岐阜の川原町(古い町並み) | (又)おだわらぐらし はじめました

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 背広を脱いだ夫と 結婚以来ずっと専業主婦の私との
「新しい日常」を綴って参ります

では観光MAPに「古い町並み」と書かれている 「川原町」を歩いてみましょう。

まず「忠節放水路」(←長良川から引きこんだ流れの余剰水を再び長良川へ戻すための水路)と呼ばれる川を 北(長良川側)へ渡ります。



渡った先は 野原 になっていました。(川原町広場、だそう)


野原の縁の桜は 葉ザクラになっていましたが それでもまだまだ綺麗、でした。



↑「井ノ口桜」ですって。(井ノ口は岐阜の旧名)

桜の奥に_

小さな建屋。



↑休憩所のようでした。

ハナモモの向こうには 黒壁の家が見えますー。

あそこが川原町かな? 行ってみましょう。



↑なんか・・・ 凄い高低差 です。

近くに説明板がありました。

「川原町(湊町・玉井町・元浜町)の由来
 長良川の川湊(カワミナト)として繁栄した川原町は、古くは中河原と呼ばれ、ここを貫いている表通りは中世からの古い道筋で、斎藤道三公、織田信長公の城下町の時代には市場も開かれていました。
 近世から近代を通して、上流からの和紙や木材などを扱う大きな商家が軒を連ね、長良川流域の拠点として栄えました。落ち着いた佇まいを見せる町並に、切妻 平入り、窓に格子を施し、壁を真壁造漆喰仕上げにした伝統的な町家が並んでいます。
 今、あなたが立っているこの広場一帯は、かつては長良川の遊水地となっていて、木材や鵜飼観覧船なども入り込んでいました。商家の裏側には玉石垣の上に黒壁土蔵が並んでおり、川とともに生きてきた営みを今に伝えます。
 ここから仰ぎ見る金華山は、今も昔も変わらぬ姿で聳えています。緑の山麓の合間に望む朱色の三重塔は、大正天皇の御即位を記念したものです。風光明媚な金華山において、町家の中からも最も美しく見えるポイントとして指示したのは、川原町の商家に逗留していた日本画家の川合玉堂画伯です。
 長良川と金華山に抱かれた川原町は、古くからの伝統を受け継ぎ、未来に伝えるまちとしてここにあります。
   川原町まちづくり会 」

近くにあったMAP。

(↑右が北)

さて、この坂を上がった先の通りが メインストリートのようですがー↓

↓忠節放水路側の小径も味わいがあって 素敵ー。



散策するなら どっちがいいかねえー? ・・・と言ってたら 近所の人_ と見える方が 草むしりに出てらした。ので ちょっとお話を伺ってみました。


↑「これだけ石を積んだ上に家を建てる という事は こっち側は水が来るんですか?」
そしたら
↓「そうなんですよ 昔はそっちの川(忠節放水路)からよく水が上がってねえ。 川の向こう側の堤防は高くなってて 岐阜の街には水がいかないようになってるんですがー・・・」


(↑わー 本当だ 向こうの堤防は めちゃめちゃ高い!)
(↓参考までに、 散策の終わりに撮った 「水路の向こう」の堤防の写真を貼ります。3m近くありましょうか?)


_という訳で 堤の外、の川原町の人々は 自分たちで2~3m分の「かさ上げ」をしていた、んですねー。


更にこの方に おすすめの散策コースを伺うと_
「最終的に どこに出たいか によるけどー」と言われ、
「岐阜駅行きのバス停に出たい、です」と言ったところ、 表通りを歩いて 紙や材木で栄えたお店を見て、国道256号線の 下を潜って向こう側へ出たところからバスに乗るといいよ、 と教えてくれました。
「ありがとう ございましたー」


表通りへ向かっております。


 ぽん

あらあら~ これはこれは~



何、でしょう 江戸と明治と大正 がギュっと濃くまとまったような不思議な雰囲気。

とりあえず 川下側へ歩きます。

↓え? 十六銀行?


↑わー 本当に十六銀行だ。(ATM機が設置されてました)

↓これは何かな? 京都あたりで鍾馗さんを屋根に載せる~みたいな 魔除け?


(ググってみたところ火伏の秋葉さんのようですー。こちらでは「屋根神様」と呼ばれているそうな。 )


忠節放水路の方へ下りましょう。



(↑石積みの土台の高さで 傾斜がよくわかりますね?)
↓この左の小径を行くと 道を教えて頂いた 広場の端に出る、のでしょうね?

↑そっちも歩いてみたかったけれど こっちの「堤」も見ねば↓!

↑折戸橋。/ 正面の鉄の扉は 水が出た時は閉じられるんでしょうね?(岐阜の街を守るために)
↓振り返って見た 折戸橋。



うーん 高低差が、 楽しい~。




国道256号線の下を潜ります。


抜けた先に 鬼 がいた・・・。


↑でも地図を見たら鬼じゃなかった。 「ロボット水門」ですって↓。

これは「岐阜市内へ水を送る役割を持つ忠節用水の 水量を調節するための水門」で ここから放水された水の水路が 「忠節放水路」になるみたい。

長良川に架かる長良橋。

橋からは 係留された幾隻もの鵜飼の舟が見えました。

今年も5月11日から「長良川鵜飼」が始まるそうです。

こんなに舟がー。/ 夏の夜の長良川は~ かがり火を焚く沢山の舟が浮かんで壮観だろうなあー。

そうそう、岐阜では マンホールの蓋も 鵜 でしたよー。

(↑川原町で撮りました)

この後は 又「信長様」の描かれたバスに乗ってー



(↑あ、よく見ると 岐阜城へ行く時に乗ったのとは また違う信長様だ。 何人いるんだろう 信長様はー?)
_岐阜駅へ戻ったのでした。 / おしまい。