昭和54年12月~平成2年3月
山陰本線京都~福知山間(山陰本線京都口)
普通客車列車概要
【修正:令和6年1月28日等】
1 はじめに
(R4.8.21追記、R5.1.27修正)
私は、昭和63年9月以前の、普通客車列車王国時代の山陰本線京都口普通客車列車を何とか(ネット上で)再現したい、という一念で令和2年8月にブログ(現在の略称は「ソロ鉄ブログ」)を立ち上げました。
今回のブログでは、50系客車が山陰本線京都口に登場した昭和54年12月から普通客車列車王国最終月の昭和63年9月の山陰本線京都口普通客車列車概要を主に記載します。併せて昭和63年10月~平成2年3月の時期についても少し記載することとします。
※山陰本線京都口については、3つ意味があるようですが、今回は山陰本線京都~福知山間の意味で使用します。(#193のブログ参照)
※今回のブログでは、山陰本線京都口と言わず、山陰本線京都~福知山間、という表現を使用している箇所もあります。
※#2のブログを初めて投稿したのは令和2年9月ですが、投稿後何度も修正を加えています。R4.8.21の修正では、デザイン機能を活用した修正も実施しました。
2 昭和61年10月以前の山陰本線京都口普通客車列車
(R4.7.1、R4.8.21、R5.1.27、R6.1.26等に修正)
(1)昭和54年12月~昭和60年3月の山陰本線京都口
昭和54年(1979年)12月、山陰本線京都~福知山間に50系客車が新たに投入されました。当時の山陰本線は、非常に多くの普通客車列車が運行される普通客車列車王国(以下単に「客車王国」「客レ王国」と言う場合あり)でしたが、「昭和54年12月~昭和60年3月ダイヤ改正前」の山陰本線京都~福知山間は、非常に多くの旧型客車と非常に多くの50系客車が運行されていました。(詳細について記載省略)
<昭59.6頃の旧型客車等概要>(R6.1.26追記)
<その他>(R4.7.1差し替え)
鉄道ピクトリアル2007年2月号によると、山陰本線京都~福知山間に50系客車が初めて投入されたのは、昭和54年(1979年)12月、とのことです。
(2)旧型客車消滅
昭和60年(1985年)3月ダイヤ改正で、山陰本線京都~福知山間及び出雲市以西の旧型客車が消滅しました。(参考までに、山陰本線全線から旧型客車が消滅したのは昭和61年11月ダイヤ改正⇒山陰本線旧型客車最終日は昭和61年10月31日)
(3)昭和60年3月~昭和61年10月 50系客車
昭和60年(1985年)3月ダイヤ改正~昭和61年(1986)年10月の山陰本線京都~福知山間については、普通客車列車として使用されていたのは50系客車のみでしたが、非常に多くの客車が普通列車として運行され、これまでと同様普通客車列車王国でした。詳細は、#352等のブログもご参照ください。(R4.3.8、R4.8.21、R5.1.27、R5.4.2、R6.1.28等修正)
①八木駅
(#286のURLは下記参照)
(R3.9・R4.3に再UP)
<令和3年1月13日引用の形に変更>
<令和3年1月19日、20日に修正>
<令和3年2月10日修正>
<令和3年9月に新たにアメブロに投稿したブログに掲載の写真に差し替え(R3.11.5)>
<R4.3.8再度差し替え>
<#286はR4.8.21追記、#258のURLはR4.8.24削除>
<令和5年4月2日等修正>
<令和6年1月28日等修正>
②馬堀~保津峡間
<引用>(50系客車 当時)
※この写真は、h.itoyan氏がInstagramに投稿された写真。(使用については了承を得ています)
※保津川沿いを走る50系客車で、85年~86年頃の写真、とのこと。
※この写真のURLは次の通り
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
※この写真は、保津峡旧線を走行する50系客車で、1985年~1986年頃の福知山発京都行き836列車(836レ)。なお、1986年11月~1988年9月の福知山発京都行き836列車も7両編成の50系普通客車列車。(R5.1.27修正)
※この写真は、いわゆる愛宕山の箇所(R4.3.8追記)
※#352等のブログにも引用
(R2.9UP)
<令和3年1月19日下記2より移動>
<令和3年1月28日、令和3年2月10日修正>
<令和3年7月21日 直リンク追加>
<R4.3.8追記等>
<R4.8.23修文等>
<R5.1.27、R6.1.28修正>
③その他 上記以外の勇姿については、#352のブログをご参照ください。
(R6.1.28簡略化)
3 昭和61年11月~昭和63年9月
(R3.1.21等に修正)
(1)概要(R4.7.1修正)
昭和61年(1986年)11月ダイヤ改正で、山陰本線京都~福知山間では、新たに12系客車が普通客車列車として運行されるようになりました。それにより、昭和61年11月から昭和63年9月の山陰本線京都口では、非常に多くの12系普通客車列車と非常に多くの50系普通客車列車が運行されていました(つまり、引き続き普通客車列車王国)。この体制は、昭和63年9月まで続きました。(当ブログでは、この体制について「昭和61年11月体制」と呼ぶことが多い。#197等のブログ参照)
<参考>昭和62年4月1日、国鉄の分割民営化によりJRが発足。
(2)本数
昭和61年(1986年)11月~昭和63年(1988年)9月における普通客車列車の本数は次の一覧表の通りです。
※R3.10.6追記、R4.9.5削除・差し替え・追記
(4.9UP)
(3)一覧表
昭和63年8月時点における、京都~福知山間の普通客車列車一覧表は次の通りです。発着時刻以外は、昭和61年11月ダイヤ改正直後と同じです。(発着時刻は、昭和61年11月ダイヤ改正直後と微妙に異なっている)
<①>
※この一覧表は自分で作成。(4.9UP)
※R3.10.3作成者記載の一覧表に差し替え。
※R4.9.5再度差し替え
<参考>(R6.1.28差し替え)
※この一覧表は自分で作成。(4.9UP)(R4.9.5下り列車のみ記載の資料を追記、R6.1.28下りと上り両方記載のS63.9の一覧表に差し替え)
(4)運用について(R4.7.1簡略化)
(5)勇姿
<引用>1988年5月 綾部駅
※この写真は、「Kai-chanの鉄道旅情写真館」のサイトより引用(使用についてはこのサイトの管理者より了承を得ております)。「Kai-chanの鉄道旅情写真館」の表紙ページのURLは
http://kai-chan.sakura.ne.jp/index.htm
※撮影時期と場所は1988年5月31日、綾部駅、とのこと
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明1)
※この12系客車は、京都発福知山行き833レ。833レは、通常は12系客車8両編成で、機関車はDD51。上記#272のブログ等も参照。その他詳細については記載省略。
※次の#272等のブログもご参照ください。
(3.6UP)
(R4.7.1簡略化)
<引用>(R4.9.5追記)(旅一郎氏の写真)
※引用元:旅一郎氏のツイートより引用(使用については、YouTubeを通じて了承を得ています)
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
※編成から、昭和63年9月以前の9両編成の上り50系客車と思われる。状況から、324レと思われる。
※場所は山陰本線馬堀~保津峡間。
※その他詳細について記載省略。
(4.5UP)
※(参考)838レについては、#250のブログをご参照ください。(R6.1.28簡略化)
4 昭和63年10月~平成元年3月
(R3.1.21、R3.1.25等に修正)(R4.7.15、R4.8.21一部削除)
① 昭和63年(1988年)10月のダイヤ修正で山陰本線京都口の普通客車列車は大幅に削減され、京都~園部間で50系客車が3往復のみ運行される状況となりました。編成は9両編成でした。平成元年3月ダイヤ改正までこの体制が取られました。
② ①の時期の、京都~園部間における朝夕の50系普通客車列車は、『鉄道ダイヤ情報』(1989年2月号)のP38によれば、向日町運転所の50系客車であった、とのことです。(R3.1.25再修正)
③この時期の50系客車の一覧表や勇姿等は、#183のブログをご参照ください。(R3.10.6追記)
<参考>
5 平成元年3月~平成2年3月
(R3.10.17,R4.3.8、R4.3.19、R4.11.7修正)(R4.7.15、R4.8.21一部削除)
平成元年(1989年)3月ダイヤ改正~平成2年(1990年)3月までは12系客車の普通客車列車(9両編成)が山陰本線京都~園部間(JR嵯峨野線)で2往復体制で運行されました。平成2年3月のいわゆる園部電化により山陰本線京都口から普通客車列車は姿を消しました。詳細は、#190及び#99等のブログ等をご参照ください。
6 機関車
(R4.3.8追記、R6.1.28修正)
上記2~5の、山陰本線京都口普通客レの牽引機関車はいずれもDD51形ディーゼル機関車(DD51)。
7 参考 平成元年3月以前の草津線50系客車
(R3.1.20、R3.10.6修正)(R4.8.24簡略化)
平成元年3月ダイヤ改正まで、草津線においても50系普通客車列車が2往復運転されていました。この50系客車は向日町運転所所属で、京都~園部間の50系普通客車列車としても使用されていました。その勇姿は令和4年8月24日に投稿した下記のブログをご参照ください。
※草津線の50系普通客車列車は、平成元年3月ダイヤ改正で113系電車に置き換えられました。
8 参考 その他
(R6.1.28追記)
<参考文献>
・旅一郎氏のユーチューブ動画及びツイート
・Twitter及びInstagramの資料
・『鉄道ダイヤ情報』(1988年12月号)(弘済出版社)
・『鉄道ダイヤ情報』(1989年2月号)(弘済出版社)
・『復刻版国鉄電車編成表1986.11ダイヤ改正 ジェー・アール・アール編』(交通新聞社)
・『鉄道鉄道ピクトリアル』(2007年2月号)(㈱電気車研究会)
・当時の時刻表(1980年10月、1988年7月、1989年1月、1989年7月等)
<参考 #2のブログの修正日>
【修正:令和2年10月24日】
【修正:令和2年12月12日】
【修正:令和3年1月13日】
【修正:令和3年1月19、21、25、28日】
【修正:令和3年2月10日】
【修正:令和3年3月10日】
【修正:令和3年7月21日】
【修正:令和3年10月6日等】
【修正:令和3年10月17日等】
【修正:令和3年11月5日等】
【修正:令和4年3月8日等】
【修正:令和4年3月19日等】
【修正:令和4年5月23日等】
【修正:令和4年7月1日等】
【修正:令和4年7月15日等】
【修正:令和4年8月21日】
【修正:令和4年8月24日等】
【修正:令和4年9月5日等】
【修正:令和4年11月7日等】
【修正:令和5年1月27日等】
【修正:令和5年4月2日等】
【修正:令和6年1月26日等】
<参考 Pick>
※引用箇所の写真については、転載等禁止。
※個人的感情についての記載は一旦削除し、アスペの方のブログで改めて記載することとします。
※誤字脱字等があれば、その都度修正します。
※本日も最後までご覧いただきありがとうございました。