バス停「三段壁」で下車し
海側へ坂を下りていきます。
(↑かわいすぎるポスト!/いやーちょっとここで投函するのは勇気いりそうー^^;/因みにここ三段壁は「恋人達の聖地」と呼ばれているそうですが その理由は・・・ 次の項で)
海に張り出すように作られた展望所。
波によって深くえぐられた天然の入江。/ ここは元々は「見段(ミダン)」と呼ばれる見張り場だったそうですが、いつの間にか字が「見」から「三」に変わって、「三段(サンダン)壁」となったんですって。
この入江の最深部に熊野水軍が舟を隠すために使っていたと伝わる「洞窟」があります。
かつては 海からしか見られない洞窟、でしたが、今はエレベーターが 水軍の隠し砦と地上を結んでいます。
行ってみましょう。
エレベーターに乗って~
チーン/地下に到着。
エレベーターホール正面には記念撮影用コーナーがありました。(置かれた胴は一種の「顔はめ」。兜も無料で借りられます。)
↑私的には後ろの若い衆の浴衣(?)が気になりました。ちょっと働く格好じゃないよね^^; せめて裾をからげりゃいいのに
ってな事はオイトイテ 順路 に従って見学していきましょう。
(↑私達が見学したのは1時頃。潮が満ち潮に変わって間もなく~ ですかね)
おや 窓 のような穴からー
海と空が見える。
その先のヴュー・ポイント。
岩壁にはホッチキスの弾(=ステープル)のような(???)足場(?)が。(避難用かしら?)
因みに 洞窟の あっち側 にはついてませんでした。
(↑展望所からも洞窟入口が見えませんでしたが、 洞窟入口からも展望所は見えないのでしたー)
引き返してー
洞窟内部を見たところー
↑洞窟は思いのほかに奥に長く伸びていました。
奥はこの後 (順路に従って進むと)改めて行く事になります。
洞窟内には弁天堂が作られていました。
手水の水口は龍。
(↑この水は温泉になっていました。飲んだ方によると「しょっぱい」そうですよ?)
天井を覆うほどに吊るされた灯篭の向こうにー
日本一の大きさ という弁天様が十六童子に囲まれて鎮座されてました。
弁天様の前を通って奥へ進みます。
暗い 「鉱穴(マブアナ)」と呼ばれる坑道。
更に行くと鉱石採掘現場を再現した箇所もありました。
昔この辺りでは銅や鉛の採掘が行われていたんですね。白良浜(シララハマ)前の海が「鉛山(カナヤマ)湾」と呼ばれているのはその名残。
↑近世にはすでに鉱脈は尽きていたらしいのに、この土地の領主となったお殿様たちは 「もしかしたら まだ イケルかも?」と思ったのか 税を免じて「採鉱奨励」をしていた・・・そうなー。
しかし この「鉱穴」がどの時代に掘られた物かは説明がなく よくわかりませんでした。
(元々の「鉱穴」は井戸のような竪穴だったそうですから この横穴は近世のものかなー?)
更に行くと「水軍小屋」なる物が。
洞窟内に建てられた屋根つきの小屋_。
中には囲炉裏を持つ板の間が作られ 鎧兜 海戦のおりの武器防具や道具が展示されていました。
水軍の番所小屋の再現、という事のよう。
↓そばにあったパネル。
(↑関係ないけど ここで水軍の手下になってる人形は エレベーター・ホールの「浴衣のみなさん」ですね? よかった この写真撮った時は裾はからげてあるよ~。これなら動きやすいね^^)
↓熊野水軍の軍船の想像図、とか。
(↑因みにこれは「安宅船(アタケブネ)」。室町時代後期から江戸時代初期にかけて用いられた大型の戦船らしいですー)
水軍小屋の前の通路はー
水軍が舟を隠したと伝わる海蝕洞窟に繋がっていました。
(↑水位の上がっている時は ここまでしか来られないよう)
潮は満ち潮に変わったところー。
なかなか迫力のある光景が見られました。
潮の入り口側はこんな感じ。
天井はこんな感じ。
(↑海蝕洞窟だけど 天井にはノミの跡と思しき傷も。人の手も入っているのかな?)
海側へ少し行くと三段壁洞窟 最大の見どころ、潮吹き岩 がありました。
・・・ははは 「潮吹き」は撮れませんでしたー。(何度か見られたんですけどねー)
更に進むと_
漣痕(レンコン)という 文字通りサザナミのアトを
天井に(!)見る事ができました。
おー これかー
と こんなのが
三段壁洞窟 なのでしたー。
地上に戻ってきたところ。
(↑施設前に足湯がありましたが、寒くてとてもズボンの裾をまくる気持ちになれませんでしたー^^;)
この後は岩場も歩いてみたのですが
長くなったのでこの続きは項を変えましてー。