耶馬溪の青の洞門に到着。


ここが頼山陽が「耶馬溪山天下無」と詠んだ名勝ですな。

もっとも、今では耶馬溪とつく地名は日本全国30か所近くあるそうな。

うむ、日高耶馬溪に筑紫耶馬溪、耶馬溪もいろいろあるけれど、頼山陽先生が詠った耶馬溪はこの1か所!というわけですな。ど根性ガエル&少年ジャンプ風にいうと。


それで、さっき通ってきたトンネルが青の洞門と。

菊池寛の「恩讐の彼方に」の舞台ですな。

しかし、現実は日本最古の有料道路なんですと。

まあ、金目当てであの距離の岩盤を槌と鑿だけの人力で穿ち抜くなんて割に合わないだろうから、維持管理費程度だったんじゃないかなと思うけど。


おっぱっぴーが、「都道府県カルタでありがちな"すべって転んで大分県"って、ここ耶馬溪で山頭火が詠んだ"すべって転んで山がひっそり"の一句に引っかけてあると思うんだよね」とのたまう。


『な、何だってー』とゆかぴょん、MMRか太田道灌ばりに吃驚す。(←少し大げさ)

いやー、ゆかぴょん、あれはただの駄洒落カルタと思ってたよ。教養がないというのは悲しいことですなあ。


しかし、してみると、"山しかないのに山梨県"とか"勉強するもの秋田県"とかも、単なる駄洒落じゃなくて、何らかの元ネタがあったりするのだろうか?

ご存じの方がいらしたら、是非、コメント欄に書き込み願いたい。


休憩所でアイスを食べて、ぼちぼちと宇佐へと向かう。

鱧料理を堪能した後、おっぱっぴーの車で薦神社へと向かう。

おっぱっぴー、免許を取って半年もたってないのに運転上手いな。

ほぼ、ペーでパーなドライバーであるゆかぴょんは、未だにハンドル握ると緊張するぞ。


近くのコンビニの駐車場に車を止め、大きな池のそばを通って神社に向かう道々、おっぱっぴーがいろいろ解説してくれる。
何でも、ここは宇佐八幡宮の祖宮なんだとか。
おー、たしか、司馬遼太郎の「街道をゆく」で読んだ記憶があるぞ。

ここにある楠は樹齢千年といわれてるけど、10年前も樹齢千年っていわれてたんだよね、年をとらないのかな?Frauとか女性セブンとかで年を取らなくなる神木!みたいな特集したら観光客増えんじゃね、等々。

いや、お前も結構、どこから突っ込んでいいかわからない言辞を弄するようになったもんだなw 少なくとも、Frauと女性セブンでは読者の属性が全然違うから、同列視しないほうがいいぞw

鮮やかな朱塗りの神社にて、賽銭を投じながら「世界人類が平和でありますように・・・・・・などと強欲なことは申しません、ゆかぴょん一人で結構ですので、商売繁盛、家内安全、交通安全、無病息災、etc,etc」とお願い奉り申し上げた。


うむ、これぐらいのささやかな願いなら、八幡様もいと易きことよと叶えて下さるであろう。

神社を出て、耶馬溪へと向かう。

おっぱっぴーが運転しながら、「左手に見えるのが八面山でございます」と観光ガイドをしてくれる。何でも、建武の新政の後、足利尊氏が九州に落ち延びてきた時に再起を誓った石舞台があるそうな。


そう高い山ではないけど、尊氏、山登りする暇があるなら、もっと他にすることがあるんじゃないのか?と突っ込みたくなるのは、ゆかぴょんだけではあるまい。


戦国のアルピニスト、成政と語り合うことがあったら、よい友達になれたであろうか?


「おめーのはワンダーフォーゲル、つーか、ピクニックだろw」

disられ、

「いやー、天下の関白様に領地を貰ったのに、一揆を起こされて切腹endの方はおっしゃることが一味違いますなあw 某なんぞ、身一つで初めて九州に来たのに、周りがほっとかないから気が付けば天下人ですよ、能力的・人格的魅力が有り余るほどあるというのも考え物ですなw」

と煽り返され、電流火花が飛び散る喧嘩になるような気がするw

てなことを考えているうちに、耶馬溪は青の洞門に到着(続く)



※20140820加筆修正

ホテルに戻って、ロビーで従弟と合流。

これ以降の観光と祖母宅への足として召喚していたのである。


この従弟、7回忌を迎える祖母の孫同志ということになるのだが、今年4月に別府にある立命館アジア太平洋大学に入学したそうなので、以下、太平洋つながりということで『おっぱっぴー』と呼ぶことにする。


運動して腹も空いたので、鱧料理を食べにいくことにする。

何でも、京都に鱧料理を伝えたのは中津、ということになっているらしい。マジで?


鱧御前3240円也を頼む。美味し。

いや、いっつも美味しとしか書いてないけど、ゆかぴょん、グルメ表現は拙いので割愛することにしているのだ。

だって、所詮この世は美味いかマズいか、コスパがいいか悪いかでしょう。それも主観バリバリの。

ということで、ゆかぴょんはイイね!と判断しました。

マズければ遠慮なく、マズいと叫びます、ネット上で。


そうして、支払は兄者に任せろー、バリバリッ!となりました。

兄者、太っ腹じゃのう、ゴチになりやす。


とここまで書いて、そろそろ眠くなり申した。

まだ半日分残ってるけど、続きはまた明日にでも。


瑠璃京
地図:瑠璃京

ジャンル:持ち帰り・宅配
最寄り駅:中津(大分県)
TEL:0979233868
住所:大分県中津市島田仲町363-16
ミセコレ

いやー、ゆかぴょん、諭吉先生尊敬しているのと、諭吉先生をdisるマスゴミってお前はどうなのよ的なゴミばかりと思ってるから、YYSシリーズにはちょっと力が入ってしまったのことよ。

そのうち、YKS(やっぱり勝先生は凄い)シリーズも書きたいと思う。


さて、福沢旧邸から中津城へと向かう。


ゆかぴょんの予習によると、中津城は黒田家(官兵衛・長政)→細川家(忠興)→小笠原家→奥平家と城主が移り変わっており、場内の展示品は奥平家のものがほとんどとのこと。

したがって、天守からの眺めを楽しみたいのでなければ、官兵衛関係は城の近くの黒田官兵衛館で十分なんだと。


しかし、このお城、敷地はそんなに広くないのにやたらと神社が多い。

謀殺する度に神社を立ててたら、宇喜多家や毛利家はどうなるのw


こじんまりとした官兵衛館を見てから、お土産館に向かう。

予想通り、くろかん君なるゆるキャラがw

いや、黒田二十四騎とはいわんけど、ながまさ君とかまたべえ君とかも作ってあげたらどうなんだw


適当にお土産を買って、ホテルに帰る途中で栗山堂に寄る。

何でも栗山善助利安の子孫の方が営んでいる和菓子屋さんとのこと。

お土産に外郎(ういろう)を買っておく。

小田原の町で売ってる透頂香(とうちんこう)みたいなものあるか?


しかし、寺町にも西蓮寺なる官兵衛の末弟が開基したお寺が残っているように、黒田家って中津には14、5年ぐらいしかいなかったのに、結構、由来の寺社仏閣、お店や町割りが残ってるもんですな。

YYS(その四)

最後にYYSを上げるとすると、何といっても『脱亜論』ですな。

これは1885年に時事新報に掲載された無署名の社説で、有名になったのは1950年以降らしいです。


抜粋すると以下の通りですが、とても130年ほど前に書かれた文章とは思えません。

思うに、マスコミ文士の多くが脱亜論を批判するのは、左巻きや汚鮮人が多いのもさることながら、かくも見事に物事の本質を喝破し、百年先にも残る記事など到底残しえないと潜在的に知っているからではないでしょうか?

(2chで揶揄され続ける低レベルな記事を除くw)


外国特派員となってプライドと給料だけは高くとも、語学も出来ず、人脈も築けず、ロクに記事も配信できない体たらくと諭吉先生を比較すれば、凡人と偉人の違いを考慮しても、あまりにも程度が低い己を直視すると死にたくなってしまうからではないでしょうか?


(以下抜粋)

・近代文明とはインフルエンザのようなものである。インフルエンザを水際で防げるだろうか。私は防げないと断言する。百害あって一利も無いインフルエンザでも、一度生じてしまえば防げないのである。それが、利益と不利益を相伴うものの、常に利益の方が多い近代文明を、どのようにして水際で防げるというのだろう。近代文明の流入を防ごうとするのではなく、むしろその流行感染を促しつつ国民に免疫を与えるのは知識人の義務でさえある。

・日本は、国土はアジアにありながら、国民精神においては西洋の近代文明を受け入れた。ところが日本の不幸として立ち現れたのは近隣諸国である。そのひとつはシナであり、もうひとつは朝鮮である。この二国の人々も日本人と同じく漢字文化圏に属し、同じ古典を共有しているのだが、もともと人種的に異なっているのか、それとも教育に差があるのか、シナ・朝鮮二国と日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。情報がこれほど速く行き来する時代にあって、近代文明や国際法について知りながら、それでも過去に拘り続けるシナ・朝鮮の精神は千年前と違わない。この近代文明のパワーゲームの時代に、教育といえば儒教を言い、しかもそれは表面だけの知識であって、現実面では科学的真理を軽んじる態度ばかりか、道徳的な退廃をももたらしており、たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。


・『春秋左氏伝』の「輔車唇歯」とは隣国同志が助け合うことを言うが、現在のシナ・朝鮮は日本にとって何の助けにもならないばかりか、この三国が地理的に近い故に欧米人から同一視されかねない危険性をも持っている。すなわちシナ・朝鮮が独裁体制であれば日本もそうかと疑われ、向こうが儒教の国であればこちらも陰陽五行の国かと疑われ、国際法や国際的マナーなど踏みにじって恥じぬ国であればそれを咎める日本も同じ穴の狢かと邪推され、朝鮮で政治犯への弾圧が行われていれば日本もまたそのような国かと疑われ、等々、例を挙げていけばきりがない。これを例えれば、一つの村の村人全員が無法で残忍でトチ狂っておれば、たとえ一人がまともでそれを咎めていたとしても、村の外からはどっちもどっちに見えると言うことだ。実際、アジア外交を評する場面ではこのような見方も散見され、日本にとって一大不幸だと言わざるを得ない。

・もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。「東アジア共同体」の一員としてその繁栄に与ってくれるなどという幻想は捨てるべきである。日本は、むしろ大陸や半島との関係を絶ち、先進国と共に進まなければならない。ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。この二国に対しても、国際的な常識に従い、国際法に則って接すればよい。悪友の悪事を見逃す者は、共に悪名を逃れ得ない。私は気持ちにおいては「東アジア」の悪友と絶交するものである。(明治18年3月16日)

YYS(その三)

西洋の文物、制度を片っ端から翻訳・紹介し、様々な用語を日本語訳というか造語したこと。


そもそも、自分の社会で存在しなかったもので目に見えないものを異国語を学んで、自国に紹介する・・・・・・それって、かなり難易度の高い仕事じゃないでしょうか?


民主主義、議会制度、法律・裁判制度、株式会社、保険制度、etc,etc


用語の日本語訳は、諭吉先生と西周がほとんど行ったと言われています。

Society:会社、Company:社会 と訳そうとして、どうも座りが悪いから逆にしたらしいですね。

うーむ、株式社会とか、会社主義とか、凄い違和感があるんだけど、そうなっていたら当然のものとして受け入れられてるんでしょうな。


YYS(その二)

幕府が咸臨丸で施設団を米国に派遣すると決めた時、諭吉先生は「これ、行きたがる人そんなにいないんじゃね?でも、偉い人が従者の1人も連れずに行くなんてありえなくね?だったら、伝手を頼って推薦してもらえば、英語も出来るし、上手くもぐりこめるんじゃね?」と発想し、実現したこと。


こういう柔軟かつ合理的な発想で行動できる人間って、今の世の中で営業やっても成功するんだろうなーとウラヤマしく思いまするw


disるわけじゃないんだけど、松陰先生ももうちょっとこの手の発想があり、もっと要領が良ければ、日本の歴史も変わっていたんじゃなかろうかと思わずにはいれません。

中津と言えば、福沢諭吉先生と連想する人が一番多いのではないでしょうか?


慶応大学では、先生とは諭吉先生のことを指し、教授であっても君付けであると聞きます。


しかし、ゆかぴょん、以前に慶応大学のとある学部長に会った際に「聖地(中津市・福沢旧邸)巡礼するもんなんですか」と聞いたら、「いや、行ったことない」と言ってましたぞ。うーむ、このような学部長が存在するとは嘆かわしい限りですw


入場券を兄に買ってもらい、ブーフーウーのブーが住んでいそうな旧邸を見学。

敷地の中に白鷺稲荷神社がありましたが、もしや、これは福翁自伝に書いてあった、諭吉先生がご神体を入れ替えても罰なんかあたらんかったんや!の神社では・・・・・・。

だとすると、祟らぬ神に力なし、力なき神にご利益なし、なのでは・・・・・・。


続いて、福沢記念館に入り、展示物を見学。


ゆかぴょん、日本の自伝ものでは、福翁自伝と氷川清話が1・2をを争う面白さだと思うんだけど、YYS(やっぱり諭吉先生は凄い!)と思うエピソードを今日は書いていこうかと思いまふ。


YYS(その1)

大阪・適塾の塾頭となり、江戸へ蘭学を教えに行き、横浜居留地へ足を延ばした際に自信の蘭語が全く通じない!つーか、時代は英吉利・英語ですぜ?の衝撃を受け、あっさり、蘭語→英語に乗り換えたこと。


今で言えば、半生のほとんどを廃課金してたNEETが、そのネトゲのアカウントを抹消された位の衝撃だったのではないでしょうか?

ゆかぴょんだったら、身に着けた蘭語で何とかできないかとサンクコストに拘ってしまうと思うのだけど、そこが凡人と大きく違うところですなー、と。(続く)

台風が四国方面に逸れたせいか、曇り空で風のある都合のいい天気。


中津駅でレンタサイクルを借り、寺町へGO!

なんといっても、無料というのがイイ!


まずは赤壁で有名な合元寺へ。


官兵衛が九州攻めの後、豊前6郡を拝領した時、旧領主の宇都宮(城井)鎮房がかつての居城・城井谷城を急襲・奪取・籠城し、長政がゲリラ戦で負けたりするんだけど、官兵衛を付城を築いて周囲の国人勢力を降していくことで、娘の鶴姫を人質とする和議を結ぶ。


その翌年、長政が鎮房を中津城に招き、酒宴の席で謀殺。

城下の合元寺に留めおかれた家臣も全員37564!

鶴姫は侍女もろとも、河原で磔!

父、長房は城井谷城を枕に討死!


以来、中津城には夜な夜な鎮房の亡霊が現れ、合元寺の壁は塗り替えても塗り替えても血痕が・・・・・・、じゃあ、いっそ赤く塗っとこまい、というわけですな。


んーむ、そりゃ豊前宇都宮氏は、下野宇都宮氏の祖である藤原宗円の次男が鎌倉時代に豊前国地頭に任じられて以来の名門だけどさ、鎮房はんも大内義隆→大友宗麟→島津義久と時勢にあわせて乗り換えてきたんでしょ?

その名門・名族の大友氏・島津氏が秀吉に従属・降伏していくのを見ていながら、どうして反抗してどうにかなると思ったのか、意味不明です。どー考えても、滅亡フラグです。ありがとうございました、ですやん。


伊予12万石、素直に受けておけば・・・・・・というのは後知恵なんですかな。

東九州自動車道も一軒のミカン農家のために開通が遅れているそうですが、意地なのか、条件闘争なのか、いずれにしてもほどほどにしてもらいたいと思います。


さて、そんなこんなを考えつつ、次は福沢旧邸へ。

広島にいた小学生の頃、被爆地交流ということで長崎に行った折、クラスのおちゃらけBOYの岡やんの「小倉を目指して~、飛んだ飛行機~、(中略)、嗚呼~、長崎は~今日は晴れだった~」と不謹慎極まりない替え歌を思い出した。


アンタ、マクロスの替歌 で担任にボコボコにされたのに懲りまへんなぁ。

その意地、どこまで立て通せるつもりか、と当時思ったもんです。


ゆかぴょん、広島の平和教育・活動もどうかと思いますが、長崎の平和教育・活動もいかがなもんかと思ってます。

というのは、長崎は2点、広島と異なるアプローチがあるはずだからです。


1つは、2発目の原爆投下が必要だったのか?

広島はウラン型、長崎はプルトニウム型と異なるタイプだったのは人体実験のためではなかったのか。


もう1つは、キリスト教徒が同じキリスト教徒を原爆で焼き殺したという点です。


アメリカではヒロシマ・ナガサキの原爆の惨禍の展示をしようとすると、退役軍人協会をはじめとする団体の反発が入り、検閲を余儀なくされ、アメリカに都合の悪い内容はカットされます。(スミソニアン博物館50周年など)


ゆかぴょん自身は、当時は戦争中であったのだから、敵に対してアレをするな、コレをするなと注文を付けるのはナンセンスだと考えます。

ドイツや日本も原爆を開発しており、もし、先に原爆とその運搬手段を手に入れていたら、おそらく使用していたでしょうから、使用したこと自体は非難しても仕方がないでしょう。(あるいは、毒ガス兵器のように、相手に報復されることを恐れて先制使用は自粛したかもしれませんが)


しかし、戦争に明け暮れた欧州で、戦争にもルールが必要だという見解が生まれ、各種の条約・協定が結ばれるようになったように、原爆についても事後の検証というものは行わなければならないと思います。


無人島でもなく、軍事施設でもなく、人口密集地に原爆を投下する行為はアリなのか。

人口密集地に原爆を落としたらどうなるのか。


少なくとも、原爆を投下したアメリカ国民その惨禍を知り、その是非を考える義務があります。

それについて、知らねーよ、原爆投下はアリだね、イイね!という回答であれば、日本は潜在的にアメリカの人口密集地に原爆を2発投下できる権利を有する、とゆかぴょんは考えます。


てなことを、あの平和、平和と言ってる人たちはそこで思考停止してしまって、そんなこと1mgも考えたことなさそうだなーと思うので、この時期のあの式典をニュースで見ると、ゆかぴょんはイラッとしてしまうのです。