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あわてない、あわてない。赤ちゃんが「はいはい」するように、のんびりゆっくり進みましょう。


●Samba De Verão - Sofia


----- eh... uh... 4 julie... d, d, de la Bucureşti la Sofia... ah... v,vă rog...

まぁこんな感じで、グーグル翻訳で訳したルーマニア語を窓口で言ってみたワケです。プリントアウトした紙を読みながら。
だってガイドブックに、駅では英語は通じません!って書いてあるからさ。

ちなみに、これを日本語にすると、
----- えっと、う~ん、7月4日の…… ブ、ブ、ブカレストからソフィア。 あ、プ、プリーズ
って、こんな感じ。

窓口のお姉さんは、ボクの手から紙をスッと取り上げて「19:53」って書いてあるボクのメモを見つけると、
----- ソフィア行きの夜行は、19時53分発じゃないのよ。23時22分発なの。それでいい?
って。

おや? ルーマニア語がスーっと頭に入って来るぞ。やっぱりスペイン語やってたおかげだな。注1


ってな感じにとんとん拍子にチケットを入手して、今日ブルガリアの首都ソフィアにやってきました。

みなさん、ごきげんよう。
「ヨーグルト」「バラ」「琴欧州」で有名なブルガリアから「なつむぎ」です。

*****

いやぁ。ソフィアの駅では緊張したよ。
ここソフィアのタクシーは、ガイドブックやネットでも悪名高くてね。ほぼ全部がぼったくりだって。

ボクはいままで、そんな危険がありそうな街ではタクシーを使わず、極力公共交通機関を利用して来たんだけど……

----- なつむぎさん。その1番と7番のトラムやかけどね。停留所はアパートから30メートルくらいのとこにあって便利やか。やけど、今工事中で運休なきす。やきぃ、駅からタクシーに乗って来てくれやーせんか? くれぐれも決められたタクシー乗り場から乗っとおせよ。そうがやないとぼったくられますから

ぼったくられないように決められたタクシー乗り場から乗れってのは、彼のメールでも全部大文字で目立つ様に書いてあってね。いやぁ、ソフィアのぼったくりタクシーの話はホントなんだって思ったよ。
(...take a taxi AT THE DESIGNATED AREA AT THE STATION TO AVOID RIP OFF.)

だけどさ、そういう街ってだいたいが、決められた場所がどこだか分からいものなんだ。

案の定、ボクはソフィア中央駅で迷いに迷い、やっとのことでぼったくり無しで安心と言われているOKタクシーがずらっと並ぶタクシー乗り場を見つけ、そしてアパートに無事入居できたってワケです。
途中で、OKタクシーとほとんど同じ色、同じロゴの「CKタクシー」をみかけたりもした。


あ、話が前後しちゃうけど、ボク、ルーマニア語の入門書は買ったけど数も数えられないんだ。ブカレストの窓口のお姉さんは、すっごくきれいな英語を話してたんだよ。え?そんなの説明されなくても分かってる?

それから、ブルガリアのアパートのオーナーは土佐出身じゃないよ。え?分かってる?

あと、最初の動画だけど、Sofia はブルガリアのシンガーじゃないよ。フィリピンだよ。え?これも?

じゃぁ、下の動画のソニア・ローザをボクが好きなことは?
タイトルの Socorro Taro! のタローが、彼女の息子 DJ TARO だってことは?
それから、ソニアって名前はソフィアって名前と同根だってことは?



●Socorro Taro! - Sonia Tosa


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注1:ルーマニア語は、ラテン語から派生した言葉でスペイン語とルーツを同じにしているんだよね。でも単語が時々似てるなって思えるくらいだな。耳にした感じはイタリア語の方が近いかも。いずれにしても、な~んもわからんかった。
ブカレストは、気持ちよく晴れた初夏の土曜日です。

あまりに気持ちが良いので、ルーマニアを1974年~1989年の15年間に渡って支配してきた独裁者「チャウシェスク」が建てさせた宮殿を見に行って来ました。地下鉄に乗ってね。

ブカレストに着いた日、アパートまでバスに乗るために1回券を買うつもりが、なぜだか suica とか icoca みたいな近代的なプリペイドカードを買わされてしまった経験があるので、今回は注意深く行きました。
ボクは、地下鉄の10回券が欲しかったのね。だからルーマニア語の「10」「チケット」を覚えて、切符売り場に出ている案内板の中の言葉に「回」の意味だろうなって言葉があったので、これをパクることにして、窓口のおばさんに、

「チケット!」「10!」「回!」

とささやいてみました。

おかげで、おばさんの笑顔と共に目的の10回券をゲットです。


そうやって見に行った「国民の館(Casa Poporului)」は、いやぁでかかったな。

「統一広場」から東西に延びる「統一大道り」の西の突き当たりに「国民の館」はあるんだけれど、大通りの遊歩道を歩いている時は、街路樹の緑に遮られて建物全体は見えなかったのね。
「国民の館」の前の広場に出て、その全貌を見たときには驚いた。

えっと、感動したって言ってもいいかもしれない。


独裁者のデザインが良いか悪いかについては、言わないことにする。
まぁ、本当はたいてい好きじゃない。って言っちゃったけど。
どういう風に好きじゃないかって言うと、適度なスケール感を逸脱していて、プロポーションが悪いから。それから繊細さが感じられない。ま、たいていはね。

「国民の館」も、チャウシェスクの「宮殿」として建てられたってことなのに「宮殿」にふさわしい優雅さがないんだものなぁ。


でも、だから美しくないとは言えないんだな。
政治的にYesじゃなくても、美的にYesの場合がある。倫理的にYesじゃなくても、情念としてYesの恋愛が世の中にあるみたいにね。

$///   H A I H A I S M   ///-国民の館
↑ 国民の館(Casa Poporului)

*****

ボクがマドリッドに住んでいた29年前、スペインはまだ政治的に揺れ動いていた頃だったと思う。独裁者フランコが死んで現国王が即位し、立憲君主制の民主主義国家になってわずか7年が経った頃だった。
前の年には、軍部右派のクーデターによって議会が占拠される事件も起こっているしね。

ボクの住んでた下宿屋のセニョーラは、極右政党フエルサ・ヌエバ(Ferza Nueva = 新しい力)のメンバーで、日曜日になると集会に出掛けてたっけ。下宿屋の食堂にはフランコの写真が飾られていた。

ある時プーラ(下宿屋のセニョーラの名前)が、同じ下宿に住んでいたスペイン人学生とボクとを日帰り旅行に連れて行ってくれることになった。
スペイン人学生がおんぼろのレンタカーを借りて来て、ある秋の日曜日にマドリッドを出発し、今では世界遺産にも登録されているエル・エスコリアルを見学した。

途中の公園でバーベキューをしたりして、楽しい一日だったよ。


でも、彼女が本当にボクらを連れて行きたかったのは、というよりボクらを連れて行くという名目で彼女が行きたかったのは、エル・エスコリアルの北東約10kmにある戦没者の谷(バジェ・デ・ロス・カイードス :Valle de los Caídos)と呼ばれるモニュメントだったのね。

丘をくりぬいて作られた聖堂はバチカンのサン・ピエトロよりも大きく、丘の上に建つ十字架は世界一の高さを誇る。

///   H A I H A I S M   ///-戦没者の谷
↑ 戦没者の谷(Valle de los Caídos)

このモニュメントは、フランコがスペイン内戦の犠牲者の慰霊のためという名目で作らせたものなんだけど、実際にはフランコ派の人たちのための施設なんだ。
だからこの施設の扱いについては、今でもスペイン内で論争の種になっているくらい。


そういう経緯はあるものの、そしてボクは、その規模のでかさと聖堂内のガランとして粗く密度が低い感じに、いかにもファシストが好みそうなデザインだなと思ったのだけれど、
でも同時に美しさも感じていたんだな。

この日帰り旅行の後いつものバルで、
「プーラと一緒に行ったんだって? どう思った?」
と感想を聞かれたことがある。

ボクは、施設の意図は別にして「美しい」と思った。
そう答えたのをしっかりと覚えているんだ。


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ども、ども。
昨日の夕方ブダペストで夜行列車に乗り込み、今日の昼過ぎようやくブカレストにつきました。
ビートたけしのギャグ「コマネチ!」で有名なルーマニアの首都です。

コマネチの他にルーマニアってどんなイメージがあるんだろうって考えると、ヨーロッパの中ではやっぱりあまりなじみの無い国なんだなって思う。
「コマネチ」以外なら…… 「ドラキュラ」「チャウシェスク」くらいだろうか。


ボクは高校生くらいの時からなんだかルーマニアには興味があって、どうしてこんな位置にラテン系民族の国があるんだろうって思ってた。いや、当時からラテン好きだったから。だから受験が終わってすぐ、白水社の「ルーマニア語の入門」を買ったんだよね。買っただけだったけど。

ほら、中間試験や期末試験の前になると、ボクは本当はこういう文学が読みたかったんだとか、こんな試験勉強じゃなくて別の人生に役立つことを学びたいんだとか、思うじゃない?
中間や期末の時は、終わってみると単に試験がイヤだっただけなんだってすぐに気づくけどさ。受験勉強の時は気づくのが遅れて、生真面目に語学書とか買っちゃったワケだね。

買ってすぐ、真実に気がついたけど。

$///   H A I H A I S M   ///-ルーマニア語
↑ これだぁ。一度ヤフオクに出品したけれど、落札されずにまだボクの本棚にある。

*****

さて、ドラキュラについては説明の必要はないと思うけれど、チャウシェスクという、かつてこの国の独裁者だった大統領については最近話題にされることもないから知られなくなっちゃってるかも知れない。

ボクがチャウシェスクで思いつくことはこの3つ。

1 サッカーの応援歌としてきっと誰でも聴いた事がある「オレー、オレ、オレ、オレー」の曲「WE ARE THE CHAMP」のメロディーをボクが初めて聴いたのが、チャウシェスクが共産党本部からヘリコプターで逃亡した後、反チャウシェスク派の宣言文が党本部のバルコニ ーで読み上げられた時だった。1989年のこと。
共産党本部の前の現在の革命広場集まった人々が歌ったのがこの歌で、後にJリーグの試合でこのメロディを聴いた時は驚いたよ。

もともと、ブリュッセルのサッカーチーム「アンデルレヒト」の応援歌なんだってね。あまりに聞きやすく覚えやすいそのメロディから、世界中のサッカーチームの応援歌として歌われているんだって。

2 かつて「バルカンの小パリ」とも「東欧のパリ」とも呼ばれていたブカレストだけど、その面影は見つからない。あ、今のところはね。
チャウシェスクは数度にわたる北朝鮮訪問で、その威圧的で権力主義的な都市計画にとても感動したんだそうだ。その結果、なんともスケール感を逸脱した無骨な建物がゴロゴロしている。

3 冒頭のコマネチはこの革命の直前の11月にアメリカに亡命している。独裁者チャウシェスクの放蕩息子「ニク」に愛人関係を強いられていたらしい。

*****

歴史って過酷だな。そういう話です。
政治的に「生」っぽいな話はしない方針のボクのブログですが、実際に現地に来ちゃったんでちょっとだけ書いちゃいました。

ブカレストがまだ、バルカンの小パリの面影があった時に来てみたかったって本当に思うよ。
明日は、その面影が残っていると言われている旧市街を訪ねるつもりです。

美しい街並に出会えるといいなって思って。


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↑ これって、オリジナル?

Allez, allez, allez. We are the champions. We are the champions.
って歌ってます。
allez は、おフランス語ざますな。
----- なつむぎ君、いったいいつまでマドリに居るつもりなの?

数ヶ月ぶりに訪れた家はもうすっかり引っ越しの準備を終えていて、外し残されたカーテンと数個の段ボールが残っているだけだった。
彼女は…… もう名前も忘れてしまったけれどマドリッドで知り合った人だから仮にM子さんと言うこととにするね。

ボクがマドリッドに暮らし始めたころ、
「ここに暮らすならM子さんを訪ねておいた方が、いろいろと便利だよ」
そう教えられて彼女の家を一度訪ねたことがあった。

M子さんは、まだマドリッドになれてない日本人にアパートとか在留手続きの世話をして、なにがしかの報酬を得ていたんだと思う。
そんな彼女がマドリッドを出るという話を聞いて、久しぶりに彼女の家を訪ねた時のことだった。

----- マドリも住みにくくなったわよ。これからはブダペストよ。ね、なつむぎ君もブダペストに行かない? 物価も安いし、ここよりずっと住みやすいわよ。


ボクはその頃マドリッドが気に入り始めたばっかりだったし、当時共産圏だったハンガリーになんとなく距離感を感じていて、でもそれ以来ブダペストのことはずっと気になっていた。どんな住み易さを持った街なんだろうって。

ブダペストって、どんな風にいいんですか? そういうボクの質問に、

----- どんな風にって、そんなの言葉じゃ言えないわよ。空気よ、空気。それにハンガリー人は、アジア系なのよ。それで居心地がいいのね、きっと。

ボクは、ずいぶんいい加減な人だなってその時思った。言葉で言えなくて何で言う!ってね。 それから、確かに社会の先生からハンガリー人のルーツはアジアにあるというようなことを聞いたことはあるなって思い出した。

彼女の説明には納得いかなかったし、彼女の誘いに乗る事もなかったけど、でもボクはそれ以来、ブダペストの居心地の良さに憧れていたような気がするよ。

*****

ブダペストに来てみて感じたのは、この街はやはり中欧の街だってこと。
街の造りにも、建物にも中欧のムードがある。周囲からいろんな民族、文化の圧力にさらされながらも必死に自分を守ってきた街だって気がする。

一方マドリッドは、ヨーロッパの西、大西洋に位置していて、ヨーロッパの持つその圧力から追い出されるように新大陸へと目を向けた街なんだって思う。

でも、そこに流れる空気にはマドリッドと共通するものがあるって感じた。

どうしてそう思う?

自問してみるけれど、明確な説明は出来ないな。まるで29年前のM子さんと一緒だ。

なんていうんだろう……

例えば、パリからマドリッドに来ると敷居の高い街からもっとフレンドリーな街に来た気がする。それと同じ様に、プラハからブダペストに来るとなんかホッと息抜きが出来る気がする、そんなことなのかなぁ。

ちょっと抜けてるみたいな?

ファニーフェイス的な?

大人大人した女性じゃなくて、なんか少年みたいな?


いや、これはなんとなくイメージで語ってるだけだけどね。まだ、3日しか過ごしてないし。


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●O pato by Budapest Bossanova Quintet

ふぅ。
ようやくブダペストです。ホテルじゃなくてアパートに居ます。

アパートって言ったって、ここで暮らそうってワケじゃないんだ。自炊(スープを温めるくらいだけど)ができて、洗濯ができて、気ままに過ごせるところに時々は居ないと息が詰まるかなって思ってね。それにホテルより安上がりだし。

*****

いやね。
昨日の事なんだけどさ。ブダペストに来るまでの道筋には、いろんなトラップが仕掛けられていたんだ。それにすっかり翻弄されてしまったよ。

【トラップ その1】

ボクは、9時58分ザグレブ発ブダペスト行きの列車に乗るつもりでホームで待ってたんだ。
ちゃんと席を予約したし、あとは座って車窓を流れる風景を楽しんでいればブタペストだって思ってのんびりしてた。リラックスしすぎてうっかりするとホームで眠っちゃいそうな勢いでね。

すると、そろそろかなって頃合いに列車がホームに入って来たんだけど、これが首都と首都を結ぶ国際列車って感じからはほど遠いポンコツ車両だった。いや、ポンコツなのはこの際どうでもいいさ。
問題なのは列車にもブダペスト行きって書いてないし、ホームの掲示板にもブダペスト行きって出ていない。さらに、ボクの予約席のあるはずの423番の車両が連結されてない。

周りの人たちも何かおかしいなとは思ってるみたいで、ちょっとざわついた感じになっていたな。そんな人たちの言葉に耳を澄ませていると「ブダペシュト」「ブダペシュト」って言ってるのがわかる。そしていぶかしげな顔をしながら乗り込んでいる人もいたり、あるいはまだ迷ってる人もいたり。

さてボクはどうするべきかな?

まずは近くの人に、列車を指差して「ブダペスト?」って聞いてみた。するとそうだって言う。多分。
不安だから別の人にも聞いてみた。するとそうだって言う。多分ね。
駅員さんみたいな人を見つけて聞いてみると、「ブダペスト行きだ、早く乗れ」って感じだった。まぁ、多分なんだけど。
その言葉の中に、なんか autobus ってな単語が混じってるのが気になったんだけど。

バスでは一回失敗しかけたことがあるからな。 ●ここ

昔まだボクがスペイン語を知らなかったころ、ブルゴスの駅でマドリッド行きの列車に乗れなくて、その街に泊まらなくちゃならないことになった記憶もふとよぎったよ。 ●ここ

*****

結局、その列車に乗り込むことにした。
ボクが座ったコンパートメントには、ボクの他にクロアチア人とイタリア人の若者が居て、それぞれに落ち着かない感じだったと思う。

10分ほどすると車掌が検札に来てね……

車掌はまずクロアチア人の若者になにか説明してる。ボクは目一杯集中して聞いたよ。その会話の中に Budapestとか autobus とかの言葉が聞き取れる。やっぱり、バスが一枚かんでるなって思ったね。

次に、イタリア人に対して英語を話すか車掌が聞き、英語はダメ、イタリア語でって彼が答えると、「あぁイタリア語ね、OK」って感じで車掌は話しはじめた。だけど、どう聞いてもクロアチア語に時々英語の単語が混じってるかなって感じで、全然イタリア語じゃない。

ところが驚いたことに、そのイタリア人は分かった分かったって感じでうなずいてるんだ。

さてボクの番。
車掌は「もう、わかっただろ?」って。
えっ? わかってないですから。この列車はブダペストに行かないんですか? じゃぁどこに行くんですか? バスに乗り換えるんですか? 乗り換える駅の名前は何ですか?
もう分からんことだらけで、いろいろと質問したワケ。彼がなんて答えてるのか良く分からなかったけどね。

ボクは困惑したような表情だったんだろうと思う。彼は最後に英語ではっきりと、

大丈夫。お前の切符は有効だから、心配するな

って。そんな事が問題じゃないんだけどな。


最後になって分かった事は、鉄道に不通区間があってその間をバスで移動しなくちゃならなかったってことなんだけど、いやぁドキドキしたなぁ。

でもまあ、あれやこれやがあったけど、バスに乗って、また列車に乗って(これが本来ザグレブからブダペストまでボクを運んでくれるはずの列車)、ブダペストまで無事に到着したってことです。


【トラップ その2】

ブダペスト南駅に到着した後、ヨーロッパの他の言葉と全く別系統の言葉だから文字を見てもな~んも見当が付かないハンガリー語表示の中で迷いながら、地下鉄のチケットを買って、乗って、アパートの管理会社の人との待ち合わせ時間にわずか5分遅れでアパートの前まで来た。

すると会社の人は居ない。案の定ね。

2月にマドリッドでアパートを借りた時もそうだったから、そんなもんなんだろうなって思ったよ。一度経験してると、なんだか余裕がある。電話をかけてボクが到着したことを知らせればいいやって思った。

でもね、公衆電話を探すんだけど、これがない。やっとの思いで公衆電話を見つけて電話をかけると不通。もう1つ知らされていた別の番号にかけると今度は出た。

「あっあのっ! なつむぎです。 日本から来た。 あのっ、あのっ、アパートの前まで行ったんですけど……」

ボクは必死だったよ。両替したてで小銭が少ししか無いからいつ切れるかわからないしさ。
すると電話の向こうはおばあさんの声でね。

----- いやだわねぇ。なんかだか知らんけど、外人さんの電話だわ。

ま、多分ね。そして、ガチャン。

電話番号、間違えて教えられてたよ。なすすべなしだよ。泡くったよ。

さてボクはどうするべきかな?

どうしようもない。
しかたがないのでアパートの前までガラガラとキャスター付きの荷物を引きながら戻った。
すると、ちょうどアパートの警備員が門の近くまで来ていてね。

「警備員は鍵の管理をしてるだけで英語は話しません」って事前にメールで知らされていたけれど、今やボクには彼しか頼る人がいない。必死こいて説明した。
身振り手振りやら、こわばった笑顔やら、テレパシーやらを総動員して。

そして、なんとかアパートに入ることができたってことです。

*****

何とかなるものだな。人間って通じ合えるものだな。ってのが今回の結論なんだ。

昨日はそんなこんなですっかり気力を使い果たしちゃって、夕食を食べにレストランに行く元気もなくて、近くのスーパーでハンバーガーと飲み物(ってのはビールのことなんだけど)を買った。

部屋着のTシャツと短パンに着替えて、

「なつむぎ。今日は良くがんばったな!」

ってビールを飲みながら自分の労をねぎらった。

そんなところです。ご報告まで。


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