昭和61年(1986年)11月
山陰本線京都口普通客車列車運用状況
(昭和61.11ダイヤ改正直後の山陰本線京都口普通客車列車運用状況)
【S6111Ⅰ-2】
【投稿日 令和4年4月25日】
【修正等 令和5年1月16日等】
1 はじめに
(1) 昭和61年11月ダイヤ改正
・山陰本線京都口は、昭和63年(1988年)9月まで普通客車列車王国でした。
・昭和61年(1986年)11月に実施されたダイヤ改正は、国鉄最後のダイヤ改正で、山陰本線関係では、城崎電化や山陰本線京都口への12系客車の投入等が実施されました。詳細は、下記#197の過去ブログ等をご参照ください。(R4.8.11、R4.11.17、R5.1.16修正)
(2)今回のブログでは
昭和61年11月時点の山陰本線京都口普通客車列車の運用状況(上記#197のブログ等で記載の通り、当ブログでは「昭和61年11月運行体系」もしくは「昭和61年11月体制」と言う場合あり)について投稿した方がよいと考えましたので、その内容のブログを投稿します。(R4.7.1、R4.11.19修正)
※昭和61年11月体制についての当ブログでの細かい扱いについては、上記#197等のブログ及び下記2-(3)をご参照ください。(R4.11.23追記、R5.1.16簡略化)
2 昭和61年11月山陰本線京都口普通客車列車運用状況
【昭和61年11月体制における山陰本線京都口普通客車列車運用状況】
(1) 12系普通客車列車の運用状況(昭61.11)
※R4.5.1に補足説明欄を修正した一覧表に差し替え。また、R4.11.19及びR4.11.22に附を付に書き直した一覧表に差し替え(R4.11再アップロード)
(2) 50系普通客車列車の状況(昭61.11)
※R4.5.1に補足説明欄を修正した一覧表に差し替え。また、R4.11.19及びR4.11.22に附を付に書き直した一覧表に差し替え。また、R4.11.23に福付12について追記した一覧表に差し替え(R4.11再アップロード)。
(3) (参考)当時の山陰本線京都口普通客車列車運用図表
昭和61年11月ダイヤ改正後の京都~福知山間普通客車列車運行体系については上記一覧表の通りで、昭和63年9月29日までこの体制が取られることとなります(つまり、山陰本線京都口は昭和63年9月まで普通客車列車王国)。以前のブログで記載した通り、また上記の通り、ソロ鉄ブログではこれについて「昭和61年11月体制」等と呼ぶ場合があります。また、昭和61年11月~昭和63年3月を「昭和61年11月体制(前半)」or「昭和61年11月体制Ⅰ」、昭和63年3月~昭和63年9月を「昭和61年11月体制(後半)」or「昭和61年11月体制Ⅱ」等と呼ぶ場合があります。その運行の流れは上記一覧表の通り非常に複雑ですので、これを作成するにあたって参考にした運用図表についてもお示しする必要があると考えました。よって、その運用表を再度引用します。(R4.8.11、R4.11.19修正)
(R4.11再アップロード)
※この運行体系における普通客車列車の本数(当時の山陰本線京都口の普通客車列車⇒12系は6往復、50系は5往復)や運用状況については、以前投稿した#180及び#181のブログにも箇条書きの方法で記載しております。
(R4.11.19簡略化)
3 列車の勇姿
(R4.4アップロード)
<引用>(12系8両)
※この写真は、「Kai-chanの鉄道旅情写真館」のサイトより引用(使用についてはこのサイトの管理者より了承を得ております)。「Kai-chanの鉄道旅情写真館」の表紙ページのURLは
http://kai-chan.sakura.ne.jp/index.htm
※1988年5月31日の綾部駅、とのこと
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
この写真は、京都発福知山行き833レ。詳細については、#180・#182・#237等のブログをご参照ください。
(R4.4アップロード)
(R4.11アップロード)
<引用>(321レと322レ、園部駅)
※引用元:旅一郎氏のYouTube動画「国鉄民営化直後 昭和62年4月 山陰本線321列車 京都発園部行き」より (使用については了承を得ています)
(ソロ鉄ブログ管理者補足説明)
このシーンは、12系客車の321レと50系客車の322レが朝の園部駅で交換するシーン。今回は、詳細について記載省略します。
(旅一郎氏のYouTube動画)
※その他の列車の勇姿については、#180、#181、#237等のブログをご参照ください。
4 その後の経過
(1)JR発足(昭和62年4月)
昭和62年(1987年)4月、いわゆる国鉄の分割民営化により、JRが発足しました。山陰本線は、JR西日本の管轄となりました。詳細については今回は記載省略します。
(2)昭和63年3月ダイヤ改正
昭和63年(1988年) 3月13日ダイヤ改正は、JR発足後最初のダイヤ改正です。山陰本線京都~園部間については、このダイヤ改正により、「JR嵯峨野線」という愛称で呼ばれるようになりましたが、山陰本線京都口の普通客車列車については、昭和61年11月ダイヤ改正時の体制で引き続き運行されることとなりました。詳細については次のブログもご参照ください。(R4.11.19一部修正)
(3)第2回山陰本線普通客車列車大幅削減
上記の通り、昭和63年9月まで山陰本線京都口は普通客車列車王国でしたが、昭和63年10月1日のダイヤ修正により、京都~福知山間の普通客車列車が大幅に削減されました。これは、以前のブログで触れた通り、9月30日及び10月1日の2段階で実施されました。詳細は#296、#182、#183等のブログをご参照ください。(R4.11.23修正)
<#183のブログ>
(4)その後の経過(R5.1.16修正)
①平成元年3月5日、保津峡新線が開業(馬堀~嵯峨間複線化)
②平成元年3月ダイヤ改正で、JR嵯峨野線の普通客車列車は12系2往復体制となる。
③平成2年3月10日、JR嵯峨野線電化開業(山陰本線京都~園部間電化開業)⇒山陰本線京都口から普通客車列車完全消滅
④平成22年3月JR嵯峨野線完全複線化(詳細については記載省略)
<参考文献>
※『国鉄監修 交通公社の時刻表』(1986年11月号)(日本交通公社)
※『復刻版 国鉄電車編成表1986.11ダイヤ改正』(ジェー・アール・アール編)
※旅一郎氏のYouTube動画
※様々な方のTwitter情報
<Pick>
誤字脱字等があれば、その都度修正します。
引用箇所について転載等禁止
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。