こんにちは、今年度マネージャーとして入部させていただきました1年樹神奈美です。


私はこれまでの人生でバスケ、フットサル、バレーを経験してきており、ボートという競技については黎明祭で声をかけてもらうまで存在すら全く知らない状態でした。しかし新歓で感じた雰囲気の良さと、マネージャーが何十人分もの食事を作るというその壮大さに惹かれ、勢い任せに入部を決定したのを覚えています。


いざ入部してみると、思っていた何倍も個性に溢れ魅力的な部員の方々でいっぱいで、とても楽しい部活動生活を送れていると感じます。


また、先日行われたインカレでは普段よりいっそう先輩マネージャーのすごさと偉大さを痛感することができました。

またまだ1年生のマネージャー3人のみでは先輩1人の力量にも及ぶことはできませんが漕手の役に立てるよう、いろんなことを覚えて3人で力を合わせてがんばっていきたいと思います。


以上です。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます😊

表題作について。「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」とはよく言ったものですが、雨だと野球は中止になるし風だとボートは出せません。ただ現代日本に限れば、屋根や壁で凌ぎきれない分、波浪とかを含めればどっちかというと雨より風の方が人間の営みを打ち負かしてる印象ですね。と思いましたけど土砂崩れも含めると意外と雨の方が影響大きいかもしれません。あくまで個人の感想なんで反証されたらなんも言えませんが。まあいずれにせよ、人間という集合ですら雨風に負けるんですから個々人がそういった強大な力に抗おうなんざどだい無理な話です。そういうわけで、個人的には負けること自体はある種いいことだと思います。「負けないように」なんて思い詰めてたら人間壊れちゃいますからね。自分という存在をたかだか黒星一つで守れるなら安いものです。その黒星をその後の自分にとって意味のあるものにすれば、人生全体は大金星になると思いませんか?つまりは黒星の価値は守った自分のその後次第ってわけです。
 なんて、たまにはちょっとカッコつけなこと書いてみました。柄にもないことはするもんじゃないです。このフェーズを短文で収めるはずが、そこそこな分量になっちゃいました。


 えせ哲学をひとつまみしたところで、部員向けに僕の近況報告をば。新潟行きのフェリーに乗るとき、乗船のことをうっかり「乗艇」と言ってしまいました。もう末期(おわり)です。ところで実家から新潟の家に移動するときは「出かける」のか「帰る」のかどっちが適切なのでしょうか。生活の拠点とする場所に移動するという観点では「帰る」という表現が適切な気もしますが、それだと実家に到着したときに口をついて出る「ただいま」の説明がつきません。難しい問題ですね。日本語は奥が深いです。


 フェリーでの部屋は行き帰りともに小さなパーソナルスペースが確保された席でした。新日本海フェリーの「ツーリストA」と調べれば出てくると思います。決して同社の回し者ではありませんのでご心配なく。荷物をベッドの上に差し上げようとしたら入口に頭をぶつけ、でかい荷物とヒョロい体がベッドに沈しました。ごめんなさい僕のシナプス。僕は君たちを守れませんでした。残った仲間を君たちの分まで大事にすることにします。










 沢山たくさん書き足りないことはあります。また、書きたいことが変わった部分も少なくありません。経験した出来事や多くの再会によって、人の感情は移ろいやすいものですから。でもこの文章は内容の大半を元の形のままで出すことに意味があると思うのです。この文調で長い文章を書くと読むのに疲れるでしょうし。でも、最後に一つだけ。
 「大学の学びを有意義に」という言葉は、今の僕には些か羊頭狗肉であるように感じます。今の自分が勉強に向ける意欲に、そこまでの自信は持てません。なればこそ、今だからこそ有り余る時間とエネルギーを、僅かでも将来役立つかもしれないと「今」直感した方向へ振り向けること、それだけは徹底したいと今回の帰省を経て強く思った次第です。
 学びではなく、時間を有意義に。今の決意を、消えないうちにここに記しておこうと思います。



明後日からは合宿です。苦手なご飯作りを頑張ります。この駄文をお読みの皆さんもお疲れの出ませんように。ではまた。





文責:マネージャー1年 谷村

初めまして、今年度マネージャーとして入部しました、1年の早坂美優です。


これから、自己紹介と意気込みを書こうと思います。


私は小学校から中学校までバレーボールをやっていたのですが、高校生の時にマネージャーという役割を経験して、選手のサポートをする楽しさを知りました。大学では部活に入る予定はなく、サークルなどで運動したいと考えていました。しかし、黎明祭などで何回か声をかけてもらい、ボート部の試乗会に参加した際の雰囲気に魅かれて入部しました。


マネージャーとしての目標は、頼れるマネージャーになることです。私たちが入部する前はマネージャー1人で漕手の食事を作り支えていた、優秀なマネージャーの先輩がいるので、たくさん学んで私も成長したいと思っています。マネージャーは、漕手が練習するのに良い環境をつくることが大切だと思うので、精一杯頑張ります!


先日行われたインカレで、漕手の頑張っている姿を改めて目の当たりにして、今まで以上に漕手の役に立てるようになりたいと感じました。


以上で、私の自己紹介と意気込みを終わりたいと思います。最後まで読んでくださった方々ありがとうございました!

お世話になっております。4年の岩本です。

インカレを終え、漕手生活としての区切りがついた今、思っていることをつらつらと書き記そうと思います。

 

駄文散文で失礼します。

 

 

 

 

まず私は2020年に新潟大学に入学しました。

皆さんご存知の通り、コロナが始まったタイミングでした。

ちょうど私立大学受験シーズン中に第一報を聞いた覚えがあります。その時はここまで大学生活に影響を与えるとは知る由もありませんでした。

 

 

私は1年間の浪人生活の後、大学に合格したため、周りの同級生は先に1年間大学生活を満喫していました。

そのため私もなんとなく周りのようにゆるーい大学生でいいやと当時は思っていました。

しかしコロナの影響で大学生活は一変しました。大学に「不要不急の立ち入り禁止」、家で受ける「オンライン授業」、飲み会などの「制限」、自分の中での理想の大学生活が音を立てて崩壊していきました。

 

途方に暮れた私。このまま時間を過ごすのはもったいないと一念発起。

学科の同級生が部活に所属していたため、私も何かやってみようと思いました。

 

小学校から高校までずっと続けてきた柔道はもうこりごりだと思い、「大学から始める人が多いこと」「怪我をしないように体のコンタクトがないもの」という2点で部活を探していました。

 

そこで新大の部活を探していると「ボート」「アーチェリー」などなど様々な団体がありました。そんなあるとき、ボート部のオンライン新歓に参加してみると先輩方がすごく暖かく受け入れてくれて、とても楽しそうな雰囲気を画面越しからも感じ取ることができました。

ただ、その時はローイング競技については全く知らず、唯一知っていることといえば、おばあちゃん家に向かう道中に通る戸田ボートレースでレースをすることだけでした。今思えばこれが潜在意識に刷り込まれていて、いつかローイング競技をやる運命だったのかもしれません笑

 

ですが、そんな無知な自分を嘲笑するかのようにローイング競技はとても厳しく深い世界が広がっていました。

 

私は試乗会に参加する前に、入部することを決めていました。

その理由はオンライン新歓に参加した時の直感と早く何かに取り組みたいという気持ちからでした。また他大の新歓PVを見て「とてもかっこいい、自分もこんな風になれるかな」と思ったからです。

 

 

東北大学ボート部 2020年新歓PV

 

 

立教大学ボート部 2020年新歓PV

 

ですが、大学からの通達により6月ごろまで部活動は完全活動停止で、各自トレーニングをする形でした。

 

初めて練習した時は今よりも体重が10キロも重く、それでいて体力が落ち切っていてとてもしんどかったです笑

また当時は朝の起床時間にも驚愕し、かつ自宅から艇庫まで自転車で向かうことも信じられませんでした。

入ってすぐに「入る部活間違えたな~」とか思っていました。

 

 

最初は1年生は自分だけだったため、当時主将だったなかじさんやサポートの先輩方と一緒にエルゴを漕いでいました。

その後、仲間が増え、ようやく朝の自転車にも慣れていきました。

朝の自転車で向かう道中に見ることができる景色はとても美しかったです(当時は写真に収めていました笑)

 

 

2020年7月17日朝4時の様子です

 

 

 

 

はじめて乗艇した時は「漕ぐってこんなにも難しいのか」と思いました。

乗艇はさくらさんにサポートしてもらって2xを漕いでいました。2人であーだこーだいいながら練習していたと思います。

そのおかげでわりとすぐに漕げるようになったと思います。さくらさんその節はありがとうございました。

 

2020年9月、

我々新潟大学ボート部はインカレ出場を断念しました。その後の全日本新人も中止が発表され、本間主将を軸とした新体制へと移行しました。そのため、今まで対抗としていたM4+に私が乗ることになりました。今まで練習していたスカルからスイープへの転向、様々な不安がありましたが、先輩方がそれを一緒に解きほぐしてくださいました。

 

 

またこの月は人生初めての2000TTをしました。本当に辛くて何度も諦めかけましたが、先輩方が応援してくださったことで、漕ぎきることができました。この時、この世の中にこんなにもしんどいことがあるのだと痛感した瞬間でもありました。

 

 

初めての冬季練習、乗艇機会が限られ、「これはエルゴ部では・・?」と思うくらいにエルゴメニューをこなしていました。とても単調で、気候柄、鬱屈になることも多い冬でした。ただひたすらに仲間たちと乗り越えていきました。

特にこの冬は津川に行き、ひたすらスイープを練習していました。そのおかげか少しばかりスイープが好きになり、自信を持つことができるようになりました。

 

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2021年、2年生になりました。

この頃もなお、コロナの影響が根強く残り、新歓も思うように出来ませんでした。初めて、人を勧誘する側になりこんなにも難しいのかと思いました。そんな中、百加と遥子が入部してくれました。本当にありがとう。

 

また5月には初めての大会に参加することができました。長野県の諏訪湖で行われた諏訪子レガッタにナックルフォアで参加しました。出場は我々1艇のみのため、他艇と競る経験はできませんでしたが、レースを経験することはできました。そこで初めて仙台大学のエイトを目にしました。これがエイトかあと感動すると同時にとても迫力があり、怖さを感じました。

 

 

この頃はインカレを意識してひたすらM4+で練習していました。そのおかげか夏には北信越ブロックの新潟選抜に選出されました。初めて他艇と競ることができるレース、そして北信越の選抜レースということもありとてもワクワクしていました。結果は3位で本国体には出られなかったものの、一緒に乗っていた神崎さんからたくさんの知識や技術を教えていただいて、さらにインカレに向けて頑張っていこうと思いました。

 

 

7月の測定では初めて6:55を切ることができました。この時は素直にとても嬉しかったです。

それと同時にローイング競技をちょっと好きになった瞬間でもありました。

 

この年はインカレの開催が決定し、初めて漕手としてインカレに出場することができる予定でした。

ですが、日程が10月末に変更になったこと、大学からの規定やクルー内の諸般の事情でまた参加を見送ることとなりました。この時、新人戦の中止も決まっていたので、私のシーズンは終わりました。

 

最後の最後まで出場できるかどうか調整してくれた葵さん、本当にありがとうございました。

ずっと一緒に練習してきたクルーの実力を発揮することなく解散となったのは、とても悔やまれます。

 

新体制への移行となり、私は主将に任命されました。すぐに前向きな返事をすることはできませんでした。

 

この時、私はこの先ローイング競技を続けるかどうかすごく悩んでいました。

というのも、3年次の夏休みには1ヶ月間の教育実習がインカレ期間と被っていて、部として目指す主要な大会に出場することができないことが分かっていたからです。

 

そんな自分が主将を引き受けていいのか。主将としての責務は果たせるのかを凄く悩んでいました。

 

ですが、周りの人たちからの一声もあり、「やってみよう」と決意しました。

 

 

2度目の冬季練習、

今度は自分が強くなることだけでなく主将としてチームをどうしていくかという俯瞰的な視点から様々な働きかけが必要とされていました。

チームは前年と同様にインカレに向けて走り出しました。

 

2022年3月、3年生になる前。

同期4人でクォドを組み、お花見レガッタに出場しました。同期でクルーを組んだのはこの大会が最初で最後でした。予選で2着になったけど艇重量不足で最下位扱い、決勝Bは1艇レースでした。

 

 

7月

2度目の国体北信越ブロック、そして初の2000mレース、艇輸送経験となった東日本選手権。

インカレに向けてチームに勢いをつけることができた月でした。

 

 

9月

インカレ。同期がシングルとペアで出場。

どちらも決勝Cに残っていて、とても頼もしい同期だと感じました。

 

 

10月

インカレが終わり、次は新人戦。自分は出場できないが後輩たちのサポートとして。

今までのノウハウを生かし、久しぶりに新人戦に出場することができました。

 

ここで私の主将としての役割は終了し、後輩たちに世代交代をしました。

 

その後、1年間、留学に行っていため、一時的にボート部から離れていました。

 

 

2024年3月

 

新潟に戻ってきました。最初は就活メインで動いていたのでもう漕手はいいかなと思っていました。ですが、他人が漕いでいるのを見るとまた不思議と漕ぎたくなっていました。

 

5月

GWに金沢大学と交流し、久しぶりに並べをしました。私は惨敗でしたが、あの時、またレースの楽しさが蘇ったように思います。

 

6月

東日本夏季競争大会、即席クルーでダブル。当たり前だけど勝てませんでした。すごく悔しかったけど、目が覚めました。

 

そこからインカレを強く意識するようになりました。「やっぱり漕手として出たい。出るならスイープにこだわりたい」という思いが強くなっていき、結果ペアで出場することが決まりました。

 

9月

インカレにペアのバウとして出場、敗コロでしたが、久しぶりの戸田で2000mのレースは緊張よりもワクワクが強かったです。そして何よりも4年生での出場ということに大きな意味があったと思います。漕手を4年生のインカレまで続けて良かったと強く感じました。

 

 

 

長くなりましたが、これが私の大学ローイング競技生活の総括です。

今回のインカレをもって私のローイング競技生活は終了です。

 

もうこうしてクルーで毎日漕いだりできないのかと思うと少し寂しいです。

ですが、今後もローイングを応援していきたいと思います。

 

こんな素晴らしい競技や仲間と出会えたことはすべてが私の財産です。

4年間ローイング競技に打ち込みましたが、1着でフィニッシュすることは叶いませんでした。ローイングの世界はそれだけに厳しく充実したものでした。

さらに、ローイングは周りの人の支えによってできるのだと競技生活で痛感しました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

今まで携わっていただいた方、本当にありがとうございました。

 

ぜひこれからもローイングが盛り上がることを期待しています。

 

教育学部 4年漕手 岩本達裕

初めまして。今年度、漕手として入部しました、工学部一年舟崎璃音(ふなざきりおん)と言います。今回は自身とボートについて書こうと思います。


0自己紹介


私は北海道の札幌市に生まれ育ち、現在新潟で一人暮らし中です。中学、高校では生徒会役員と合唱部に所属してました。そんな文化系の私が今、運動部に所属していることは半年前の自分からは考えられません。


1なぜボート部に入ったか?


この問いは今も問い続けています。なにか明確な理由があるわけでもなく、なぜだろうと自問自答してしまいます。ひとつ確かなのは「強くなりたい」からです。


2ボート部に入って変わったこと


腹時計。朝練が5時からなので、それが習慣化され朝練がなくても勝手に5時頃に目覚めてしまいます。たくさん寝たいのに


日焼け。水上では怖いほど太陽を感じます。腕、顔、首が焼けてしまいました。おかげさまで日焼け止めを塗る習慣ができました。


食生活。栄養バランスや筋肉欠かせないタンパク質に気をつけること。ヨーグルトや魚を自ら食べるようになったのは大きな変化です。そして、米が美味しい!


筋肉への興味。ボートに必要な筋肉はどこか、それを鍛えるにはどうするべきか。自分に足りないのはどこなのか。部員を観察して日々学んでおります。


考えること。どうしたらタイムが伸びるか、どうしたら気持ちよく漕げるか、今後どんな組織になったらいいかなど、考え始めると止まりません。最近は考えていない時間がなく、心配をかけてしまっているので、ぼんやりする時間がほしいです。


3これからの展開


まずインカレで学べるものを学んで帰りたいです。そして、10月に行われる新人戦に向けて練習していこうと思います。入部時より遥かに上手くなっているはず… その変化とボートのよさを改めて実感できる大会にしたいです。


冬トレが始まる前までに、体力、筋力、姿勢等を改善させます。冬トレは非常にきついと聞いたので、なんとか耐えたいと思います。


そして気が早いですが、来年度後輩ができた時に指導を任せられるような、安心感のある漕手になりたいです。そのためにも日々鍛錬。



4最後に一言


習慣というのは1ヶ月から半年という曖昧な期間の中作られるものだそうです。そして、一年生も残り半年僅か。これは新たな習慣をつけるチャンス!日々の練習や生活の中で成長するための意識づけをしていこうと思います。3月に進化した自分を見せれるよう、日々精進して参ります。

 史上最強の一角とも謳われた2024年度の台風10号「サンサン」は、海上で順調に蓄えていたその勢力を屋久島の峻嶺に一瞬にして削り取られ、九州と四国を力なく横断したのちに東海道沖で呆気なくその目を失い温帯低気圧に変わった。短時間で進路・速度ともに予報が次々と更新されていくさまは、さながら先の読めない世界情勢を暗示しているかのようで、埼玉県は戸田で行われるボート部のインカレにも(例え温帯低気圧に変わったとしても)その直撃により甚大な影響を及ぼすのではと不安になっていたものだ…出発の前日までは。

 

 

 

 だが実際に辿ったその道筋は既に皆さんもニュースや天気予報で入手されている通り。運命のいたずらかはたまた一時は最強の名をほしいままにしていた大型台風故の気まぐれか、温帯低気圧と化すや否や北上を始めたサンサンは新潟から戸田へ向かう私たちの西方をすれ違う形となった。移動先で台風と出会い頭の邂逅を果たし、宿泊先である国艇で暴風雨という手荒い洗礼を受けるという最悪の事態は、すんでのところで回避されたわけである。だが漕手・マネージャーともに続々と会場入りが進むなかで、食事作りをはじめとする雑務を担うマネージャー陣はむしろその独特の雰囲気の洗礼を日に日に強く受ける形となったと言えるだろう。

 

 

 

 今回の大会に参加したマネージャー陣は総勢4人。一見すると漕手との人数比では大きな問題にはつながらなさそうな人数構成だが、そのうちの3人が1年生という、遠征の経験に一抹の不安が残る内訳であり、編成自体は決して盤石とはいえなかった。

 

 

 

 戸田入り初日から問題は幾つも発生した。経験豊富な先輩マネージャーの不調、食料や日用品の遠征に由来する激しい消耗、限られた食堂やキッチンスペースを他大学さんと共同活用する際に生じる不都合…挙げだせばきりがないそれらは正に、大黒柱が欠けたマネージャー陣にとっては襲い掛かる嵐のようで、そのスタートはお世辞にも安泰なものとは言えなかった。今までのマネージャー業務とは比較にならない高い壁が、この大会にはあったことは否定しがたい事実である。

 

 

 

 だが、心が折れるメンバーはいなかった。

 

「高い塔を建ててみなければ、新たな水平線は見えてこない」

 

 小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトマネージャーを務め、数多のトラブルに見舞われながらも満身創痍の「はやぶさ」を地球に帰還させ、貴重な小惑星のサンプルをもたらした川口淳一郎氏の格言のごとく、新たな水平線を望むための小さな石を私たちはひとつひとつ着実に積み上げていった。ハプニングが起きた時の影響はいずれも小さくなかったが、得意分野で他をカバーし合う柔軟さをそれぞれが発揮した。手の空いているサポートメンバーや練習が終わった漕手の助けもあり、気づけばクオリティーの低下という形で抜けた穴を実感することはなくなった(と、私は思う)。

 

 

 

 陳腐な言葉ではあるが、そこには仲間への信頼があったのだろう。「自分が席を外しても、残ったメンバーで効率よく作業ができる」「誰よりも秀でているこの分野は、安心して任せられる」といった信頼関係が相互に築かれていたからこそ、パニックになったり「自分が自分が」と主張するだけでなく「任せる」という選択肢を安心して取ることができたのだろう。そして何より、部活を取り巻くムードは今日まで終始明るかった。経験不足故の不手際で迷惑をかけたタイミングもあっただろうに(少なくとも私は2度ほど、中程度のミスをやらかした。あれを迷惑と呼ばずに何と形容するだろう)、それを笑いと励ましに代えてカバーしあえていたその環境は、大会に臨むチームとしてひとつのあるべき姿ではないか。新体制になって半年、私たち1年生が正式に入部して3か月強という短時間でこうした良い雰囲気を漂わせることのできるこの組織を、私は本当に心地よく、そして誇らしく思う。

 

 

 

 危機は人を強くするとはよく言ったもので、序盤の慌てぶりに比べればマネージャー陣は本当にしっかりと動くことのできる、強い組織になったと思う。ある意味ではこの合宿期間で最も成長したのは私たちマネージャーだとすら言えるかもしれない。

 

 

 

そして今日。「アテンションゴー」の合図とともに、ついに闘いが始まりを告げる。一年に一度、これまでの一年間の全てを賭けた決戦が。そしてその合図は同時に、レースの結果次第でこれまで以上に流動的になるスケジュールに柔軟に対応し、漕手が最大以上のパフォーマンスを発揮できるサポートを提供する、マネージャー陣、ひいてはサポートメンバー全員にとっての「真の闘い」の幕開けを告げる掛け声でもある。だが、急成長を遂げたマネージャー陣に追加合流したサポートメンバーを加えたサポート組織はきっと、この試練を乗り越えるだけの準備がすでに整っている。それはさながら、漕手という「はやぶさ」を支えるプロジェクトチームのようである。

 

 

 

高い塔を建てる準備は整った。建築途中のその塔はやがて、未だ何が待っているか分からない、だが確実に希望に満ちた「新しい水平線の向こう」を見渡すための強固な礎となるだろう。

 

 

 

文責:マネージャー1年 谷村

 

 

お疲れさまです。4年の岩本です。

いま我々はインカレに参加するために戸田で練習しています。

台風も予報とは異なる進路で、ただ強風雨が吹き荒れるここ最近の戸田でした。

 

 

今年度はM2-とM4xが新潟から挑戦します。

私は最初で最後のインカレになりますが、今まで何かと出る事ができなかったインカレにこうして参加することができ、とてもワクワクしています。

思い返せば私が入部を決断した時はコロナ禍真っ只中で、そんな私にとってインカレは憧景でした。

先輩達や仲間があらゆる犠牲を伴っても高みを目指していく姿に素人ながらとても心動かされたのを今でも鮮明に思い出します。

 

 

 

そんな大舞台に自分が立てることに感謝しながら自分たちのベストな漕ぎを出せるように明日からのレースに挑みたいと思います。

 

何回「2000m」という距離に苦しみ、悩んだんだろう。

最後のレース、笑ってフィニッシュしたいです。

 

ラスト2000m、全力で漕ぎ切ります。

応援よろしくお願いします。

 

 

こんにちは。

 

今年度、漕手として入部した創生学部一年吉田もとなです。

 

ここでは私の自己紹介と、この半年間のボート部での日々、今後の意義込みについて語っていければと思っております。

どうぞよろしくお願いします。

 

 

まずは私の自己紹介から。

私は、岐阜県で生まれ育ち、新潟大学創生学部に入るため、一人で遠路はるばる新潟までやってきました。

(岐阜から新潟までは車だと約7時間強、新幹線だと東海道新幹線と上越新幹線の乗り換えが必要)

 

趣味はアニメ鑑賞と小説、漫画を読むことです。たまにゲームもやります。

特に、二次元には目がありません!この辺の話は話し出したら止まらないので、詳しい話は割愛します笑

 

 

次は、私のスポーツ歴について。

幼稚園から小学校卒業まで水泳をやっていました。今でも、水中は大好きです。

また、小学校高学年で少しだけですが、硬式テニスもやっていました。

中学校、高校では、昔卓球部だった父の影響を受け、卓球部に所属していました。

周りに上手な人が多かったこと、指導者が大勢いたなどの環境に恵まれたおかげで、地方大会ではありますが、中学、高校どちらでも何度か賞状をいただくことができました。

 

さて、このような経歴の私がなぜ大学でボート部に入ることになったのかといいますと、入学後、とりあえず部活・サークルにはどんなものがあるのか見てみようと思い黎明祭に参加しました。

大学ではなにか新しいことに挑戦したいと思っていた中で出会ったのが、ボート部でした。

説明を受けたり動画を見ていたりするうちにどんどん興味がわいてきて、とりあえず試乗会に行ってみようと思い、一人で試乗会に参加しました。

初めて乗らせてもらったボートは想像以上にスピードが速く、気持ちのよいものでした。

また、部の雰囲気も良く、気が付いた時には入部を決めていました!笑

 

ボート部での日々は、朝が早いことに加えて練習も多く、結構ハードです。

正直とてもしんどい!!!!

それでもここまで続けられているのは、一緒に頑張るボート部の同期や先輩方のおかげです。

練習の合間に艇庫でみんなとおしゃべりしたり、遊んだり、たまにご飯にいったり、海にいったり・・・などなど楽しい思い出もたくさんできました。

 

 

 

私は、ボート部の中で一番身長が低く、女子のなかでも小柄な方なので身体的に不利なところはありますが、水上での技術など他の部分でケアできる部分もあるので、自分なりに精一杯頑張っていきたいと思います。

 

また、今は夏休みの最中であり、練習の日々が続いています。特に今は、インカレの時期です。

出場する選手にはぜひ最高の漕ぎをして頑張ってほしいです。

私は今年、応援兼サポートとして参加することになりました。

そして、10月には新人戦が控えています。

最近は、そこに向けて1年生同士で女子ダブルに乗らせてもらっています。

息を合わせて漕ぐことは難しいですが、合ったときはとても気持ちよいです。

今からとてもワクワクしています。

 

 

最後に、こんな私ですが、周囲の人たちへの感謝の気持ちを忘れず、これからも新潟大学のボート部1漕手として自分のペースで頑張っていきたいと思います!!!

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。また、お会いしましょう👋

 どうも皆さんこんにちは、新大ボート部漕手斉藤立真(サイトウ ハルマ)です。漕手とは言うものの面倒くさがりな性格で、一向に技術が向上しないのが最近の悩みです。(´・ω・` アタリマエ-

 

 さて大学生になって初めての夏休みとなりました。人生の夏休みといわれる大学生、そこにさらに休みが増えるのですから、とても暇な毎日を過ごしています。バイトもない自分は帰省するぐらいしかやることがありません。そんな僕の出身は新潟より北の、高齢化率全国一の39.3%R5)をほこる秋田県です。そんなところですから祖母の家に行くとどこに行っても、ジジとババしか見当たりません(笑)

 

 そんなこんなで帰省したのですが、とても驚いたことがありました。

なんと…いとこが来年から高校生になる!

               Σ(゚Д゚;エーッ!エーッ!

ホント時間がたつのが早いですねーちょっと前まで小学生だとおもってたのに

 

↓アイキャッチ☆ フセジー

      r ‐、
      | ○ |         r‐‐、
     _,;ト - イ、      ∧l☆│∧  中学生のとき仲良かった鈴木くん
    (⌒`    ⌒ヽ   /,、,,ト.-イ/,、 l   君のプレステの〇ボタンを使えなくしてごめんな!
    |ヽ  ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒)   池田のせいにしてたな!!!
   │ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /|     人のことを疑うのはよくないぞ!!!!!
   │  〉    |│  |`ー^ー― r' |
   │ /───| |  |/ |  l  ト、 |
   |  irー-、 ー ,} |    /     i
   | /   `X´ ヽ    /   入  |

 

 話は変わり、ボート部では先日、沈復帰訓練を行いました。

シングルスカルに初めて乗りましたが、バランスをとるのが難しく訓練の場所に行く前に沈しかけました。

そのあとはみんなで五十嵐浜で浜コンをしました。花火とスイカわりをして、楽しい時間を過ごしました。

授業で参加できなかったのが残念です。・゚・(ノД`)・゚・。

 

ボート部ではインカレを目指して毎日練習しています。夏の暑さに負けずに頑張るぞー!!

 .....::::::・''・::::::....
  ::        ::
: インカレまで残り :
 ::   9日      :: 
  '''::::::・,,・::::::'''
    ∩∧_∧∩
   ( ・ω・) おらに元気を分けてけれー
    /  ノ
   しーU

 第二タームの期末試験は色々な意味で終わった。回収された答案用紙が僕に授けるものは単位か、それとも「再履修」という残酷な現実か。現物が手元にない僕に、その結末を正確に知る術はない。しかし成績発表の日が来れば、必ずその二択は学務情報システム上の電子的な文字の羅列として淡々と伝わるのである。成績に関連する資料の修正がもう利かないという点で、実質的には既に決まった結論が未来で僕を待ち受けていると行ってしまっても過言ではなかろう。さながらシュレディンガーの猫(この言葉の正確な用法は分かりません。違ったらこっそり教えてください)。しかし過去は変わらないし、今日からは夢にまで見た夏休みだ。そんなわけで、この2週間で半分死に体と化した漕手兼マネージャー一年の谷村東哉(タニムラ トウヤ)が、滞納していたこのブログをリフレッシュがてらつらつら書いていこうと思う。夜分遅くに恐縮ではあるが、時間のある時にでもお付き合い願いたい。

 

 まずは僕自身の身の上について。出身は新潟県の燕市である一方、紆余曲折を経て北の都こと北海道は札幌に移り住み、人生のほぼ3/4をそこで過ごした。これまで札幌から新潟に出る際には一度別の市町村にある新千歳空港に移動する行程を踏む必要があったが、つい最近札幌市内の丘珠空港から新潟空港への直通便が就航したため、新潟にとってもきっと馴染み深い市町村になっていくことだろう。個人的にも帰省が(依然費用と時間を移動に多くとられるとはいえ)以前より素早くできるのはちょっとした嬉しいポイントである。故郷である燕市には折に触れて帰省していたので語れるトピックは少なくないが、北海道で過ごした時間の方がシンプルに長いので絶対的な話題の数では残念なことに遠く及ばない。ただ所謂「外の世界」のお話は人間関係のつかみとしては有効であるのも事実であるわけで、出身地はどこかと聞かれた際には、「新潟県燕市」と「札幌市」のうち話のネタになりそうな方を名乗ることにしている。昼夜逆転になりがちな自身の生活リズムや上に記した習性を鑑みるに、もしかすると自分の前世は蝙蝠か何かなのかもしれない。

 

 蝙蝠なのはボート部での立場もそうだ。小中高とサッカー一筋の部活人生を歩んできた経歴がありながら、これまでの人生で特に関わることのなかったボート部に、しかも漕手兼マネージャーというどっちつかずの立場としての入部。当面はマネージャーとしての業務をメインに活動することになるとはいえ、慣れないエルゴを漕いでみたり、ひょろがりの体を筋トレでいじめてみたり。傍目から見れば「マネージャー」の定義を疑われても致し方ない。そもそもボート部や艇庫での生活という日常自体が自分にとっては新鮮であるので、「自分にとっての正しい定義を探している」という表現の方がしっくりくるのが現状である。

 

 北海道から新潟に飛行機で向かうとき晴天であれば眼下に見える五稜郭を、戊辰戦争最後の戦いである「箱館戦争」で防衛した榎本武揚は「学びてのち足らざるを知る」という言葉を残している。旧政府軍の幕臣として活躍しただけではなく、特赦ののちに新政府に取り立てられ、「明治最良の官僚」とも称されるほど多岐に渡る功績を残した彼のこの言葉は、漕手やマネージャーなど複数の立場から自分の在り方を模索する今の自分に深く突き刺さる。まだボートやボート部に対する前提知識が殆どない自分では、「部活に何が足りないか」を十分に論じることは難しい。まずは幾つもの立場からの知見を貪欲に学び、少しずつでも「足らざる」に気付けるようになることが、ボート初心者である自分に最初に課せられた試練なのだろう。そう考えるならば、入部後二か月のこの時期限定ではあるとはいえ、蝙蝠も案外意義がある姿なのかもしれない。

 

 数ある部活の中から、なぜ縁もゆかりもなかったボート部を選んだのか。高校来の友人から強く勧誘されたことが直接のきっかけといえばそうなのだが、それでも入部を躊躇しなかった理由が生まれたきっかけとして思い当たる出来事がある。

 

 希望の中に潜んでいた不安が新生活のスタートとともに膨らんでいくなか、エルゴの体験会に勧誘してくれた先輩がいた。一人で歩いていた自分に声をかけやすかったのもあるだろうが、初対面なのに熱意をもってボートを勧めてきてくれるその姿に、なぜだか好感を持てた。練習終わりにご飯に連れて行ってくれた別の先輩は、同じ学部ということもあってかとても親身に話を聞いてくれ、そのときは部活に入るかどうかすら決めていなかった自分の大学生活のアドバイスをしてくれた。自分はとても温かい「初対面の人」の厚意によって支えられているのだと、大学に来て強く実感した。だからこそ、「初対面の人に対してもそうした厚意を向けてくれる人たちが所属する部活なら安心して入部できる」という感覚が心に働いたのは間違いない。

そのとき案内された唐揚げがおいしい定食屋は、今でもたまに利用している。

 

 

 後期試験を終えて新潟大学からの合格を受け取り、逡巡の末新潟空港行きの飛行機に乗ったとき、3か月後の自分がボート部のマネージャーとして活動していると、微塵でも想像できただろうか。否、想像できるはずもない。この日常は高校時代の自分にとってはあまりにも非日常的で、だからこそ毎日が新たな発見や気付きの連続だ。あの日、眼下の五芒星を眺めながら抱いていた新生活への希望は、決してすべてが理想通りに実現したわけではない。だが、その結果手にした現実は予想を上回る形の驚きや楽しさを自分に見せてくれている。それは、紛れもない事実である。

 

 今後、自分がボート部でどのような活動をするのか、今は分からない。漕手をするかもしれないし、マネージャーを継続するかもしれない。ただ、いずれの道を選ぶにせよ、その道のことを深く学び自身の「足らざる」を常に探し続ける姿勢は、常に大切にしていきたい。きっと、そういう姿勢がどのような立場にあっても多岐にわたる成果を上げるための礎として、少しずつではあっても貢献していくのだろう。

 

 いつか、榎本のような「最良のオールラウンダー」としてこの部活に貢献できるようになるために。新潟大学ボート部での「自分にとっての」日常の模索は、まだ始まったばかりである。