと一緒に逃げること、考えておいてくれよ?」
「遠くには行けないけれど、お外にお散歩に行ってもいいか、聞いてみてあげるわ」
「……あんまり時間がないんだ。散歩とかじゃなくて、おいらと一緒に逃げてもいいか、ちゃんと考えといてくれよ」
「もう、いろいろとうるさい人だわね。分かったわよ」
 メメはジョーニーを抱えたまま、リュシエルとミミのいる部屋の前でふたりで話していました。
「誰と話してるんだい?」とリュシエルが部屋の中から顔を出して尋ねました。
「私、このお人形さんとお友達になったの。このお人形さんねぇ、……」
 その時、メメはジョーニーが「シッ」と小声で云う声を聞きました。そしてたった今、ジョーニーと交わした約束を思い出し、急に黙り込みました。
「その人形がどうしたの?」
「このお人形さんねえ、ジョーニーっていう名前なのよ。ちょっと変な名前だけど、かわいいでしょ?」
「ジョーニー?」
「ええ」
「メメがつけたのかい? その名前?」
「いいえ。私じゃなくて……」再びメメは、ジョーニーの「シッ」という声を聞きました。「……なんとなく、ジョーニーって名前にしたの」
「ふうん。そうなの」

 

 その晩、夕食を食べてから、ミミは魔法の教科書をリュシエルに朗読してもらい、魔法の勉強をしました。体力を恢復させる魔法を覚えました。そして勉強するのに疲れると、三人は蝋燭の灯りを吹き消して床に就きました。
 ジョーニーはその日、皆が食事をする間も、メメの間近にいましたし、メメが眠りに就く時もメメの胸に抱かれて眠りました。
 ひと目惚れしたメメとずっと一緒にいられて、ジョーニーは満ち足りていました。外で待っているストレイ・シープのことなんか、全然忘れてしまったくらいです。けれども、時々、ストレイ・シープのくーくー鳴く声が聞こえて来て、ジョーニーは自分の任務を思い出させられました。
 別に、そんなに慌ててリーベリ様にリューシーの居所を報告しなくてもいいだろう、とジョーニーは思いました。もう少しメメの傍にいて、メメのこころをぐっと我が手におさめてから、リーベリの元に帰っても遅くはあるまい。
 自分も幸せになる権利くらい持っているのだ、とジョーニーは暗闇の中でひとり目を光らせていました。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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にゃんく

 

 

 

 

 パンを食べながら、リュシエルとミミ、メメの三人は今後のことを話し合いました。まだ此処ら辺りでは、カエルたちが追いついて来そうで不安に思ったので、明日の朝にはこの家を発ち、南にあるカルマ村に向かうことにしました。ふたりは最終的にはもうすこし南へ逃げて、名前も知らないような田舎の村でも構わないから、安心して暮らせる場所に辿り着けるといいねと話し合いました。
 さて、検問などで捕まらないのがいちばんでしたけれど、もし万一何かあった時のためにも、自分の素性をミミに話しておいた方がいいかもしれないとリュシエルは心を決めました。
 メメは太っちょの奥さんがまだ部屋の中にいる間から、小声でリュシエルに、「おじさんはあんなに痩せているのに、おばさんがこんなに太っているのは一体どういうわけなのかしら?」などと囁いて、リュシエルから、「知らないよ。失礼だよ。黙っていなさい」と注意されると、今度は部屋の中の棚を調べてみたりとせわしなく動き回っていましたが、リュシエルに「話があるからこっちに来て」と云われ、廊下にまで拡大していた探検を仕方なく一時中断して、ミミの横にちょこんと並んで坐りました。
 三人膝を突き合わせると、リュシエルは声をひそめて話しはじめました。
「大丈夫と思うけど、これから話すことは、絶対他の人には喋っちゃいけないよ。ぼくは、王家の人間なんだ」
「えー!」とメメが大声をあげました。
「シッ。静かに!」
「王家の者って……?」とミミ。
「ぼくはね、亡くなったシン王の嫡子、リュシエル王子なんだ」
「……リュシエル王子……?」
「リュシエル王子?」メメが同じ言葉を繰り返しました。
「じゃあ、リューシーっていう名前は?」
「……今まで黙っていてごめん。騙すつもりはなかったんだ。王宮の追っ手から逃れるために、ぼくはリューシーという仮の名を使っていたんだよ」
「姉が海岸であなたが倒れているのを見つけたっていうのは……?」
「王宮で、シン王が亡くなった後、情けないことに、王宮では、跡目争いが起こったんだよ。つまり、ぼくと、ぼくの弟のディワイ。シン王にはふたりの息子がいたからね」
「ディワイ殿下は、確かまだ六つか七つの子供じゃなかったかしら?」
「そのとおりだよ。ディワイは自分が王様になりたいと思ったのかどうか分からないけれど、ディワイの母親のネリが、ディワイを王様にしたいがために、王位第一継承者であるぼくを亡き者にしようとしたんだよ」
「亡き者に?」
「ある時は、毒を盛った食事がぼくの元に運ばれて来て、味見役の者が死んだよ。またある時は、王宮の天井から巨大なシャンデリアが突然落ちてきて、危うくぼくの頭を粉々に砕いてしまうところだった。その時は、護衛のマデラーがぼくを突き飛ばしてくれたおかげで助かったんだ。
 それからシン王の后だったぼくの母のソフィーは、ぼくの身の回りで次々と起こる奇怪な事件の下手人捜しを命じたんだ。兵隊は四方に飛び、犯人はすぐに捕まった。そして、その犯人を追及した結果、それらの事件を起こすよう命令した黒幕が誰であるかも、分かったんだ。つまり、シン王の愛妾ネリだ。ネリは元高級娼婦で、正式には妻として認められてもいなかったけれど、だからこそ、ネリは王の死後、自分の地位を確かなものにするために、ぼくを亡き者にし、息子のディワイを国王にしようとしたんだ。
 でも、母のソフィーがネリ逮捕の命令を下すよりも早く、ネリがソフィーに無実の罪をなすりつけて、一部の取り巻き連中を使ってソフィーを穴蔵に幽閉してしまった。つまり王宮内で、一種の反乱が起こったんだよ。それからというもの、ぼくは黒ずくめのターバンを巻いた男達に襲われ、彼らに執拗に命を狙われ続けた。ぼくは彼らに殺される寸前まで追い詰められた。でも、再びマデラーに助けられた。マデラーは、ソフィーから、特にぼくを守るよう云いつけられた護衛の騎士のひとりだったんだ。
 ぼくは、護衛の騎士たちと共に城を脱出し、放浪の旅に出た。いつか正統の王として城に戻れることを夢見て……。でも、ネリの追っ手におびやかされ、護衛の者は、ひとり、またひとりと討たれていった。ぼくの命と引き換えに。そうして、ついには、ぼくとマデラーのふたりきりになった。
 マデラーはぼくと一緒でとても苦労したと思う。ぼくは、生まれてからこの方、城から一歩も出たこともない世間知らずだったから。それまで過保護に育てられて、食事の準備ですらいつも世話の係の者がやってくれていた。全く外の世界を知らなかったんだ。そうして時が経ち、ぼくたちは、追っ手から逃れて、人も住まない荒れ果てた北方の土地に辿り着いた。そこは身を隠す場所はたくさんあったけれど、やがて、食べる物、飲む物にも事欠き、ぼくは衰弱して病気になってしまった。マデラーは食糧を探しに行くためにぼくをその場に残して離れた。『必ず戻って来ます。それまでどうか此処を動かないでください』そう云い置いて行った。でも、ぼくはとても喉が渇いていた。飲み物が手元に一滴もなかったんだ。ぼくもしばらくはマデラーの云いつけを守ってその場所から動かなかった。でも、どうにも我慢が出来なくなった。ぼくは水を求めて歩いて行った。元いた場所から相当離れて、ぼくは海岸まで出て、海の水を飲んだ。それから元いた場所まで帰る力もなく、ぼくはそこで意識を失ってしまったようだった。目を醒ますと、ぼくは知らない部屋の布団の上に寝かされていた。寝ている間に随分時間が経ってしまったような気がした。ぼくの隣に、あたたかいパンとスープが運ばれて来た。それを運んでくれたのがミミ、君だった。ぼくは君が看病してくれたおかげで、すっかり病気も良くなったし、元通り元気になった」
「あなたを看病したのは、私じゃなくて姉のリーベリよ」
「そうだったね……でも、ぼくはあの時、ひと目見て、君のことを忘れることが出来なくなった……」
「……」
 メメはリュシエルの話が終わると、大切な話をいったい理解したのかしていないのか、再び部屋の内外の探検を開始していました。リュシエルはメメのやりたいように放っておきましたが、戸棚の上に乗りかかり窓から外を眺めていたメメが突然、叫び出したのでした。
「見て! 窓の外、誰かいるわ!」

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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Ⅴ 人形だって恋くらいするさ

 

 

 陽が昇ってから、メメとミミとリュシエルの三名は、南へ向けて歩きはじめました。
 メメはこの一団のリーダーであるかのように胸を張って先頭を歩いていましたが、落ち着きがなく、ぐんぐん先までひとり離れて行ったかと思えば、ミミとリュシエルが待っているのにも構わず何かのきれいな花にじっと見蕩れて道端に蹲踞み込んだりしていました。
「まあ、今日生まれたばかりみたいなものだから、仕方ないね」
「見るものすべてが珍しいのよ」
 路傍で犬のように一生懸命花の匂いを嗅いでいるメメを待ちながら、ミミとリュシエルはそんなことを話し合ったりしました。
 そんなわけで旅路はいっこうに捗りませんでしたけれど、そうこうするうちにも一行は森の木々を抜け、午前中には遠くに赤レンガの三角の家がぽつりぽつりと見えはじめて来ました。
 リュシエルはほっとしました。朝から何も口にしていませんでした。自分もミミもお腹がぺこぺこなのでした(そして本人が云うには、メメもお腹が空いていました)。
 それは小さな村でした。家々にはそれぞれ家の大きさの三倍近い長さの煙突がついていて、モクモクと白い煤煙を空高く吐き出しています。
 しかしどの家々も固く扉を閉ざしていて、リュシエルたちが順々に戸口を叩いて回っても、容易に家人が出て来る気配がないのでした。かと云って、まったくの留守というわけでもないらしく、それは煙突から煙が出ていることや、時々窓の向こうに人影が動いていることからも窺えるのでした。
 リュシエルは何となく、扉の除き穴から自分たちの行動が監視されているような気がしてなりませんでした。
「この村はいったいどうなっているんだろう?」
 さてこれは困ったことになったぞと焦りはじめた頃、ある赤レンガの家の戸口から、痩せた銀髪の男性が三人の方を窺うようにして見ていました。
「何か御用で?」と銀髪の男性は云いました。
 リュシエルはもう二日間野宿をしていて、困っている、何処かに一泊させてくれる宿を探していることを銀髪の男性に伝えました。
 銀髪の男性はリュシエル達三人の様子を上から下まで眺めていましたが、やがて危険がないようだと判断したのか、「何もないが、良ければお入りなさい」と云ってくれました。
 銀髪の男性の後について三人は家の中に這入って行きました。戸口に近い、三人がやっとぎりぎり並んで眠れるくらいの、小さな部屋に案内されました。
 痩せた銀髪の男性は、太っちょの女性とふたり暮らしでした。
 たいしたもてなしは出来ないけれど、此処には好きなだけいても構わないよ、とふたりは云ってくれました。
 北方総督府の代理官殿が替わってからは、この村もおかしくなってしまった、と銀髪の男性は云いました。マフィアまがいの怪しい連中が麻薬を売買するためにうろうろするようになったし、略奪や殺人が頻繁に発生するようになって、昼間でも外をおちおち出歩けないようになってしまった。総督府に犯罪の取り締まりを求めても、碌に取り合ってもらえない。代理官殿が犯罪集団から賄賂をもらっているという噂もある……別にあなたがたを嫌がって家の戸を開けなかったわけではないから、どうか気を悪くしないで、と銀髪の男性は云いました。
 ミミたちは、ジョーという男にもらったコインを宿代として銀髪の男性に手渡しました。
 太っちょの奥さんが、暖かいパンやスープ、野菜などを持って来てくれました。
 太っちょの奥さんがこれから何処へ行く予定か訊ねてきました。 リュシエルは南の方で住むのに適した場所を探していますと答えると、太っちょの奥さんは、「この先でよく総督府の連中が検問をしてるから、気をつけな。行方不明のリュシエル王子を捜すことが目的らしいけれど、通行人に何かと因縁を吹っかけてくるらしいから」と教えてくれました。
 リュシエルが礼を云うと、太っちょの奥さんは部屋から出て行きました。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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 陽が暮れると、ミミとリュシエルは昨日と同じように柔らかい叢の上にぺたんと座り込み、パンを分け合って食べました。家から持って来たパンは全てなくなってしまいました。
 ふたりともこれっぽっちの食べ物ではとてもお腹いっぱいにはなりませんでした。ひもじさにお腹がきゅるきゅると鳴りました。
 今夜はミミが人形のメメに魔法をかける予定でした。
 リュシエルはポケットの中を見てみますと、今日道々集めてきた七種類の植物は欠けることなく全種類揃っていました。
 リュシエルは七種類の植物を小川できれいに洗って来て、それを満月の光が充分に当たる場所に敷き詰め燃やしました。人形を人間にする魔法を有効にするためには、満月のきれいな夜でなければならないのです。
 焔はミミが魔法の力を使い熾しました。そしてリュシエルがブロンド髪の人形を献げ持つようにして、燃やした煙で人形を燻しました。
 ミミが魔法の教科書に記載されているとおりの呪文を唱えはじめました。
 五分ほど経ち、植物を燃やしていた焔は消えて、あとには黒い灰が燻っているだけでした。
 ミミは呪文を唱え終わりました。
「失敗だったかしら?」
 リュシエルが人形を見ると、魔法をかける前と後とで、何も変わったところが見受けられませんでした。何かの間違いで、魔法は成功しなかったのだろうとリュシエルが思った時、手に持っていた人形が空気のように軽くなっていることに気付きました。
 人形の身体が重力に逆らうように仰向けに寝たままの姿勢で宙に浮かんでいます。人形はゆっくりと空高く上がって行き、月の光を浴びてこの世のものとは思えない光景でした。しばらく人形は空中で水平に静止していましたが、あっけに取られて上空を見ているリュシエルの目の前に、先程と同じ緩やかさで足を下にしてふわりと地面に降り立ちました。羽の生えた妖精が舞い降りて来たようでした。
 ブロンド髪の人形は何度か瞬きをしました。そして長い眠りから覚めたというふうに、顎が外れてもおかしくないくらいおおきなおおきな欠伸をひとつした後、
「お腹空いたわ」
 と云いました。それがメメが人間になってはじめて口にした言葉でした。
「何か食べるものない?」

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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Ⅳ いまだ少年の影を宿した山賊のかしら
 

 

 

 一方ミミとリュシエルは、ジョーと別れてからものの五分と経たないうちに、別の一団と鉢合わせになっていました。行く手の木立の木陰に四名の男女が座り込んでいるのと出くわしたのです。
「やあ。何処に行くんだい?」
 そう声をかけてきたのは、リュシエルとそう年も違わないであろう若い男でした。その男は赤みがかった茶色い髪を無造作に伸ばし、腰に剣を提げています。見ると、その他の者たちも、各々武器を持っています。白い髭の初老の男は弓を背負い、もうひとりの若い大男は、先端に巨大な石がついた棒を腰にぶら下げています。武器を持っていないのは、頭に黒い布を巻いた怪しげな雰囲気の女だけです。
「都へ行くところです」とリュシエルは答えました。
 若い男は、眉をしかめて煙草を銜えながら、
「へえ、都へ? 何しに?」と訊きました。
 リュシエルはミミの方を手で示しました。
「この子を都のお医者に診せて、目の治療をしてもらうのです」
「ふうん。目の病気なのか……」
 若い男は無遠慮にミミの方に近付いて来ました。
「さっきそこで怪我人を治していたね? おまえさん、魔女かい?」
 ミミは声のする方に顔を向けて、「多少、魔法は使えるけれど」と答えました。
 男はまじまじとミミのことを見詰めていましたが、そのうち何を思ったのか、リュシエルの持ち物を触りはじめました。リュシエルはあっけにとられていましたが、そのうち男はリュシエルが担いでいたズタ袋の中から魔法の教科書を見つけると、自分の手に取っていました。
 リュシエルは慌てて取り返そうとしましたけれど、男はすばしこくて、もう木陰に坐り込んだ女の元に魔法の教科書を持って行っているのでした。「ミコ、この本を見てみろよ」
 男が頭に黒い布を巻いた女に魔法の教科書を差し出すと、女はしばらくパラパラと魔法の教科書に目を通していましたが、急に叫び出しました。
「オカシラ! これは凄い書物だよ。色んな魔法について書かれている。これを持っていれば、凄い魔女になれる!」
 オカシラと呼ばれたその男は女と一緒に魔法の教科書を覗き込みながら、「そしたら、山賊のオレたちも、お役人に追われることもなく、楽しく一生過ごせるかい?」
「まあね」
 山賊? すると、さっき別れたジョーが云っていた山賊とは、この者たちのことだったのか……。リュシエルはズタ袋の中に隠していた剣をそっと取り出しました。
「おっと。妙な真似はしなさんな。おまえさんに勝てる相手じゃねえ。怪我するのが関の山だ。別に害を加えようってんじゃねえからよ。大人しくその剣を元あった場所に戻しな」
 背後から野太い声がしたので、リュシエルがちらりと視線を後ろへ向けると、男ふたりが武器を構えていました。白い髭を生やした初老の痩せた男が、弓を構え、きりきりと引き絞ってリュシエルに標的を定めています。もうひとりの大男は、先端に巨大な石がついた棒をリュシエル目がけて、今にも振り下ろそうとしていました。
 リュシエルは抵抗をしても無駄だと悟り、剣をそっとズタ袋の中に戻しました。リュシエルは不覚にも手の震えを抑えることが出来ませんでした。
「おまえ達。いいよ。こいつらは、悪いやつらじゃないみたいだから」
 オカシラと呼ばれた若い男が木陰からそう云うと、ふたりは武器の構えを解きました。
「この本、おまえさんのかい?」オカシラが大声で訊ねました。
 今やリュシエルとぴったり寄り添うようにしているミミが、
「……いいえ。姉のものです」
 と毅然とした態度で答えました。
 オカシラが人懐っこい笑顔で、
「この本、オレたちに譲ってくれないか?」
 と云いました。
 その場にいる誰もがミミの言葉に注目しているようでした。
 魔法の教科書を譲ってくれというこの突然の申し出を断った時、自分たちはいったいどうなってしまうのだろうかとリュシエルは考えました。
 でもミミは、リュシエルのように山賊たちを恐れるふうもなく、かえって落ち着いているように見えました。
「ごめんなさい。あなたたちにあげることは出来ないわ。わたし達、これからも旅を続けて行かないといけないの。その本の助けを借りないと、旅を続けることが出来ないの」
 オカシラは驚いたように目を丸くしてミミを見詰めていました。ややあって、
「……そんなら、代わりに何をくれる?」とオカシラは云いました。
「……」
 四辺はそよと吹く風もなく、まったく静かでした。やがて名案を思いついたというふうに、オカシラが少年のような高い声をあげました。
「そうだ。その剣は?」
 オカシラはリュシエルの担いでいるズタ袋の中身を指差しました。云うまでもなく、その剣は王家に代々伝わる大切な宝刀でした。
 今度はリュシエルが返答する番でした。
 けれど、リュシエルが答える前に、ミコと呼ばれた女が横合いから口を出しました。
「やめなよ、オカシラ。そいつは普通の身分の人間じゃないみたいよ。それにその剣は、うちらが持ってたって何の役にも立たないわよ」
「……ふうん。何ももらえないのか。つまんないな」心底がっかりしたようにオカシラは溜息をつきました。オカシラは眉をしかめ、煙草の煙を肺いっぱいに吸い込み、時間をかけてそれを気持ち良さそうに吐き出しました。それからまた、いい考えが思い浮かんだとでも云うように眉を開き、
「じゃあ、おまえさんたち、オレたちの仲間にならないかい?」
 と少年のような無邪気な声で云いました。
 オカシラはにこにこと笑顔で、上機嫌に見えました。まるで、この自分の申し出を断る人間がいる筈もないとでも云うようです。
 リュシエルはミミと小声で話し合いました。その結果、丁重にお誘いをお断りすることにしました。奇妙な山賊たちでしたが、気を許して一緒に行動を共にするほど信用がおける者たちであるのかどうか、判断しかねたからです。それにカエル達が追って来るかもしれないので、自分たちは先を急いだ方がいいだろうと思いました。
「何もくれないし、仲間にもならないのか……」
 申し出を断られると、オカシラは心底がっかりしたように呟いていました。
 困ったリュシエルがふと自分の財布を覗き込みますと、金貨が五枚入っていました。一枚くらいあげても、まだまだ充分旅は続けられると思いました。
「食べ物も持っていないし、あげられるものは、こんなものしかないが……」
 リュシエルが金貨を一枚手に取ってそう云いますと、先程リュシエルの背後で石の棒を振りかざしていた大男が、リュシエルの後ろから金貨をさっと掻っ攫って行って、悠然と歩いてオカシラの方に持って行きました。
 オカシラは大男から金貨を受け取ると、手にした金貨を空に透かしてためつすがめつ見ていました。「うほっ。気前がいいな」オカシラは飛び上がって煙草を足で踏み消して云いました。「ありがたく頂いとくぜ」
 オカシラが満足したふうでしたので、リュシエルはほっとして、「それでは、先を急ぎますので」とミミの手を引き、その場を去ろうとしました。そうして十歩ほど歩いた時、
「ちょっと待ちな」
 とふたりを呼び止める声がしました。それはミコの声でした。
 リュシエルは今度は何の云いがかりをつけられるのかと身構えました。
 急にミコが何かの物体を投げて寄越しました。リュシエルは避ける暇もなく、思わず胸の前でそれを受け止めました。
「何か困ったことがあれば、それを吹くといい。金貨のお礼だよ。どんなに遠くても、すぐに駆けつけるから。ただし、使えるのは、一回こっきりだよ」
「魔法のオカリナさ」とオカシラが付け加えました。
「魔法のオカリナ……」
 リュシエルは胸に抱いたオカリナをまじまじと見詰めました。かなり年季の入った代物で、鼻っ柱を近づけるとぷうんと腐敗した唾液の臭いが漂って来ました。山賊たちに悟られないように、リュシエルはそれを顔から遠ざけました。
「……有難う。それでは」
 山賊たちは、既にリュシエルに対し関心は持っていないようで、再び木陰に全員で集まって、何やら世間話に興じていました。
 リュシエルはミミの手を引いて、ゴルドー村へ急ぎました。
 オカリナには首にかけられるように紐がついていました。
 リュシエルは山賊たちからもらったオカリナをズタ袋の中にしまっておこうとしましたけれど、ミミが自分でそれを持っていたいと言い出しましたので、ミミの首にかけてあげました。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

㊵ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 ジョーはリューシー、ミミと名乗ったふたり連れと別れた後、西へ向かう旅を続けていましたが、ふとリューシーという青年のことを考えているうちに、自分が王宮の晴れがましい兵隊だった頃、一度だけ都の閲兵場で王子のリュシエルを見たことを思い出していました。
 ジョーは煌びやかな装備に身を包み、少々得意げに胸を張って、王家の旗を手に捧げ持っていました。
 それは今から三年ほど前、王のシンと王妃ソフィーに、最強の誉れ高い王宮の軍隊をお見せする盛大な式典でのことでした。その時十八歳だった若い王子も、ソフィー王妃に付き従うようにして、自分たちが行進する様をご覧になっていました。ジョーはひと目見た時、これが未来の王になられるお方かと思い、王子の顔が脳裏に焼き付いて離れませんでした。
 ジョーはまさかとは思いましたけれど、あのリューシーという若者が、一度だけお見かけしたことがあるその王子にそっくり似ているような気がしてなりませんでした。
 もちろん、王子はもう二年も行方不明になっており、ネリが放った刺客によって、何処かで暗殺されたというもっぱらの噂でした。
 しかし最近都で起こった反乱のために、今やそのネリはいなくなり、ソフィー様が王様代理の座に返り咲いたという話でした。もう少しソフィー様が政権に戻るのが早ければオラもクビを切られずにすんだかもしれないのだが。ジョーは溜息をつきました。でも、あのお方がもし本物のリュシエル王子ならば、一日も早く王宮に戻りたいはず……おそらく王子様はソフィー様が政権を取り返されたことを御存知ないのだ。だからいつまでも放浪生活を続けていらっしゃるに違いない……。
 自分の病を治してくれた恩もある――。
 ジョーは決心し、そこから東にある北方総督府に引き返すことにしました。
 リュシエル様らしき人物を目撃したことを北方総督府に報告しようと思ったのです。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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