あまりに気持ちが良いので、ルーマニアを1974年~1989年の15年間に渡って支配してきた独裁者「チャウシェスク」が建てさせた宮殿を見に行って来ました。地下鉄に乗ってね。
ブカレストに着いた日、アパートまでバスに乗るために1回券を買うつもりが、なぜだか suica とか icoca みたいな近代的なプリペイドカードを買わされてしまった経験があるので、今回は注意深く行きました。
ボクは、地下鉄の10回券が欲しかったのね。だからルーマニア語の「10」「チケット」を覚えて、切符売り場に出ている案内板の中の言葉に「回」の意味だろうなって言葉があったので、これをパクることにして、窓口のおばさんに、
「チケット!」「10!」「回!」
とささやいてみました。
おかげで、おばさんの笑顔と共に目的の10回券をゲットです。
そうやって見に行った「国民の館(Casa Poporului)」は、いやぁでかかったな。
「統一広場」から東西に延びる「統一大道り」の西の突き当たりに「国民の館」はあるんだけれど、大通りの遊歩道を歩いている時は、街路樹の緑に遮られて建物全体は見えなかったのね。
「国民の館」の前の広場に出て、その全貌を見たときには驚いた。
えっと、感動したって言ってもいいかもしれない。
独裁者のデザインが良いか悪いかについては、言わないことにする。
まぁ、本当はたいてい好きじゃない。って言っちゃったけど。
どういう風に好きじゃないかって言うと、適度なスケール感を逸脱していて、プロポーションが悪いから。それから繊細さが感じられない。ま、たいていはね。
「国民の館」も、チャウシェスクの「宮殿」として建てられたってことなのに「宮殿」にふさわしい優雅さがないんだものなぁ。
でも、だから美しくないとは言えないんだな。
政治的にYesじゃなくても、美的にYesの場合がある。倫理的にYesじゃなくても、情念としてYesの恋愛が世の中にあるみたいにね。

↑ 国民の館(Casa Poporului)
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ボクがマドリッドに住んでいた29年前、スペインはまだ政治的に揺れ動いていた頃だったと思う。独裁者フランコが死んで現国王が即位し、立憲君主制の民主主義国家になってわずか7年が経った頃だった。
前の年には、軍部右派のクーデターによって議会が占拠される事件も起こっているしね。
ボクの住んでた下宿屋のセニョーラは、極右政党フエルサ・ヌエバ(Ferza Nueva = 新しい力)のメンバーで、日曜日になると集会に出掛けてたっけ。下宿屋の食堂にはフランコの写真が飾られていた。
ある時プーラ(下宿屋のセニョーラの名前)が、同じ下宿に住んでいたスペイン人学生とボクとを日帰り旅行に連れて行ってくれることになった。
スペイン人学生がおんぼろのレンタカーを借りて来て、ある秋の日曜日にマドリッドを出発し、今では世界遺産にも登録されているエル・エスコリアルを見学した。
途中の公園でバーベキューをしたりして、楽しい一日だったよ。
でも、彼女が本当にボクらを連れて行きたかったのは、というよりボクらを連れて行くという名目で彼女が行きたかったのは、エル・エスコリアルの北東約10kmにある戦没者の谷(バジェ・デ・ロス・カイードス :Valle de los Caídos)と呼ばれるモニュメントだったのね。
丘をくりぬいて作られた聖堂はバチカンのサン・ピエトロよりも大きく、丘の上に建つ十字架は世界一の高さを誇る。

↑ 戦没者の谷(Valle de los Caídos)
このモニュメントは、フランコがスペイン内戦の犠牲者の慰霊のためという名目で作らせたものなんだけど、実際にはフランコ派の人たちのための施設なんだ。
だからこの施設の扱いについては、今でもスペイン内で論争の種になっているくらい。
そういう経緯はあるものの、そしてボクは、その規模のでかさと聖堂内のガランとして粗く密度が低い感じに、いかにもファシストが好みそうなデザインだなと思ったのだけれど、
でも同時に美しさも感じていたんだな。
この日帰り旅行の後いつものバルで、
「プーラと一緒に行ったんだって? どう思った?」
と感想を聞かれたことがある。
ボクは、施設の意図は別にして「美しい」と思った。
そう答えたのをしっかりと覚えているんだ。
