金華山の麓の「居館エリア」 | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

では 金華山の麓エリアを歩きましょう。


まずは あの三重塔まで行ってみます。



(近づいてから 気づいたのですがー 近づけば近づくほど 塔は見えなくなっていくんですね~^^;)))

↓説明板。

「国登録有形文化財 / 岐阜公園三重塔」
平成十七年十一月十日登録
 大正天皇の即位を祝う御大典記念事業として記念塔の建設が企画され、岐阜市が市民の寄付も募ったうえで、大正六年(1917)十一月二十一日いこの三重塔を建立しました。
 材木には、明治二十四(1891)年十月二十八日に発生した濃尾大震災により倒壊した長良橋の古材が利用されています。
 (中略)
 装飾を用いない古風で調和の取れた意匠は、明治神宮などを設計し日本建築史学の創始者と評される伊藤忠太の手によるものです。また、塔を建てるのにふさわしい場所としてこの地を選んだのは、岐阜市内の小学校を卒業している日本画家、川合玉堂といわれています。 ~ 」

え?・・・という事は これは三重塔タイプの記念塔で お釈迦様のシャリは無い、という事・・・?


信長が建てさせた 居館跡(←復元図あり)へ行ってみましょう。

(さっき山頂の天守閣内で 居館の想像CGを見てきたところでございます)

三重塔前を居館側へ越したところに 素晴らしいチャート(岩石)の露出箇所がありました。

まるで屏風のよう!(確かブラタモリでも紹介されていましたよねー)

↑ん? 何か書いてある・・・。
↓「滝再現実験 当面の間休止いたします」

えー? 残念ー。(CGで見て「素敵~」と思った場所でしたのにー)
↓YouTubeに朝日新聞デジタルの動画があったので貼りますー。
https://youtu.be/pffSbLXas9A

小さな谷に架けられた丹塗りの橋を渡ります。



谷を覗いたところ_。

反対側。


↑説明板には「屋根つきの太鼓橋」が想像図として描かれていますー。

ここが居館のあった場所_。


山際の傾斜地に「だんだん」のある ちょっとクセのある曲輪です。いったいどんな建屋が?


(山頂の天守閣内で見た)CGでは ここには空中回廊が~ となっていましたが。

三重塔の方を振り返って見たところ_。


(↑山へ上がるゴンドラの中のお客さん達 今頃「おお~」と声を上げているはずー)


このあたりはー・・・


出土した 信長以前の遺構 とのこと。

↑説明板「信長公以前の居館 -斎藤氏の時代-」。(斎藤時代の地層の上には灰の層がある~ とか興味深い。_攻められた時焼け落ちた んですかね?)
↓「国史跡 岐阜城跡」。




(↑山際の段々の箇所を 空中回廊の柱が並んでいた場所 とする想像図)

居館跡エリアを抜けるとー




したたる緑を水面に映す静かな池がありました。(心が洗われる~)

池の近くにあった藤棚。


花は咲き始めたところ のようでしたが すでにあたりに ジャスミンに似た清らかな香りを放っていましたよ。

これで一回りした、のかな?

(↑右の建屋は ロープウェーの駅。)

長良川の方へ。

公園の門の前にはー

↑裸馬にまたがる信長像。

本当は公園内に まだまだ見るべき所があったようですし 何より「歴史博物館見てないじゃん」だったのですが、
「時間ないから」と亭主が言うので せめて、と 大急ぎで川原町の古い町並みを歩く事にしましたー。


ここが又 素敵な所だったんですよー・・・

つづくー。