数ヶ月ぶりに訪れた家はもうすっかり引っ越しの準備を終えていて、外し残されたカーテンと数個の段ボールが残っているだけだった。
彼女は…… もう名前も忘れてしまったけれどマドリッドで知り合った人だから仮にM子さんと言うこととにするね。
ボクがマドリッドに暮らし始めたころ、
「ここに暮らすならM子さんを訪ねておいた方が、いろいろと便利だよ」
そう教えられて彼女の家を一度訪ねたことがあった。
M子さんは、まだマドリッドになれてない日本人にアパートとか在留手続きの世話をして、なにがしかの報酬を得ていたんだと思う。
そんな彼女がマドリッドを出るという話を聞いて、久しぶりに彼女の家を訪ねた時のことだった。
----- マドリも住みにくくなったわよ。これからはブダペストよ。ね、なつむぎ君もブダペストに行かない? 物価も安いし、ここよりずっと住みやすいわよ。
ボクはその頃マドリッドが気に入り始めたばっかりだったし、当時共産圏だったハンガリーになんとなく距離感を感じていて、でもそれ以来ブダペストのことはずっと気になっていた。どんな住み易さを持った街なんだろうって。
ブダペストって、どんな風にいいんですか? そういうボクの質問に、
----- どんな風にって、そんなの言葉じゃ言えないわよ。空気よ、空気。それにハンガリー人は、アジア系なのよ。それで居心地がいいのね、きっと。
ボクは、ずいぶんいい加減な人だなってその時思った。言葉で言えなくて何で言う!ってね。 それから、確かに社会の先生からハンガリー人のルーツはアジアにあるというようなことを聞いたことはあるなって思い出した。
彼女の説明には納得いかなかったし、彼女の誘いに乗る事もなかったけど、でもボクはそれ以来、ブダペストの居心地の良さに憧れていたような気がするよ。
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ブダペストに来てみて感じたのは、この街はやはり中欧の街だってこと。
街の造りにも、建物にも中欧のムードがある。周囲からいろんな民族、文化の圧力にさらされながらも必死に自分を守ってきた街だって気がする。
一方マドリッドは、ヨーロッパの西、大西洋に位置していて、ヨーロッパの持つその圧力から追い出されるように新大陸へと目を向けた街なんだって思う。
でも、そこに流れる空気にはマドリッドと共通するものがあるって感じた。
どうしてそう思う?
自問してみるけれど、明確な説明は出来ないな。まるで29年前のM子さんと一緒だ。
なんていうんだろう……
例えば、パリからマドリッドに来ると敷居の高い街からもっとフレンドリーな街に来た気がする。それと同じ様に、プラハからブダペストに来るとなんかホッと息抜きが出来る気がする、そんなことなのかなぁ。
ちょっと抜けてるみたいな?
ファニーフェイス的な?
大人大人した女性じゃなくて、なんか少年みたいな?
いや、これはなんとなくイメージで語ってるだけだけどね。まだ、3日しか過ごしてないし。
